第27回高知県高等学校演劇祭 その11


 上演12 高知南高 川久保綾作「贅沢な骨」


 遅くなってすみませんでした。5月3日から5日まで、高知追手前高校の芸術ホールで開催された「第27回高知県高等学校演劇祭」の上演校への批評です。上演12/高知南高「贅沢な骨」について。


 明治時代を舞台にすえ、飛行機の設計図をめぐる陰謀と時空を超えた恋愛を描いたファンタジックなドラマ。上演時間や予算、部員数やキャスト・スタッフの力量に対してドラマのスケールが大きく、そのせいでいろいろなところに無理がある。いや、無理があることを承知のうえで、浪漫的な物語を作り手が楽しんでいるように思える。


 芝居は作家の部屋から始まる。書こうとしていた小説の内容を、作家が忘れてしまい、編集者と作家が困っていたところ、たまたまテレビで流れていた「昔の記憶を思い出すことのできる機械」を購入して装着、作家の脳内世界が再現される。それから話は大きく飛躍し、時は明治時代、ある男が書き上げた飛行機の設計図をめぐるドラマがはじまる。設計図をつけ狙う官僚、運命的な恋愛に陥る天使、友情と家族への思いの間で揺れる友人等、かなりシリアスでロマン主義的で大がかりな「ストーリー」が展開される。
 

 「ストーリーを紡ぐこと=ドラマを作ること」と考えるのは疑問が残る。とめどなくストーリーを優先し展開させていった結果、場面も増え転換も多くなった。他の学校と同じように、一部暗転に手間取り、流れが切れた。


 細かいリアリティに頓着しないまま話が進んでいくのも気になる。男性役を女性が演じていることも気になるし、作家の机や記憶を想起する機械がチープであるなど大道具が簡便すぎるのも気になった。展開も少々御都合主義的で、高級官僚は飛行機の設計図を奪い取らなくても、優秀な人物であれば高給でリクルートすれば、飛行機の製造もうまく行くだろう。また、作家は「内容を忘れてしまうほどしか自分の書くドラマに対して思い入れのない」人物なので、ラストで自分の小説の主人公に「永遠の愛」を与えるという「粋なはからい」を用意しても、どうせいきあたりばったりで薄っぺらな感興を適当につけたのではないかと思えてしまう。


 歴史物にチャレンジする意欲は買う。ただストーリーは抑制するべきである。映画的・小説的に発想せず、転換はできるだけ少なく。役者の存在感が立ち上がるように。ストーリーに奉仕する記号的な登場人物にならないように心がけるべきだろう。