070.ハッタリをかましていこう!の続き

今回の「ハッタリ」とは、自分の持っている力や商品について、見た目もしくは耳障りなど、発信する情報に関して「盛っていく」行為だと考えて下さい。それは言うなれば「脚色」の能力になると思います。


イムリーな話題だと、本年の6月29日に行われた反原発デモ。このデモの参加者の人数に関しては、主催者側の発表は15万人、警察の発表は2万人弱と、非常に大きな差があります。非常に大きな差なんて言葉では片付けられないくらいに大きな差です。

これ、確実に【誰か】が「ハッタリをかましている」に違いありません。

これが大事な点の一つ。そしてもう一つ大事な点は「真実はよくわからない」ということ。この例でハッタリをかましているのは主催者側なのか、警察側なのか、今となってはよくわかりません。そもそも、正確な数など数えられるわけでもないでしょうし。「それについてよくわからない時点で、確かめようがない」という点が、ハッタリが活きてくる一つのフックとなっています。


さらにここで注目すべきなのは、「誰かがかましたハッタリで、大衆はどう感じたのか」と言う点です。もっと言うならば、大事なのは「情報の正確さではなく情報のインパクト」にフォーカスされているところではないでしょうか。
言ってしまえば、昨今の情報発信において気にされる点が“そこ”になっているわけです。


それを踏まえると、最近の本のタイトルに関して、その点が非常に重要な位置を占めていると思います。

最近やたら目にする本のタイトルの傾向として、“簡潔でなくてもいい”“なんか気になってしまう”という点が挙げられるのではないでしょうか。

「○○を〜〜するための××(数字)の方法」とか
「○○の==な〜〜」とか。
具体的なタイトルは挙げませんが、くどいと言いたくなるようなタイトルばかりです(と僕は感じています)。

昔、現代文の授業で
「タイトルとは作品を最も簡潔な言葉で表した文章である」と教わりましたが、「最も簡潔」というのは、もはや別の話になっていると思います。


タイトルとはつまり、コンテンツの先頭に存在するものです。
その、情報発信の最初の部分でハッタリをかまし、相手の興味を引くことがまずは大事。そんな世の中です。

僕もハッタリをかましていこう。
もちろん、嘘ついているわけではないですよ!



<文・和田宜之>

069.ハッタリをかましていこう!

さて、最近特に思っている「ハッタリ」の重要性について今回は述べていこうかと思っています。

ハッタリとはまあ、つまるところ嘘みたいなものです。虚勢と言っても差し支えないかもしれない。実力以上に大きく見せていく・思わせる言動をとるってことですね。

僕はハッタリが苦手です。出来ること以上のことを言っていくことは、結果として自分の首を絞めてしまうのではないか、なんて思ってしまう人間です。正直者…ではなく小心者、なんじゃないかと自分では思っています。

ただ、昨今の状況を鑑みるに、ハッタリをかますセンスやテクニックは非常に大事であると思い始めてきました。

こう書くと「嘘をつけ!」といったようなことを励行しているみたいですが、そうではありません。あくまで「ハッタリ」です。嘘とは違います。


なんでこんなことを思い出したのかと言えば、それは昨今の【情報の氾濫ぶり】が大きいです。

数年前に聞いた話ですが(正確なソースはもはや覚えていませんが)、「今は売れる物がとことん売れる時代である」という状況だそうです。内容の良さに関わらず人気のものが大人気になり、あまり人気のないものは全然見向きもされない。コンテンツの注目度に大きな格差が存在しているのです。
それは何故か?


情報とコンテンツが、一個人が趣味で追いきることができないほどに氾濫しているからです。「気になるものが沢山ありすぎて、目立ったものしか見ない」なんて言葉で言い換えられるのではないでしょうか。


こんな状況では、「目立った者勝ち」になってしまうわけです。


では、どのように目立つか?答えはもちろん「宣伝」です。上手い宣伝の方法により、コンテンツの注目度、引いては売り上げが決まっていくわけです。


というわけで、それを踏まえて、僕はハッタリをかますことが一つの答えだと思い始めているわけです。


大事なのは「ハッタリ」であるということ。それはつまり【「嘘」ではない】ということです。この一見するとよくわからない差異が、とても大事だと思っているのです。




続く。



<文・和田宜之>

068.正論なんて言うなよ!

タイトルに!マークを使ってしまった。まあ、そんなことはどうでもいいっちゃあどうでもいいんですが。


今回は<正論>について述べてみようかと思います。


正論。正論とは正しいおはなし。この辺はまあ考察し直すことはないんじゃないかと思います。



で、今回の結論は言ってしまえば、「正論なんて言うなよ!」と。もっと正確に言えば、「この状況で正論なんか言ったところで、現実が良い方向に進展するわけでも無いんだから、正論なんて言うなよ!」って言いたいのです。


現実は理想通りの方向に進むとは限りません。行きたい方向、目指すべき方向があったとしても、その道程で紆余曲折があり、結果として目指すべきなにかとはまるで違う場所へ行き着くこともままあります。

そこで、「どうしてこうなったんだ!あそこでああしておけばうんぬんかんぬん」といった指摘=正論をぶつけてくる人がいます。

まあ、当たり前のことですよね。もちろん、失敗をとがめるのはそれを繰り返さないためにも必要なことです。

ただ、必要以上におかしてしまった失敗に対して正論を投げ続けることに関しては、何のメリットも無いと思うのです。というか逆効果ですらあります。

これはそのうち書こうと思っているテーマ「非難と批判の違い」に繋がっていくのですが、問題点を指摘する行為があり、その先をどう広げていくかで、論説の展開に関しての建設性がはっきりと分かれてくるんじゃないかと考えるわけです。
つまり、問題点を指摘するだけの行為に、未来はないと思うのです。


で、ざっくり言うならば、「正論なんて言うなよ!」というタイトルそのままの文面にたどり着くのです。


正論ってやつは、基本的には言ってしまったら終わりなところがあるんじゃないかと思っています。
「出来ないならやめた方がいいよ」とか「金の無駄だから」なんて正論、聞きたくもないんですよ僕は。もちろん言いたくもない。正論だけで埋まっている空間なんて面白味がないって思うんです。
そう思う僕だから、僕は演劇に関わっているのかもしれません。僕は演劇は正論よりもエゴの方が大事だと思っているので。
まあ、これは<偏見>なんでしょうけどもw



<文・和田宜之>

067.2012年上半期よりもむしろこの企画について考え直す

締まりが悪かったので、さらに連投です。

まあ、さらにもう1記事ぶち上げてまで書くこともないことではありますが。

さて、今後の800文字ワンダーランドβは?どうしていこう?

まあ、放置というか凍結している間は、若干の後ろめたさやら心苦しさやらを感じていました。

だから、いまここでやめるなんて選択肢はありません。

で、前の記事でも書いた、「文章の数を追っていくと、それぞれのクオリティが下がっていく」という問題に関しては、現在の僕の文章力ではなんとも出来ない部分であります。

それよりも、原点の原点に立ち返る所が大事なのではないかと思ったわけです。つまりは、「文章を書くのがおもしろい」という点を追求してみる、というところです。

結局、自主的な創作活動はモチベーション、つまりはやる気が全てなワケです。モチベーションを維持できないことなんて趣味でやるべきじゃあない、いや、趣味などではないと言って良いのではないかと。そう思い直しました。

なので、「数を取るか、クオリティを取るか」と言う自問に対し、僕は「楽しさ、自己満足を取る」という自答を返すことにしたわけです。僕得意の、問いに対して質問されていない答えを返すやつです。


まあ、自問自答が自己完結しただけの話なんですけどね。


結局、「まず書く」ことに対する姿勢が大事で、数やクオリティといった結果は後からついてくるんじゃねぇか、とか思うのです。初心に立ち返るって、そういうことなんじゃないか、とも。

物事になれてくると、結果を追い求めることが出来るようになってしまう。結果を追い求めていくと、結果だけが気になってしまい、いつの間にか初心を忘れて迷子になる。

初心を忘れるっていうことは、そんな目線や目標が意識せずすり替わってしまう現象なんじゃないか、なんてことを思ったりしました。


まあ、気楽に行きますよ。楽しくね。
好きでやってることなら、楽しくなくちゃ意味がないもの。どこまでいってもそういうことでしょう。



<文・和田宜之>

066.2012年上半期を振り返る

さて、連投です。


2012年上半期を振り返りたいわけですが、これを書いている6月30日現在では、やはり5,6月の記憶が鮮明なわけで、1〜4月の記憶に関してはたいそう印象に残るようなことしか覚えていません。

中期記憶力が弱いのかもしれない。


まあそれはさておき、劇団としては芝居が1本。仕事としては定期的なラジオの仕事に一区切りがつき、代わりに映像の方に手を出し始めた上半期でした。


でもまあ、ここではそういったことよりも、この800文字企画に関してのことについて述べたいと思います。

まず、この「800文字のエッセイを年間で300本上げる」という、かなり達成が難しそうな企画を自主的に見切り発車でやってみる、というのがそもそもの始まりです。

さらに言うなれば,クオリティに関係なく文章を数多く書いていくこと、また、ネタ切れになった時にどういったことになるのかを体験してみる、という実験でした。

なので、ぶっちゃけてしまえばこの800文字ワンダーランドというブログはある意味で間借りなわけです。劇団とも仕事とも関係ありません。単純に個人的な趣味、もしくは修行の場として使いやすそうな場で無理矢理やっているだけなのです。



といったような前置きがありまして、実際に始めて見て思ったことは、自主的な活動として、文章のクオリティ<数というスタイルは、自分には全く合っていなかったということです。まあ、よくよく考えてみれば当然ですよね。面白い文章がかきたくてやっていることですから。

数だけを追い求めるというのも悪くない経験だと踏んだわけですが、やってみれば結果として、散漫な文章を上げ続けるというなんともしまりのない結果に落ち着きそう、もしくは落ち着いていると感じたのです。

これはいかん。というかつまらん。ので、1ヶ月この企画から手を離したわけです。まあ、6月は仕事が立て込んで手を回せなかったのも事実ですが。

無駄に続く。


<文・和田宜之>

065.2012年5月をスルーして6月を振り返る

みなさま、お疲れ様です。フルタ丸制作の和田です。

いやー、一ヶ月強ぶりですね。

こういうの、全く悪びれずに書くのは楽しいもんですねぇ。


さて、年間300本を目指して作成するとぶち上げたこの企画ですが、半年終わった時点で65本しかできていないという詰みっぷり。もしくは積みっぷり。

我ながらすがすがしい気持ちですらあります。




えー……真面目な話、この企画に関していろいろ思うところあって、敢えて凍結していました。この文章を楽しみにしていたという奇特な方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この辺に関しては次の記事で書くとして、記事のタイトル通り5月をスルーして6月を振り返ります。

個人的には、主に仕事面に関して、今までになかった機会を多く得ました。そして、それにまつわる多くの失敗を経験し、さらにそれによって沢山の経験と精神的な成長をした


…ような気がしています。実際どうなのかはなんともわかりません。それはこれからの物事に対し、それを活かせるかどうかで結果が出てくるはず。頑張りたいです。


しかし半年ほど前からうすうすは感じていましたが、今月になって痛感したのは、僕の自己管理の至らなさです。

特に6月は頭が回らない日が多くあったのですが、今思い返せば睡眠の取り方、つまりは夜更かしと深酒が大きく響いていたような気がします。

良い仕事は規則正しい生活から!なんて言葉があるかどうかは知りませんがw
数年ぶりに朝型の生活リズムを取り戻すことが大事なんじゃないかと思っています。

あとは、毎年思うのですが、6月の日の長さはやっぱり異常!といいたくなります。

日が長いのはまあいいのですが、夜明けが早いのは、夜型人間にとっては余り嬉しくないところです。なんというか、太陽に「はよ寝ろ!」と言われているような感じで…w

さて、個人的な6月を振り返ったところで、次は今年の上半期をぬるっと振り返ってみます。それでは次の記事に行きましょう。すぐ書きます。


<文・和田宜之>

064.第18回公演期間を振り返る

劇団フルタ丸 第18回公演「オマエの時間くれよ」が終了しました。大体1週間前に。

というわけで、それについて振り返りたいと思います。


今回は様々な幸運と各関係者の努力に恵まれて毎ステージほぼ満員御礼状態という、劇団としてはとても幸せな公演だったと言っていいと思います。


ただ、動員が伸びることはとても嬉しい反面、それ相応の準備が必要であると痛感したことも確かです。


今回は制作として、お客さまに大きな負担をかけてしまったという部分が否めませんでした。


まず、超満員ともいえる客席の状態。僕のポリシーの一つとして、「劇の善し悪しはお客さまが集中できるかどうかで決まる」というのがあるのですが、今回は場所によっては長時間の観劇に耐えられない席も作らざるを得ませんでした。それは言い訳のしようもありません。

また、前売りが全て売れてしまい、観たいお客さまの予約を断らざるを得なかったことも心苦しかったです。しょうがないと言えばそれまでではありますが、そこも策を講じて何とかするのが制作の仕事、みたいな部分もあるわけですし。


そして、公演スケジュール、とくに上演する時間がキツキツで、役者とお客さまの面会の時間もあまり取れなかったことも良くなかった点だと思っています。ある意味、そこを一番の楽しみに来て下さる方もいるでしょうし。


こういった点でお客さまが不満を感じているようだったら、そこは制作の実力と準備が不足していたということになるでしょう。まったくもって情けない。。。反省し、次回は改善できるよう精進したいところです。


ただ、良かった点ももちろんあります。単純に、沢山のお客さまにウチの演劇を見てもらえたこと。それが一番大きいです。やっぱり、演劇は見てもらってナンボのもの。良い評価も悪い評価も、舞台を見てもらわないことには生まれてこないものですから。それにより、沢山の刺激を受けることができるわけですから。


次回公演は8月31日から。意外と早いです。今から恐々としています。そこでは、より良いモノが提供できるよう精進していく所存です。ですのでみなさま、どうか劇団フルタ丸をよろしくお願いいたします。


<文・和田宜之>