Hatena::ブログ(Diary)

不識庵の面影

2017-01-21

人生の修活ノート(一条真也著)

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり

道元禅師の余りに有名な歌ですが、声に出して詠んでみると格別の味わいのある一首です。

春は花・・・

まだ、桜の季節には早いのですが、書籍のカバーで「花見気分」を愉しみました。


f:id:fushikian15301578:20170121204618j:image
   美しい桜花を愛でる





今年の桜の花が去年の花ではないことは当たり前のことですが、「人生とは何ぞや」を考える時、メタファーとして「桜花」ほど、日本人の感性にしっくりくるものはないのでは?

その「桜花」をデザインした「一条本」の最新刊『人生の修活ノート』(現代書林)。


f:id:fushikian15301578:20170121203242j:image
   『人生の修活ノート』


著者の一条真也氏は、2009年7月に「自分史のススメ」と「エンディングノート」の要素を兼ね合わせた『思い出ノート』(現代書林)を上梓されています。

いまでこそ、終活ブームの影響で「エンディングノート」という言葉も巷間に流布して久しいですが、『思い出ノート』は魁的な存在であったように思います。

今回の『人生の修活ノート』は、いわばアップデート版ともいえる一冊。


f:id:fushikian15301578:20170121204320j:image
   美しいのは装幀だけではない!


本書の特質は「エンディングノート」という実用的な機能もさることながら、「いかに死生観を涵養していくか」という視点で構成されているという点でしょう。

「終活」ではなく「修活」という一条流の造語が端的に「生きる覚悟・死ぬ覚悟」を表現していることを一条本の愛読者であればお気づきのことでしょう。

就職活動を「就活」と略して表現することが一般的になっていますが、「シュウカツ」という同じ響きに「終活」と記すセンスはなかなかですが、「終活」とは「終末活動」の略語だそうです。

この「終末」という発想に、一条氏は違和感を覚えると本書に記されています。

「老い」の時間をどう過ごすかを前向きに捉えるべきだと考える一条氏は次のように述べます。

わたしは『終末』の代わりに『修生』、『終活』の代わりに『修活』という言葉を考えてみました。『修生』とは文字通り、『人生を修める』という意味です。考えてみれば、『就活』も『婚活』も広い意味での『修活』ではないかと思います。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活なのです。
そして、人生の集大成としての『修生活動』があります」


f:id:fushikian15301578:20170121204000j:image
   本書のプロローグ


この一節には「生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり」という道元禅師の慧眼よろしく、一条氏の死生観が端的に表現されているように感じます。

その上で、一条氏は現代日本人について厳しい苦言を呈します。

「かつての日本は美しい国だったように思います。しかし、いまの日本人は『礼節』という美徳を置き去りにし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えます。それは、戦後の日本人が『修業』『修養』『修身』『修学』という言葉で象徴される『修める』という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは『人生の卒業式』にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める・・・この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか」

まさに「生きる覚悟・死ぬ覚悟」という一条氏の鋼のような死生観!

「書く」ことを目的とするエンディングノートは数多ありますが、「読む」ことで死生観を涵養せしめるエンディングノート。それが本書の「存在意義」といっても過言ではないでしょう。

また、本書には「辞世の歌・辞世の句のすすめ」という一条氏ならではの項目もあります。

日本人ならば、辞世の歌や句を詠むくらいの気概と感性をもって「いま」を生きよ!という熱き提言がこころを打ちます。

「死に際して詩歌を詠むとは、おのれの死を単なる生物学上の死に終わらせず、形而上の死に高めようというロマンティシズムの表われではないだろうか」

辞世の歌や句は偉大な人生文学だと喝破する一条氏は、自ら数百の歌を詠んでおられます。

本書カバーの前袖には、その一条氏の歌が掲示されています。

「この生を修めんとして生くるなら 命かがやき 怖れなどなし」


f:id:fushikian15301578:20170121203600j:image
   本書カバーの前袖


蛇足ですが「第2部 私の記録と希望を伝えるために」では、本来のエンディングノートの機能が十二分に備わっています。

個人的には、本書中の「親族表」、いわば家系図ですが、これを親子(自分を軸として親と子)で話ながら書き込んでいくことから始めることをオススメしたい。


f:id:fushikian15301578:20170121204051j:image
   脈々と続く「いのちの物語」を感じよ!


「人生にとって何が大切か」

ひとりよがりの「終活」ではもったいない、「修活」と捉えて面倒がらず会話を積み重ねていくべし!

巷で人気の「家族葬」しかり、安易な選択が許容される世の中ではありますが、桜の花のように凛と咲き誇り、潔く散っていく・・・そんな美しい「人生の修め方」を本書から学びたいものです。


f:id:fushikian15301578:20170121204123j:image
   本書のエピローグ




謎のレビュアー 不識庵

2017-01-20

『日本の思想をよむ』

今宵は寓居の書斎でお気に入りの香蘭社のグラスで「深雪花」の白を愉しみ、閑寂とした時間を過ごしました。


f:id:fushikian15301578:20170102212454j:image
   岩の原葡萄園の「深雪花」


シャルドネと川上善兵衛が生み出したローズ・シオターの絶妙なハーモニー!

すっきりした上品な香りの爽やかな辛口・・・たまりませぬ。

さて、今宵ご紹介したい一冊は『日本の思想をよむ』末木文美士著(KADOKAWA/角川学芸出版)。


f:id:fushikian15301578:20161128205323j:image
   『日本の思想をよむ』


仏教思想や日本宗教史に造詣の深い東京大学名誉教授の新刊です。

「あとがき」によると「仏典に学ぶ―日本一〇〇〇年の知恵」「近代と宗教」と題する朝日新聞大阪本社版への連載をもとに、書き下ろし原稿を加えて編集されたと記されています。

一言でいえば「仏教を軸として日本の思想を俯瞰」したガイドブックといえばいいでしょうか。


f:id:fushikian15301578:20161128205334j:image
   本書の帯裏


本書の目次を参考までに表記しておきます。

機ゼ然と人間
供セ犲圓らの問いかけ
掘ツ饗から世俗へ
検タ搬里悗隆禳垢
仏教の真髄
此ァ崙本」とはなにか
察ゼ匆颪塙餡箸旅渋


f:id:fushikian15301578:20161128205348j:image
   本書カバーの前袖


末木先生は西洋思想の入門書が汗牛充棟であるにもかかわらず、「日本の思想に関して言えば、どんな思想があるのかという基本的な常識さえも怪しく、これだけは前提となるという共通の知識が形成されていないのが現状」と喝破。

その上で上記のテーマに基づき「恣意的」「独断的」であると断られた上で、43の書籍等をコラム風に思索の一端を提示しておられます。

本書は「日本の思想を考える」と題する2本のコラム、テーマの冒頭に掲げられた問題提起の扉ページ(各1頁)を通読した上で少しく知識のある書籍の紹介コラムから読み進めていただくと末木先生が本書で提起されている「日本の思想の多様性や斬新なアイデアの再発見」という要旨が見えてくるのではと考えます。


f:id:fushikian15301578:20161128205515j:image
   上質な「日本思想」の入門書


f:id:fushikian15301578:20161128205618j:image
    赤線と「※」で理解は深まる


ガイドブックと先に記しましたが、『弁顕密二教論』(空海)『統道真伝』(安藤昌益)『感身学正記』(叡尊)『妙貞問答』(不干斎ハビアン)『出定後語』(富永仲基)『場所的論理と宗教的世界観』(西田幾多郎)など浅学凡庸な私は本書で初めて知りました。

正法眼蔵』『教行信証』『立正安国論』など著名なものでも、原文で堪能することは能わない私としては末木先生の指摘も「腑に落ちる」レベルではないにしろ、現代語訳付の原文も読まずにはおれない知的好奇心(恥的焦燥感)は十二分に喚起されました。

「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」ですから、「仏教を軸として日本の思想を俯瞰」する上で、本書は当面の私にとって「法灯」のような存在となりそうです。

(平成28年8月9日)


f:id:fushikian15301578:20161128205359j:image
   著者プロフィール(本書カバーの後袖)



不識庵

2017-01-19

『一流の人はなぜ姿勢が美しいのか』

忙中閑あり。

今宵は寓居の和室において自服を愉しみ、閑寂とした時間を過ごしました。

東京・青山の陶芸ギャラリーで求めた一碗、老舗の半生菓子で至福の一服・・・

f:id:fushikian15301578:20161203210738j:image
   銘:二階堂


f:id:fushikian15301578:20161203205630j:image
   諸江屋 万葉の花


さて、今宵ご紹介したい一冊は『一流の人はなぜ姿勢が美しいのか』小笠原清忠著(プレジデント社)。


f:id:fushikian15301578:20170118210246j:image
   『一流の人はなぜ姿勢が美しいのか』


サブタイトルは「日本人が八〇〇年伝え継いだ本物の礼法」。

今日日、巷には「一流本」なるものが溢れています。

ビジネス本の読者層を意識した企画本は雨後の筍の如し。

しかしながら、書き手が「本物」かどうか俄かには判じ難いものがあります。

本書も「一流の人」を冠していますが「美しい姿勢」をタイトルに持ってきています。

著者は小笠原流三十一世宗家の小笠原清忠氏であり、読む前から内容は「折り紙つき」。


f:id:fushikian15301578:20170118210410j:image
   本書のカバー前袖





帯こそ「今様」ですが、カバーは落ち着いた紫を基調とした品格漂う装幀

一見単色に見えますが、銀、黒、灰黄を加えたカラー版と同じ4色であることに驚きます。

先だって著者の御嫡男にして次期宗家の小笠原清基氏の著書を拝読させていただきましたが、現宗家が記された本書から漂う風格は格別の味わいがありました。


f:id:fushikian15301578:20170118210321j:image
   本書の帯裏


第1章は「小笠原礼法とは何ぞや」が簡潔にまとめられており、実質は序章の趣き。

第2章から第5章の「立つ」「呼吸」「座る」「歩く」と題された部分が本論。

第6章の和食を中心とした各種作法、第7章の品格のある立ち居振る舞いについて解説されています。

惜しむらくは、紙面の制約もあって第6章と第七章が盛りだくさんなるが故にやや淡泊な解説になっています。

章立てを細分していただいたければよかったのではと感じました。

とはいえ、自分が正しいと思い込んでいた作法が少なからず誤りであることに気づけたことに感謝。


f:id:fushikian15301578:20170118210453j:image
   赤線と「※」で理解は深まる


イラストが適宜入っているものの、内容が内容であるだけに、読みながら実際に試みて「納得」、そして読み進むという繰り返しとなり、読了するのに相応の時間を要するのですが「事理の自然」をそこはかとなく体感いたしました。

勿論、本書を読んだからといって門外漢に「一流の礼法」が身に身に付くはずはありませんが、「心正しく、体直くす」、「実用・省略・美」という「一流の真髄」を垣間見るだけでも有益な機会となると感じます。





「文化とは常に体にまとわりついて離れない、その人固有の空気のようなもの、あるいはその空気に漂うほのかなに芳香のようなものだということです」

「礼法の大もとは、人を敬い、人を気遣うことです。所作の決めごとは、すべてそのためにあります。

礼儀作法は国によって異なりますが、相手の立場に立つことを礼として重んずるのは世界共通でしょう」

「教養は、学問的な知識の量をいうのではありません。他者と円満な関係を持てる社会性、情緒性も教養に含まれます」

「礼が廃れれば、世の中は乱れ、人と人とのつながりも壊れやすくなります」

「礼法は、対立的な関係や、立場の違いが大きい場合でも、人と人の調和をつくり出せるように考えられてきたものです」

このような珠玉の言葉がさりげなく全編にちりばめられており、礼法の奥深さを痛感。


f:id:fushikian15301578:20170118210602j:image
   一流とは斯くの如し!


また、小笠原宗家には「礼法で飯を食うな」という二十八世の遺訓があることにも正直驚きましたが、「似て非なるもの」と決定的に異なる凄みを感じさせる「小笠原宗家」の質実剛健な姿勢に感銘を受けました。

書籍は身銭を切って読んでこそ、己が血肉となります。

是非、著者に敬意を払って読んでいただきたいものです。

(平成28年2月22日読了)







不識庵

2017-01-18

映画鑑賞備忘録1

今年に入ってから、いまのところ劇場(映画館)で映画を鑑賞しておりません。

可能な限り、映画は劇場で鑑賞したいと考えておりますが、結婚してからは一人で鑑賞することは稀。

特に「こだわり」はないのですが、映画は人生の重要関係人に一緒に鑑賞しています。

鑑賞する映画の選定、鑑賞後の感想・・・やはり、常に重要関係人と時間を共有すること、価値観の親和と相違を認識する愉しみは格別です。


f:id:fushikian15301578:20170118205152j:image
   鑑賞した映画のプログラムは基本的に購入します


f:id:fushikian15301578:20170118205514j:image
   なぜかプログラムが販売されない映画もある・・・


私自身は映画マニアではなく、好きな映画のDVDは少なからずありますが、ほとんど観ることはありません。

もっとも、同じ映画を再度鑑賞する時間的な余裕がないこともあります。

かくて過ぎぬる今日もまた、我向上の我なるや!

人生は長いようで短いかもしれない、などと考えること自体、既にブレているかもしれない・・・

いや、「いのち」というものに不遜な思い上がりがないか猛省する今日この頃。

「生きている」のではなく「生かされている」ということは、頭では判っているのですが、つい「明日」や「明日以降」のことに気をとられてしまう自分がいます。

老後を心配する前に「即今只今此処」ですね。

そう、老後は結果的に訪れるものですし、「而今」という連続性があるだけですから。

いずれにしても、「時不待人」。

最近は、劇場鑑賞以外にも「Amazonプライム」で見逃した映画を鑑賞していますが、短くても2時間程度は要します。

嗚呼、時間が足りないと感じること自体、「贅沢な悩み」かもしれません。

そんなこともあり、ブログを書く時間は減る一方となりますが、とりあえず、昨秋からの映画鑑賞の備忘録として「ブログ」を使わない手はない。

そこで、映画「君の名は。」の前後からブログに書いていない「劇場で鑑賞した映画」のみ記録しておきましょう。


・「超高速!参勤交代 リターンズ」 9月17日鑑賞



・「怒り」9月18日鑑賞



・「真田十勇士」10月1日鑑賞



・「葛城事件」 10月15日鑑賞



・「ストリート・オーケストラ」10月26日鑑賞



・「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」11月27日鑑賞 



・「ザ・ギフト」11月23日鑑賞



・「或る終焉」 12月4日



・「海賊とよばれた男」 12月10日



・「アンジェリカ」 12月11日



・「ある天文学者の恋文」 12月18日



私にとって「いい映画」とは、鑑賞後に「もう一度観たい」と感じるか否かです。

つまり、オチ(結末)が判っていても再度の鑑賞に耐えうるかどうか、ですね。

素晴らしいサービスには、「もう一度、利用したい」と感じさせる感動があるのと同じ。

もっとも、一度鑑賞しただけでは「理解」出来ない作品も稀ではありますが存在しますし、何より「鑑賞時の年齢」によって自分の成長に応じて「何を感じるか」が変化してきます。

これは映画だけではなく、小説や絵画、音楽にも言えることです。

懐メロ」とは、「懐かしのメロディ」の略であることは周知のとおりですが、自分の生きてきた、否生かされてきた時代を回顧して懐かしむレベル。

しかし、魂を揺さぶられるような映画や音楽との邂逅は「一生モノ」です。

今年も1月中旬から劇場で鑑賞したい映画が随分ありますが、映画鑑賞以外にも「やりたいこと」が目白押し!

うっかり見逃すことのないよう、ユーチューブで公開されている予告動画を貼っておかねば・・・


・「本能寺ホテル」1月14日公開



・「ザ・コンサルタント」1月21日



・「沈黙−サイレンス−」1月21日公開



・「スノーデン」1月27日公開



映画マニアともなれば毎日のように鑑賞しているのでしょうが、私はせいぜい月に4本で年間で最大でも48本程度のロードショーを鑑賞する程度。

今年も週末は、人生の重要関係人と時間と価値観を共有する手段のひとつとして「ロードショー」をゆるりと愉しみたいと思います。






不識庵

2017-01-17

『東日本大震災「葬送の記」』

今宵は寓居の書斎モーリス・ラヴェルピアノ協奏曲の第2楽章(Adagio assai)をレナード・バーンスタインの指揮&ピアノ独奏で聴きながら、阪神淡路大震災の犠牲者の御霊安らかなれと祈りを捧げました。





ラヴェルピアノ協奏曲は三楽章からなりますが、初めて聴いたのは高校生の頃です。

爾来、第1楽章、第3楽章からは想像できない、叙情的なサラバンド風の第2楽章のみを単独で愛聴していますが、ユーチューブでレニーの独奏動画を発見して悦に入っております。

レニーが逝去して既に四半世紀が経過していますが、いずれ私も死に逝く身。

やりたいことも目白押し・・・ブログに費やす時間は最小限、備忘録程度にならざるを得ませんし、もしかすると数カ月更新が途切れるかもしれません。

さて、今宵ご紹介したい一冊は『東日本大震災「葬送の記」』菅原裕典著(PHP研究所)。


f:id:fushikian15301578:20161203205848j:image
   『東日本大震災「葬送の記」』


著者の菅原裕典氏は「清月記」という葬儀社の代表取締役社長として、未曽有の東日本大震災に社員の皆さんと使命感をもって、社業である「葬儀」を通じて筆舌に尽くしがたい貢献をされた方です。

清月記は坂本光司氏の『日本でいちばん大切にしたい会社3』でも紹介されている企業ですが、本書では東日本大震災の発生、想像を絶する数のご遺体を前に、葬儀社として「如何にあるべきか」「どう対処したか」を克明に記録した貴重な一冊。


f:id:fushikian15301578:20161203205959j:image


f:id:fushikian15301578:20161203210032j:image


f:id:fushikian15301578:20161203210111j:image


f:id:fushikian15301578:20161203210223j:image


f:id:fushikian15301578:20161203210248j:image



「鎮魂と哀悼の誠を御霊に捧ぐ」というサブタイトルが象徴するとおり、本書の行間には菅原社長の「葬儀」という仕事に対する矜持が滲んでいます。

読み手を圧倒する「現場」の様子が数多くの写真を交えながら、切々と惨状が記録されており、とても重く耐え難い内容です。

「死者の尊厳」「残されたご遺族への対応」はもとより、葬儀社といえどもこれまでに体験したことのない「肉体的にも精神的にも過酷な仕事」。

おそらく「現場」は文字で伝えきれないほど凄絶なものであったことは想像に難くありません。


f:id:fushikian15301578:20161203210331j:image


1985年に創業された清月記(創業当時は「すがわら葬儀社」)は、直近の売上高で年間で約50億、仙台市を中心に約2500件の葬儀施行を行っています。





この企業が急成長してきた理由はひとえに「葬儀という仕事に対する使命感」であり、同業他社ではなく常に「ご葬家(お客様)」に真摯に向き合ってきたことにあります。

経営者として常に現場感覚を失わないことはもとより、「人として何が正しいか」という判断基準から、ご自身の事業にとって「いま」「これから」何が大事なのかを冷徹なまでに見極めてこられたのでしょう。

菅原社長曰く「厳しい会社」であったがゆえに、凄まじい数の「遺体安置」「仮埋葬」「掘り起し」という一連の仕事を社員さんたちが一枚岩でやり遂げることを可能ならしめたのでしょう。


f:id:fushikian15301578:20161203205907j:image
   本書の帯裏


「いくら社長である私が偉そうなことをいっても、社員が実行してくれなければ絵空事に過ぎません。理念や思いを共有していなければ、厳しい仕事に立ち向かうことはできない。みんなが互いを思いやりながら、力を合わせていく。それは家族も会社も同じです」(P169)


f:id:fushikian15301578:20161203210419j:image
   赤線と「※」で理解は深まる


『日本でいちばん大切にしたい会社3』で紹介されているエピソードも本書で紹介されていますが、菅原社長の人間的な魅力(徳)があってこそ、社員さんの業務精励はもとより、業界、お取引先、ご友人の損得抜きの支援が得られたことは疑いようがありません。

本書は菅原社長率いる「清月記」がグランドデザインのある企業であると同時に、「仕事に対する使命感」とは何かを再認識するための「人生論」としても一読の価値があります。

(平成25年7月15日読了)






不識庵