2007-09-04
今回の6・30アキハバラ解放デモに関する革命的非モテ同盟の公式声明と今後について
まず最初に4日を1時間半ほど過ぎてしまったことをお詫びします。
今回の6・30アキハバラ解放デモにつきまして、先日予告いたしました通り、私の考えを発表させていただきます。
まず今回の6・30アキハバラ解放デモは非モテをはじめとして、今まであまり注目されてこなかった人々の自由や権利の主張のためのデモであったということがあります。これについてはデモの当初よりその目的として提起されてきたものであり、その点については私もその考えの下にデモの運営に携わってまいりました。つまり、人がその自由や権利を主張することについては人々の利益のためにも、また民主主義のためにも必要なことであり、今でも私はこの主張の基本である近代自由主義、民主主義の原則を一人の市民として信じるところであります。
この中でデモンストレーションという方法論を用いる意義というのは、その主張を多くの人に広めるというところにあります。実際的に一人であげた声はかき消され、多くの人に届かせる事は困難です。著名人であれば耳を傾けようという人も少なからず居るでしょうが、私を含めて市井の者がいくら主張をしようともその小さい声はなかなか届かないものでしょう。であればこそ、デモンストレーションという方法論を用い、志を同じにする者を集め、そして一人の声でなく、皆の声として伝えることはそれを聞いてもらうという意味において大きな力になるであろうと私は考えるところです。
非モテの問題は今まであまり注目されてこなかった問題です。こういった問題の中での自由や権利を可視化するために、あえて明確に個別具体的な政策問題に対するデモではなく、このようなかたちで行ったと私は考えております。個別具体的な政策主張をするデモも確かに重要なデモでしょう。また、すでに確固とした存在感を持つ集団、例えば労働者等の主張をするデモというのも重要であると思います。しかしながら、未だ可視化されていない問題を可視化するために、多くの主張を織り交ぜて一般的な自由と権利を求めることを示すことは決して無駄なことではありませんし、むしろそれは多様化した現代において非常に重要なことであったと私は考えます。
また結果、500名近い人々にお集まり頂き、多くの自由な主張を発することが出来たという事は、この意味において大きな成果であったと考えます。確かに、今回のデモは自由や権利の主張という非常に漠然としたテーマでありました。しかしながらその中で、お集まりいただいた多くの参加者が自由に主張を、それはプラカードやシュプレヒコールという言葉だけでなく服装や踊り、歌、様々な形で表現されたことは、その自由や権利の主張ということを体現していたのではないかと私は考えます。
この中で、女性の参加者を多数賜れた事は、今までの非モテの活動では汲み上げられなかった部分を知ることが出来、新しい視野を獲得する機会ともなりました。一般の企業においても、また政治、社会運動においても私のような男性が主導する場合が現実ほとんどです。この中で、ホモソーシャル的な閉塞に陥りがちな非モテの活動に新たな観点を導入するいい機会であったと私は考えております。
総じて見れば単純に近代的、学問的に定義された自由や権利だけでない、新しい、多様化した自由や権利を見せることが出来たデモであったと私は考えております。またこれによって自分自身も社会の多様性を認識することが出来ました。
しかしながら、前後のトラブルによって参加者の皆様の主張を汲み上げる事も出来ず、参加者の皆様に示していただいた可能性を、受け止めて発展させることが出来ず、その意義を損ねてしまったという点で非常に残念な部分を残してしまいました。この点は非常に残念に思っています。これについては今後の反省点として生かしていきたいと思っております。
それでもなお、参加者の皆様にあられましては今回のデモを明日への一歩として頂ければと思います。小さな一歩かもしれませんが、自ら主張し訴えることは民主主義の根幹であり、一人一人の為政者としての市民としての立場を明確にすることであると思います。私のただ一つの願いは参加された方、賛同された方、そしてまた実行に携わられた方、批判された方、関わられた全ての皆様が一人の為政者としての市民という意識を持っていただきたいということです。賛同にせよ批判にせよ、自らが声をあげるということをこれからも皆様が忘れられなければ、民主主義という壮大なフィクションはその火を残し続けるでしょう。リンカーンの言う通り、我々は人民の人民による人民のための政府をこの地上から絶やしてはなりません。そしてそれはまた、我々の肩にかかっており、自らの力によってのみ達成可能なものであるのです。
私は訴えます、全ての人はその力に自信を持つべきなのです。国家というのは本来空想の産物です。国家が国家たるのは、私達一人一人が国家に力を信託し貸しているからに過ぎません。私達人類は主権国家という地上の神を降誕させました。これは私達の力によって成り立っている神です。信者の居ない神は滅びます、であれば民主主義を、自らの力を信じて進む事こそ私達に必要なことであり、それこそ民主主義を守ることであると私は考えるのです。
今後は多くの参加者の方の様々な意見を今一度鑑みて今後に繋げていきたいと思います。また、数多く賜ったご批判についてもこれを糧として、さらによりよい活動に繋げていきたいと思います。常に自らを顧みて、そして改善していくことこそ人間の人間たるゆえんであり、私は批判を甘んじて受け、そしてそれを次に繋げるために使いたいと思っております。
何卒皆様には今後ともご指導ご鞭撻を賜れるよう切にお願いしたく思います。



デモは周囲の第三者に意志を伝達する行為ですが、自らの側にも意識の高揚が強く働く行為だということを見落としてはいけません。また、集団での行為には意としない力が発生する点も要注意です。
通常、集団の行為には目的があり、そこに向かって大きく作用することで目的を果たし、統率された高揚感を残しつつも日常へと復帰できるのだと思います。しかし、アキハバラ解放デモには明確な要求が無かったため集団の作用すべき対象を欠いて、その(デモ団としての)エネルギーは行き場を失い、批判者への対抗に吹き出し、さらにトラブルにまで持続したのだと想像します。
言い換えれば、「一般的な自由と権利を求めることを示すこと」=抽象的な要求で、デモするのは危険だと思うのです。高揚しやすいのは不満であり、それが漠然としてかつ判りやすい対象に向かわざるをえないからです。例えば反権力で噴きあがるなどです。生じてしまった衝動は簡単に消去できるものではありません。これは革命左翼的な手法、アナタが不幸にも手近な所から得てしまったデモのやり方なのではないでしょうか。
当然の事ながら革命左翼の目的は革命であり、個別の要求を掲げた活動はしますけれど、解決ではなく闘争することに重点を置き、その敵対エネルギーで革命運動の維持拡大をしています。
アナタが革命を標榜した運動をやりたいのなら、今のデモ自体が目的化した運動を継続してもよいでしょうが、生じる影響も考えれば極左を名乗ったほうが良心的だと思います。ただ、自分にはそのように見えませんので、要求の明確な活動に絞ったほうが賢明でしょう。
一番いいのは初心のように革命左翼はスタイルに限定し、その安全機構として革命左翼を徹底的にネタ化して中身はアンチになってしまうことです。実際、化石左翼は現状と認識に数十年のズレがありますから、笑い飛ばして成仏させることは多大な社会貢献(左翼の進歩)になると真面目に思います。また左翼的言説には定型的で感化されやすい思考が多いので、飲み込まれない気構えも大事かなと。時々拝見する限りでは。
今回の件で、「いわゆるデモ」にまつわる諸々に与えた「マイナスの影響」は大きいと思いますので、また高円寺の二番煎じのようなマネはしてほしくありません。俯瞰的な見方で新たな運動の在り方を模索してください。
その参加した女性の方たちと恋愛してれば良いんじゃないですか?
非モテどうのこうの恋愛何たら主義がどうのこうのと、自由に恋愛している人々にまでちょっかい出さないでくださいね^^
それと例を用いすぎて何が言いたいのか良くわからない文章になってますよ。
それだけの知識があればもっと文章を簡潔に分かりやすくするべきだと思います。
恋愛でも何でも「人に分かってもらう努力」をしましょうね。
以上。
それは理解力が無いだけでは。
>>恋愛でも何でも「人に分かってもらう努力」をしましょうね。
こういう結論を導き出す思考はわからんな〜
「伝えるべき情報を必要最低限の量で構成する」
これさえ出来れば世の中渡っていける。
女性との会話も、社会でのディベートやプレゼンでも修飾や例が多いと
伝えたい肝心な事柄がぼやけてしまいますよ。
ヲタが敬遠される理由は度を過ぎた薀蓄トーク。
ちょっとした漫画の話から一方的なヲタトークを30分聞かされたら
そりゃヲタ嫌いにもなりますよってw
例の「コミュ」でだって、こいつは「荒らしに過剰反応すんな」くらいしか言ってなくね?謀議ったって、例の「コミケ」の件だけでしょ。その時点でもう放逐されてんだから、それに係わりようがないじゃん。いったい何を説明しろってのさ。
ま、その「放逐の経緯」は説明してもよかったんじゃないかとは思うけどね。JSFと何をするつもりだったか、くらいは。
どっちにしろ放逐されちまった人間に「説明責任」とか言ったって意味ないがな。今の実行委員叩かにゃ。
で、そんな事強要して骨を拾ってやる覚悟はおまえら出来てるんだろうな?人生賭けてる奴に対しては人生賭けてコメントせにゃならんだろ。そうしなきゃ奴も動かんぞ。
暴露祭り
実行委残党狩り祭り
義理人情を反故にした裏切り者吊るし上げ祭りが開けるお
一粒で三度おいしい!!
+ +
∧_∧ +
(0゜・∀・) ワクワクテカテカ
(0゜∪ ∪ +
と__)__) +
話せと無理強いする人は、ペラペラしゃべる人間なのかな
私はほとんど役には立たず、ただ参加させてもらっただけで大した力には成れませんでした。
630のアキバデモでは、個人的にヲタク文化の批判をするなという主張が多く、非モテ・喪男問題はほとんど主張されていなかったような気がします。
今回は後からデモの批判が絶えないです・・・・・・
デモを批判しているのはモテの連中?アキバやヲタクが嫌いなDQN?
否、批判している勢力は同じヲタクだと思います。
ヲタクとして自分たちまでこうだと思われたくは無い。目立ちやがって。そんな思いからデモを批判しているのでしょう。あくまで私の見解なので何とも言えませんが。
革非同内では内ゲバは起きずともヲタク界の中で内ゲバが起きてしまったのではと思います。ヲタク界はちょっと大きさも規模も把握しにくいですから。ヲタクも一枚岩ではありませんし。
私は革命的非モテ同盟は恋愛資本主義、ヲタク排除主義を倒す可能性のある団体の1つだと思います。これからの頑張り次第ですが・・・・。
革命的非モテ同盟は何も悪いことはしておりません。道路の使用許可も警察の正当な許可を得てやりました。デモ中に事件は起こりませんでした。
あとはどうやって世間に認めてもらえるか。考える時期だと思います。
次のハロウィン(実行の可能性薄い)、アンチ・クリスマスに備えて
今まで表に出る事のなかったオタク等が抱えていた諸問題がいかに多かったか、それが500名という参加者にあらわれたのではないかと思います。
身を伏せ頭を低くしていても決して嵐は通り過ぎてはくれない。ならば、いろいろな何らかの形でその嵐に向かって行こう。ということではないでしょうか。
無論、細かい点については問題が無いわけでは無いのでしょうが、初めての試みにトラブルが皆無という事もそうはないことでしょう。
全てはこれから、ということでよいのではないでしょうか。
少なくとも、『これから』を感じさせてくれる声明文であったと感じます。