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Shuichi Taira’s photolog

2018-07-11

まなざしの痕跡154

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都会の雑踏のスナップは好きだけど、でも、私は東京郊外で生まれ育ち、今もこうして郊外で生活し続けている。
おそらく死ぬまで郊外を離れないだろう。だから、郊外も撮っていきたい。
そんなことを思ったら、ふと、今から6年ほど前に、ブログのご縁で、
ある大学の広報誌に「郊外逍遥」と題した短いフォトエッセイを寄稿していたことを思い出した。
文章の部分だけこちらに転載しておこう。
ここに書かれた郊外に対する私の思いは、現在まで、また、おそらくはこれからも変わることのないものであろうから。


「郊外逍遥

私は、東京郊外に生まれ育ち現在に至っている。
これからも、おそらくは終生住み続ける場所であるのであろう。
郊外とは、初めから郊外としてそこにあったわけではない。
戦後、第一次産業が急速に衰退し、特に高度経済成長における第二次、第三次産業の急発展により、産業構造
変遷していったことに伴い、地方から大都市圏へ急激に人口移動していったことで、都市周辺の農村が宅地化されて、
郊外が生まれて、スプロール化していった。

昭和一桁生まれの私の父は、戦前に奄美で生まれ、沖縄で教育を受けていたのだが、戦争の激化により九州本土へ疎開、
その後、鹿児島の大学を卒業後、就職のため、1950年代の半ばに上京している。
高度経済成長が始まっているころである。既に教職にでもつかない限りは、故郷に帰るという選択肢などない。
当然のように大都市圏に出て行ったことは中卒から大卒までの地方出身の若者たちに共通していたことであろう。
地方からの膨大な人口流入を受け入れた大都市圏は、人口過密になり、都心部や工場地帯に通う勤労者のベットタウンの
周縁を外へと拡大しながら、それまで農村や未開地だった場所を新住民のための宅地へと変貌させながら郊外が成立
していったわけだ。父は、そんな郊外成立の初期に上京してきた郊外第一世代である。
上京後、独身時代には、都心部に近接した都内にアパートを借りて住んでいたのだが、
所帯を持つためのマイホームを求めて、宅地化されたばかりの郊外に越してきたことは、当時の勤労者の典型と言えるだろう。
マイホームを持った父は、九州にいた祖父母を呼び寄せて同居を始めたのだが、当時のことを振り返って、生前の祖母は、
東京だと思って来てみたら、周りは雑木林と療養所ばかりで、庭にアオダイショウは出てくるわで、田舎より田舎だったと
笑いながら話していた。
しかし、そこはいわゆる、“田舎”とは、違っていたのだ。
全国様々な地方から郊外に移り住んできた住人たちは、地価や家賃や通勤の便などといったドライなファクターによって
そこに住み着き、地域から離れた場所にバラバラに生業を持ち、そこには伝統的な共同体があるわけでもなく、
土地に根ざした文化や風習が共有されるわけでもない。
住人たちは物理的な距離関係以外に共有する土台もバックグラウンドも持たないのだ。
郊外の家に越したばかりの祖父は、正月に和服姿で近所に新年の挨拶回りをしたといい、
そんなことをする人は誰もいないのにと父母が笑いながら回想していたことを思い出す。

私はそんな新興住宅街に生まれ育ったいわゆる郊外第二世代である。その家に、私は20歳の頃まで住み、その後、
一人暮らしのため別の郊外の街に出て行き、実家はその後、埼玉の新興住宅地に越している。

今から数年ほど前に、私は、生まれ育った街のかつて実家があった周辺を十数年ぶりに歩き回ったことがある。
しかし、どんなに歩き回っても、懐かしい街並みを眺めても、子供時代の記憶の数々が喚起されても、
ここが故郷だという感慨は無かった。土に根ざした情感も、帰ってきたという安堵もなかった。郊外第一世代の胸の中には
きっと別の場所にある故郷が生き続けているのであろうが、私にとっての生まれ育った街とは、
私の極めて個人的な出来事の記憶の連鎖の中に於いてのみ捉えられている場に過ぎないように思えてならない。
故郷を持たない郊外人の孤独と行っても良いかもしれない。

ただ、郊外とは、私が現在まで生きてきた場なのであり、私の記憶の大半を占める場なのであり、おそらく、
私の意識せざるところで私の感性と思考に影響を与えている場なのだろう。
そして、漠然とした心もとなさと孤独を感じながらも、郊外に生まれて生きていると言うことが自明のこととして
私の日常を形成していて、好悪で捉えることはできない。

ぼんやりとした霧に覆われた見えない地平に向かって青白い一本道をてくてくと歩いている名もなき一人の郊外人の後ろ姿が
私の心象の中に浮かんでいる。

私は、特に2004年から2005年にかけて、集中的に郊外をあてもなく歩き回りながらスナップする熱に取り付かれていた。
夜明け前に起き出して、カメラ片手に寒さも厭わず外に出たり、休日丸一日近郊を歩きまわったりして、
私の感性が何かに反応するままにシャッターを切っていた。

不思議なものでカメラと言う第二の目を手にすることで、それまで見慣れていた、普段気にも留めていなかった風景の
ディテールに感応することができて、疲れを覚えることもなくあたりを逍遥していた。

私にとって写真とは、撮影者の感応の跡形なのであり、何かに向けて眼差しを向けたことの痕跡なのだと思っている。
郊外の風景には、無数の郊外人たちのまなざしが人知れず染み付いているのだろう。」

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