希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。
<魯迅 「故郷」>
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。
<山本七平 「私の中の日本軍」>
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
<小沢健二 「天使たちのシーン」>
2007-05-31-Thu
はてなポイントありがとうございます。
これまで三回分の講義録をこのブログで公開して、それへの支援のお願いとして「はてなポイント」の投げ銭を読者の方にお願いしてきました。ブックマークに伴う投げ銭と、単に僕へのポイント送信の二つの形式があるので、どのエントリーに何ポイント、という区分けはできないのですが、第一回公開以後に頂いたポイントは今日までの時点で約二万ポイント、件数にすると約六十件でした。ありがとうございます。
匿名と顕名の方は半々ぐらい、顕名の方はコメントを添えられてきた方が多く、「これからも頑張って下さい。」というお声が有り難く胸に沁みました。「どのくらいが相場かはわかりませんが。」とおっしゃる方が何人かいたのですが、これまでの送信を平均すると、平均値は二万割る六十で約三百三十ポイント、ということになりますね。ただ、これはあくまで平均で、最高で五千ポイントを送って下さった匿名の方がいらしたので(あしながおじさん、とどうか呼ばせて下さい)、いわゆる中央値は多分二百ポイント強だと思います。本当にありがとうございます。ですがもちろん、数十ポイントの方もまた支えて下さってありがとうございます。「些少ですみませんが」とか書かれると本当に恐縮します、お心が有り難いと思っています。
僕のほうも「こういう講義録の購読に対する義捐って、どのくらいが相場なものかな?」と事前にわからなかったのですよ、前例を知りませんから。ていうか、大学の講義の概要ではなく、しゃべり文体で90分の内容をほぼ丸ごと公開するというのはもしかしたら前代未聞じゃあるまいか。箇条書き的に講義ノートを公開するのはあるようですが。それをブログで公開したら、文字起こしの人件費の半分くらいはいまのところ読まれる方のご支援で賄えている、というのはおそらく日本のブログ読者層がそれだけ高いご見識をお持ちということだと思うんですね。もちろんもっと認知されて、人件費を全部義捐のポイントで賄えたらこちらとしてはもっと心安らかに公開できますが、もし「はてなポイント」のような仕組みがなかったら、講師料を全部こちらに注ぎ込むことになってはやはり続かなくなってしまったと思います。そのいみでは株式会社はてなさんにも感謝いたします。まあ、こちらには応分の手数料は差し上げてますが。
それと、ここで申し添えておきますが、東京女子大での講義の内容をそのままここで公開したら講師料を払って下さっている東京女子大学と学生さんに申し訳ないんじゃないか、ともちょっと思いましたが、実際に講義を聞いて、この講義録も読んで両方を比べられる人に聞くと、やっぱり全然実際の講義のほうが臨場感があって、講義の内容がブリリアントに伝わってくる、ということのようです。やはり百聞は一見に如かず、東京女子大の受講者の諸姉にはちゃんとプレミアムの価値がそれなりにあって、こちらを読みさえすれば出席しなくても代替できるということは決してないようなので、僕も安心しました。なんていうかやはり、文字にして伝えられる部分は、映画の予告編のようなもので、講義を受講する体験の価値のごく一部なんだと思います。
ただ、その「一部分」でも、それを多くの方の目に触れるところに出して、そこに投げ銭を頂ける、ということはもちろん費用の点でも非常にありがたいですが、精神的にも自分の言説に価値を認めて下さる方がそれだけいる、ということは心強いのです。研究をしていてなかなか「自分の考え、自分の説」そのものが社会から評価されるということは機会が乏しく、学会でも「とりあえずぼろを出さなければこれも研究業績だ」と守りの姿勢になりがちですが、中小企業さんの研究をしている自分の場合、それだとあまりに普段の調査態度と距離がありすぎるのですね。その二つの態度の切り替えは非常に精神的なエネルギーを消費するのですが、この講義録はちょうど現場調査と理論研究の間のプリミティブなクッションになって、「経営学を専門的にやったわけじゃないが実際のビジネスに日々かかわっている方々」とつながりやすいんじゃないかと思います。どこのどなたをどういうわけでもないですが、「こういう学問もあり」じゃないかと思うんですね。
お世話になっている日下公人先生から聞いたのですが、むかしのドイツの大学の先生は、どんな大学者でも、大学から給料はほとんど貰わない。ただ、教室を使う資格を認めてもらえば、後は講義の後に学生に帽子を回してそこにお金を入れてもらう。ほとんど大道芸人ですが、学者というのはそういうものだった。まあ、文系だからできるスタイルかも知れませんが。それはマックス・ウェーバーの「職業としての学問」に出てくる話ですが、日本でも、本居宣長がそうだったそうで、日本全国から宣長の学問を聞きたくて集まってくる人たちは、少しはお金も持って来たが多くは食べ物も持ってきたそうです。魚の干物とか大根とか人参とか、それで宣長は生きていて、もし彼の話がつまらなくなれば、彼は研究資料を買えなくなって、松坂のまちで普通のお医者さんに戻る。それもいいじゃないかと思いますが、でも彼の学問を支えたのは、彼から話を聞いて、直接交換で対価をくれるお客さん個人個人だった。もちろん僕は宣長には及びもつきませんが、でも自分の考えたことを言葉にして、それを読んで下さった方にお願いすれば、ポイントを下さる方がいるということ、それが僕の誇りです。これは、おっかなびっくり講義録公開を始めてみるまでは予想もしませんでしたが、本当にうれしいことでした。皆様ありがとうございます。
それと、この講義録を「東京女子大」という検索ワードで見つけてアクセスしていらして、僕にメールで「娘が東京女子大学に進学を考えているんですが、どんな感じの大学でしょうか?」とお聞きになっていらしたご父兄の方がいらっしゃいました。僕は今年度からたった週に一回お邪魔してひとコマ講義をしているだけの、新顔のバイト君に過ぎませんが、でもそれでも僕に伝わってくるのは、学生さんたちはみんな素直で真面目で努力家で、いわゆる「チャラチャラしている」タイプはほとんど目につきません。また、講義をしている他の先生方も充実したお仕事をされているようで、ちゃんと経済学や社会学の理論的な押さえどころを既に学んだ上級生たちはちゃんと身につけているのは確かです。僕がそれに敢えて「教科書なんか忘れちゃえば?」みたいなゲリラ戦を挑んでいるのでちょっと混乱した人もいたようですが、それが出来るのも他の「正規部隊」の先生方がしっかりしていらっしゃるからだと思います。「もののみかた」を変えてみることができるのも、既に何らかの「もののみかた」を学んでいるからであって、その意味ではいわゆる知名度などから推測していたよりもずっとここの学生さんたちは高水準でした。
キャンパスの環境、ということですと、なかなか言葉にはしにくいですが、杉並区と武蔵野市の境目あたりにあって、あの辺は非常に街の雰囲気がよく、西荻窪の駅から十分ほど歩いてポッとチャペルの屋根の上の十字架が見えてくるとなんともいえずいいかんじです。いま正門は工事中で中が見えにくいですが、講義の後に校舎から出て門に向かう途中、前庭の芝生から本館を眺めるとステンドグラスが夕日に映えて、なんちうか初夏の夕暮の時期にちょっと恍惚として癒されますですね。右の写真は手ブレしてしまっておりますが。まあどこの大学も最近はキャンパスを小奇麗に清潔にすることは気を使っているようですが(例外も牛込にありますが)、でもここのキャンパスの風景の美しさというのは、最初にキャンパスができたときの建築設計のグランドデザインがしっかりしているからだと思います。校舎の間の緑もゆったりしたスペースで充実していて、ちょっと散歩してキャンパスの奥の生協の喫茶店でお茶など飲んでいると、自分はアメリカのアイビー・リーグのどこかに留学しているのかと錯覚しそうになりますな。それとも「ビバリーヒルズ青春白書」みたいな感じか。俺はこれまでなんてガサツなむさくるしい環境にいたんだろう、ここに来ると心洗われるようではないか、とか思います。神戸出身の自分はいくらか「お金持ちが住んでいる洋館」を見た経験がないでもなかったですが、広々とした庭園の中にいくつも建物が配置されているという「風景まるごとの魅力」は、あまり他で感じられたことがないです。そこを外部の人が入らないようにがっしりした守衛さんたちがあくまで温和な態度でですがしっかりガードしている。あまりにも自分の出身大学と対照的で、ちょっと慣れるのが怖いですな。


