●年末に風邪をひいて中断してから遠ざかってしまっていた『魂と体、脳』(西川アサキ)の続きを読む。五章と六章。本文にも書かれているけど、この本は面白そうなところから拾い読みをするという風には読めなくて、頭から順番に論旨を追ってゆくような本で、それがそろそろ終盤に差し掛かりかけていて、その積み上げがとんでもなくすごいことになってきている。読んでいて、興奮するというよりむしろ恐怖を感じる。この恐怖は、神(あるいは悪魔)の姿がちらっと垣間見えてしまったのではないかという種類の恐怖だ。ライプニッツベルグソンなど、天才的な哲学者だからこそ見る(触れる)ことが可能であったであろうヴィジョンが、コンピューターによるシミュレーションによってかなり具体的な生々しさで我々にも分かるように描き出されてしまう恐怖(問題がいったんプログラムへと抽象化、形式化され、だがそれが作動をはじめることで、みもふたもなく具象化されてしまう様は、悪魔の仕業ではないかとさえ感じられる)。ぼくなんかが、こんなところまで見てしまってよいのだろうかいう恐怖。
●この本は専門書ではなく「選書」で、特に専門知識があったりや知的な訓練を受けていたりする人でなくても、丁寧に記述を追っていけば分かるように書かれているのだが、こんなに怖いことが、こんなに普通に理解できるような形で書かれてしまってよいのだろうかと思う。でもこの本は、こういう形で書かれ、こういう形で出版されているというところまで含めて、つまりこのスタイルまで含めて、すごいのだと思う。
●まだ最後まで読んではいないからこの本によってどのくらい恐ろしいところにまで連れてゆかれるのか分からないけど(つづきを読むのが普通に怖い)、おそらくこの本はぼくにとって、何かを感じたり考えたり行ったりする時の指標というか、原器となるようなものを書き換えてしまう本になるんじゃないかという予感がある。でもそれはこの本だけのことではない。この一年ちょっとくらいは、(地震があったというだけでなく)個人的にはいろいろと上手くいかないことが多かったのだけど、ただ、本を読むという点に関しては、自分の頭のなかの配置が塗り替えられるような本やテキストとの重要な出会いがいくつもあった(清水高志佐藤雄一、ラトゥール、ジェフ・ホーキンス、そして西川アサキ…)。それは、今まで知っていたものとはことなる「知」の形というのがあるということを教えてくれるものだ。