●河川敷の砂利道を歩く。風が強く、冷たい。砂利を踏みしめる感触。ジャッ、ジャッという音。後ろから、シャリシャリシャリという音が少しずつ近付いてきて、自転車に追い抜かれる。音によって、自転車に追い抜かれることは既に予期しており、軽く待機の姿勢をとっているはずだが、その瞬間、シュワッという空気を切るような音とチェーンがカラカラ回る金属音が唐突に耳にねじ込まれ、それは予想以上に強く速く乱暴な感じで、きわめて微かにではあるが、ビクッと身をひくような姿勢になる。それは実際には、首を軽く傾け、顔をしかめる程度のことだが。シャリシャリシャリという音がゆっくりと前方に遠ざかってゆく。自転車とぼくの距離がひろがる。その中間あたりを、カラスがすうっと通り抜けてゆく。太陽がちょうど水面に反射する角度に傾いていて、川が、暗くなりかけた空よりも明るく輝いている。砂利道がふいに途切れて、アスファルトで舗装された道になる。地面を踏む時の足裏のタッチと、姿勢とが微調整され、少し変化する。意識的に変化させるのでもなく、変化に気づかないのでもない。無意識のうちに変化したこと、そのモードが変わった瞬間を、あっ、変わった、と、人ごとのように感知する。
ぼくにとって、具体的に目に見えるものではなく、このような感覚の揺れや変化が、絵のモチーフとなる。
●朝、目が覚めてテレビをつけたら「ちい散歩」をやっていた。この番組のゆるさはすばらしい。演者がカメラ(カメラマン)に話しかけるなどということは、今ではあたりまえのことだが、今日、この番組では、川に掛かる新幹線の橋の手前で、地井武男と番組ディレクターとが、次に来る新幹線が、上り方向か下り方向かで賭けをして、負けた方がスタッフ全員にジュースをおごる、という、とんでもなくどうでもいいことをやっていた。地井武男が新幹線を見ていきなり、賭けをしようと(カメラの後ろの)スタッフにもちかけたのだった。即興とはいえあまりのフリースタイル。しかも賭けるものが「スタッフ全員にジュース」って、ほんとにどうでもいい。視聴者にはまったく関係がないところがすばらしい。スタッフでさえ大して喜んでないし。大の大人が新幹線がどっちから来るかとかいってて、番組の内容が、土地の名物とか風景とかの紹介ですらなくなっている。でも、それこそが散歩というもので、こういう時間こそが生きていて最も重要なんじゃないかとさえ、見ていて思ってしまった。こういう番組が成り立つ余地があるということは、テレビもそれほどすてたもんじゃないのかもしれないと思った。(ただ、テレビショッピングとかが、しっかりくっついてるんだけど。)