希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。
<魯迅 「故郷」>
しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。
<山本七平 「私の中の日本軍」>
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
<小沢健二 「天使たちのシーン」>
2012-01-18-Wed
ソーシャルゲームのこれから
ゲームの中で知り合った仲間と関係を深めることで、その関係を切ることに罪悪感を覚えるようになって、長く遊んでもらえるようになります。ゲーム自体にはちょっと飽きたんだけど「今俺が辞めると彼が迷惑するよね」と思って続けてしまう、というような感情を作り出すことが非常に重要です。
ここから。
まあ、性悪の女郎の手口ですよね。
こういう商品、いつの時代もなくなりはしないけれど、いつの時代も徒花ですよ。というのは、あまりやり過ぎるとお客がいなくなるから。
もうじき、オープンコミュニティ、オープンソースのソーシャルゲームが代替していくと思っています。みんなで楽しませ合うような。通信キャパシティの値段も安くなってきますし。
技術的実現可能性についての議論は、どなたかに任せます。でも、単なる点取り競争のショートカットにお金を使うより、もっと面白い娯楽があると、みんなもうじき再実感しますよ。あまりにも自分が楽しませてもらうばかりの根性の人は、その分お金を払えばいい、ともちょっと思っていますが。
もうその「芽」は見えてきていると思います。ソーシャルゲームは、ヴェブレン財ではないので、別にお金を払うことが自己目的化しているわけではない。要は、「場」「縁」を提供できるなら、このスタイルばかりではないはずです。たまたま営利的にいけているモデルから社会に普及するだけで、本質は「縁」であって、安上がりな手段が代替していくと思います。
だって、ネット碁会所と本質的に変わりはないですもの。お金でショートカットできるというのは絶対的な優位ではないです。むしろ、お金でショートカットしたい人ばかりが残存して、クリエイティブな人はもうちょっと割のいい別のゲームを自分たちでつくっていくことになる、そのときが、ソーシャルゲームの終わりの始まりで、実はもうどこかで起きていると思います。
「ソーシャルゲーム」といま呼ばれているものに視界を限定すると、観察が偏りますね。「ソーシャルゲーム」のような働きを果たしているもの全部を見ると、未だ未だ未開拓に見えると思います。110921


