●近所の非ツタヤ系のレンタル店は、IVCと業務提携でもしたのか、最近IVC系のシネフィル傾向のラインナップが目立っている。『神々のたそがれ』とか『たのしい知識』とか『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』とか『ビリディアナ』とか『エル・スール』とか『鏡』とか『若者のすべて』とかが、何気なく「新作」の棚に挿してある。ここで「新作」とは、最近DVDが(再)発売されたとか、新入荷という意味だろう。『神々のたそがれ』は「新作」かもしれないけど。
で、「新作だけど七泊OK」になっていたブニュエルの『皆殺しの天使』を借りてみた。この、身も蓋もないリアルさは何なのか。シュールでも何でもない。我々の存在するこの世界ってこうだよね、世界のなかの人間ってこうだよね、という様が、これ以上ないというくらいシンプルで直截に示されている。同意した覚えもないのに気づいたら「この世界ゲーム」に参加させられていて、そこから逃げる術もなく、罰ゲームのような世界に閉じ込められて、なんとか生き延びようと必死になりつつ、でも互いに意味もないいがみ合いばかりをつづける。そのなかにいる以上、高みから批判したり回避したりできる者はいない。あらゆる登場人物の、不信と苛立ちと苦痛と恐怖とが我ことのようだ。救いもなければ悪意もなく、皮肉も寓意もない。ただ、ああ、この通りだよね、という姿がきりきりした切迫として映し出されてゆく。どうすればよいかまったくわからないし、いったい何時まで持ちこたえればよいのかさえ分からない。観ていてただ辛い。恐怖と苦痛ばかりがある。でも、きっとこれがリアルだ。傑作だと思った。
これはメキシコ時代の最後の時期の作品だ。この後のフランス時代のブニュエルは、もっと遊戯的になって、身も蓋もないリアルさは影をひそめるように思う。たとえば、ジャン=クロード・カリエールと組んでつくった映画には、このようなシンプルで強いリアルはない。弛緩していると言ってもいいと思う。まさに「シュールな」作風になる。でも、ぼくは弛緩しても遊戯的な方が好きだ。ただ真実を示せばいいというものではない。このような耐え難い世界で生きるためにこそ、毒を抜いた、空虚な遊戯が必要だと思う。優れた遊戯の技法によってこそ、現実的にも、最悪の醜い事態が回避されるのだと思う。
●メモ。種類によってそれぞれ違う、鳥の群れの飛行軌跡が見られる動画。
http://www.mymodernmet.com/profiles/blogs/dennis-hlynsky-time-lapse-bird-path-videos