希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。
<魯迅 「故郷」>
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。
<山本七平 「私の中の日本軍」>
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
<小沢健二 「天使たちのシーン」>
2007-06-23-Sat
彼はポルポトになるのだろうか
いま、ある人の論文というかエッセーというか童話のような文章を読んでいる。その人の作品は僕に大きな影響を与え、はっきり言えば僕はアーティストとしてのその人のファンなので、できたらこの論文も心情的には賛同したい思いがあるのだが、どうしても論旨の運び方に納得がいかない。この人の最終的な目標とするヴィジョンには共感するところ多いが、この人が言うような戦略を採用すれば、間違いなく事態はより悪化するだろうということについては確信を持っているし、それを論理的に説明する自信もある。
なんである種の思想系の人というのは、合理主義を敵視するのだろうか。それは論理的錯誤だし、愚策でしかあり得ない。政治的利害が対立している相手と意見の相違があるとき、しかも相手が合理主義者であれば自分は不合理主義を信奉する、なんていうことは、それこそ相手に囚われているのです。合理主義者に勝ちたかったら、自分がもっと合理主義に徹するしかない。
あるいは、別の言い方もできる。現実主義と理想主義は別に対立しない。理想を掲げればこそ、そんじょそこらの現実主義者よりもよっぽど現実主義に徹しなければならないのが実際ではなかろうか。その人はあまりに「ええとこの世間知らずのぼんぼん」である。しかしその人の名声、カリスマ性を考えると、変な教祖に祭り上げられてしまうのではないかという危惧さえ覚える。
問題を単純な正義感で解決しようとすると、かえって状況は悪化する。その実例は歴史に山ほどあろう。そしてまた、システムを批判するときにシステムの一部だけを切り取って欠点を指摘するのも、なにを言ったことにもならないことをもっとちゃんと考えるべきではないだろうか。
組織とか、効率性とか、グローバライゼーションとか、確かにそれらにはある種の厳格さ・えげつなさがあり、それとかかわる人間に適応を迫る要素もある。その圧力への反動として過去への郷愁を少しも抱かない人は少ないだろう。しかしやはり、合理主義に対抗しようとしたらもっと合理主義を徹するしかないのである。
「思いて学ばざれば即ち殆し」の典型のような文章を読んで、ああ、おそらくはこういう「正義感」を当初は抱いていた青年たちが、クメール・ルージュや、文化大革命に参加していったのだろうなと思うとちょっと絶望的になったりもする。彼らは歴史から学ばないのだろうか。いまある世界がこうなるに至った歴史そのものを否定するには、やはり歴史から学ばなければならないだろうに。
その人の文章は部分毎の記述はともかく、論理の総体ではあまりにも筋が通らず、矛盾や破綻がいくつも見て取れる。それを童話的文体で誤魔化そうとしているように見えるけれど、書いた本人はそれを自覚していないはずはないと思う。その人は、個別具体的な、ある権力の不適切な行使への批判と、組織運営・管理という行為一般への批判がごっちゃになっている。しかし、人間が組織的に行動するということから否定していては、権力への対抗も個人単位で分断されて何もできないと思いますが、それについてはどうなんだろうか。組織的行為・経営・管理は絶対悪なんでしょうか?まさか。
経営について、それらがまるで賎業であるかのように論じる人たちは、実は内心、いくらか大衆蔑視、衆愚意識とそこから得られる優越感に陶酔しているのではないかと思うことがある。特に人文系にはたまにそんな人がいる。彼らは「眠れる大衆よ目覚めよ」などという。自分は既に目覚めており、周囲の衆愚はまだ愚かであるという独善的な意識が透けて見えるのは僕の錯覚なのだろうか?
「ひとびとの敵」をまず想定して、それへの攻撃を印象論で繰り広げていくレトリックなど、その人が批判する全体主義の採った手法そのままではないか。怪物を批判して自らも怪物になってしまっていはしないか。それを避けられるくらいには自己懐疑的な人だと思っていたのだが。
このCDを聴きながらその文章、「企業的な社会、セラピー的な社会」を読んだ。
Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学
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ネットで検索して見ても、ちゃんとその文章に向き合って批評した人がどうもまだ目につく限りではいないようである。はなっから結論に同調しているシンパが情緒的な文章に幻惑されているようでしかない。論理的に分析しようとしたら、「これは童話ですから」とか、そういう対応になるのかな。でも、小沢さん、あなたはそれでいいんですか。僕はあなたの理想に魅力を感じないではないですが、そこへ到る手法としてあなたのような社会観が適用されたら、社会はあなたの望む方向とははっきり逆方向に変化するでしょう。まさかそんな暴挙が実現はされないでしょうが、あなたが嘆くほど、人々は愚かではないと思います。いや、そんな言い方も傲慢で、多くの人々は賢明ですよ。しかしそれが時に扇動されるとしたら、それは疎外感を抱いた人々のルサンチマンが正義の衣を被って火をつけて回る時ではないでしょうか。
それともあれはあなたの詩でしょうか?そうだとしたら、それは鑑賞はされても批判されるのは的外れなんだろうと思いますが。


