携帯を開くと生まれたての胎盤が数十眠っている。これでも大分整理した方なのだ。新しい物語を孕みつつある子宮は、胎児と結び付く胎盤をぺたぺたくっつけて、胎児といえばそれっきり成長しないでもう妊娠何十ヶ月になるだろう。確かに産み落としたいと願った物語たちであるけれど、彼らは永遠に形成されないまま子宮の中で眠り続ける。私由来の卵子に、どこの誰が残していったものか分からない精子が受精して着床したはずなのに、産み落とされないなんて、望んで孕ませた(過去のある一点を生きた)わたしはきっと悲しむにちがいない。というのは、私の願望であるのかもしれない。
 子宮には愛しいあなたに宛てた行き場のない胚も眠っていたから、それは標本にした。未分化で青い感情を思いきって捨ててしまう人もいるだろう、でも、わたしが愛しいあなたとしたあなたは、私の思うところの愛しいあなたとは一致しないけれど、私がかつてあなたを愛したことは否定しない、だって私は生きとし生けるものを愛しているから、あなたの罪も、あなたの笑みも、まるまる受け入れているから、わたしがどんなに傷付いていたって私は構わない。とても愛しいあの人を愛しいと思えるのはそのおかげなのだから。半透明に透き通った標本を眺めてそんなことを思う。
 わたしは産みの苦しみを味わい、私は産めない苦しみを味わっている。いいえ、それは正しくない。産めない苦しみは前者に比べれば大したことはない。私は何者にも強いられず電子機器に子を宿し、しかるべき場に分娩した。次から次へと節操なく。いま思い返してみて、どうしてあのように子をなすことができたのだろうかというと、昼は学校に行き、夜は塾を経由して(あるいは経由せず)まっすぐに帰途につく例外のない隙のない生活に制限されたわたしは手に入れがたく、さまざまな精子があの手この手で接触を図ったから結果としてそのようになっているのだろう。私はその後のことをよく知らないが、彼らのことだから元気に息衝いてくれているに違いない。子宮にあって育てた子たちのことを、私は忘れない。この世から失われてしまっても、彼らは私の中で生き続け、やがて新しい生を受けるのだろう。私の命がある限り、彼らの輪廻転生は続く。
 いとしい私の子、今日のところはゆっくりおやすみ。