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2016-12-04 中邑真輔の凱旋快挙は、47年前の猪木対ドリーの「続き」である。

中邑真輔の凱旋快挙は、47年前の猪木対ドリーの「続き」である

ども、ノアでの鈴木みのるシングル連戦合計70分(http://kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2016/12/post-701e.html)についても語りたいと思ったのですが、今回はこれ。


「12月・大阪」からドンドン妄想が加速していきました(笑)

以下、例によって駄文ツイート転載、ご笑覧あれ(^^)。


WWENXT12・3大阪大会!ナカムラNXT王座奪還!アスカNXT女子王座防衛!blog.livedoor.jp/nepstleblog/ar… まずは中邑のNXT王座奪還をことほぐ。転落した時はあれれ、という感じだったけど、こっちで奪回という流れだったか(笑)。そしてこの一年


>「2016年の中邑真輔」が積み上げてきたものは、今年初頭に新日本離脱してショックを与えてしまったファンへの不義理を補って余りあるものでなかったか。不詳ワタクシふるきちは2年半前にして「中邑真輔よ泰平新日本の中で前髪垂らした独眼竜政宗であれ」http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20140522/p1というコラムを(続


>書いていたものですが、今回のこれは伊達政宗が欧州に攻め込んで戦利品たっぷり得て帰ってきたようなものなんである(笑)。こうしてみると、移籍当初「本隊に食い込めねば意味がない」と思っていたボンクラ頭のワタシでも「NXTという自治区を得たのだからこれはこれでいいではないか」


>と思えてくるから不思議である(笑)NXTのNは「ニッポン」のNなのだw(強引・苦笑)。実際、本体に食い込まされてまだまだ英語不慣れな弱点をさらけ出すよりは今の状況の方が何ぼかい(笑)。そしてこのNXT自治区獲得は、変形したとはいえアントニオ猪木から中邑が受け継いだ


>「ストロングスタイル」の勝利でもあるのだ。考えてもみるがいい、「12月・大阪」といえば、猪木ストロングスタイルの原点の一つ対ドリー・ファンク・ジュニア戦の舞台ではないか!!(笑)60分フルタイムの末にコブラツイストを掛けながら世界を逃さざるを得なかった猪木の無念を


>後進が受け継いだ末に「2016年の中邑真輔」の凱旋快挙があるのだ(さらに「12月」に絞れば、ドリー戦の10年後、ボブ・バックランドからWWF王座を奪いながら6日後に返さざるを得なかった、すなわち馬場を「NWA王座の1週間レンタル」と揶揄しながら、結局は同じ轍を踏まざるを


>得なかった、あの無念を一部晴らしたともいえる)。今頃、猪木さん(2010年WWE殿堂入り)も「やるじゃねえか、ムフフフフ」と喜んでくれてるのではないかと(笑)。さらには大阪と言えば、あのクイックキックリー格闘王の地元でもある(笑)。「中邑たいしたもんやが、俺はМSG


>戴冠したで!」と某兄さんが葉巻くわえて自慢すれば、「アキラ、あの王座は僕が正統だから!それに僕は防衛戦たくさんやってるし、ジュニアではサーキットもしてるし! ハハッハハッ!!(笑い声でなく独特の息遣いでw)」とこれも殿堂入り炎の飛龍辰っつあんも割って入り、さらには「ジュニア王座でサーキットは僕もやってますよお!それから


>大阪で王座奪回ブラック相手の僕が先だから!!」と虎仮面のあの人もAED持参で割って入ったりするんであるw(←おい^^;)さらには大阪と言えば、この13日に10周忌を迎えられる自称「大阪のバカ」I編集長も・・・「中邑という独眼竜が海外で花開いた、これは編集長としても


>うれしい誤算やおまへんか?」「たしかに快挙だが、中邑のボマイエはキンシャサに名称変更させられた。猪木・アリの友情のあかしと言っていいボンバイエ、ボマイエよりも、やはりアメリカ人はアリ単独幻想・キンシャサの奇跡思い入れがある。それと同じで、NXTもいつまで日本人


ブランドであり得るか…」「いつか中邑は戻ってくるんでっか?」「すべては時間という魔術師のなせる業…」・・・I編集長の嵐山トーク夢想しながら(笑)今はとにかく中邑の快挙を讃えよう。そしていつか中邑が戻ってくるその時、その「場」がきちんと存在していますように。(この稿了)


ちなみに辰っつあんの「ハハッハハッ!!」はブログで付け加えました(笑)


最後に、ここに出てきた(または出てきていない)すべてのストロングスタイルの継承者たちにこの一文を捧げます


ではではまた。

2016-11-29 カール・ゴッチは水木しげるである。

カール・ゴッチは水木しげるである

ども、最近は某連載への小難しい反論記事が多くなってしまい、すっかり辛気臭くなってるので、とたんにこんなバカ記事書きたくなったふるきちです(笑)


別に「水木しげるはカール・ゴッチである」でも良かったんだけど、このダメブログを見に来られるのはプロレスファンが大半だろうとも思い、こちらの題名にしてしまうのでした(笑)


以下、駄文ツイート転載、ご笑覧あれ。


明日は水木しげる先生1周忌なのですが、最近ワタシは「水木しげる=カール・ゴッチ」という新説を生み出したのでご報告(笑)根拠その1・「巨大なる傍流」であったこと。手塚治虫や力道山&ルー・テーズという主流では決してなかったが、傍流として日本の漫画界&プロレス界に巨大なる流れを


>生み出した。根拠その2・ともに戦時中悲惨体験がある。水木先生の南方での戦争体験はよく知られているが、ゴッチさんも第2次大戦中にナチス収容所に合計3年近く入れられている(ゴッチさんが実はベルギー人であることも関係してたか?)。また水木先生もゴッチさんもその頃左手


>重大な障害を負っている。水木先生は爆撃で左腕そのものを失い、ゴッチさんは強制労働中の事故で左手の小指を失っている(もっともこれについては収容所に入れられる前の港湾関係労働での事故ともいわれる)。根拠その3・非常な遅咲きである。水木先生復員後1951年に29歳で


>紙芝居作家デビュー、57年に35歳で貸本作家デビュー、月刊「ガロ」で雑誌漫画本格デビューするのは64年42歳からである。ゴッチさんはロンドン五輪出た後50年に26歳でプロレスデビュー、59年に35歳で米国マットデビュー、テーズのNWA王座に初挑戦するのは63年39歳の時……


>ね、似てるでしょ?(笑)実は年齢も二つしか違わない(水木先生1922年生まれ、ゴッチさんは24年生まれ)。そしてこのご両者、61年に大きな転機を迎えている。その61年に水木さんはかの「ゲゲゲの女房」布枝さんと結婚人生の伴侶を得る。そして同年、ゴッチさんは…そう、初来日


>ゴッチさんが吉村道明相手に本邦初のジャーマンスープレックスを見舞った初来日が、まさにその61年だったのですね。そしてその5年後、水木先生&ゴッチさんにさらなる転機がやってくる。66年に水木先生が水木プロダクション設立、そして同じ年にゴッチさん再来日さらに・・・プロ


>レスラーたち(グレート小鹿や山本小鉄ら)を生徒に、日本でのゴッチ教室初開講!! 水木プロダクションとゴッチ教室が同じ年にスタートしてるってのがもはや因縁を感じませんかとw(まあゴッチ教室がリキパレスの道場で常駐開講されるのは翌年のことですが^^;)そして遅咲きの水木先生


>が代表作「ゲゲゲの鬼太郎」(当初「墓場の鬼太郎」)のアニメ化によりブレイクするのが68年、そしてゴッチさんの「最高傑作アントニオ猪木がワールドリーグ戦で初優勝しブレイクを果たすのが69年、ここでも符合!(猪木さんはもう人間以外のものw)「鬼太郎」も猪木さんも創造主


>手を離れて独り歩きしていく(「鬼太郎」のアニメは水木先生は主題歌作詞くらいしかタッチしてないですしね。ある意味「鬼太郎のアニメ化」は「猪木さんの異種格闘技戦」のようなものであったかも・^^;)のも含めて、「60年代末の代表ブレイク」という点でも水木先生とゴッチさんは


>一致するわけであります。経歴合わせが長くなってしまいましたが・・・ホントはこれが一番大事根拠その4「見えないものを信じ続けた」。水木先生といえば「妖怪」の存在を信じ身近にそれを感じることの大事さを説き続けたことで知られるわけですが・・・実は「妖怪が見える」とは


>水木先生はほとんど発言しておられない。「感じることはある」とはおっしゃってるけど(「ニューギニアの奥地でぬり壁を感じた」とか)。むしろ「見えないものを見ようとする」ことが大事だと言っておられる。それってのは実はゴッチさんも同じなのですね。サブミッションの大事さ、シュート


技術大事さを説き続けたゴッチさんですが、実はリング上で「サブミッションにより相手の腕をへし折った」なんて記録は正確には見たことがない。グレート・アントニオリング上で、バディ・ロジャースを控室でそれぞれリンチしたって話は無論あるけど、正直サブミッションと関係ないしw


>しかしゴッチさんの業績にとってそれは何の瑕疵にもならない。なぜならそのシュート思想プロレスラーは常に「それ」を携えた上でリング上の闘いを演じねばならない、という)によって多くの弟子を惹きつけ、彼らの戦いを見るプロレスファンに「強さ」の説得力を与えてくれたのだから


>水木先生妖怪幻想&ゴッチさんのシュート思想、どちらもが読者・ファンに「じっと目を凝らさねば見えないものがある」ことを教えてくれたのだ。それは日常で垂れ流されているもの以外のどこかに何かがある、ということでもある。ここではないどこかに。それを与えてくれたご両者に僕らは


>もう一度感謝を捧げねばならないと思うのですよ……それにしても水木先生とゴッチさんの対談がなされなかったのは、今もって残念(笑)。ゴッチさんに会った後の水木先生、きっと「あれはドイツの妖怪ですよ、ワタシには分かるんです!!」「水木先生、ゴッチさんはベルギー人なんですが…」


>「そんなことは問題ではアリマセン、アントワープとハンバーグなんて近いもんです!!」「(ハンブルグって言いたいんだろうな・・・)」なんていう楽しい言葉が聞けたのではないかと思うと、残念ではあります(^^;)。ではではまたー。(この稿了)


ブログのみの追記。

水木先生&ゴッチさんともに晩年隠居していたようなイメージがありますが、実際には水木先生は亡くなる前年2014年にもビッグコミック誌に新連載「わたしの日々」を始めており、また亡くなった2015年にも「怪」誌に絵物語「水木しげる×小泉八雲」の連載を始め、3回目まで描いておられました。

そしてゴッチさんも、そりゃプロレスラーとしては82年の藤原&木戸とのエキシビションが最後でしたけど(苦笑)後進への指導は続け、そして亡くなった2007年にはキャッチレスリングトーナメント企画ルール設定にも携わり、実際、逝去4か月後の11月にロサンゼルス郊外のサンタモニカ高校ジムにて大会は開催されたのでした・・・(ちなみに翌年2月にこの大会をNumber誌掲載ノンフィクション「カール・ゴッチの生涯」で紹介してたのが、ほかならぬ「柳澤健」氏であります・^^)。

まさにLife is movement.(生きるとは動き続けることだ)−−−カール・ゴッチ。


そしてもう一つ、お二人の共通点を思い出しました。

二人とも、別名の人生を生き抜いたこと。

武良(むら)茂氏は「水木しげる」としての人生を。

カール・イスタス氏は「カール・ゴッチ」としての人生を。


本名のままでは生き得なかった人生を、お二人ともに見事に演じ、生き抜いたのだと思います

偉大なる二人の人生に、敬礼


ではではではまた。

fullkichi1964fullkichi1964 2016/12/04 06:34 >haruka23さん
まあゴッチさんを主流とするのは、未だに世界はマルクス経済学で動いているとするようなものなので(苦笑・図らずもカールつながりw)。まあワタシは生涯カール・ゴッチ史観をもって貫く所存でありますけどね(^^)。

2016-11-20 「1984年のUWF」フロント偏重視点への疑問。

1984年のUWF」フロント偏重視点への疑問。

どうも、すっかり柳澤健1984年のUWF」への批判急先鋒みたいな立場になってしまったふるきちです(苦笑)。


まあ批判だけじゃなくって、一番しっかり向き合ってるとの自負もありますがね(笑)

あたかもアントニオ猪木に対する前田日明のようなw(←明らかに言いすぎ・^^;)


今回は第23回「崩壊」。

例によって駄文ツイート転載、以下乱筆乱文お許しあれ。


>「1984年のUWF」第23回「崩壊」を読む。うーん、何というか…やはり違和感を持ってしまうのが、《ここまでUに所属していた選手には一切インタビューしていない柳澤氏が、Uのフロント部には積極的インタビューしている》んである。U所属選手にインタビューしないという方針は本当に


>徹底していて、あれほどプッシュしている佐山でさえ過去発言しか引用してないんである。それはそれで客観性を保つという意味では有効であろう(とても客観的な論旨になっているとは思い難いのだが・苦笑)。しかしフロント畑にいた人間に対してはドンドン現在進行形言葉引用


>してしまうので、どうしても「フロントサイド>選手サイド」の印象を与えてしまうのである。そしてそのフロントサイドから一方的情報を丸のみしてしまうと、「前田日明の疑心暗鬼がU崩壊の要因」となるのではあるが、その疑心暗鬼も冷静に考えれば「無理もない」と思えてしまうんである



>まず、これは本文でも書かれているが「前田はUのわずかな株しか渡されていなかった」ということ。選手とフロントをきっちり分けるというおそらくは新日本とアントンハイセルの悪しき前例反面教師とした前田判断によるものだったろうが、フロントの経理事情が不安になった時「自分には


>株を背景にした発言力がない」ということを前田不安に思うのはむしろ当然ではないのか。そしてそれを防ぐには、選手代表格として前田に会社株の3分の1から4分の1くらいは渡すべきではなかったか(あくまでも素人考えだけど・苦笑)。そして前田の帳簿公開要求には一切応じず


>「前田に冷静になってもらうため」5か月間の出場停止処分を言い渡すんである果たしてそれは「正当」なのか? 読者は柳澤氏の文章によって「なるほどフロントの言い分はもっともだ、前田が悪い」となってしまうかもしれない。しかし表面に出ている事実は「前田にわずかな株しか渡さず」


>「前田の帳簿公開要求は(結果的に)拒否し」「(冷静になってもらうために?)5か月の出場停止処分を課した」のである。おそらく神&鈴木には思われてるほどの不正はなかったのだろう。しかしそれにしたって、これがはたして適切な処置だったのか? もっと良い手段があったのではないか?


>柳澤氏はそういう「検証」をせずに、ただひたすらフロント畑の人間の言い分だけを垂れ流すんである。まさにジェラルド・ゴルドーの時と同じように。それが本当に正しい書きようなのか、と僕は言いたいのだ。さらにはここでは神新二氏の「その後」については一切書かれていない。あたかも


>「清廉なるがために業界から身を引き、沈黙を保ってるのだ」と言いたげに。しかし「神新二 アゴラシステム」で検索してみれば、神氏の「その後」が相当あやしいものであることが分かってしまう(苦笑)。そういう都合の悪いもの排除して書かない、というやり方は、「ジェラルド・ゴルドーが


>中井祐樹氏の目をくりぬいた」ことには触れない、のとこれまた同じなんである。そして今回の骨法・堀辺正史氏についても・・・。堀辺骨法をあたかも実戦的格闘技の代表のごとく書いてしまう今回だが、堀辺氏の経歴が相当に怪しいことは、氏の著作検証してみればいくらでも分かること


>なのだが、そういうことには無論触れない。そもそも「掌打」を「掌底」と混同してることでも骨法に対する基本知識がなってないとしか思えない。骨法の掌打はこれ⇒http://www.nicovideo.jp/watch/1401856988  空手における掌底はこれ⇒https://www.youtube.com/watch?v=ykKHaLfrkyw D


>おそらく柳澤氏は骨法がリアルタイム話題になってた時のことは知らないのだろう。いや、それだけでなく後追いで知識を得たがためにきわめて一方的認識になってしまってるところが、柳澤氏の文章にはありはしないかと思ってしまうのである・・・今回のラストで、神新二の思念として


>(この神新二の思念も、本人が直接語ったことでなく又聞きもしくは柳澤氏の想像であるところも何ともはやなのだが・苦笑)こう語らせている。「UWFは、選手、フロント、ファンすべての人間の心の中に存在する。自分たちにとっての真実が、選手から見ればそうでないこともあるだろう」


>その言葉は、そのまま柳澤氏自身に返ってきはしないかと思ってしまうんである(苦笑)。そしてその言葉は、「1984年のUWF」を読む読者も心しておくべきであろう。「柳澤氏にとっての真実が、我々から見ればそうでないこともあるだろう」・・・自戒をも込めて。ではでは。(この稿了)



次回はもちろん「U解散」が描かれるのでしょうな。

さてどう描かれるか・・・期待と不安、二つ我にあり(笑)


ではではではまた。

2016-11-03 藤原組長と鈴木みのる、恩讐の30年。

藤原組長と鈴木みのる、恩讐の30年。

U系における一組の師弟エピソードとして。

例によって駄文ツイート連投転載。ご笑覧あれ。


>25年前の本日藤原組での藤原組長と鈴木みのるの対戦がドローに終わる。この一戦を見た時かなりに驚いたのが、組長が完全に鈴木にグラウンドで押されてたんである。少なくとも後発の世代の選手に、組長がグラウンドで劣勢に立つのを見るのは(勝敗は別として)初めてだった。終盤だったと思う


>が、鈴木がスリーパーをかけ組長がなすすべもないのに対し、鈴木も落とすことが出来ず(理由は書くまでもない…)哀し気に叫び声を上げていたのが印象に残っている。「こんなもんじゃないだろう!?」「こんなもんだったのかよ、藤原さん!!」と言っているようで……この一戦の後も鈴木


>組長に再戦を迫り続けるが、組長はそれを避け続けた。藤原組長のキャリアの中で数少ない汚点に思えるが、一方で20年間磨き続けた寝技の匠が、たとえ教え子とはいえ(いや教え子だからこそ)抜かれたのを認めたくないとの思いが先に立ってしまったのだと考えれば、責められない思いもする


>んである…結局、正面切って両者が再戦し、きっちり組長が敗れたのは実に15年後のことであった。 D 勝ち名乗りを受け、コーナーに下がった鈴木の胸中に浮かんだのは、この日々であったかも…。 D 


>ちなみにこちらは一昨年に週刊プロレス誌上で行われた藤原鈴木対談。全ての恩讐を超えて……。http://p.twipple.jp/F9INL


さらにちなみに、来年藤原鈴木出会って(すなわち初めてスパーリングして)30周年なんであります

ではではまた。

2016-10-22 「1984年のUWF」で行われた時間的情報操作について。

柳澤健1984年のUWF」で行われている意図的時間的情報操作について。

どうも、日本で最も「1984年のUWF」という文字をツイッターで連発している男、ふるきちです(笑)


Numberの売り上げと先々の単行本宣伝に協力してるつもりですが、柳澤健さんが抗議してこられたら、即座に謝罪する用意があります!! 消さんけど(笑)


後はとにかく駄文連発ツイートの通り。以下、乱筆乱文お許しあれ。



>Number連載「1984年のUWF」、改めて考えるに「前田らは佐山のアイデアをパクって世間成功を収めた」と言い立てるため、思い切り時間的情報操作を行っているのだなあと……はっきり言ってしまえば「第一次UWFと第二次UWF時代の間にある新日本提携時代を思い切り端折った」


>んである。なぜか。「1984年のUWF」においては「前田らの成功は佐山理念をパクったからだ」というのを徹底させたいがためである。しかし実際にはそうではない。前田UWFの成功は、その再旗揚げの前時点で「弱小UWFを率いて強大な新日本プロレスに立ち向かい、アンドレ戦や


>ニールセン戦を乗り切った前田日明」というのがファンの間に刷り込まれていて、それが新生Uの大いなる助走となったわけで。ところが「1984年のUWF」ではそのあたりを故意に過小評価しているのだ。その証拠に第1次U84・85年の2年間については第6回「ユニバーサルから


>第16回「訣別」に至るまで実に11回を費やしている。ところが前田名勝負が積み重ねられた新日本提携時代86・87年の2年間については何と第17回「新・格闘王」1回のみでしか描かれてないのだ(!)。アンドレ戦も藤波戦もニールセン戦も長州蹴撃事件も全部たった1回に押し込めた


>のである。なぜそんな操作がなされねばならなかったのか?答えはハッキリしている。無視したかったからである邪魔に思えたからである。「前田らの成功は佐山理念のパクリによるもの」という「1984年のUWF」の論旨には、「1986年前田日明」のリング内外での戦いと人気浮上は


>きわめて不都合ものでしかなかったのだ。そうとしか思えないんである……しかし実際には佐山の編み出したUスタイルそのもの大衆に受け入れられたのではない。それは皮肉にも、今回の第21回「クリス・ドールマン」のラストで描かれている「(89年5月大阪大会において)数千枚の


>招待券がばらまかれていた」……これ自体が「佐山理念限界」を示しているではないか、皮肉なことに。第2次Uのブレイクはその前段階での前田人気の急騰が背景にあったのであって、それが落ち着いてしまえば必然的にU人気も落ち着く運命にあったのである。決して佐山理念をパクったため


>ではなかったであろう(ちなみに今回第21回において「1か月に1度、大都市のみで興行を行うというやり方も、すべてユニバーサルの時に佐山が考え出したものだ」と書いているのは明らかに柳澤氏の誤認。第1次Uは「3週間に5試合」が最終形態だったのであって、「1か月に1回」は


神社長ら第2次Uスタッフが生み出したもの)。あまりにも現時点での「1984年のUWF」は「まずU批判ありき」が前提でありすぎる(もちろんそこには第2次Uでの前田練習不足指摘など、見るべきものもあるのだが)。その中でまたターザン山本が「(Uのレスラーは)金と女にしか


>興味がなかった」などと論拠不足のディスりを繰り返すのだから何ともはや(苦笑)。G馬場・田中八郎・大仁田らから裏金をもらって誌面に反映させただの、20人以上の女性ヒモになっているだのウィキに書かれているターザンが何を言うのかとも(苦笑)。しかし、以前の著作からすでに


>ターザンの影響がうかがえる柳澤論調において、今後がどう描かれていくのか。そしてその論調を、おそらくは「こんな論調とは思わなかった」であろう仲野信市・上井文彦・更級四郎ら前半部での協力者はどう思うのか…「1984年のUWF」の連載は年内いっぱい続くと言われている…(この項了



えー、繰り返しますが、謝罪はなんぼでもしま(笑)、消しませんが(^^;)。

ではではまた。

fullkichi1964fullkichi1964 2016/10/24 05:52 >りゅうちゃんさん
コメントありがとうございます!
そうですねえ、25年以上も経ってしまうと、新たなファンにとっては完全に「歴史」ですからね(苦笑)。リアルタイムで見てた人間にとっては自分なりのUWF像が出来ているだろうけど、そうでない人には・・・やはり心配ですよねえ(^^;)。