振りさけ見れば - 宍戸 大裕 映像制作の記 -

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2018-07-12 五井さん作品展に

来月3日から東京世田谷の「梅猫庵」で「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」が開かれます。
アニマルクラブのボランティアだった五井美沙さんは、東日本大震災で亡くなりました。29歳でした。震災後に初めて石巻を訪れた僕は、美沙さんの生前を知りません。しかし、アニマルクラブの取材を通して美沙さんが描いていた絵を知り、彼女の思い出を噛みしめるように語る代表の阿部さんや、残されたお父さん、妹さんの言葉を通して、その人たちの心に映る彼女の人柄を思い浮かべています。

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寡黙で、1匹1匹をよく見ている人。それは絵にも表れていて、美沙さんが描く絵にはその動物の性格や仕草が実によく捉えられています。美沙さんが描くのは、たくさんいる保護犬保護猫たちの中でも、目立たないタイプの子でした。

アニマルクラブに新しいボランティアが見え、美沙さんの面影を見るような時、僕は「五井さんって、〇〇さんみたいな感じですかね?」と阿部さんに尋ねるのですが、返事は決まって「んー ぜんぜん違うよ。五井さんみたいなタイプの人はいないから」。「五井さんって、あ、きょうは五井さんの日だなと思うといつもより美味しいお菓子を用意しておこうって思わせてくれる人なんだよね。五井さんがボランティアの日には、もう任せて安心してたから」というのです。

3月11日地震の直後、仕事中だった美沙さんは同僚に「アニマルに行く」と言い残し、バイクに乗ったそうです。職場からアニマルクラブへはわずかの距離。ただ、クラブへきた形跡はなくそのままお母さんとおばあちゃんがいる自宅へ戻ったんじゃないかと阿部さんは想像しています。東京にいた妹さんが津波の来る直前、美沙さんと電話で話をされています。「津波が来るから早く逃げて」と訴える妹さんに、お母さんとおばあちゃんがいるから逃げられない、と美沙さんは家に残られたようです。家は石巻市南浜町、海の目の前でした。

三人が亡くなられ、お父さんと妹さんがふたり残されました。震災後、お父さんと妹さんを何度か撮影させてもらいました。ふたりはいま、それぞれ別な場所に暮らしています。時折お父さんの元を訪ね、お線香をあげさせてもらいます。仮設住宅、新しく建てた家。お父さんにとっては母であり、妻であり、娘である三人の遺影を前に、お父さんの話を伺います。仕事に打ち込み、いつもくたくたになっているお父さんの仕事は、電気工事関係です。被災地の復旧作業で休む間も無く働いているようでした。「今度〇〇のでっかい現場があるから」「朝がすごい早くてさ、夜遅くまで帰れないから」「それ終わったら今度は△△の現場決まってっから」と、困ったように笑うお父さんが詳しく業務の内容を話してくれるのですが、僕は話を聞きながら、「仕事があってよかったあ」と、別なことを考えていました。ぽっかりと空く時のすきまに、ひとり残されたという実感が去来することは怖いです。

僕は美沙さんと直接お会いすることはできませんでしたが、阿部さんやお父さん、妹さんの向こうに出会い続けている気がしています。そして美沙さんの描いた犬や猫の絵を通して、美沙さんの眼差しを感じています。震災から七年がたったいまも、たくさんの猫や犬の相談がアニマルクラブにはあり、里親が見つからず新たなメンバーとして残って行く子も少なくありません。美沙さんならこの子をどう描いたかな?と僕が思う猫は、きかない子やひょうきんな子など、特徴のある者ばかりです。でも、美沙さんは目立たぬ子、気の弱い子ほど描いていたっけと思い返し、僕には気づけない、見てもいない子に気持ちを注いでいただろう美沙さんに、気づき直します。美沙さんが描いた犬猫たちの中にはこの七年に亡くなった子も何匹かいます。作品展ではすべての絵に阿部さんがキャプションをつけ、彼らの来歴を伝える予定です。

高見順の詩−

光は声を持たないから 
光は声で人を呼ばない
光は光で人を招く

暑いさなかの8月ですが、よかったらぜひ夏の陽射しに招かれてきてください。五井美沙さんとアニマルクラブ石巻の犬猫たちに会いにきてください。

「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」
期間 2018年8月3日(金)〜19日(日) ※月・木曜日休み
   12;00〜19;00(最終日は17;00まで) 入場無料
場所 gallery 来舎 kiya [梅猫庵] 東京都世田谷区梅丘1−44−10  
ギャラリーHP https://gallerykiya.jp/?cat=7

2018-06-20 『支援vol.8』に寄稿しました

生活書院から5月に発行された雑誌『支援vol.8』に映画「道草」についてのエッセイを寄稿しました。 

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映画をつくるきっかけや、製作中に感じ考えてきたことの一端を書きました。僕は本を読むのが好きで、映画製作時にもそのテーマに関係する本や資料を探すことから始めます。「道草」の場合は、同じ生活書院から出版されている『よい支援!』『ズレてる支援?』という2冊が指南書でした。製作中、迷うことがあると何度か読み返し、その度あらたな気づきを得ました。支援という視点が中心ですが、日常の人間関係を考える上でも示唆に富んでいます。

資料という点では、新聞に載る日々の関連ニュースやコラム、読者の投書も気になると切り抜いて、製作ノートに貼っています。映画が公開されてからもそのテーマに関わる切り抜きは継続します。映画が出来たといっても、描いた世界にエンドマークがあるわけのものでもなく、終わりなどないのですから。でも、自分自身の関わり方には変化も出てきます。描いた世界と僕との、気持ちの上での距離感が遠くなったり、近くなったりするのです。新聞の切り抜きという習慣は、遠くなった距離を意識させてくれることに有効で、時にその遠くなった距離を縮めるきっかけになったりもしています。
世の中のあれこれに興味や関心が湧くので、小学生から始めた切り抜きのテーマは百を越えました。これまで製作してきた映画も、あるテーマを映そうと思う時にはすでに関連する切り抜きを先に始めていたものでした。ただ、あちらこちらに関心が湧くといってもそれを例えば映画にし、公開までいたるためにはいくつかの条件が必要になってきます。そう考えると、生れることの出来た映画にはよき運があり、幸いがあったのだとも感じます。

「菊根分けあとは自分の土で咲け」という句を聞いたことがあります。「道草」もこんな風に大きくなっていってほしいと願いつつも、まだ生れたばかり。這えば立て立てば歩めの親心でまだしばらく、右往左往することと思います。

2018-06-19

道草

新しい映画が完成しました。名は「道草」としました。
重度の知的障害があり、自傷や他害行為といった行動障害を伴うことのある人たちが、地域で介助者とともに生活するありようを描いたドキュメンタリー映画です。

5月下旬に完成し、これまで2度完成試写会を開かせてもらいました。5月29日の仙台が1度目、6月2日の横浜が2度目です。
現在、年内の全国劇場公開を目標に宣伝体制の準備をはじめています。自主上映会のお問合せもすでに何人かの方から頂いていて、この作品が映し出す世界への関心の高さを感じています。身の引き締まる思いです。
 
映画の完成を、NHK毎日新聞でもご紹介頂きました。取材して下さった記者さんに感謝です。下記URLをご覧下さい。
 
NHK http://www.nhk.or.jp/shutoken/net/report/20180531.html
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180529/ddl/k14/040/292000c
 
道草の名にふさわしく、目的地へまっしぐらではない、寄り道・戻り道・獣道のたくさんある上映活動になるかもしれません。その時はその時で口笛吹いてのびのび行きます。ご覧頂ける日が早く来ないかと、待ち遠しく感じています。

2018-02-04

条件反射みたいに

井上ひさしさんのつくる芝居には、悪人が出てこない。
権力者、悪党、ずるい奴ら、いろいろいる。そういういろいろが純粋で優しくてまっすぐな人間を痛めつけたりする。そういうことはある。でも結局のところ、権力者、悪党、ずるい奴らが、どこか憎めない姿を見せはじめる。時には音楽にあわせ一緒に踊ってみたりする。それが見ていてうれしく、たのしい。
頭痛肩こり樋口一葉』では、幽霊が恨む相手を探し尋ねて人から人へ辿っていくものの、結局相手が見つからず私自身という振り出しに戻ってくるくだりがあった。こういう話が読んでいて助かる。世間を見れば、この逆があふれるほどに多すぎるから。

力づくで踏み潰される人。
どんな思いだろう。
故郷が蹂躙されていくのになすすべもない人。
どんな思いだろう。
ありとあらゆる力づく、暴力づくでもって、体ごと心ごとひっぺがえされ踏み潰される人。
どんな思いでそれはあるだろう。

押しつぶす者。その者たち。その末席で追従笑いを浮かべてる者。生きるためだ仕方ないと自分に言い聞かせ、へらへら。蹂躙する側にさえ連なってれば、ひとまず自分は蹂躙されずに生き延びられる。つかの間の安心安全でも、安心は安心。安全は安全だ。でも、へらへらとやり過ごそうとした自分を、生涯おそらく忘れるまい。

この季節、線路のガード下の路上で体を横たえてる人がいる。それはいつもと同じ光景だが、その「光景」は街路樹でもないし、オブジェでもない。舗装された道路がどれほど冷えきってるものか、触れればわかる。自分が美味しい酒を呑み、魚をご馳走になり、人と愉快に語り合い帰ってくる夜。ダンボール一枚を敷いて、薄い毛布一、二枚、顔まで覆い隠して眠ろうとしている人。眠れるはずのない寒さ。全財産なのか、空き缶の詰まった袋が一つ、替えの服が二、三枚、そばに置いてある。屋根と壁とストーブのある部屋で、布団に眠れる自分が一方にいる。
具体的に声を掛ければいい。一緒に腹を満たして一緒に暖をとればいい。具体的にそれが出来ているか。出来ていない。

水上勉の小説『ブンナよ、木からおりてこい』に雀のこんなセリフがある。
「かえるさん、弱いってことはわるいことではないよね。かなしいことにちがいないけど、弱いことはわるいことではないよね。」
弱いことは、悪いことではない。でも、弱いことを忘れたり、弱いことに開き直ったりしていたんでは、まして押しつぶす側の末席に連なってへらへらしたりしていたんでは悪いこと以上に出て行ってしまう。

昨年観たこまつ座公演「紙屋町さくらホテル」のチラシに、原作者・井上さんの次の言葉があった。

「楽しいときほど、
その楽しさを無理やり奪われた人たちのことを条件反射みたいに
ふっと思う人間に僕はなりたいし、
そういうのが普通にできるようになったら
絶対に間違わない世の中ができると思う。」

先月の東京大雪の夜、マンション脇から茶トラの子猫が飛び出してきて、駐車場の車の下へともぐりこんでいった。しばらくしてから探しに戻ってみたけれど、もう見当たらなかった。条件反射みたいに、ということが肝腎なのだ。

2017-09-17

クマよ

昨日、宮城県の山でクマの生息調査をされてる方々に同行させてもらい山を歩きました。
野生動物に魅せられたのは中学生の頃。NHKの「生きもの地球紀行」を毎週ビデオに録画して観ていました。
自然の生きものが映しだされる番組は素晴らしかったのですが、最後の5分間は決まって「この生息環境がいまは失われようとしています」という話でした。
それが辛くて、いつしか観るのをやめてしまいました。それでもその頃はじめた新聞の自然記事の切り抜きはいまもつづけてます。
21年前の記事には九州で絶滅したクマの目撃情報が書いてありました。いま、四国のクマが絶滅の危機を迎えているそうです。

昨日は、定点カメラの映像チェックと電池交換が主な作業でした。「背こすり」というクマの行為の跡がカラマツやアカマツに残っていました。
映像にもしっかりとクマたちの姿が映されていました。イノシシアナグマの姿もありました。夜更けにじゃれあうアナグマが2頭、転げあい跳ねあってる姿にときめきました。人が寝静まったころ、遠くの山で2頭の毛むくじゃらのアナグマが、長いことじゃれあってる。なんて素敵なことだろうと、うれしくなりました。

昨日は、クマの生態だけでなく、クマに困ってる方の話も聞くことができました。
山のふもとで養魚場を経営してる方は、数組のクマが昼も夜もやってきては魚を取りに来ると話してくれました。
飛来してくる鳥の方が魚を確実に取っていくので困ってる、とも聞きました。ただ、クマの場合怖いのは人身被害だと。

山を案内してくれた方が、「養魚場の周辺に張ってある電気牧柵が伸びた草に触れてて、あまり効果を発揮してない」ことを話し、来週草刈りの手伝いにきます、と伝えます。ボランティアです。クマと人との関係を取り持とうと、間に立とうとしている方々。

その方々は、断定的な言葉をほとんど使わないことに気づかされます。
「身体小さいですね、子熊でしょうか」と聞けば、「どうでしょう、わからないですね」と答え、
「背こすりはコミュニケーションなんですか?」と聞けば「そんな感じもしますけど、よくはわからないですね」と答える。
わかることはわかると答え、わからないことはわからないと答える。それがわかることの本質だと思い当たらせてくれるような人たちでした。クマを知りたいという思いで山に足を踏み入れたのは昨日が初めてです。これを書いてる間も、山で2頭のアナグマがじゃれあっていることを想像したり、養魚場の前に出てきて魚を狙ってるクマのことを具体的に思い描くようになりました。
森のこと、山のこと、ほかの生きもののこと。広く知っていきたいです。

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<養魚場前の生きものたちの足跡>

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<背こすりにやってきたクマ>

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<人が捨てていったゴミ。人の食べ物の味を覚えてしまうと
   人を襲うようになってしまうそうです>

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<背こすりがされた跡。木の下の泥はイノシシがやってるようです。
  「生きものたちの伝言板」という説を伺って想像力ふくらみます>

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<クマが食べるどんぐり>

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