●昨日からのつづき。『心はすべて数学である』(津田一郎)には、多数の他者たちの「心(集合的な心)」との相互作用によって「脳」の機能分化が形成されていき、それによって「わたしの心」が成立するというようなことが書かれている。つまり、脳が心をつくるというより、(既に存在している)多くの心たちによって脳がつくられる、という感じだと言える(この考えの方向は実は精神分析にも近いと思う)。
●たとえば、バイオフィードバック(生体自己制御)という考え方がある。これは、脳の活動によって心が生まれるというのとは逆向きの働きで、心によって脳をコントロールするというものだと言える。
《血圧を意識的に下げたいと考えたとき、「血圧よ下がれ! 」と思っただけでは血圧は下がりません。血圧が高くて困っている人は現在の血圧を計った上で、血圧を下げる薬を処方してもらったり、食事に気をつけたり運動を心がけたりするするでしょう。ところが、血圧計で計って現在の血圧の状態が絶えずモニターできるようにしておくと、血圧を上げたり下げたりできるようになるのです。意識で血圧をコントロールできる。これをバイオフィードバックといいます。》
《これをオカルトだ! という人もいますが、それほど不思議なことではありません。脳のイメージには神経細胞が働いているわけですから、そうやって末梢神経を意志によってコントロールすることは可能です。》
《ヒトを使った類似の実験は川人光男らによってニューラルフィードバックとして研究されています。たとえば、神経細胞が30ヘルツで活動することを目標に置いてみる。すると、思ったことで実際にそのように脳を働かすことができるようになります。つまり、因果関係は心からから神経細胞(脳)にベクトルが向いているわけです。脳の神経細胞の活動をコントロールすることが目標ですが、それを心のありようで実現できるということは、思うことで、心を動かすことで脳が変わる、ということです。》
《ただし、その過程は「手を伸ばそう」と思って動いているのではない。「カップを取りたい」に対応するニューロンがあって、それが活動するように働かせていくと、自分の腕が伸びる。それを随意だと思ったことで脳が働き、脳がそう働くことによって自分の手足が目的通りに動く。》
《(…)これらの方法を使うことで、ニューロンのコーディング(符号化=情報を記号で表すこと)が分からなくとも、ニューラルフィードバックによってデコーディング(復号化=記号を除法に復元すること)、つまり‘解釈’が強化されていけば、心の働きと脳活動の一対一対応が一見とれたかに見えるわけです。本当に一対一かどうかはこれからの研究にまたなければなりませんが、この方法は脳活動を心に写像する従来の脳生理学の方法とは異なり、心の状態を脳活動に写像する方法でもあるのです。》
●ここで、脳と心との一対一対応が重要な問題になっているのは、「ゲーデル不完全性定理」からきている。ゲーデル不完全性定理では、数学の範疇にはないメタ数学的な言明を証明するために、数学とメタ数学の要素とを一対一対応させる(写像する)ことによってメタ数学を数学に落とし込み、数学的な証明によってメタ数学の証明を行ったのだ、と書かれている。
《数学とは数の学問です。あるいは空間の構造、それを数学的対象といい、それに対する定理の集合を数学といいます。「1+1=2」は数学的な命題ですが、「1+1=2であることは真である」というような命題は数学ではなくて、数学の範囲を越えたメタマセマティクス(超数学)です。ところが、こういった命題を証明するには、超数学的な言明をいったん数学の次元に落としこまなければなりません。「1+1=2は真である」、「だけど証明できない」ことを言うためには、その超数学的言明をいったん数学的命題にしなければならないのです。》
ゲーデルが考えたのは超数学的言明を数に写像していく、というやり方でした。ここで写像とは、二つの集合があったときに、その集合の各要素を一対一に対応させていくことです。もっとわかりやすく言えば、一つの言語からもう一つの言語へ翻訳すると言い換えてもいいかもしれません。そのとき、写像される数字のことを、ゲーデルナンバーといいます。そしてこの“ゲーデルナンバー”に関して今度は命題をつくる。するとそこでは数学のレベルで証明ができる。こうして、数学よりひとつ上の超数学的な言明が正しいかどうかを、数学にいったん落とした上で証明してみる。つまり、本来は証明できない上の次元にある言明を証明するテクニックとして、いったん下の次元に写像するのです。(…)つまり、このように一対一の写像をするのがポイントなんですね。》
《これは、まるで「心と脳の関係」のような話です。他者の心を一対一に対応させていって脳の問題にしてしまえば、脳の研究は脳科学でできますから、それによって心の研究ができる可能性がある。すると、心のことを知るためにはこの写像をうまくやらないといけないことになる。(…)「言うは易し、行うは難し」ですね。しかし筋道は見えています。》
●うーん、とてつもなく大変な話だ。そんな一対一対応は本当に可能なのだろうかとも思ってしまうのだが…。
●これとはまた別の方向で、脳神経の「数理モデル」を作ってみることで、多くの「心」たちのなかで「脳」の諸機能が分化してゆく様を理解しようとするアプローチも書かれる。
まず、過去の重要な出来事として、フォン・ノイマンが、生命は自己複製するものだと考え、細胞の自己増殖の原理を数理モデルにした、と。
《彼(フォン・ノイマン)の自己複製モデルは、一つひとつの細胞(セル)を同じ大きさの格子に見立てた、無限のセルからなる二次元セル・オートマトンです。各セルは各時刻において何らかの状態をとっている。そしてこのセル全体は、ある法則をもっている。それは各時刻毎にどのような状態に遷移するかを示した規則です。状態遷移のルールとして、例えば「隣接するセルに青が2つあれば、そのセルは次に白になる」というものです。29の状態を持つ個々のセルは最近接4近傍(隣接する4つのセル)と相互作用して自己複製していきますが、各セル自身はすべて同じ規則に盲目的に従っている。ルールは単純なのに複雑な全体がどのように生まれるかを現したこのモデルを、しかし拡散方程式という一つの形にまとめあげることはできませんでした。》
《もしこの偉業が達成されていたならば、自己複製のダイナミズムをもつ数式ができた。つまり、時間と空間を一緒に持っているようなダイナミズムがわかったはずで、それは脳の機能を示す可能性を秘めた、画期的なものになるはずでした。規則だけで書かれると、そこにはカオスが生まれる余地がありません。でも自己複製のモデルができれば、神経幹細胞から神経がどのように発生してきたかなどといった分化の過程も、ダイナミクスとして捉えることができるはずです。生命の持っている基本的な仕組みが自己複製なので、そこで式が書けるかどうかは意外と大切なことなのです。単に式が書けるだけでなく、状態の時間発展、時間とともにどのように状態が変化するのかを記述できるような発展方程式が導出されてほしかった。しかし、これはノイマンもできなかったくらい難しい研究です。》
《(…)ミクロな原子分子の相互作用からマクロな秩序が生まれてくるような現象を、物理学や化学では“自己組織化”と呼ぶのですが、その理論はサイバネティックスで始まり、その後イリヤ・プリコジンやヘルマン・ハーケンという人たちを筆頭に、多くの物理学者、化学者、数学者が提唱したものでした。》
《(…)我々は最近、逆の発想をしようとしています。つまり、要素が相互作用してシステムができるのではなく、システムが働くことで要素が生まれてくると考える。システムの構成要素となるべき要素はあらかじめ定義することができず、システムの中でのみ定義することができる、というのが発想のベースなのです。》
《つまり、システムに、あるマクロな拘束条件があって、この拘束条件を満たす形(何らかの量を最大にしたり最小にしたりすること)でシステムが組織されていったときに、そこに部品(あるいは成分)ができてくる、と考えて機能分化のモデルを作り、真の機構を明らかにしようとしているのです。部品とはシステムの中に入ったときに働くけれども、外に取り出したら何の意味もないもの。システムの中でこそ意味があるものです。そして、このように考えると、先ほどのニューロンの式も、脳のニューラルネットワークというシステムの中においてまったく異なる式で表現されなければならないかもしれないのです。》
《(…)機能分化の問題、つまりマクロに何か拘束条件が与えられたときに機能単位として部分が徐々にできていく、そのダイナミズムをも描ける理論を作らなければならないのです。》
《この問題意識は、コミュニケーションをしている時のそれぞれの人の脳活動の変化が、単独で働いているときの活動とは異なる特徴的なものである、という研究から生まれたものです。脳は、他者とのコミュニケーションによってダイナミックに構造が変化していく。何人かの研究者たちが、2つの脳の相互作用の研究を行うなかで、コミュニケーションにおける脳活動の変化のダイナミクスを数学的に表現しようとしてきました。》
《そこで、まだ理論はできていないのですが、一つの可能性の提示として、研究室の人たちと一緒に数学モデルをつくりました。(…)システムに外の情報を入れて、その情報をシステム内に最大に伝えるためには、どんな部品ができるかを見てみると、ニューロンと同じような性質を持った部品が選ばれてくることを数式で示しました。この結果は、実際の神経系においてなぜニューロンができたのかという、生物進化の根本問題の解決に示唆を与えています。ニューロンは、外の情報を最大限効率よく伝えるために必要な要素として生まれてきたのではないか、という示唆です。》
《もう一つは脳の機能モジュールの分化に関する数理モデルです。お互いに受け渡す情報量を最大にする最大化原理によってシステムを発展させます。できるだけ情報量が高い力学系を選び、低い力学系は捨てていくというプロセスを繰り返し行っていくと、システムが機能分化していくというシミュレーション結果が得られた。これらを数学的に定式化したいんですね。》
《これができると、問題を逆転させることができる。つまり、システムに環境の変数、外の情報を入れていくということです。外の変数を使ってシステムの働きを最大化させるような形でシステムの発展を決めていく。すると成分(部分)が生まれてくる、機能分化が起きてくる。(…)「他者によって自己ができてくるようなメカニズム」が、これによって可能になるのではないか。私の脳は他者の心を通じてできているという仮説が、数学的に裏付けられるようになるのではないか、と考えているのです。》
●この本では、常識とは逆に、思考や推論は個人の脳で行われる、個別的・具体的な普遍性のないもので、感性の方が抽象性が高く、普遍的でありえると書かれている。そして、個別的な推論を感性へと抽象化(普遍化)していくものこそがロジックであると書かれている。
《人は常に何かを考えています。考えるという行為は脳の中で起こっており、心の一つの表れです。しかし、そこにはさほど普遍性はありません。心は各個人の脳を通って現れるとき、その脳の個性によって変形されて現れてきますから、かなりの部分が個別具体的なのです。つまり先ほども触れたように、思考・推論は誰もが抽象的なものだというのだが、実はきわめて個別具体的なものだ、ということなのです。むしろ抽象性が高いのは、具体的だと思われている感性の方なのですね。感性とは国や人種や言葉が違っても通じ合う、開かれた共有可能なものである。》
《では具体的なものを感性に沿っていかに抽象化していくか、それがロジックです。ロジックは人の推論、心の動きを外在化させたものです。》