北摂地域ややこしい! その3
神峯山寺と安岡寺にも行くことになった。この二つの寺に行くのは本当に久しぶりである。
- 神峯山寺:なんと、4年半ぶりにここに来たのである。そん時は、神仏霊場巡拝の道・第六十四番(大阪二十三番)札所で来たんだよなぁ。ここは新西国三十三箇所・第十四番札所である。さらに俺は
役行者霊蹟札所まで始めてしまった。
いままでの札所巡りの中でも、おそらく最もハードコアだぞ。なにしろ、大峰山登らなきゃなんねーからな!やるけど。あ、ちなみに役行者霊蹟札所には札所の番号がない。なので、ご朱印帳に並んでいる順番に則して、以降の表記は「役行者霊蹟札所・第二十三番札所(仮)」としておきます。
山号含めた正式名称は「根本山神峯山寺宝塔院」。本尊は毘沙門天。日本で最初に毘沙門天を納めた寺だという。
お寺の歴史をかいつまんで。自伝によると、役行者が文武元年(697年)に葛城山で修行していたら、なにやら北に光を見たのだ。それを追って今の神峯山寺のある地にたどりつく。そこにある九頭竜瀧で童子と出会い、童子に薦められた霊木で毘沙門天を4体彫ったのが始まりといわれている。それらは空を飛び、1体はこの地に残り、残りの3体は生駒の北山本山寺に、鞍馬寺に、生駒の信貴山に安置されたと伝わっている
その後、宝亀5年(774年)、光仁天皇の子息である開成皇子が勝尾寺から入山し、また光仁天皇の勅願で本堂が建立されてからは、天皇や幕府からの篤い信仰を受けるようになる。
最盛期の江戸時代には七堂伽藍はもちろん、21の僧坊、寺領も1,300石あったという。しかし、明和2年(1765年)に火災により本堂を消失して以降、安永6年(1777年)に再建されたものの、規模は徐々に縮小し、現在に至っている。
鐘楼。
新西国の札所本尊の聖観音納めているから、観音堂。
役行者霊蹟札所の札所本尊の役行者を納めているから、奥の院。写真撮り忘れて、2往復する羽目になったわいw。
え!?何この堂宇!?前来た時、こんなんなかったで!名前は「化城院」という。オフィシャルブログによると、2013年11月23日に落慶法要が行われたと言う。現在、ここでは2000日間連続の護摩行を行っている。護摩行自体は2011年2月28日から行っていて、終わる2000日目が2016年08月20日!来年だ!しかも土曜日だ!
では、紅葉も見て行きますか。
- 安岡寺オフィシャルサイトがないので、wikipedia:安岡寺_(高槻市)参照。):ここも4年半ぶりだ!そんとき行ったのは、近畿三十六不動尊霊場・第十二番札所だが、今回は摂津国三十三箇所・第二十五番札所であり、新西国三十三箇所。客番札所。「あんこうじ」と読む。山号含めた正式名称は「南山般若院安岡寺」。本尊は如意輪観音。