人権新聞を発行する


 勤務校で人権新聞を発行する。直接の引用文はないが、例によって、内田樹先生の「呪いの時代」に触発されて書かれたものである。


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 「死ね」と平気で口にする人へ


 「死ね」「殺すぞ」と平気で口にするひとがいます。軽い気持ちで使っているのでしょうか。口癖になっているのでしょうか。使いすぎて感覚が麻痺しているのでしょうか。それとも冗談の一種と思っているのでしょうか。


 「死ね」という言葉は、ストレートでインパクトのある罵倒語です。まさに人を傷つけるための、むきだしの言葉です。


 今の日本は平和なので、「死」に対する実感が薄いから、「死ね」と言うことに抵抗感がないのかも知れません。ゲームの中の、何か軽い記号のようなものとしてとらえ、ストレス発散のワードとして使っているのかも知れません。


 「死」はゲームの中の記号ではありません。逃げようのない、理不尽な現実そのものであり、とほうもない悲しみと喪失感を伴うものです。家族や身内の死に直面すればわかります。死の実感を知った人は、死を軽く扱うような言葉遣いはしないものです。


 言葉は人を殺す


 「死ね」と書かれたことが原因で、耐えきれず自殺する人がたくさんいます。つい先日も、自身のブログが炎上し、「死ね」と書きこまれた岩手県の県会議員の人が、本当に自殺してしまった、というニュースが流れました。


 言葉には力があります。言葉は人を殺すのです。喋ったことは現実になる(かも知れません)。あなたが「死ね」と言ったことが原因で、誰かが自殺するかもしれないのです。


 言葉は、必ず誰かに影響を与えます。私たちは、自分の発する言葉に責任を持つべきです。「死ね」と言われて平気な人などいません。みんな生身の人間です。ひどいことを言われれば傷つくのです。


 今求められているふるまい方とは   


 ゲームやアニメ、マンガやお笑い番組など、世の中には暴力的な物言いがあふれています。テレビの討論番組では、相手の言うことを聞かず、短いフレーズを悪しざまに使い、いかに人の足をひっぱるかを政治家が率先して競っています。


 しかし現実世界と仮想世界は別物です。気に入らないからと言って即座に「死ね」と斬り捨てるふるまい方は、現実世界の標準的なふるまい方ではありません。まったく逆です。


 周りの人は敵ではありません。それぞれが影響しあい、高め合う関係になければなりません。互いの立場を気遣いながら、歩み寄れるところをさぐりつつ、あなたの知っている言葉を最大限かつ効果的に使い、言葉を豊かにして、相手が分かるように自分の考えを誠実に話す、そんな話し方こそが必要とされているのです。


 人はみんな違うのです。意見や価値観、考え方はいろいろです。だからこそ、他者との関係をきちんと取り結んでいかなければなりません。それは、一見地味で、忍耐の必要な作業だけれども、そうした作業や連帯こそが、この世界の基礎を支えているのだと思います。


呪いの時代

呪いの時代