絶対王者の哀しみ〜PRIDE全盛時に抗した小橋建太を讃える

小橋引退まで後1週間を記念して、かつて某電子書籍に載せた小橋関連原稿を掲載する。


少し古くなってるかもだが、小橋の全盛時をしのぶには十分な内容であることを自負する。


ではでは。





絶対王者の哀しみ〜PRIDE全盛時に抗した小橋建太を讃える                               



 今は観客動員において新日本・全日本の後塵を拝しているノアではあるが、2000年代前半において、PRIDEがわが世の春を謳歌した格闘技全盛時代に対抗しえた唯一の団体であった時代が確かに存在した。
 そのノア全盛期の立役者であったのが他ならぬ小橋建太である。病魔からの復帰→欠場を繰り返し、現在は1年以上欠場してかつての面影を見るすべもなくなってしまった小橋ではあるが、そのGHC王者時代の戦績を見ると、やはり慄然たるものがある。馬鹿みたいな表現になるが、「とにかく凄い」。そういうしかないのだ。
 スコアだけ見ても思わず絶句させられるものがある。



03年3月1日 日本武道館
時間無制限1本勝負
○小橋(33分28秒 体固め)三沢光晴
※バーニング・ハンマー
※小橋が第6代王者に。


03年4月13日 有明コロシアム
○小橋(26分55秒 体固め)本田多聞
※ショートレンジラリアット
※初防衛


03年5月2日 新日本プロレス・東京ドーム
時間無制限1本勝負
○小橋(28分27秒 体固め)蝶野正洋
※ショートレンジラリアット
※2度目の防衛


03年8月26日 名古屋国際会議場
○小橋(23分32秒 体固め)バイソン・スミス●
※ショートレンジラリアット
※3度目の防衛


03年9月12日 日本武道館
○小橋(30分13秒 体固め)永田裕志
※ショートレンジラリアット
※4度目の防衛


03年11月1日 日本武道館
○小橋(29分51秒 体固め)小川良成
※ショートレンジラリアット
※5度目の防衛


04年1月25日 神戸ワールド記念ホール
○小橋(25分58秒 体固め)佐野直喜●
※垂直落下式ブレンバスター
※6度目の防衛


04年3月6日 日本武道館
○小橋(25分28秒 体固め)力皇猛
※ショートレンジラリアット
※7度目の防衛


04年4月25日 日本武道館
○小橋(28分47秒 片エビ固め)高山善廣
ムーンサルトプレス
※小橋が8度目の防衛


04年7月10日 東京ドーム
○小橋(35分34秒 体固め)秋山準
※バーニング・ハンマー
※9度目の防衛


04年9月10日 日本武道館
○小橋(28分05秒 体固め)田上明
※リストクラッチ式バーニング・ハンマー
※10度目の防衛


04年10月24日 大阪府立体育館
○小橋(28分55秒 体固め)斉藤彰俊
※垂直落下式ブレンバスター
※11度目の防衛


04年12月5日 横浜文化体育館
○小橋(28分21秒 体固め)ザ・グラジエーター
ムーンサルトプレス
※小橋が12度目の防衛(第6代王者)


05年1月8日 日本武道館
○小橋(25分22秒 体固め)鈴木みのる
※ショートレンジラリアット
※小橋が13度目の防衛(第6代王者)


05年3月5日 日本武道館
○力皇(27分11秒 片エビ固め)小橋●
※無双(変形ロックボトム)
※小橋が王座転落、力皇が第7代王者に。



 どうだろう、これは。
 13回もの王座防衛を果たし、しかしそのすべてが「20分を越えるロングマッチ」なのである。寡聞にしてこんな王者をほかに知らない、僕は。
しかも対戦数が少なく、したがって技のタイミングなどもそうそう手が合うわけでない他団体の蝶野正洋永田裕志らともきっちりロングマッチをやっている(もちろん蝶野・永田らの上手さもあるだろうが)。そしてバイソン・スミスやグラジエーターといったヘタウマ外人とも、田上明高山善廣といった大型選手とも、小川良成鈴木みのるといった小型テクニシャンとも(しかもこの二人は同じテクニシャンでも一人はインサイドワーク系、一人はサブミッション主体とまったくタイプが違う)見事にこなしてしまう。
そして何より恐るべきことは、最後に王座転落の相手となる力皇を除いては、
GHC王座戦においては、一度対戦した相手とは二度と戦っていない」
のだ!! 何という凄いことだろうか。手のあった相手とは何度でも(マンネリにならない限り)戦いたいと思うのが普通なのに、これは尋常ではない。


 そして先に挙げた他団体の選手相手でも決して星を譲らなかったことも特筆に値する。井上譲二氏も以前書かれてたと思うが、「お客さんを呼んでの負けブック」などはいくらでも組めるのである。GHCという看板王座だからということもあるだろうが、「小橋の勝ちの方が説得力がある」と関係者に思わせるところが重要ではなかっただろうか。
 それは小橋の2年間13回連続王座防衛すべてに言える。プロレスの連勝記録はその選手の格闘技的強さを意味しない。要は「小橋が王者の方が客が呼べる」ということが大事なのだ。王座の転落→奪回は防衛ロードがマンネリ化してきた時につけるアクセントに他ならない。小橋の場合はそういった小細工をする必要がなかった。それが何より重要だったのではないだろうか。


 そしてその小橋の王者時代はまさに2003年から05年のPRIDE全盛期、すなわち日本の総合格闘技全盛時と重なる。総合のリアルな猛威の前に、プロレスフアンは小橋の試合の壮絶さを盾にしてそれを耐えることが出来たのだ。
 そのことはもっと特筆されるべきだと思う。


 しかしその壮絶さは、小橋の多大なる体の負担をカタにしてなされたものだった。05年3月、燃え尽きるようにして力皇にタイトルを明け渡した小橋はもうGHCシングルのタイトルマッチに絡むことなく、その翌年本田と組んでGHCタッグ王座を奪ったものの一度も防衛戦を行うことなく、折しも発見された腎臓ガンの治療のため長期欠場に至ってしまう。
 GHCのシングル王座はそのあと、田上・秋山・小川と転々とするがいずれも3回以上の防衛戦をこなすことなくインパクトが薄れていってしまう。業を煮やしたように3年9か月ぶりの王座復帰を果たしたのは、何と小橋がベルトを奪った相手・三沢光晴だった。この時点でノアは小橋の絶対王者ぶりに甘えて人材を育て損ねたことを認めたようなものではなかったか……。
 三沢は7回防衛という記録を残したが(40代半ばの三沢がそこまで防衛を伸ばさねばならないというのも問題だったが……)ついにノアの経営的劣勢を盛り返すことが出来ぬまま、やはり燃え尽きるように08年3月森嶋猛に王座を明け渡す。そしてその翌年6月13日のあの悲劇へと……。



 三沢が逝去し、小橋もまたガンを克服したものの復帰と欠場を繰り返す今、ノアにかつての隆盛はない。
 小橋の絶対王座時代は確かに偉大だった。しかしその偉大さゆえに団体がそれに甘え、その王者が不在になった時のことを何も考えてこなかった、もしくは何も打つ手を持たなかったことが問題ではなかったか。
 絶対王者が存在するがゆえに団体が危機感を持たなくなるのか、団体が危機感を持たないがために絶対王者が成立してしまうのか……。


 時折、僕は小橋の高山との試合(04年4月)あたりを引っ張り出して見直すことがある。
 最後の「青春の握りこぶし」の後のムーンサルトによるフイニッシュに当時と変わらぬ感動を抱きながらも、なおこんな言葉を哀しみとともに思い出してしまうのである。



美しすぎる童話を愛読した者は、大人になってからその童話に復讐される(寺山修司)。



美しすぎる青春をもつ者もまた、その青春に復讐されるのだ。