ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

福耳コラム このページをアンテナに追加 RSSフィード


希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。

<魯迅 「故郷」>

しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。

<山本七平 「私の中の日本軍」>

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

<小沢健二 「天使たちのシーン」>

2009-11-12-Thu

なんちゅう検索ワード

わたくしあんまり自分のブログの検索ワードは見ないのですが、たまにはのぞいて見ます。

さっきあったのが、「本能寺の変は防げなかったのか」。

俺にどうしろと。

他には、「努力しなければならないのに方法が分からない。」

身につまされるよね。みんなそうかも。僕もむかしはよくわからなかったけど、近頃ちょっとは見えてきた気がします。もし自分が教え子の学生さんにこう聞かれたら、なんていうかなあ。

まずはこういう話題ははてなではやっぱりnext49先生に聞くべきなんでしょうが。ふむ。

学生さんたちは「下積み」っていうと怖がっちゃうけれど、やっぱり苦しくても数をこなさなければ見えないものがあるし、それさえ見えてくれば自ずと自分の見方考え方が変わってくる。だからある時期はひたすら、自分に情報をインプットしてはアウトプットする、それも言語知と身体知のバランスを考えて(たいていの人は言語知に偏っているがそれでは感覚が開発されない)、やったらいいんじゃないかしら。

以前、イッセイミヤケのクリエイティブ・ディレクター、藤原大さんにグッドデザイン大賞を取ったA−POC技術について伺っていたら、「ヒントを得るまでに繊維系工場を百軒回った」とおっしゃっていました。藤原さんと比べるのはおこがましいけれど、僕もやっぱり町工場百軒回ったくらいから違う風景が見え始めたような記憶があります。場数というのは三桁から、じわじわ効いてくる。やる前は無理そうな数だけれど、二十代後半のほとんどをそれに注ぎ込めばすむことじゃないかしら。

そう、自分の尊敬するフィールドサーヴェイヤーの先生方を見ていても思うけれど、やっぱり二十代のうちに始めておかなければ、後々たいへんじゃないだろうか。というのは、時間があるうちに体を温めて、場数のコツをつかんでおいたら、忙しくなってからも暇を見てちょこちょこ現場に顔を出せないこともないけれど、年を取ってから始めるのはきついですよ。

いや、それだって、熱意がある人にはやってできないことはないかも知れん。うーん。おそらくね、「努力しなければならないのに方法が分からない。」という人は、自分のリビドーが向く方向を向いていないのじゃないかしら。方法なんかわからなくてもそっちのセカイに関わりたい、交わりたい!という欲求に駆られて、遮二無二そちらに突っ込んでしまう、ということだけやればいいんじゃないかな。ちょっと極論?

こういうこと書くと、「やりたいことが見つかったひとはいいけれど、自分にはやりたいことを見つける才能がないんだ。」とかいう人がいるけど、その論法だと、やっぱり無限後退になりますなあ。そういう言説が流行る時代なのかな。