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福耳コラム このページをアンテナに追加 RSSフィード


希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。

<魯迅 「故郷」>

しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。

<山本七平 「私の中の日本軍」>

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

<小沢健二 「天使たちのシーン」>

2008-05-22-Thu

ケーキ

今年度からのバイト先の社会学部の学生に経営学を教えていて、あまりにナイーヴすぎるんじゃないか、と思うことがありまして。

アパレルメーカーに行って活躍している後輩に、たまたま上京のタイミングがあったのでゲストスピーカーとして講義に参加してもらって、時代毎に移り変わる小売業態とブランドの関係性に応じて、新しい業態への対応が常に心がけられている、そのために将来の不確実性に備えてこういうデータを分析している、とか、ものすごく実戦的な話をしてもらって、こんなことはなかなかないですよ、という幸せな経験だと思うんですよ。ここまで本音で自分の仕事についてぶっちゃけて話をしてくれる人は、それは長いつきあいの先輩後輩の間柄だから、一緒に調査で歩き回った仲だから、お願いすれば来てくれる。ありがたい。

で、「百貨店という業態はある時期、例えばHanako世代という世代に対応して衣料品販売業態を構築したら、その世代を常連として囲い込んだ分、若者からは「おばさんが服を買いに行くところ」というイメージもついてしまった、みたいな話をしてもらった。そしてより若い世代に対応して、路面店、ファッションビル、駅ナカ、郊外モールとかいろいろ出て来て、自社の場合にはこういうブランドとそのコンセプトでそれぞれに対応しようとして、在庫はこのくらい、バーゲンではこのくらい価格設定を考えて、家賃も払って、、、とか、こんな話は余所では絶対にここまでディテールを聞けない、というところ。

後でリアクションペーパーに書かれた意見質問などは、それなりに興味深く、なるほどちゃんと聞いていたなというのもそこそこあったのですが、驚いたのが、

「でもそうやって百貨店がおばちゃんくさくなって売れなくなったら、百貨店がかわいそうじゃないですか。」という意見。

これまであちこちで教えてきて、「競争で負けた組織はかわいそうだ」ということをコメントされたことは初めてでした。

実際に存在する競争という現象を、そしてそこでの優位劣位を、かわいそうとかかわいそうじゃないとか、善悪とか、そういうものにいきなり結びつけてしまう。それを論じたらなにか成果があるんだろうか。そこで感情を論じずに、どうしたら市場で生存できるかを、対処可能性を論じるのが経営学だよ、百貨店だって、今日を予期して手を打っていたところはまだしもそこまで窮地には立っていないでしょう、と対応はしましたが。

また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。

これ、「トリアージの判断をしなければいけないお医者さんたちもつらいだろうな」というのではないんですよ。そうでありつつ、でもひとりでも多くの人を助けようとしたら、そこで考えなければいけないんだろうな、それを「戦略性」とでもいうのでしょうか?と聞いてきた男子学生には、僕は巧くコンセプトが伝わった、その通り!と褒めたい感じですが、「可哀想じゃないですか致命傷の人を見捨てるなんて」。でもそういう非常事態では、特に医療資源は有限だからこそ、適切に配分しなければならないという考えなんだよ、とくどく説明した。

「そんな重傷者をもう助けないなんてレッテルを貼るなんて、人権侵害じゃないですか?」と書いてきたお嬢さんもいた。そりゃあ、この大学のOGが、福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまうというのは当たり前だよこれじゃ。この人たちの目に映るのは「目の前の最善」だけで、「全体や組織から見た最適」というのはコンセプト自体が頭の中にないのだ。いや、こちらはできるだけ冷静に、穏和に説明したつもりなんだけどなあ。

もちろん、これから少しずつでももうちょっと考えを深めさせていきたいと思いますが、なぜこうなるのだろうかわからない。社会問題を感情的に批判していれば解決するとでも思っているのだろうか。誰か悪意の人がいて、それを取り締まるべき人がまた心がけが悪く責任を果たしていない、だからそれに文句をいえば社会は良くなる、みたいな社会観が根底にある気がする。

ソリューションというものを考える時に、「それは誰か担当者がちゃんとやればいいじゃないかそれを指摘すべきじゃないか」というスタンスで解決するのかな。ビジネスでそれだけでは無理じゃないのかな。

いやあ、経営学系の人とばかり話していると、想像もできないことが世の中にあるんだなと勉強になります(付記:これはちょっと皮肉のつもりだったのですが、本気で取る人がいてびっくりしました。おかげで無粋な注釈をつけざるを得ない)。

付記:ブコメでは対応しきれないのでこちらに付け足します。
id:ginjuさん もちろん、「じゃあどうすればいいんでしょうね?」という「次の問い」に自分から進んでいく学生もかなりいます。そういう人は、自分で「戦略」というコンセプトをももやもやと意識するようになるようです。でもそういう学生さんばかりでもないのですね。少数ですが、「かわいそう」にとどまって事たれりとする学生さんがいる。教える側としては、みんなもっと早く「じゃあどうしよう?」からやっと始まるスタンスについて考えよう、と煽りたいところです。前途多難ですが。
id:rs6000moeさん 学生の多くは「かわいそう、でも、それではなぜトリアージというものがあるのか?」という次の問いに、ちょっと時間はかかりましたが達したことを学生さんたちの名誉のために付け加えます。それだけに、「かわいそう」で足踏みしてしまう学生さんにちょっと歯がゆい思いがするのです。まさかカマトトぶっているだけとも思いませんし、いろいろ投げかけては見ているのですが。
id:FunnyBunnyDizzyさん そうです、最初に「かわいそう」と感情を覚える人こそ、問題に取り組めると思います。しかしそのためには、その「かわいそう」から出発して、その先に考えが進まなければならない。そこで止まってしまうようなら、「かわいそう」という印象も浅いものではないでしょうか。ちなみにここでいう「全体最適」とは、経済学的な社会全体の最適ではなく、文脈からもおわかり頂けると思いますが経営組織論的な、「災害支援組織と被災地域全体での最適」という意です。それを個人の行動と意識して分けて考え、検討することこそ経営的行動です。
id:solailoさん 同感です。合理性だけでは世間は活力を失うでしょう。ただ、概念として感情と合理性を分節化するところまでは、大学生なら考えて欲しいんですね。
id:mitchell_desuさん >「なぜ経済学なんてあるの?経営学やって何が嬉しいの?」から始める、というのは理想はそうでしょうが、学部のカリキュラムはなかなかそれはやりにくいようです。社会学部でぽつんと経営系をやっているもので、そこまで前提から掘り下げられる余裕がないのはちょっと残念です。
id:good2ndさん もちろん、最初の反応としては非常に素直だと思います。ただ、ちょっとずつ「それだけではなくその先へ」意識を広げていって欲しい。じれったいのですが、焦っていますかね。
id:flurryさん アパレルメーカーの後輩が話してくれた「本音」というのは、服を売るときに売る側はいろいろ手練手管を考える、というような意味での「本音」で、経営戦略的には非常にシビアな仮説構築検証の過程をディテールから正直に話してくれたということです。後段の「感情的反応」とはまるで違う文脈のはなしでして、そこを結びつけられるのは本意ではありません。
id:yukky2001さん ここでいう「全体最適」とは、経済学的な社会全体の最適ではなく、文脈からもおわかり頂けると思いますが経営組織論的な、「災害支援組織と被災地域全体での最適」という意です。それを個人の行動と意識して分けて考え、検討することこそ経営的行動です。誰もが限定された合理性の範囲で行動するしかないのは大前提で、資本主義の倫理とここで結びつけるのは強弁でしょう。
id:J0hnさん 聴衆の求めているものを良い意味で裏切ろうと思っています。相手に安易に合わせることで相手の可能性を狭めたくないと思っています。
id:shinichiroinaba先生 お励ましありがとうございます。すみません、ちょっと愚痴ってしまいました。確かにカルチャーギャップは小さくはないですが、それをできるだけ効果的に橋を架けていこうと思います。真面目な受講者の割合は高い大学だと思います。
id:murashitさん そうです、人間の良心の問題は、至極やっかいですね...。でもおそらく、そこをもう少し整理できたら、ボランティアや福祉法人、非営利組織の経営などの課題が、非常にわかりやすく改善する手がかりがあるかも知れません。

(後日付記)kanoseさんのご親切なご指摘もありましたので、ここで改めて言及させて頂きます。当初のこのエントリーは、講師としての自分の力不足もあって受講者に対するスムーズな理解の促しが困難だった苛立ちから、ついいくらか感情的で冷静でないお見苦しい表現がありました。読まれて不快に感じられたかたには深くお詫びをいたします。アップロード直後にその部分は訂正いたしましたが、そもそもその部分がお見苦しい表現であるという事情から、削除線を上から引くという手法ではなく、その部分そのものを削除するという形式を取ったのは、読まれる方の御不快感を回避するためとご了承下さい。また、エントリーの表題につきましても、ココロ社さんから暖かい指摘を受けまして、いささか屈折していた表題からシンプルなものに改めました。そのために混乱を感じられた方にも、深くお詫びをいたします。

(再び後日付記)このエントリーについては、経済・経営関連に不案内であまりにも言いがかり的な誤読・曲解をされる方が一部いらっしゃいました。この点については、id:Sokalianさんが誤解を解く非常に論理的に整然として筋の通った解説を書いて下さったので、そちらもどうぞご覧下さい。
猿ではわからん「トリアージ騒動」5つの誤解

また、このエントリーに絡めてid:Romance氏が事実と異なる情報をはてなからメールが届きましたと題して書いていますが、それに対しての反駁は以下のエントリー私が削除照会したブックマークコメントの内容についてに書いてありますのでそちらをどうかご覧下さい。

reponrepon 2008/05/22 23:58 このエントリは非常に参考になります。
むしろ、こういうエントリを学生や扇情的に語る人に読ませて意見を聞いてみたらいかがでしょうか?
僕は納得いきます。

BUNTENさんが言われるとおり、マザーテレサのように超人たることなく、持続的に福祉を続けるために、自分自身をマネージメントしていくことが必要だと、本人が認識する必要が絶対にあると思います。

fuku33fuku33 2008/05/23 00:17 >reponさん
早速ブコメで「あたまがわるい」などと呼ばれておりますが、そういう方は結局はルサンチマンの海で自分の吐いたアジテーションに溺れているだけですね。夢想的理想に照らして地道な問題解決努力を馬鹿にすることほど楽なことはないのですが、そういう人は、その場しのぎ以外の改善の可能性にはなんら益しない。反吐が出るようなヒロイズムの臭みを感じます。でもそれがああいう人たちの真の目的だから、対話は成立しないでしょう。

fuku33fuku33 2008/05/23 00:20 「でも悲惨なことには変わりないじゃないか」とか言って脊髄反射的に逆上する人は、災害救援現場でいちばん足を引っ張るタイプですね。悲惨なのはむろんなこと、そこでしかし、冷静に判断に努めて、最善を尽くそうとするのがマネジメントです。もちろん、それを担わざるを得ない人は後々までメンタル的な負担は大きいでしょう。それには適切なケアやフォローもなされるべきですが、その適切さを考えるのもまたマネジメントで、情緒的な因縁は誰も幸福にしません。

rairairourairairou 2008/05/23 03:28 ドラマや映画の、単独の対象が助けられる光景しか見えてないのではないでしょうか。
だから助からない人が放置されるシーンしかわからない。
現実では助からない人を助けてたら助からない人が増える一方なのに、その周囲の助かるはずだった人達や、治療による時間の経過がさっぱりわからない。
時間とか状況とかいろんな概念が思考から欠落しているように感じます。

BUNTENBUNTEN 2008/05/23 04:12 修正版です。

>百貨店がかわいそう

無能な経営方針で倒産解雇の憂き目に遭う従業員はかわいそうだと思えますが、「百貨店が」って何? (^_^;)
少なくとも私の理解ははるかに超えている。どーゆー思考回路なんだろうか。

>福祉業界に入って数年で燃え尽きてしまう
自分の体力とか精神力を効率的に配分できない、あるいはしてはいけないわけだから筋は通っているわけだけど、うーん。(^_^;)

余談ですが、少なくともマザーテレサは同じ発想はしなかったわけです。というのは、彼女の”奉仕”は長持ちしたわけだから、というネタを使えるものにできないものだろうか。

ssugurussuguru 2008/05/23 06:54 はじめてコメントさせていただきます。
この講義は何人くらいの学生を相手に行われているのでしょうか?細かいことですが、教えていただけると講義風景をイメージしやすくなり嬉しいです。

BUNTENBUNTEN 2008/05/23 07:26 ところで、トリアージで自分が見捨てられる側になったとしたら、それは仕方のないことなのですがやはりやりきれないというか理不尽だと思うことを止められないだろうと思います。その時、泣き叫びながら助けてくれと訴える私に、医者を回せとは言いませんから坊さんと美人看護婦(本物ではなくAV女優とかのなんちゃって看護婦で可。)を…。ヘ(。。ヘ)☆\バキッ

fuku33fuku33 2008/05/23 10:52 >rairairouさん
メディアの影響は得に大きいと思います。映画やドラマでは「奇跡的に救出された」ストーリーばかりが取り上げられますよね。それで「燃え尽きても最善を尽くすといいことがある」というイメージが無意識にすり込まれやすいかも知れません。しかしそれがニュース映像でも、助かった事例は取り上げられやすく(被災地の感情を考えると無理がないのですが)、「助けられた人が助けられなかった可能性」「助からない人を助けようとして資源を浪費した可能性」に想像が及びにくい。でもそれを考えて欲しいし、単に「かわいそう」という感想が許されるのは、甘くても中学生までじゃないでしょうか。

fuku33fuku33 2008/05/23 11:00 >BUNTENさん
もちろん、僕がトリアージで黒ワッペンの対象になったら、泣き叫ぶでしょうね(その体力があればでしょうが、多分ない)。そういう個人の感情と、やはりその災害救援現場の統合的視野からの妥当な判断との齟齬は、どうしても発生するし、それを単に「かわいそう」と思うだけでは、大学に来ている意味がない。

fuku33fuku33 2008/05/23 11:02 >ssuguruさん
こちらでははじめまして。この講義、やたら大学が「授業選択期間」を伸ばすもので、この話をした時点では学生がまだ出たり入ったりして不安定だったのですが、登録数はともかく、ある程度見込める出席者としては三四十人の間くらいでしょうか。

the48the48 2008/05/23 11:30 平和ボケというんでしょうかね。
おそらく丁度ゆとり世代でしょう。

takaniitakanii 2008/05/23 11:50 ↑ゆとりというレッテルを貼って思考停止してますよww

kiku-chankiku-chan 2008/05/23 12:22 >メディアの影響は得に大きいと思います。映画やドラマでは「奇跡的に救出された」ストーリーばかりが取り上げられますよね。それで「燃え尽きても最善を尽くすといいことがある」というイメージが無意識にすり込まれやすいかも知れません。

それもあると思いますが、なんていうかサービスを提供する側とされる側の“文化の断絶”を感じます。10年前の私でも似たような反応をしたかもしれないです。
学生の内は、やっぱり消費者として生活することが大半ですから、十分なリソースや蓄積されたノウハウを持った企業の提供しているサービスを、消費者として選択するでしょう。でも、サービスを提供する側にならないと、限られたリソース(自分の体力・精神力・健康を含めて)で、練られたサービスを提供することがどれだけ大変なのかってなかなか感情的・身体的にも理解できないように思います。

メディアの影響でいうと、マザーテレサもそうですけど、一般企業のレベルからいっても超人的な人の成功体験ばかりが喧伝されて、地道なレベルっていうのが中々見えないですし。自戒も含めて書きますが、公務員の仕事振りを小ばかにしている学生って多い気がします。(そういう意味でやる夫が公務員になる話は勉強になりました。)

がんばれば、その超人的な人のような仕事振りができる。自己実現できるって思っているのではないでしょうか。少なくとも10年前の自分は漠然とそう思っていましたし、結構最近まで自分も勘違いしていました。
だから、それを実行しない人(様々な制約条件から出来ない人も含めて)を否定的に見ちゃうのかもしれませんね。

自己実現系ワーカホリック→燃え尽きになりそうですね。

メディアの影響で言うと、最近のアニメとかもそうですよ。ガンダムとか、他のやつが逃げても自分だけは立ち向かうんだ!系って多いなあ。

まとまらない書き込みですみません。

str0str0 2008/05/23 14:41 中国で日本隊が半ば拒否されたのも同じような理由かもしれませんね。
現場に入るリスクの方がどこに埋まってるかもわからないであろう人間を助けられる数よりも高い。
消防隊員も自分の命を賭けてまで人命を救助することはめったにないそうです(それでも「命の危険がある」ことにはかわりないですが)。
メディアでは批判も賞賛も感情に訴えがちですが、
感情論に立ち向かうための、論理技術や理論が必要だと思います。

carrion-crowcarrion-crow 2008/05/23 17:49 なんか議論みたいになっちゃったので(しかも非常にご立腹されているようなので)いちおう申し添えておきますが、僕が思ったのはトリアージの説明をしながら「教育の資源も有限だよなぁ、どうしたらいいかなぁ」と悩む(悩まれなかったのかも知れませんが、そのように見えた)状況が入れ子状で面白いなぁ、と思ったのでメモした部分がメインです。自分用の思いつきをメモしているだけなので、必ずしも本文に即したことを書いてはおりません。

そのあと悪態をついてたのは、他のブクマコメントが単調でつまらなかったからで(その後大分伸びたので様子も変わりましたが)言葉尻を改変して遊んでいたのは、fuku33 さんへの批判のように見えても仕方なかったと思いますので謝りますが、基本的に fuku33 さんとそれほど違う事を言っているつもりはありません。

あと、学生さんを切って捨ててしまっている様に見えたのですが、そうでは無いと仰るなら、こちらの認識を改めることにします。

短い文章だと伝わらないことが色々あると思いますが、思った事はそんな所です。

fuku33fuku33 2008/05/23 19:32 >carrion-crowさん
そういうことなら了解します。ただやはり、
>「伝えられるだけの能力がなかった」のも悲惨な現実/頭悪いと嘆くだけ、そこになにか解決がありますか。
これは心外な表現ではあります。

自分は盛大に愚痴やボヤキも言いますが、そんなに早く諦めません。ちょっとずつはみんな「経営学的もののみかた」としてはこう考えるんだな、とは理解してくれだしたようですから。それへの賛同を求めるわけではないですが、批判するにしても理解をして批判してほしい、そこまでは頑張ってほしいと思います。ただ、ずっと諦めないとも言い切れません。正直疲れますし。

perfectspellperfectspell 2008/05/23 20:06 ども。学生に萌えさせて頂きました。
.
少し方向違いの話なのですが、
「災害時、避難所における毛布のハナシ」
を連想しました。避難所に50人いて、30枚しか毛布がない場合、行政は毛布を誰にも配れない、というかその時配らなかったという実際の日本でのハナシ。「不公平の排除」は行政においては最優先となるようです。
見かねたボランティアが避難者一人一人にヒアリングをし、必要と思える人にボランティアの責任で毛布を配布したという。
ボランティアの人のスピーチで聞いたエピソードです。(数とか本当に配布物が毛布だったかについては記憶曖昧)。

長文失礼しました。

ssugurussuguru 2008/05/23 20:22 お答えいただきありがとうございます。名前を憶えていただいていたことも嬉しいです。
やはり講義風景のイメージが描きやすくなりました。大人数のようにもそれほど多くないようにも思われ引っ掛かってしまっていたんですよ。

yukky2001yukky2001 2008/05/23 20:53 ええっと、ブクマコメントについては、id:fuku33さんにというよりは他のブクマコメントに対するつもりで書きました。私としては、経営論的な観点と善意の観点の両方が必要だと思っていまして、他のコメントには前者の視点が多かったようなので後者の視点に注意を促すつもりで書きました。
また、それとは別ですが、学生の時分に善意が欠けているようでは困ります。チャーチルの言じゃありませんが、「学生の時分に善意に欠けているようでは情熱が足りないが、社会人になってまでそれだけでは知能が足りない」ぐらいに思っています。ですから、その学生の反応自体にはさほど違和感がないのです。むしろ優勝劣敗に何の問題もないとの答えが返ってくる学生のほうがよほど恐ろしいです。

oredocooredoco 2008/05/23 23:18 この記事が受けが悪いのは、「ナイーヴ」=悪いと解釈されるように書かれてるからです。あと単に、言葉遣いが悪いんじゃないですかね。医療行為として助けないことと、人として助けないことは別ですよ。レッテル貼って、もし放置してよいと考えてるのなら、非人道的でしょう。逆にどんな説明をして納得させてるか心配です。

BUNTENBUNTEN 2008/05/24 00:01 >医療行為として助けないことと、人として助けないことは別

だから坊主と、美人なんちゃって看護婦(どちらも医療リソースではないが、人の救済に役立つ)を回せと…。ヘ(。。ヘ)☆\バキッ

matebumatebu 2008/05/24 00:35 「なぜ経営学や経済学を学ぶか」が理解できていない学生がいたようですね。それが終わってかつさまざまな経済学/学派について学んだ後、「自分の思想を注入した均衡モデルを提唱せよ」と言えばよいのではないでしょうか?

FunnyBunnyDizzyFunnyBunnyDizzy 2008/05/24 00:45 不躾なブコメへのレス、ありがとうございました。

ブコメ・※欄読みいろいろ考えられてかなり良い刺激になりました。
たぶん学生はたくさんいて、各自モチベーションの違いがあるんですね。
モチベーションの高い学生はしっかりした経営視点まで見えたのかもしれませんが、「可哀想」で終わっちゃった学生はあまり高いモチベーションを持っていなかったのかでしょうかね。。

モチベーションも背景も全く違う雑多な学生を相手にすると、均一な講義をするのはえらい大変だと思います。どうしてもモチベーションの高い学生を優先したくなるのが人情ですし^^;

やりがいもありそうではありますが、見ていて「オレ先生じゃなくて良かった」と思いましたw

fuku33fuku33 2008/05/24 04:44 >kiku-chanさん
お志、胸にしみます。学生さんたちの一部は、「一生懸命で真面目ならよい」ということを言われすぎたのかも、なんて今日ちょっと思いました。結果こそ気にしなければならない、ということも誰かに言われた方が、良いんでしょうけれどもね。

>str0さん
「感情論に立ち向かうための、論理技術や理論」を求めず、自分の感情の充足を優先しすぎることの危うさ、僕は幼稚だと思うのです。違和感を禁じ得ません。

>perfectspellさん
毛布の件。まさに「資源の有限性の制約」のはなしですね。しかも、それを、平等を重んじすぎるが故に、まだしも役に立つ可能性さえ、減じてしまっている。それに対応するために、「経営」が必要だと思うのです。

>ssuguruさん
もちろん、憶えていますよ(こういう事を書くと、他の方を忘れていたときに角が立ちそうですが)。ssuguruさんが、僕の価値論のエントリーにすごく鋭いブクマコメントを下さったのに、どういうわけかすぐ消してしまわれたのが、いまでももったいないのです。

>yukky2001さん
まず、「経営論」と「善意」は排他的なものではないです。むしろ、「大局的な善意」を実現するためでなくては経営の意味がないし、もちろんそれを目指しています。そのためにも、感情を排すること「も」できる、ということを学生に要求したいのです。善意を否定する気は毛頭ありません。
チャーチルの言葉を、少し曲げていらっしゃいますが、善意は、青年だろうが社会人だろうが、あった方が良いものと思います。ただ、年相応に巧妙さを考えるようになるべきと思います。社会学部の後半というのは、そろそろそれを意識して然るべき年代と思います。
それに、むき出しの「優勝劣敗」を避けるためにこそ、経営学はあるのです。僕は研究上、中小企業でも、それなりに企画商品で生存していける道を探っておりますが、なぜ合目的的に資源配分を工夫することが優勝劣敗につながるのか、さっぱりわかりません。

>oredocoさん
どういう説明しているか心配ですか。放置してよいなどとは、ひとことも言っていません。ただ、資源の有限性の制約下での苦渋の判断もあり得る、ということを、言ったのですが。

>BUNTENさん
とうとうナチス呼ばわりされてしまいました。近いうちに、ショッカーにも加入いたします。
先日、障害学と交流している本郷の経済学の人から聞いたはなしですが、普通に経済学的なはなしを学生にすると、冷血漢のように言われるので、むしろ自分から「我々は悪魔の手先ですから」と先手を取って言うそうです。いろんな人がいて、いろんなことを言いますが、世間が相手にしてくれるうちは、まだしもなにか言い様があるのでしょう。世間が相手をしてくれなくなったら、ほんとうにエキセントリックなことを叫ぶかも知れません。

>matebuさん
おっしゃるとおりです。でもやはり、ちょっと、半期14回では、学説史までは手が届かず、つい、学生たちの専攻に合わせたはなしから導入しようと焦ってしまったようです。

>FunnyBunnyDizzyさん
正直、知識・知恵からそれなりに考察を深めることではなく、「無難な感想」を言っていれば咎められはしない、そういう環境に適応してしまったのではないかと思っています。学生たち自身にとって、非常に不幸なことですね。

「先生」という仕事は、特に校風や他のカリキュラムとの関係など、なかなか不分明な要素も多く、そこで適応するまでは、苦労ばかりですね。しかも学生からは「評価がきつい」とか恨まれる。いいことないです。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/05/24 12:15 なんでこんなに盛り上がるのかわからなかったのですが、「火消し(をしようとして火に油を注ぐ)」に走っていたからなのですね。そんな必要はなかったのに。
http://d.hatena.ne.jp/Wafer/20080523#p2の厳しいお叱りを胸に刻んで、そろそろ黙ってください。そして何事もなかったように先に進んでください。これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。
こういうバカを自分でも何度か繰り返した愚か者として忠告いたします。遅きに失した感は否めませんが。


講義の愚痴を書くことが悪いとは申しません。「近頃の学生はバカで」などという品位にもとる愚痴を垂れるなんて、大学教師なら、それが品位にもとると知りつつも、蔭では誰でもやっていることです。しかしこういう往来となると話は別。それにあなたはもう匿名をやめているでしょう。ということは、この講義がどこで行われているのか、ギャラリーには推測がついてしまう、ということでもあります。
講義が客商売であることは、非常勤暮らしが長いあなたなら、ぼくのようにさっさと定職につけたボンクラ専任よりも身にしみておられるはずです。これ以上炎上すると、学生がかわいそうです。顧客満足を考えてください。はてなのギャラリーより、学生の方が大事でしょう。

golgo139golgo139 2008/05/24 15:34  資源配分の最適化というのは当然のことだし、論旨には意義ありませんが、「競争で負けた組織はかわいそう」ですよ、ほんとに。経営してる人はともかく、そこで働いている人達は。経営学勉強して経営者になれるわけではないし、それはそれでまともな感覚ではないですか。
 大体、経営学を教えてる大学の先生って、会社を経営したことあるんですか?経営学の大学の先生の仕事は、会社を経営することではなくて、経営について教えることだというのは百も承知していますが、本当に会社をちゃんと経営している人は、少なくとも、そう考えても人に見られるところにこんなこと書かないのでは。
 本当に役に立つ経営学を論じたいのなら、「どうすれば、リソースを最適配分する意思決定を実際に行うことが出来るか?」というところまで考えてくれないと、実際の企業人にすれば何の意味もないですよ。そこまで論じないから、日本の経営学って企業から真面目に相手にされていないんじゃないですか?

Freedom2008Freedom2008 2008/05/24 16:28 私は、以下の文章の趣旨を「経営の世界にトリアージは有り得ない」と読み替えることも十分可能だろうと思いました。

[2008.04.25] 第21回 ITの世界に「トリアージ」は有り得ない  小川 創生
http://www.dir.co.jp/it_time/080425.html

まぁこちらの筆者に、その視点が最初から抜け落ち、かつ欠落を救済するシステムが内蔵されてないるために、学問以前の幼稚なものになっているのだろうと思いました。

ssugurussuguru 2008/05/24 23:13 ええええっ、まさか鋭いなどと評価して頂いているとは夢にも思いませんでした。普段の生活では誉められたくても誉められる機会がないので本当に喜んでいます。

朧気な記憶ですが、考えを進めつつ何度か修正していたら変なことになっちゃったと思ってコメントを消したのが2回くらいあった気がします。
一つは「記号消費論」に関して、ブランドもののバッグを江戸時代に持っていったら記号的価値は失われるけど、物を入れられるという実体的価値は残る、そうであるとすれば、などというところから出発してちょっと考えたように思います。
その先はなんだったかな。両者の価値の関係か、両者と内部的・外部的整合性との関わり合いの程度だったような…

solailosolailo 2008/05/25 06:16 ブクマコメントは基本的に独り言として書いてるのですが、コメントがあったのでちょっと「リアクション」をかいてみます。

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>ただ、概念として感情と合理性を分節化するところまでは、大学生なら考えて欲しいんですね。

私は、トリアージの例を出されるとかなり戸惑います。ちょっとどの辺で戸惑うのか考えてみました。

まず何を連想するかといえば、医療や教育現場でのリソース不足です。いま日本の医療は人的リソースが追い付かず、現場の先生たちが大変なことになっています。また教育現場でも、先生達の人数×時間は限られているのに、権限は拡大せず、先生たちの負担はかなりのものになっているというのがニュースを通じた印象です。
リソースが限られているのであれば、それを有効に使うために、マネジメントを取り入れる必要があるように思えます。しかしこういった現場の場合マネジメントの合理性が教育や医療の倫理とバッティングすることもあるわけです。

トリアージは、資源が限られているがゆえに合理性を極端な形で追及せねばならず、それゆえに医療の倫理と合理性が深刻なバッティングを起こす、というのが私のつたない理解です。たぶん、倫理と合理性を同時に追求する難しさが極端にでるだろうなぁ、と。

それでもやるしかないよな、とは思うのですが、本当にそれで正しいの?と問われれると言葉を失います。「正しい」かどうかはわかりません。

トリアージの場合「最良の救助」が目的で、合理性の追求はそれを行うための条件なわけです。たぶん現実的にやるしかないのですが、それでも選別が「最良の救助」かという疑問は残るわけです。一連のエントリやコメントを読んで、『かわいそう』はずいぶん素朴な感想だとは思うのですが、素朴だけど重要な問題を含んでるなぁと思いました。

ただまぁ、「かわいそう」っていう感想を口にする人はおそらく『「無難な感想」を言っていれば咎められはしない、そういう環境に適応してしまったのではないか』というfuku33さんの指摘はわりとあってるんだと思います。
でも、ここであまり疑問をもたずにすんなり「しょうがないよね」と考えてしまうのは「手段の目的化」の萌芽っぽいセンスでそれはそれでこわいです。
「かわいそう」も「しょうがない」もあまり考えていないという点においてはコインの裏表なのかもしれません。

福祉とか教育とかの人はマネジメント的なものの見方を感情的な先入観で全否定してしまうことがあって、そういう時は悲しいですね。マネジメントは企業組織だけのためのものではないのに。彼らの役に立つ知見がちゃんとある学問なのに。
授業をしててがっくり来てしまうこともあるかと思いますが、同じ前提を共有していない人に伝えることに大きな意義があると思うので、がんばってください。

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ちなみに私の性別は女です。
最初のバージョンを読みました。fuku33さんですらこういうことを書くということは、女子は感情的で論理的思考ができないという風に思ってる人は、掃いて捨てるほどいるのだろうなぁとぼんやりと思いました。

とりとめがなくてすみません。

fuku33fuku33 2008/05/25 06:46 >solalioさん
あまりこのエントリーにはもう触れまいと思っていたのですが、大切なご批判なので少しだけ。
もちろん「手段の目的化」は望ましくないことです。ただその手前で、学生さんたちが「目的って単なるスローガンではなく、常に手段が適切かを吟味するための大切な目安だよね」というところにまず思い至って欲しくて(つまり漫然とルーチンをこなすのではなく)、その後で、「でも手段が目的化すると怖いよね」と意識化できるのではないかと思うのです。その初っぱなのところで焦ってしまいました。

性的偏見について。ちょっと身辺で少数のサンプルで目についたことを一般化したのは間違いでした。ご不快な思いをさせて申し訳ありません。以後気をつけます。

rynoathrynoath 2008/05/25 08:31 自分も色々考えさせられた興味深いエントリでした。
方々で(僕の書いたエントリもそうなるでしょうが)あれこれ言われお疲れだと思いますが、趣旨は解ります。
日本の次世代を担う若者達に国際的な競争が求められるこれからの時代における、経営とは何かを教えられるのは大変なことだと思いますがどうぞ頑張ってください。
一つだけ参考になればと:
自分は経営学も縁もゆかりもないシステム関係の仕事している人間ですが、人に何か教える時は意識合わせを行えば行うほどうまくいきます。
そのために自分はSNS入れたり方針を図式化して指示よりも意識合わせを重視しているぐらいです。
事例や例題を理解できるというのはそれなりの高いレベルが必要なように思います。意識合わせ

rynoathrynoath 2008/05/25 08:37 (続き)
を指示出したりすることよりも自分は重視しているぐらいです。

逆に方向性や目的が合致すれば、ことのほうか受動的ではなく自主的に行動してくれるケースが多いです。

何を伝えたいのか、何を目的としているのか、君たちはどこまで理解したいの?という、もしかするとそのレベルからお話なり対話をされるともっとスムーズにいくように思いました。

幾つか他ブログで書かれたコメント等も追いかけて拝見させて頂いたのですが、全体的に「自分の熱い思い」がちょっと先行し過ぎて空回りされてるかなと、何となく感じたので。参考になれば幸いです。

solailosolailo 2008/05/25 15:59 前のコメントで性差の問題についてもちょっと書いてたのですが、何がいいたいのか分かりにくくなるので削りました。それもちょっと書いてみます。男性が性差の問題で少しでも「まずい」発言をすると必要以上に委縮しなければいけない、というのもよくないなぁと思うので。

ブクマコメントで『こういう話の時に「かわいそう」と言うのがある意味女性の役割として望まれてる感もある。』という発言がありました。また、別の人が『「かわいそう」って言っちゃうような子が好き』というコメントを残してします。

合理性を優先して誰かを「切り捨てる」のはかわいそう、というような考え方は、テレビドラマなんかで強く肯定されている気がします。そして、「思いやり」よりも合理性を優先するような「冷たさ」を持つ人は、女性の方がより強く嫌悪される傾向があるように感じます。

男性は、女性には「女の子」でいてほしいなと思うことがある。反面、職場や大学で思いやりのある「女の子」をやられても困るんだよという苛立ちを感じることもあるのだと思います。「女の子」としての「思いやり」で思考停止されてしまうこととても困る、というのは私はそんなに不当な主張だとは思いません。
ただ、その言い方が難しいんですけど。

女性は女らしくあることによって、何かをを免除され保護されると同時に男性の既得権から遠ざけられるという構図がある気がします。

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男性が女性を批判したり、性差について考えること自体がタブーになってしまうのはよくないです。
この授業で出た性差といのはやっぱり面白い問題を含んでると思うし、あんまり委縮したりしないでくださいね。

いろいろ批判もあるみたいだけど、他の人のトラックバックやコメントも込みでいいエントリだったな、と思うんです。コメント欄なんかで、fuku33さんは誠実に対応しようとしてるな、と感じました。
お疲れ様ですm(_ _)m

またひとのブログのコメント欄に長々と書いてすいません。
これで終わりにします。

fuku33fuku33 2008/05/25 16:08 >solalioさん
言い方に大失敗したようです(笑)。講師失格であります。
おっしゃること、わかるような気がいたします。お言葉、胸にとどめます。

よろしければこのエントリーの真ん中あたりを読んでみて下さい。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070504/1178277118

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