2012年7月26日朝日新聞朝刊 論壇時評「あすを探る〜正義を掲げ追い込んだ先に」森達也


 大津市の中2自殺問題についてのマスメディアの集中豪雨的な報道、それにともなうネットの加害者や関係機関などへのバッシングがすざまじい。ネットでは加害者の実名や写真、住所が晒されている。それを行政など人権擁護機関ですら止めようとしない。


 マスコミやネットの言論がいじめの加害者を追い込んでいく構造は、いじめの構造と実はそっくりである。「集団で」「悪口・誹謗中傷などで精神的ダメージを与え」「快楽的に楽しむ」これらはいじめに見られる特徴と見事に一致する。オイラがそのことに改めて気づいたのは、映画監督の森達也氏が朝日新聞に寄稿した「正義を掲げ追い込んだ先に」を読んだからだった。http://mcintosh2.blog.so-net.ne.jp/archive/20120727


 日本全体に広がる「孤立する誰かを追い詰める風潮」は、厳罰化の流れと強い関連があると森は指摘する。善悪を二分化して単純化して考えることで、自分たちは、たやすく正義の側に立ち、そうではない人々に対し攻撃的になれる。「日本ではオウム、世界では9.11をきっかけにして、自己防衛意識の高揚と厳罰化は大きな潮流となった」「この国の刑事司法は、本気で犯罪の少ない社会を作ろうとは考えていない。むしろ追い込んでいる。クラスの多数派が誰かを追い込むように。悪と規定した標的やその家族をネットとメディアが追い込むように」


 死者77人を出した昨年7月のノルウェーで起きた大量殺人テロ事件の被告アンネシュ・ブレイビク被告(33)は、公判で、日本と韓国について「単一文化が保たれている完全な社会」「より人々の調和が取れている」と称賛したと言う。いじめ問題について過剰に報道する報道機関や、ネットのバッシングが、いじめと同じ構造であること、そしてアンネシュ・ブレイビクの大量殺人と地つづきであることを、我々は強く実感する必要がある。


 基本的人権は、「すべての人間に」認められている。いじめの加害者なら人権を制限されても仕方がない」と思っている人たちは、すすんで自分たちの人権も失っている。「私は君の言うことには賛成しないが、君がそれを言う権利は死んでも守るつもりだ(S・G・タレンタイプ「ヴォルテールの友人」より)」という姿勢でありたい。