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福耳コラム このページをアンテナに追加 RSSフィード


希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。

<魯迅 「故郷」>

しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。

<山本七平 「私の中の日本軍」>

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

<小沢健二 「天使たちのシーン」>

2007-06-27-Wed

ものづくりは情報の転写だの巻「女子大で講義する余談の多い経営学 #6」

イメージをかたちにするものづくり

前回はユニークな商品企画の例を取り上げてみましたが、今日はものづくりのプロセスをもうちょっと理論的に整理してみようと思います。前に一度話したことがあると思いますが、ものづくりというものは、例えば鉄鉱山で取れた砂鉄が炉に入れられて鋼板になって鋼板が曲げられ溶接され、組み立てられ、自動車になるような「素材の加工である」といいましたが、別の見方もできます。それは、設計情報(design information)という情報を転写するという見方もできます。鋼板が曲げられ自動車になるようなものはマテリアルのプロセシングといったらわかりやすいかと思いますが、こちらはイメージの実体化(リアライジング)ということです。前者は素材の加工(マテリアルのプロセシング) 。
実は、このものづくりは設計情報の転写であるという学説はまだこのつい十年から十数年位の間に提唱された学説です。普通、みなさんのお父さんがどこかの製造業企業に勤めていたとして、そのお父さんにものづくりとはつまり何?と聞いたら、たぶん、例えば車メーカーだったら鉄板曲げたりくっつけたりとか、食品メーカーだったら小麦挽いて粉にしてそれを焼くんだ、などのように、素材を加工することであるとおっしゃる方がほとんどでしょう。それは実際そうですが、別の見方をしたらまたものづくりのシステムをもっとうまく動かすことができるようになるという視座を得ることができるよね、と考えついたのが、東大の藤本隆宏という先生です。いまはまだ藤本学説がまずものづくりの専門家たちへ普及される途中ですが、後何十年も経てば、世間一般でも経営学を変えた人と評価されるでしょう。

この先生、どういう方かは詳しくはよく存じ上げないのですが、ただ先日、僕に「たとえ非常勤とはいえよりによって三宅君を雇うとは、東京女子大も思い切った賭けに出たな。」とおっしゃった。賭けなんかーい!ネタに聞こえるように口調に配慮されていたので周囲は笑っていましたが、実はかなり本気なんじゃないかと思うよ。こちらも「先生よりは僕は女子大生受けするキャラだと思いますよ。」と言い返してしまった。おとなげないよなあ。

情報の流れを追え

設計情報転写とはつまりなんやねんということをもうちょっと詳しく説明していきますが、これはマテリアルのプロセシングというふうにものづくりを捉えると、ものづくりってものが形を変えることだよねという見方になってしまいます。そうじゃなくて、ものをつくる、特に工業製品を作るということは、人間の頭の中にある、こういうものがあればいいなあというイメージがだんだん形をとっていくという、情報が流れていく現象だと考えると、単に生産、つまり実際に自動車を作るとか、パンを作るとか、家電製品を作るとか、それがどういう形であれば便利かということを考える「設計」という行為も情報で捉えることができるということなんです。その辺今日はじっくりやります。
さて、で、ものづくりというのは昔から設計情報の転写であったのですけれども、どういうわけか近年になるまでその側面はあまり重要視されていなくて、いや、ものっていうのは原料がかたちをかえて製品になることだよねという見方が支配的でした。なぜそうかというと、つまり近代工業以前・以後ですごくものづくりの性質が変わったとことがあげられます。特に、日本のものづくりにおいては、一般的に工業の素材になるものが、例えばですよ、金属素材や化学つまりいわゆるプラスチックや樹脂素材などの化学的に合成された原料が多く使われますが、これらは特徴があります。

素材と手順の同一性

もしみなさんが近代工業以外の世界のものづくりで昔からあるものづくりの素材に注目したら違いがわかります。例えば、日本の伝統的な工芸で昔からあったのものは、木材、紙であったり、あるいは石、天然の石を切ったものであったりします。これらでも非常に便利で美しいものができますが、これとまったく違うものづくりの可能性を引き出したのは金属、化学原料の登場です。なんでかというとこれらの原料はみんな均質的なんですね。そうすると例えば、このマイクホルダーの軸のパイプを削って作ったものとか、あるいはこの黒板消しのプラスチックの部分とか、こういうものはみんなもともと樹脂の細かい粉の塊を型に入れて溶かし込んで作ったり、金属のパイプを決まった手順で動く加工機械に入れて削って作るみたいに、同じ手順が決まっていて同じものが量産できます
つまり、金属や化学素材の原料というのは原料がどの部分を取っても差がない、同一の原料というものを作れるということです。あんまりないけど、もしプラスチックで仏像を作ろうと思ったらどうなりますか。仏像の型だけ金属で作ってそこにプラスチックを流しこめば、固まったら同じ仏像ができるね。土産物屋にレプリカである仏像がそうだね。なぜそんなことができるんですか、それはもともとの素材になる原料が均質だからですね。これがもし木や石で同じ仏像を作ろうと思ったら、大変ですよ。なぜかというとこれらの原料は不均質です。例えば同じ仏像を作りたいと。それも同じ手順で。つまり同じ順番でこういう風に削っていったら同じ仏像が出来上がったとしたかったら、まず最初にまったく同じ木材の塊がないといけない。でも自然界でまったく同じ木材の塊ってありますか。ないですね。同じ原料が二つないから同じ手順で同じものができるということができないんです。

均質素材の登場

しかし、産業革命以後、金属(主にスチール)や化学原料が登場したのは第二次産業革命以降。だんだんこういう風に素材がそろってきた。例えば、テキサスで取れる石油、ペルシャ湾で取れる石油はそれぞれ微妙に違うかもしれませんが、それを原油精製所で熱処理したら同じ比重の油に分けられますね。金属だって、もとの鉄鉱石見たらちょっと成分が違ったり不純物が混じっているかもしれないけど、これらの金属原料や化学原料っていうのは、もともとはいくらか不均質な素材に、エネルギーを加える。熱とか圧力とか。
そうするともともとは油田間、鉄鉱山間で微妙に質が違ったかもしれないけど、それらを混ぜて熱してり、溶かしてまた固めれば、ほとんど同じといっていいほどの板や、あるいは全く同じ樹脂っていうものが出来ますね。そうすると初めて均質的な素材を人類が手にすることができるようになったのです。そうすると同じ原料に対して同じ手順で加えたら、結果同じ製品ができあがるという、みなさんは近代工業化以後の社会に生きているから当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、このあたりまえの現象が起きるようになったのもそもそも人類がこの均質的な原料を豊富に扱えるようになったからですね。
家庭でもこれに似た現象って言うのはあります。家電製品の量販店に行ったらパン焼き機ってのがありますね。あれはなんであんなことができるんですか?つまり自動的にパンが焼けるのは何でかというと、夜寝る前に決まった量の水と小麦粉とイーストを入れたら機械の中に記憶されているプログラムが同じように働くから、同じように熱されて、こねられて、また熱せられて…そんなことが予測できるからでしょ?なんでそんなことが予測できるかというと、もともと小麦粉や水が予想通りの反応をする物質だからですね。つまりパンを焼くという行為は粉に挽いて工業の原料を均質してしまった後はロボットができるように自動化できる。

予測可能性と計画性と「設計」

では自動パンや機器があるんだから、自動ステーキ機はできますか?ステーキって機械で焼けないんです。なんでかっていうとつまり高級な肉ほど、なかに脂身や赤身や筋や、つまり個性がある。で、ちょっと焦げ目をつけて、どれくらい火が通ったか、またひっくり返してまた様子を見て、ちょっと塩振ってこしょう振って、いろいろ肉の個性に毎回違う焼き方をしないと、おいしいステーキというのは焼けない。なんでかというと牛肉という素材は不均質で事前にはっきりと計画が立てられるような均質的な材料ではないからですね。均質的、不均質的でどう違うかというと、どういう加工を加えたらどういう変化を起こすか予測がやりやすい、やりにくいというのがあるというのがわかりますか? もし原料がどの原料も一緒だったら、何回か実験をしたら計画が立てられるようになりますね。けれどももし、原料がどれも千差万別で違ったら、一つ一つ素材の性質が違うんだから、その計画はあまり役に立たない。なんでかというと原料が均質的だと一回か二回試作したら計画が立つようになる。だけど、素材が木や紙や石や肉などの天然材料だったら、量産できませんね。なんでかというと一個一個予測できないからですね。
ステーキだと名人のシェフがちょっと焼いてはちょっと切って、ちょっとずつ様子を見ながら目を離さないで作らないとおいしいステーキは作れませんが、でもそんなことやってもし名人のシェフがいなかったらステーキを食べられないじゃないか、ということになるとどうすればいいか。素材を均質化して工業的に焼けるようにすればいいですね。どういうことかというとつまりハンバーグ。牛肉に個性があるんだったら一つ一つおいしい焼き方が変わっちゃうんだったら、そんな牛肉全部混ぜてみじん切りにしてパン粉やたまねぎと混ぜてミンチにしたら、ミンチ肉は個性的じゃなくなるんじゃないかと。そしたら大体統計的にこのミンチ肉を何度で焼いたら火が通って、お客さんに出せるようになるみたいな計画が立つようになりますね。そうすると何が出来るかというとファーストフードでハンバーグステーキが出せるようになる。なんでかというと予測が立つからです。アルバイトのお兄ちゃんがハンバーグステーキを焼いてもそんなに極端に割れたり焦げたりしないのは、ミンチ肉の場合は何度で何分焼くけばこのくらいで固まるみたいなマニュアルが作れるわけですね。素材が均質にされて同一性を実現できると、ものづくりの工程に予測可能性が生まれます。予測可能性が生まれると、ものを実際に生産する前に、『設計』というものができるようになります。これは非常に大事なことです。

工業化への環境整備

例えばみなさんがミケランジェロでフィレンツェのメディチ家から頼まれて大理石の塊を彫っていく、それはもちろんダビデ像のイメージが頭の中にあっても実際に彫っていくと大理石のマーブル模様の微妙な筋とかが邪魔になってここは避けて彫ろうとかここはちょっと弱く彫ろうとか、ミケランジェロがちょっとずつためし彫りして、石と会話しながら彫り続けないときれいなダビデ像はできあがらない。しかし、もしメディチ家がミケランジェロにプラスチックでええがなといったらどうなりますか?そしたらとりあえずプラスチックを入れて溶かす金型つくって、後はプラスチックの粉を流し込んで、溶けて固まったら、いくらでも量産できますね。
原料が均質な工業原料になると、実際に物を作る前に計画が立てられるようになる。何の計画かというとつまりものづくりをする上での、問題解決のスケジュール表が事前に書けるようになる。ステーキではどんなプロでも事前に計画は立てられませんが、ハンバーグだったらどうですか。100個あったら100個ともほとんど性質はかわらないから、事前にハンバーグを焼く上での問題解決のスケジュール表、製造手順のマニュアルを書ける。だから全国にチェーン展開しても同じハンバーグを焼けるわけですね。生産しながら設計するといったことが必要でなくなって、ハンバーグを焼くのはバイトに任せておいて、われわれはレシピを作っておきますよ。このような設計を前もって出来る。これはなんでできるかというとつまりは原料が均質的になったからです。ここに近代工業化の大きな意味があります。

設計・生産のプロセス

f:id:fuku33:20070627123705j:image:left:w500では具体的に設計から生産に流れる流れをもう少し細かく見てみましょう。
さて、設計・生産と二工程で分けるのはちょっと雑なので、もうちょっと細かく分けます。物を作るうえで、一番最初に何が行われるかというと、概念設計(こんなものがあればいいなあというような商品のコンセプトを固めるということです) 。もうちょっと一般的な言い方をすると、まさにこれは商品企画だと思っています。さて次に、その概念設計を最後に具体的なものに作り変えるには何が必要か、ここで、機能設計(具体的にどういう機能を発揮したらいいのか言語化する)のです。なにができるのかということをちゃんと言葉にして決めましょうと。
さてその次に、世の中の人が一般的に設計と言って思いつくものがきます。それが構造設計です。具体的に何ができるという、そのいいものを作るためにはそのいいものは具体的にどういう形かなあ。そういう姿かたちをしていたら機能を発揮できるかなあという形を決めるのが構造設計です。さて、構造設計がすんだらすぐ作れるかというとなかなか簡単には作れません。どういう手順でどういう順番でどういうプロセスで作ったら効率的になるか、ちゃんと事前に決めないと計画的にものづくりが進まないですね。ですから構造設計の次に、工程設計というものをやります。具体的にどのような手順で作れるかということです。さて、じゃあ工程設計にしたがって何ができるかというと、もういよいよ実際に機械や自分の身体を動かしてものをつくりましょう、ということで、やっと生産ができる。

たいやきづくりの設計情報処理

f:id:fuku33:20070627123822j:image:leftさてそれではモデルとしてこれを説明しましたが、具体的にはどういう手順で説明しようと思うんですが、藤本先生はよく自動車を用いて説明されますが、これを題材にすると、90分では手ごわい。我々そんなにカーマニアじゃないからね。だからもうちょっと女子大生たちにわかりやすい例を出そうと思います。そこの西荻の西友で買ってきた、たい焼き。もしたい焼きが近代工業製造過程で作られたとしましょう。僕が商品企画担当者だとしましょう。おかしのかたちがなんか面白かったらお客さん面白いんじゃないかな。そうだ、魚の形にしよう…みたいなところは概念設計。魚の形コンセプト概念が生まれた。これも一つの情報の創出ですね。
初めてたい焼きを造った人の気持ちを想像してみると、魚の形をしたおかし。そのコンセプトがまず構想される。しかし実体化されるまでにはそのコンセプトに情報が付け加わらなければいけない。それが機能設計が必要になります。例えばこのたい焼きの機能ってどういうものですか。一番端的に言うと、食べられる。当たり前ですけど食べられるという機能を発揮していないたい焼きなんていうのは意味がない。あと、カロリーが摂取できる。甘い。見たいな風に、もとは魚の形をしたお菓子でも、どういう性質、機能を備えていれば素敵な商品じゃないかという細かい要件が固まっていくんです。よく考えたらこれは誰に売るんですか、銀座の木村屋で売るんですか、西荻の西友で売るんですか。西友で売るんだったら、近所に住んでる家族連れの小さい子供が多いんじゃないか?そうなると、サイズが決まりますね。ほかにも、かわいい。居酒屋でお造りで出てくるようなリアルな鯛だったら子どもには怖いでしょ?
ではオリジナルのたい焼きの原型を考えましょう。じゃあ商品の形を決めようよと。食べられて甘くて、カロリーが取れて、魚の形をしていて、10センチ×6センチくらいかなあ。これが商品の発揮するべき機能が決まるということ。機能設計ですね。それではそれはどのような具体的な構造であれば発揮できるのか、その構造を決めることを構造設計といいます。サイズも子供の口に入るサイズに決まります。でも食べられるや甘いやカロリーになるということはどう満たすかというと、例えば鯛の形を焼いて整形するには素材が選定されて小麦粉と砂糖を水でといたものみたいに原料が選ばれる。そして小豆餡が決まる。こういう風に外形から中に入っているものまで商品の姿かたちが決まっていきますね。そしてあんこの入れる位置や量を原価とお店の戦略にあわせて決めていく。例えば小豆30g、小麦粉を水で溶いたもの200ccだとか。こうしてたい焼きがどんな機能を満たしているかだんだん決まってきたね。一行のコンセプトだったものがスペックがついてより具体的になっているのがわかりますか。じゃあこのスペックを機能要求といいますが、それが明らかになったらそれを具体的に満たせる人工物はどんなものをいうものを考えると、構造設計が行われ、具体的な姿かたちが見えてきますね。じゃあどう作るのといったときに、工程設計のフェーズに入ります。

工程設計と生産

皆さん、たい焼きを焼いているところを見たことあるかな?あの例のお店でたい焼きをつくるのは、6つの焼き型がある。さっき確認してきたですよ。それぞれに卵液落として、餡をこっちには左右対称で上にふたになる方がついててしばらく火を通すとたい焼きがやけると。これを決めるのはどれくらいの時間かけたらやけるの?どれくらいガスがあるの?どれくらいの人が来るの?じゃあ6っつバッチ生産でやることにしましょうか、とかなるんです。そして、この場合店員さんが一人で6つ焼けるコンロで、手が届く範囲に卵液を置いて、餡をおいて、何十秒後にひっくり返すという風にマニュアルを決めておきましょう。こういうのがまさに工程設計です。つまり構造設計の情報を踏まえてものづくりの技術的な要求をあわせると、具体的な生産手順の情報がここで創造されているのがわかりますね。まさにそれまで付け加えられてきた情報の塊を小麦粉や餡というメディアにたい焼きというものがこんな形をしていればいいなあというコンテンツ情報をメディアにプリントするわけです。ここにずらーっと一貫した情報の流れがあるのがわかりますか?これは物質の形状変化のはなしとは次元が違うのがわかりますね?こういう見方をすると、ものづくりって情報の流れ、情報を流す行為だというのがわかりましたか。こういう話が設計情報転写論の枠組みです。
もし構造設計情報として可愛い鯛の形を決めたのに、それがこの焼き形を作る段階ではいかめしい太刀魚とかにになっていたら設計情報の流れがうまく伝達されていないということですね。しかもその型まではちゃんと作ったけど実際に焼くときに失敗したら、ここまで正しく伝達した情報を正しく実体化していないということだからやっぱりここにコミュニケーションの失敗がある。逆に言うと概念設計をする人、機能設計をする人、構造設計をする人、工程設計をする人、そしてそれを最後に生産、素材に情報を転写する人まで正しくコミュニケーションができていれば、いいものが効率よく作れるはずだというものの見方が設計情報転写論なんです。

生産管理論の手前の手前

じゃあ、これがもう少し応用できないか考えます。ここで生産管理のおもしろさの気配をちょっとだけ感じてほしい。工程設計と製品設計、機能設計、それぞれの情報をちゃんと調和させて、生産効率と品質を改善させていくにはどうすればいいか。思い切り奥が深いんですが、今日は浅くやりましょう(笑)。だいたいどこのお店でもたい焼きは6個とか8個とか、まとめて同時に焼いているよね。このように複数の製品をいくつもまとめてつくることをバッチ生産といいます。しかし、僕が知る限りではは東京に一軒、たい焼きをバッチ生産以外でつくっているお店を見たことがあります。それはなんと、たいやきの一品生産。半蔵門線の人形町駅の近く、甘酒横丁に柳屋という有名なたい焼きの老舗があります。そこはたい焼きを一品生産しているのですね。
スーパーで焼く設備ではたいやきを一度に6つセットで焼けるね。そしたら焼く人はまとめて焼けるので楽ですね。それに対して、柳屋のおじさんは一個ずつ作っているけど、一見したらいかにも面倒だよね*1。なんでこんな面倒なことをやるかわかりますか?食べるとおいしいからです。皮がサクッとしていて中の粒餡がしっとりしているんですね。なんで?
もし六個つくるバッチ生産だったら一個目と六個目の間に実は火の通り具合の差があるはずだよね。だって、卵液は順番に型に落としていって、型から外すときはほとんど時間差がない。ということは、かたや一個目は焼き過ぎの危険性があって、かたや六個目は生焼けのリスクがあるというのはわかりますね。じゃあ何で銀だこのたい焼きは焦げたものや生焼けのものがないの?一個目に卵液入れて六個目が焼きあがるまでの間に、1個目が焦げ過ぎないようにするには火の通りの進み具合が遅くすればいいわけですね。そのためにはある程度ガスバーナーの火力を弱めなきゃいけない。でもそんなゆっくりゆっくとろ火で焼いたらどうなる?そうすると外がカリッとしないわ、餡はバサッとしてるわ、しかも一個目の皮なんて出した蒸気の水分をまた吸収してしまうよね。スーパーのたい焼きなんてそんなもんでしょ。だけど、柳屋の場合は、それが避けられる。一個一個自分のタイミングで焼けるんだから。熟練のおじさんが長年の慣れたタイミングで、強い火力で焼くことが出来る。そうすると中の餡が熱せられ過ぎる前に、外の皮がカリッサクッになるでしょ。
ということは、6つまとめてやることで手順の削減を狙ってやるとそれぞれの味が犠牲になる。一個ごとおいしさを追及すると量産が出来ない。だけど、人気有名たい焼き店だったら量産より味を選んだほうがいいね。となると、単純にこっちが理想のたい焼き作りですということではなくて、お店の規模とか立地とかお客さんがどれくらい高いたいやきでもおいしいものを求めているか、みたいなことにあわせると、ものづくりの理想のスタイルっていうのは変わってくるわけです。例えばコンビニで売っている有名大メーカーのたいやきは、工場でおそらくバッチ生産ではなくってライン生産で連続してまとめてつくっていると思うけれど、それはたくさんの店に大量に出荷することが前提でなくてはかえって無駄が増えるでしょうね。それと、水分でふやけないような管理にも気を使っていると思います。

ものづくり推薦図書

こんな風にみなさんが日常的なものづくり、例えば料理だってものづくりだし、生産管理のものづくり理論が当てはまるんだよと。でそのときにひとつのものづくりのシステムの改善に役立つのが設計情報転写論なんだよということが言いたかったんですが。ほんと、これは奥が深いんですよ。何年も考えていてもどうも、いろいろあっちのケースこっちの工場、考え所がたくさんありますが、ものづくりを考える上では非常に得難い、貴重なフレームなんです。そううかうかとは分かりませんが、でもものづくりについてもうちょっと詳しくなりたい、そういう人に、入門として参考図書を挙げておきます。

日本のもの造り哲学

日本のもの造り哲学



今日のところは、まず製品開発・生産の情報の流れを概念で説明して、それを鯛焼きの例で表現して、最後に生産管理論についてちょっと試しに触れてみましたが、来週はこのモデルが実際にはどのように行使されるか、実例から考えてみましょう。(編集協力:中本剛史)

今回の反省点

うーん、無茶をやってしまった、という反省しきりです。こんな内容、90分でやるべきもんじゃないし、予備知識が乏しい非経営学プロパーの学生には酷だったか、という気がします。アンケートでは「面白かった」という回答が多かったですが、どこまで伝わったものか。ただ、「ものづくりって思ったよりも情報のやり取りが大事なんだ」と感じるだけでも御の字なんでしょうか。
経営学プロパーの人でも、分野によっては、なかなかこの「ものづくり論」の必要性が通じないというか、人によってはそれはもう工学であって、経営学ではない、とシャットアウトする人もいるし、でもそれでは企業のパフォーマンスについて踏み込んで観察できないように考えるので、中小企業論でもいくらかは受講者に考えるきっかけを与えたい、とは思っていたのですが。
しかし、教えるこちらのほうだって、どれくらいきっちり詰めて理解しているかというと、わたくし態度がでかいだけの居候の身でしたから、都合のいいとこどりで変な解釈をしている可能性少なからず。もしかするとこの回が、「設計情報転写論」が非経済経営プロパーの学生に講じられた、最初の無茶な試みかも知れません。それも社会学科の女子大生たちにというのは、受講者たちの頭の中でどんな化学反応が起こったか、見当がつかないんですが。
しかも、設計情報転写論に加えて、「そもそも設計メディア(素材)の均質性・同一性が予測可能性を実現し、設計というプロセスが成立し、ものづくりの再現性が実現された」というものづくりについての説明は、僕以外はまだどこの誰もしていないと思います。これ、「近代工業的」でない町工場も見て、比較して気付いたことですが。
さて翌週ではこの「設計情報転写論」の続きをやったわけですが、無論、普通のものづくり論(そういうものがあるのかどうかもわかりませんが)にはならなかった。前回から感じたことですが、やはり「いわゆる「経営」についてのはなし」に、ものづくりのはなしは含まれると思われていないというか、少しマニアックな枝道に入ったかに思われるかも知れませんが、付加価値の生産ということを考えると、実はこのあたりの話題が、経営学が実学であるためには一番基本、ベーシックなポイントではないかと考えています。テーラーもバーナードも、この分野から出発したわけで。それがいつのまにか専門分化して、いろんな方面がモジュール化してしまったことで、なにか失われたかも知れません。

この講義録に対して、毎回、はてなポイント投げ銭を多方面から頂きまして、大変感謝しております。皆様の義侠心と好奇心のおかげです。どうもいつもほんとうに、ありがとうございます。

*1:この部分の誤字を、id:marukin-tentyoさんに教えて頂きました。ありがとうございました。

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