胆力がいる。

画面の向こうの悲惨な風景とはあまりに対照的な長閑な土曜の午後。
光のどけき春の日、まるで喪に服しているのかのように家の周りに人の姿を見ない。みんな私と同じように画面に釘付けなんだろうか。

過去の風煉での脚本のいくつかは洪水、津波、火山の噴火などあらゆるカタストロフィを描いた。(ま全部僕が書いたのだが)往々にしてそれは芝居の大詰めで人間の所業をあざ笑うかのように全てを無に帰し更地にしてしまう仕掛けとして描かれ実演された。
書いた当時(若気の至りもあるが)全てを無に帰す「リセット願望」が働いていたのは確かだ。人間のあれやらこれやら〝ちんまいこと〟を洗い流す「きれいさっぱりやり直したい願望」が現れていたことに嘘付けない。この身に染みついた80年代小劇場演劇の破滅的世紀末史観の洗礼を受けた現れだろう。何も起きなかったから何かを期待していたのだ。
しかしそれは、やはりあまりにも幼く浅はかな考えである。現実は僕の頬に往復ビンタを浴びせる。「これがおまえが期待していた世界だ!」と。。。画面の向こうの果てしなく続く残骸の風景。頭から毛糸のショールを被ったお婆ちゃんの心細そうな背中越しに、水びたしの瓦礫以外に人の姿もなく時間が止まってしまった茫漠たる景色を見る。諸行無常。体中の力が抜けていくようだ。自然は僕らの想像を遙かに超えて弱者も強者もごちゃ混ぜにして理不尽に鉄槌を下した。
いやしかし、そんな無力感に苛まれたセンチな感情で済ましてはいけない。いても立ってもいられない感情に突き動かされる。すぐに何かしたい、せねば。うん(やれ)。それは個々が個人として出来るだけのことをするだけだ。そうではなくて、今起きていることを通じて自分たちは、つまりオレは何を考えどう表すのか?この〝いても立ってもいられなさ〟を、非力を自覚しながらもオレは表現にどのように転化できるのか?そこに考えを集中するべき。
悲惨な風景を見て悲惨だと共感するのは当然だ。しかし悲惨だ悲惨だと連呼していては何も始まらない。要は津波の後、洪水の後、噴火の後、そこから「どうしようもなく」立ちがり「それでも生きる」その個々の人間の力を信じて、また決して個人の力ではどうにもならないことを他者が、人類が、どう向き合うか。向き合ってきたのか。(〝戦争の後〟に関しては、なぜ起きたのか?何があったのか?を検証することは必須)つまり戦後の日本人じゃないが〝どっこい生きてる〟だ。
そんなことを悲惨だと声高に嘆かずに悲惨に巻き込まれず、むしろ〝笑い〟など織り交ぜどう描けるのか。
胆力がいる。

あらためて東北・関東大地震の被災した方々にお悔やみを申し上げます。
出来るだけのことをしたいと思います。
とりあえず家中の使っていない電気機器のコンセント全部抜いた。