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福耳コラム このページをアンテナに追加 RSSフィード


希望とは、あるともいえないし、ないともいえない。 それは道のようなものである。
地上にもともと道はない。 歩く人が多くなれば、それが道なのだ。

<魯迅 「故郷」>

しかし、そのとき、はじめて人は気づくのである。
すべて奪われても、なお、自分が最後の一線で渾身の力をふるってふみとどまれば、
万人に平等に与えられている唯一の、そして本当の武器がなお残っていること。
それは言葉である。もうそれしかない。だが、自分で捨てない限り、これだけはだれも奪うことはできない。

<山本七平 「私の中の日本軍」>

神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように
にぎやかな場所でかかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている

<小沢健二 「天使たちのシーン」>

2012-01-27-Fri

問いを立てる力

思うんだけど、今の若い人たち、やっぱりもうグーグルやウィキペディアがない時代には戻れない世代なんだから、それをふまえてこれから必要なスキルを鍛えるということは、問いも自分で立てる、つまり自分で資料を探してくる、問題も設定する、というとっかかりの力であるように思う。

いわれたことを調べてまとめるのは、それがでっち上げの切り貼りであるにせよ、てんで簡単にやってしまう。だから、これについて調べよ、なんていう言い方をするときに懇切丁寧にキーワードを並べると、そうやってこちらがあんまりお膳立てをし過ぎると、ほんとにただコピペだけで数分でやれてしまう。「そういうことを知りたいならどういう切り口、どういう手がかりを追えばいいか」から、自分で考えなければ。もちろん、最初の一、二回は別ですよ。

逆にいうと、既存の文章を答えにした切り貼りでいいならもう、小学校卒でいいんですよね。いまやそのレベルはその年齢で達してしまう。そうするとそこから成長が止まる。まずくすると、それから遊び暮らしている間に退化して、幼稚園児なみになる。

オリジナリティをどう育てるか。我々の世代の研究者には、それなりの経験知があるやも知れぬ。でも、ある世代にとっては、オリジナリティが邪魔で敵だったりした時代もあるそうなんだな。つまり後発模倣の時代には。文化ギャップですねえ。110921

trinhtrinh 2012/01/29 06:24 ブクマだと字数制限超えてしまうので。
難しいところですね。fuku33さんの現場がわからないので想像になってしまいますが、3・4回のお説教でそのご上手く行くなら上出来ではないかというのが正直なところです。
教育はある意味で他人を変える行為だと思います。それはやはり本質的に歩留まりの悪い(使い方合ってるかな?)営為ではないかと。ある種の諦念のそれでも諦めない情熱が必要だと思っています。

fuku33fuku33 2012/01/29 14:40 >id:trinhさん
これはなかなかデータの解釈が難しいですよね。同じくらいの素養の若い人だとしても、「あの先生は1,2回しか言わない」と思われている場合と「何度でも教えてくれる」と思われている場合で、これまた若い人の「聞く気合」も変わってきますしね。私は、後々のことを考えると若い人の危機感を喚起した方がいいと思っているので、3回は言わないようにしてその評判を確立しようと思っています。

少なくともうちの職場の若い人は、高校までで、あまりにも「再起のチャンス」を簡単に与えられて来たのだと思うのですが、なんでもいつでもとりかえしがつくと無意識に思い込んでいるように思います。それだといつまで経っても気合いが入らない。もったいないですね。

歩留まりの悪さは感じますが、わたくしなりに表現するとそれに対しては「諦め」というよりは「覚悟」ですかねえ。

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