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Snap Days 〜Shuichi Taira’s photo gallery〜

2012-08-11

オリンピックと国歌斉唱

ロンドンオリンピックがたけなわなのですが、ネット上でちょっと気になる発言をあちこちで見かけたので、
少しばかり申し上げておきたいことがあります。
それは、
日本の代表選手の中で君が代を歌っていない者がいるとしてこれを非難する内容のものについてです。
中には君が代が歌えないのならば、そんな者は日本代表にはいらない。海外にでも移籍してプレーしろ
という意見まで目にします。
端的にそのようなナショナリズムに基づく排他的不寛容な考え方は、近代オリンピック
オリンピズム(オリンピックの精神)に反します。

オリンピックとはどのようなものなのかという理念とルールについてはオリンピック憲章に示されており、
この文書はオリンピックにとっての憲法と言えるでしょう。

http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2011.pdf

憲章には、『オリンピズム』の根本原則として以下の7項目が列挙されています。

1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた
総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズム
が求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普
遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。

2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、
人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。

3. オリンピックムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体に
よる、IOC の最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。
それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される
偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる
五輪である。

4. スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピッ
ク精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェ
アプレーの精神に基づく相互理解が求められる。

5. スポーツが社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピックムーブメントのスポーツ組
織は、自律の権利と義務を有する。その自律には、スポーツの規則を設け、それを管理するこ
と、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、
さらに良好な統治原則の適用を保証する責任が含まれる。

6. 人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれ
オリンピックムーブメントに属する事とは相容れない。

7. オリンピックムーブメントに属するためには、オリンピック憲章の遵守及びIOC の承認が必要で
ある。


ここに照らし合わせるのならば、国歌斉唱の有無で代表選手の是非を論じることは、
各条項とくに4と6の差別の禁止に抵触するものと思われます。

さらに、
代表選手というものは決して政府機関の要員として派遣されているわけではありません。
各国内競技連盟が、日本国籍を有する選手の中で最も強い選手、最も上手な選手、最も代表にふさわしい
選手を選出し、非政府組織であるNOC(日本で言えばJOC)がオリンピック競技大会に派遣しているのです。
そして、
憲章第1章の3ー5において、IOCが承認できるNOCとIF(国際競技連盟)について、

5. IOC は、スポーツに関係する非政府組織で、国際的なレベルで活動し、その規約と活動がオ
リンピック憲章に従う団体を、承認することができる。


と規定しています。
IOC傘下のNOC非政府組織なのであり、第4章27−6に

6. NOC は自立性を保持しなければならず、オリンピック憲章の遵守を妨げる可能性のある政治
的、法的、宗教的、経済圧力などを含む、あらゆる種類の圧力に抗しなければならない。


同28−4では、

4. 政府もしくはその他の公共機関はいかなるNOC のメンバーをも指名してはならない。しかし、
NOC は、自らの裁量でこのような機関の代表をメンバーとして選出する旨決定することはでき
る。


とあるとおりです。このように政府機関からの自立性が要件として求められているのです。

そして、オリンピック競技大会については、第1章ー6で

6 オリンピック競技大会*
1. オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争
ではない。オリンピック競技大会では、各NOC によって選ばれ、IOC がその参加を認めた選
手たちが一堂に会する。選手は関係IF の技術的な監督下で競う。


こう規定されています。

また、
JOCウェブサイトには、『オリンピズムってなんだろう』というQ&Aのページがあり、
そこには以下の説明がなされています。

オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。

Q:それってどういうこと?

A:つまり、オリンピックは国同士の競争ではなくて、その競技に出場する選手やチーム同士の競争です、と定めているんだ。

Q:でも、表彰式では勝った選手の国の国旗をかかげたり、国歌を演奏したりしているよ。

A:それは、メダルを獲得した選手たちをたたえるための、ひとつの方法としてやっているんだ。お父さんも含めて、みんなはメダルの数を国別で数えたりして、ついついオリンピックを国同士の競争のように見てしまいがちだろう? でも、オリンピックで勝利をおさめた栄誉は、あくまでも選手たちのものだとオリンピック憲章では定めていて、国別のメダルランキング表の作成を禁じているんだよ。

Q: そういえば、前にスイミングクラブのお友達千駄ヶ谷国立競技場に行ったとき、
1964年東京オリンピックメダルを獲った人の名前が競技場に刻んであるって、その子がいってたわ。

A:よく知っていたね。それもオリンピック憲章が定めていることなんだ。
ランキング表作成禁止と同じ条文の中で、「メダル獲得者の名前は、目立つような形でメイン・スタジアム内に常時展示されるものとする」といっている。これも、オリンピックで素晴らしい成績を収めた選手を、国としてではなく、個人としてたたえることにつながっているんだ。


http://www.joc.or.jp/olympism/education/20090201.html

このように代表選手はある国の国籍を有するという要件の元、非政府組織である国内競技連盟が選出し、
NOCによって派遣され、IOCが開催するオリンピック競技大会において競技を競うのであって、
国家の要員として戦うのではなく、個人、団体として戦い、その栄誉は個人、団体にあるものであって、
国家とは一線を画しているのであり、ここにナショナリズムを持ち込むことは近代オリンピズムを
無視するものでしょう。

競技前や表彰の場での国歌演奏時に胸に手を当て歌っている選手が多いようですが、
しかし、中にはそうしない選手がいてもそれは自由なはずです。極端な例を上げると、1968年
メキシコオリンピックで男子200m走で金メダルを獲得したトミー・スミスが、当時の
米国内の黒人差別に抗議の意を込めて、星条旗の掲揚と国歌演奏時に表彰台の上で俯きながら
黒い手袋をした拳を突き上げて波紋を起こしたことがありましたが、この政治的なパフォーマンスの是非はさて
おき、選手の中には試合前のコンセントレーションのために黙っている選手もいるでしょうし、
表彰台の上でも静かに喜びを噛み締めたい思いから歌わない選手もいるでしょう。
国歌国旗が嫌いな選手もいるかもしれませんが、それらは個人の内心の領域なのであり、
歌わないという外形を指してその選手を非難することは、ナショナリズムに基づく政治的な差別
持ち込むものであり、上述してきたようなオリンピックの精神を足蹴にする事になるのだと
私は指摘しておきたいです。
そもそも、近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵は、国家間で戦争に明け暮れてきた人類を憂い、
『スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、
フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する』という理念のもと
世界平和と人類の協和の実現のためにスポーツの祭典を構想したものであることを常に想起するべきだと
思います。

余談ですが、
女子バトミントンのペアで銀メダルを取った藤井瑞希選手の決勝戦でのあの笑顔が素晴らしかった。
(正直、惚れました。というか以前、ちょっと付き合っていた女性とどこか似ているというのも
 ありますが・・・)
相手に追い詰められても最後まで笑顔と楽しむことを垣岩選手にアドバイスし続けた姿を見ていると、
選手たちには日本代表としての誇りを持ちつつも、自由な個人として戦わせてあげたいと
私は草葉の陰から思うのです。

P.S
それと、コメント欄にも書いたのですが、
表彰式の時の国歌演奏はやめたほうがいいかもしれませんね。
あれがあるからオリンピックの趣旨が誤解されてしまうように思えるからです。
私案としては、表彰式で流す曲は国歌ではなく、金メダリストが一番好きな曲をリクエストして
流してあげるようにするとか良さそうです。

え?もし私が金メダリストだったら何をリクエストするかって?

そりゃあ、清志郎君が代に決まってるでしょう!

D

バッジ@ネオ・トロツキストバッジ@ネオ・トロツキスト 2012/08/11 06:54 IOCは「憲章」の精神を徹底させた五輪運営をしていませんね。
現在の五輪のあり様には色々な問題点がありますが、エントリーとの関係で指摘すれば選手の参加資格に国籍要件を設けていることも大きな問題です。
そのせいで、フィギュアスケートのペア競技などでいろいろな困難を選手に課している。「憲章」の精神を徹底すれば産まれないはずの不要な障害を選手達に押しつけています。
井上玲奈ちゃんや川口悠子ちゃんが国籍変更せざるを得なかっただけじゃなく、高橋成美とマーヴィン・トランは五輪参加それ自体が危ぶまれる状況に追い込まれてしまっています。

ま、20世紀は、本来「国際主義」を根本理念としていたハズの共産主義運動までが民族主義や一国主義に転落してしまっていますからIOCだけ責めても酷でしょうけどね。

furiskyfurisky 2012/08/11 08:03 それと表彰式の時の国歌演奏はやめたほうがいいかもしれませんね。
あれがあるからオリンピックの趣旨が誤解されてしまうように思えるからです。
私案としては、表彰式で流す曲は国歌ではなく、金メダリストが一番好きな曲をリクエストして
流してあげるようにするとか良さそうなんですけど。

バッジ@ネオ・トロツキストバッジ@ネオ・トロツキスト 2012/08/11 10:28 五輪の表彰式で国旗・国歌を使うのは選手の思想信条を侵害するものですね。
日本みたいに国旗国歌の認定自体に論争がある国じゃなくとも、マルクスのような本物の共産主義者が優勝選手になったらジョン・レノンが国家からの叙勲を拒否したみたいに表彰式への参加を拒絶するでしょうからね。ま、現在のアスリートたちは、そこまで高くはないか・・・www

小野哲小野哲 2012/08/11 19:33  お久しぶりです、五輪の存在意義が完全に問われていますね。
 五輪は今や独裁者のおもちゃになっているような気がするんですよ。北京における体育祭(私は北京五輪なんて認めていませんので)やソチにおける体育祭なんてその例ですね。さらには過去にさかのぼって言うならソルトレイクシティ五輪はアメリカの国威発動に使われた印象があります。
 五輪をもう一度見直し、クーベルタン男爵の理念に立ち戻るべきでしょう。
 同じことを言うなら相撲の国歌斉唱でも言えますよね、モンゴル人力士が優勝しても何故か君が代じゃないですか。私はそのことにもおかしいと思っています。

バッジ@ネオ・トロツキストバッジ@ネオ・トロツキスト 2012/08/13 12:18 >モンゴル人力士が優勝しても何故か君が代じゃないですか。

はははは、これ、笑える。
オレも無自覚のうちに「国民意識」とやらに浸透されていたのか、「ガイジン力士優勝時の『君が代』」の孕む問題性には今まで全く気づかなかったわ。「アキメクラ」って、多いんですね(なお、オレは友人の視覚障害者が「目あき千人、メクラ千人」と言って他人の不明を叱ってたのを見たことあるので「アキメクラ」や「メクラ釘」などの言葉に対しても言葉狩りしません)

青い鳥青い鳥 2012/08/14 16:51 >バッジ@ネオ・トロツキスト 様…、はじめまして、青い鳥と申します。

>「アキメクラ」って、多いんですね(なお、オレは友人の視覚障害者が「目あき千人、メクラ千人」と言って他人の不明を叱ってたのを見たことあるので「アキメクラ」や「メクラ釘」などの言葉に対しても言葉狩りしません)


わたしも最近知ったのですが、「メクラ」「オシ」「ツンボ」「ドモリ」…など現在では“差別用語”とされているものの多くは、やまと詞(ことば)という日本古来の美しい言葉として使われてきたものだそうです。 商業マスコミがことの本質もわきまえず、言葉狩りをする偽善者振りを臆面もなく振りかざす日本社会にヘドが出る思いです。障害者を権利の主体と捉えない日本社会が“言葉狩り”で、どうウワベを繕おうとも棄民国家ニッポンは何も変わらないんですね…。
直木賞作家の辺見 庸氏は述べられました…、「日本の商業主義は、あらゆるものを“コーティング”してしまい、醜いことの本質を覆い隠してしまう。“愛”“地球環境”までをも銭儲けの道具にして、臆面もなく“恥”を晒している」 と…。

バッジ@ネオ・トロツキストバッジ@ネオ・トロツキスト 2012/08/15 10:16 青い鳥さん、どうも!村野瀬さんのところでもお会いしたことあるような・・・・・

>商業マスコミがことの本質もわきまえず、言葉狩りをする偽善者振りを臆面もなく振りかざす日本社会

御用メディアだけじゃないんで残念なんですね。20世紀には「ちびくろサンボ」とか「座頭市」「橋のない川」に対する諸団体からの批判のようなものもありましたから。「収奪者が収奪される」なら歓迎ですが、「被差別者が差別する」じゃあねぇw

バッジ@ネオ・トロツキスト バッジ@ネオ・トロツキスト 2012/08/19 11:44 緊急追加報告!

音楽評論家でもある!!!???反原連の中心人物が下記掲示板でとんでもない事を言い出しています。
国家の犯罪だけでなく国家という存在それ自体までもを告発していたジョンレノンやジミヘン、忌野清志郎の魂を、日の丸容認運動の立場から捏造しているのです。恐ろしい音楽評論家ですねw 無知か音楽史修正主義者です。
左翼の日の丸反対を「一面的」な認識だなどと強弁して歴史修正主義に加担する「反原発活動家評論屋センセイ」は、近現代史だけではなく自分の専門の音楽分野の歴史まで捏造して在日やアジア諸国との反原発連帯を拒絶するのです。

ジョン・レノンやジミヘン、清志郎が生きていたら、そんな運動や「活動家=評論家センセイ」を見て、泣くどころかきっと糾弾するでしょうよ!!!

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?

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