振りさけ見れば - 宍戸 大裕 映像制作の記 -

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2018-11-29 その手記に

11月25日、NHKニュース7報道がされた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181125/k10011722891000.html?fbclid=IwAR2Zl17Ckztf5iS71jG5fUv7y7idcgbyyLEo2DAlmLNmKx-_EESvnNzumiI
障害者殺傷事件の遺族 葛藤の末に初めての手記」。夕食の時間だったが目が釘付けになり箸が止まった。しばらくして次のニュースへ移っても気持ちが揺すられていた。夕飯のつづきに手をつけながら、揺すられた気持ちは静まらず消えていかなかった。NHKニュースサイトで手記の全文を読み、揺れはずっと大きくなった。

そのニュースサイトの導入部には、こうあった。
「19人が殺害された障害者殺傷事件で、犠牲となった41歳の男性の家族が、事件から2年余りたって初めて手記を寄せてくれました。語るべきか迷いながらも、障害者を否定する被告のことばに賛同する人がいることを知り、声を上げなければと一歩を踏み出した思いがつづられています。」

読み進めた。
それは、それ以上だった。「それ」など、まして「以上」など言ってはならない。言うことは出来ない。だがその手記は、そのニュースの導入部や結論部やが引いてくる遺族の方の言葉、ニュースとしてくくられる、くくりやすいメッセージをはるかに超えて私に届いた。
「葛藤の末に一歩を踏み出した思い」とし、「強い問いかけ」と書くニュース原稿。それは間違いではない。正確ですらあるだろう。だが、それはニュースだった。間違いではない。だが、ニュースを超えていない。しかし、手記をすべて読ませてもらって私に押し寄せてきた感情は、もっと別の存在感だった。いまそこにあなたがいる。あなたは確かにそこにいたということ。そこに、あなたがいる。

手記は、こう書いていた。意見を発表するつもりは全くなかった、と。そっとしておいてほしかった、と。亡くなったということを否定したいのに、周りから何か言われれば、亡くなったということを押し付けられているみたいで、余計落ち込んでしまうからです、と。そして、今でもその気持ちに変わりはありません、と。さらに、こう続ける。
・・・でも、犯人が言っていることに賛同している人たちがいるということを聞き、ショックを受けました。
「もしそういう人たちが犯人のほかにも出てきたら怖い」、「障害者がつらい立場に置かれる」と、居ても立っても居られなくなりました。

ニュースは、ご遺族の居ても立っても居られなくなったことをかっこにくくってくる。それをニュースとして伝えてくる。それは間違いでない。間違いではないのだが、そこで私は思う。すこし違うのではないか、と。かっこをくくる場所が、私には違うと思われる。そこにかっこをくくることが私には出来ない。その前の段落がある、と私が思う。そして、それこそが大事だと思えて仕方がない。

意見を発表するつもりが無かった時の居ても立ってもいられなさはなかったか。そっとしておいてほしかった時の居ても立ってもいられなさはどこへ行くのか。亡くなったことを否定したいのに、回りから何かを言われれば、亡くなったことを押し付けられているみたいで、余計落ち込んでしまう時の、その居ても立ってもいられなさを、私たちは知っているか。

押し付けられている、と感じさせていた言動が私になかったか。押し付けていた言動が私にあったのではないか。何を押し付けていたかも知らずがままに、頭ごなしに押し付けているものがなかったか。それはあった。私は道徳の押しつけを憎む。道徳の押しつけらるるを憎む。道徳をふりかざし、有無をいわさず下げ渡してくる者の傲慢な不道徳を憎む。無自覚の正義が、生身の人間を押し黙らせることに勤しんでいなかったか。
乱暴狼藉、無類の没義道は悪党からのみ出てくるものでない。善人面の道徳振りかざしが働く乱暴狼藉、没義道がある。頭ごなし、問答無用、道徳の尻馬に乗って心おきなく人間をおっぷせていく道徳ゴロ。この手の道徳ゴロまがいが、私になかったか。あなたになかったか。
「愛と正義を否定する」と脳性まひ者集団青い芝の会は金言を生んだ。正義振りかざしの人間ひれ伏させが、この事件を通してなかったかあったか。それはあった。いまもある。

被害者の男性に私は私を見た。私は私の知人を見た。そして、男性と家族の日常が目の前にいきいきと浮かんでくるのを見た。その場に居合わせていたような気持ちで「そうそう、そんなことあったっけ」と思いなしていた。居るはずもない私が、そこに居合わせた。

手記には、こうもあった。
何度も弁護士さんに連絡をして、「やっぱりやめておきます」と言いかけました。

ここまで読んで思いなすのは、やっぱりやめにしておいたであろう人たち、おもてにはまだ現れてきていない人たちのことだった。やっぱりやめておきますと、話すのをやめにした人。話すのをやめさせてしまったあなたと私。筆を置いた人、筆を置かせたあなたと私。
声を奪ったのは、誰なのか。
この頃姿を見ませんねと声をかける隣人、お花を持っていく隣人はこの世界にひとりではないはずだ。私は声を奪うままでいいのか。あなたはどんな声をかけるのか。

2018-11-03

道草のホームページを開設しました

映画「道草」の公式ホームページを開設しました。
こちらからご覧下さい。 https://michikusa-movie.com/

チラシも出来ました(ホームページからのダウンロードも可能です)。
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来年2月以降、新宿ケイズシネマをはじまりに予定してます劇場公開へ向けて、現在各地の劇場と公開の相談を重ねているところです。地方の劇場の場合、地元で応援してくださる方の存在が公開への後押しになることもあります。ぜひ各地から、応援の手を差し伸べて頂けると嬉しいです。

映画を通しての出会いを心待ちにしています。

2018-07-12 五井さん作品展に

来月3日から東京世田谷の「梅猫庵」で「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」が開かれます。
アニマルクラブのボランティアだった五井美沙さんは、東日本大震災で亡くなりました。29歳でした。震災後に初めて石巻を訪れた僕は、美沙さんの生前を知りません。しかし、アニマルクラブの取材を通して美沙さんが描いていた絵を知り、彼女の思い出を噛みしめるように語る代表の阿部さんや、残されたお父さん、妹さんの言葉を通して、その人たちの心に映る彼女の人柄を思い浮かべています。

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寡黙で、1匹1匹をよく見ている人。それは絵にも表れていて、美沙さんが描く絵にはその動物の性格や仕草が実によく捉えられています。美沙さんが描くのは、たくさんいる保護犬保護猫たちの中でも、目立たないタイプの子でした。

アニマルクラブに新しいボランティアが見え、美沙さんの面影を見るような時、僕は「五井さんって、〇〇さんみたいな感じですかね?」と阿部さんに尋ねるのですが、返事は決まって「んー ぜんぜん違うよ。五井さんみたいなタイプの人はいないから」。「五井さんって、あ、きょうは五井さんの日だなと思うといつもより美味しいお菓子を用意しておこうって思わせてくれる人なんだよね。五井さんがボランティアの日には、もう任せて安心してたから」というのです。

3月11日地震の直後、仕事中だった美沙さんは同僚に「アニマルに行く」と言い残し、バイクに乗ったそうです。職場からアニマルクラブへはわずかの距離。ただ、クラブへきた形跡はなくそのままお母さんとおばあちゃんがいる自宅へ戻ったんじゃないかと阿部さんは想像しています。東京にいた妹さんが津波の来る直前、美沙さんと電話で話をされています。「津波が来るから早く逃げて」と訴える妹さんに、お母さんとおばあちゃんがいるから逃げられない、と美沙さんは家に残られたようです。家は石巻市南浜町、海の目の前でした。

三人が亡くなられ、お父さんと妹さんがふたり残されました。震災後、お父さんと妹さんを何度か撮影させてもらいました。ふたりはいま、それぞれ別な場所に暮らしています。時折お父さんの元を訪ね、お線香をあげさせてもらいます。仮設住宅、新しく建てた家。お父さんにとっては母であり、妻であり、娘である三人の遺影を前に、お父さんの話を伺います。仕事に打ち込み、いつもくたくたになっているお父さんの仕事は、電気工事関係です。被災地の復旧作業で休む間も無く働いているようでした。「今度〇〇のでっかい現場があるから」「朝がすごい早くてさ、夜遅くまで帰れないから」「それ終わったら今度は△△の現場決まってっから」と、困ったように笑うお父さんが詳しく業務の内容を話してくれるのですが、僕は話を聞きながら、「仕事があってよかったあ」と、別なことを考えていました。ぽっかりと空く時のすきまに、ひとり残されたという実感が去来することは怖いです。

僕は美沙さんと直接お会いすることはできませんでしたが、阿部さんやお父さん、妹さんの向こうに出会い続けている気がしています。そして美沙さんの描いた犬や猫の絵を通して、美沙さんの眼差しを感じています。震災から七年がたったいまも、たくさんの猫や犬の相談がアニマルクラブにはあり、里親が見つからず新たなメンバーとして残って行く子も少なくありません。美沙さんならこの子をどう描いたかな?と僕が思う猫は、きかない子やひょうきんな子など、特徴のある者ばかりです。でも、美沙さんは目立たぬ子、気の弱い子ほど描いていたっけと思い返し、僕には気づけない、見てもいない子に気持ちを注いでいただろう美沙さんに、気づき直します。美沙さんが描いた犬猫たちの中にはこの七年に亡くなった子も何匹かいます。作品展ではすべての絵に阿部さんがキャプションをつけ、彼らの来歴を伝える予定です。

高見順の詩−

光は声を持たないから 
光は声で人を呼ばない
光は光で人を招く

暑いさなかの8月ですが、よかったらぜひ夏の陽射しに招かれてきてください。五井美沙さんとアニマルクラブ石巻の犬猫たちに会いにきてください。

「わすれないでね… 五井美沙作品展&アニマルクラブ石巻の仲間たち」
期間 2018年8月3日(金)〜19日(日) ※月・木曜日休み
   12;00〜19;00(最終日は17;00まで) 入場無料
場所 gallery 来舎 kiya [梅猫庵] 東京都世田谷区梅丘1−44−10  
ギャラリーHP https://gallerykiya.jp/?cat=7

2018-06-20 『支援vol.8』に寄稿しました

生活書院から5月に発行された雑誌『支援vol.8』に映画「道草」についてのエッセイを寄稿しました。 

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映画をつくるきっかけや、製作中に感じ考えてきたことの一端を書きました。僕は本を読むのが好きで、映画製作時にもそのテーマに関係する本や資料を探すことから始めます。「道草」の場合は、同じ生活書院から出版されている『よい支援!』『ズレてる支援?』という2冊が指南書でした。製作中、迷うことがあると何度か読み返し、その度あらたな気づきを得ました。支援という視点が中心ですが、日常の人間関係を考える上でも示唆に富んでいます。

資料という点では、新聞に載る日々の関連ニュースやコラム、読者の投書も気になると切り抜いて、製作ノートに貼っています。映画が公開されてからもそのテーマに関わる切り抜きは継続します。映画が出来たといっても、描いた世界にエンドマークがあるわけのものでもなく、終わりなどないのですから。でも、自分自身の関わり方には変化も出てきます。描いた世界と僕との、気持ちの上での距離感が遠くなったり、近くなったりするのです。新聞の切り抜きという習慣は、遠くなった距離を意識させてくれることに有効で、時にその遠くなった距離を縮めるきっかけになったりもしています。
世の中のあれこれに興味や関心が湧くので、小学生から始めた切り抜きのテーマは百を越えました。これまで製作してきた映画も、あるテーマを映そうと思う時にはすでに関連する切り抜きを先に始めていたものでした。ただ、あちらこちらに関心が湧くといってもそれを例えば映画にし、公開までいたるためにはいくつかの条件が必要になってきます。そう考えると、生れることの出来た映画にはよき運があり、幸いがあったのだとも感じます。

「菊根分けあとは自分の土で咲け」という句を聞いたことがあります。「道草」もこんな風に大きくなっていってほしいと願いつつも、まだ生れたばかり。這えば立て立てば歩めの親心でまだしばらく、右往左往することと思います。

2018-06-19

道草

新しい映画が完成しました。名は「道草」としました。
重度の知的障害があり、自傷や他害行為といった行動障害を伴うことのある人たちが、地域で介助者とともに生活するありようを描いたドキュメンタリー映画です。

5月下旬に完成し、これまで2度完成試写会を開かせてもらいました。5月29日の仙台が1度目、6月2日の横浜が2度目です。
現在、年内の全国劇場公開を目標に宣伝体制の準備をはじめています。自主上映会のお問合せもすでに何人かの方から頂いていて、この作品が映し出す世界への関心の高さを感じています。身の引き締まる思いです。
 
映画の完成を、NHK毎日新聞でもご紹介頂きました。取材して下さった記者さんに感謝です。下記URLをご覧下さい。
 
NHK http://www.nhk.or.jp/shutoken/net/report/20180531.html
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180529/ddl/k14/040/292000c
 
道草の名にふさわしく、目的地へまっしぐらではない、寄り道・戻り道・獣道のたくさんある上映活動になるかもしれません。その時はその時で口笛吹いてのびのび行きます。ご覧頂ける日が早く来ないかと、待ち遠しく感じています。