Hatena::ブログ(Diary)

不識庵の面影

2016-12-06

『儀式論』その読み方と所感

ようやく『儀式論』を読み終えました。

しかし、問題は「読みこなせていない」ということに尽きます。

正直に告白すれば、著者である一条真也氏の該博な教養の前に呆然と佇む己の未熟さを痛感させられた大書でした。


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   『儀式論』


哲学や宗教学を修めた「知性高き学究の徒」ならばいざ知らず、凡夫なる我が身が恨めしい。

読書とは畢竟、未知の物事を知る探究の旅ではありますが、既知の内容が一定以上なければ単に字面を追うに終始することになります。

否、その前に読了を断念してしまいかねない書籍もある、ということです。

本の読み方は読む人間を反映します。

本の価値は読む人間次第ともいえます。

これから綴る文章は「私にとっての『儀式論』」であり、それ以上でも以下でもないことは言を俟ちません。


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   『儀式論』とは何ぞや!


やや冗長な書き出しになってしまいましたが、気の向くままに所感を少々。

この『儀式論』も沈思黙考せずに読めるシロモノではなく、安易に「読んだ」などとは公言できない一冊であります。

読書百徧而義自見

そう、『儀式論』とは、そのような書籍なのです。

日常生活において、感覚的な体験だけでは知り得ないものについて考えることは稀でしょう。

形而上者謂之道 形而下者謂之器

とはいえ、この『儀式論』については、形而下の特質、即ち仕様に言及しておきましょう。

四六判上製本、所謂ハードカバーですが、『ロマンティック・デス』国書刊行会)や『唯葬論』三五館)など、これまでにもハードカバー「一条本」は多数存在しますが、『儀式論』は黒レザー仕様で、背表紙のタイトルと表紙の太陽を表現したシンボリック・マークは金、裏表紙の月を表現したシンボリック・マークには銀で箔押し加工が施されています。


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   贅沢な金と銀の箔押し!


しかも「一条本」初の函入り!

600ページという『儀式論』の威容は「学術書」乃至「事典」のような趣があります。

高級感溢れる仕様であり、保存性にも優れた書籍といえます。


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   一条本初となる「函入り」


このように『儀式論』は大書なるがゆえに、惜しむらくは索引が付されていないこと。

もっとも、これは膨大な校正を強いられる編集者に余分な負荷を掛けることを厭われた一条氏の優しさかもしれません。

ちなみに本書の編集者は弘文堂の女傑・外山千尋女史。

世の中には所有しているだけで価値があるものもあります。

所謂「愛蔵」という言葉が当てはまるモノです。

既に持ってはいるが「普段使い」するものとは別に「もうひとつ」手元で大事にしたいもの。

或いは既に持っているいるモノと異なる仕様で限定的に発売されるものや改訂版などです。

私はロリン・マゼールという不世出の天才指揮者をこよなく敬愛しております。

マゼールは2014年7月13日に84歳で逝去していますが、その優れた演奏は私の手元にあるCDで永遠に生き続けることでしょう。

本題ではないので、マゼールについて詳述出来ませんが、かつてはレコードで蒐集しておりました。

が・・・しかし、水害のため、150枚はあったであろうマゼールレコードをすべて失ってしまいました。

その後、CDで復刻されたものを買い揃えていますが、マゼールの死の直前に「ロリン・マゼールの芸術」と銘打った30枚組ボックス限定盤が発売されました。


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   愛蔵するという愉しみがある


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   こだわりの仕様はたまらぬものなり


はからずもマゼールが逝去して「追悼盤」として再生産されることになりましたが、限定かどうかはともかく手元に置かずしては「マゼール・ファン」の名折れです。

収録されている演奏は既にCDでその大半を所有していますが、この「特別感」を満喫するために買い求めた次第。

この『儀式論』も手元に置くだけで充足感がある書籍といえるのではないでしょうか。

勿論、書籍は「読んでナンボ」ではありますが、現時点で『儀式論』の普及版は存在していないため、読み込んでいくためには「赤線」や「※」を付していく必要があります。

書籍としては「それなり」の価格ですが、可能であれば「読書用」と「愛蔵用」に2冊揃えたいところ。

さて、この『儀式論』を如何に読んでいくか。


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   『儀式論』の表紙


有形なる現象の深奥にある普遍的な原理について、理性的な思惟によって認識していくためには「言葉」に頼らざるを得ません。

まず「言葉」ありきですが、この言葉は意外と厄介なものです。

本書は第一章に「儀式と儀礼」を据えています。

この「言葉の定義」から執筆された『儀式論』読書セオリー通りに第一章から読んでいくべきか?

ウィリアム・リチャード・コムストック、ジャン・ド・ラ・フォンテイン、ジークムント・フロイトエミール・デュルケム、アルノルト・ファン・ヘネップ、ヴィクター・ターナー、ロジャー・グレンジャーの著書からの引用を交えた論考は、難攻不落の城壁の如く凡夫の私の前に聳え立ちます。

一般的に洋書の翻訳文は解り難い迷訳が多いものです。

原書が読める語学力と日本語に翻訳する語学力は異なる、ということです。

この第一章で引用されている文化人類学者・青木保や元國學院大學教授・倉林正次の文章と比較すれば、このことは容易に理解できるでしょう。

しかし、本は「こう読まなければならない」というルールはないのです。

幸いにも「万能の読書術」というサブタイトルをもつ『あらゆる本が面白く読める方法』三五館)という名著が「一条本」にはあります。


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   『あらゆる本が面白く読める方法』


この書籍で習得した読書術と「オレ流一条本の読み方」で、ドン・キホーテの如く『儀式論』という大書に挑みました。


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   『儀式論』の扉


これから、ご紹介する「読み方」は広く推奨できるものではないことをお断りしておきます。

私は、まず「はじめに」と「おわりに」を熟読します。

一条氏は「読者」へのサービス精神に溢れた方であり、「はじめに」「おわりに」を読むだけで『儀式論』を上梓した目的、全14章の概略、本書の結論を理解することができます。

その上で「目次」を俯瞰してから、各章の扉に付箋を貼りながら、600ページをザッと眺めるように捲っていきます。


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   各章の扉に付箋を貼る


著者は「儀式」を理解する上で極めて類似するイメージをもつ「儀礼」との対比から説き始め、「神話」「祭祀」「呪術」「宗教」「芸術」「芸能」「時間」「空間」「日本」「世界」「社会」「家族」「人間」という順で論旨を展開しています。


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   『儀式論』の帯裏


勿論、この章立てには、著者の強い思い入れがあるのでしょうが、私が注目したのは2015年に上梓された『唯葬論』三五館)の章立てです。


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   『唯葬論』


『唯葬論』と共通するのは「神話」「宗教」「芸術」「人間」。

『儀式論』では「神話」と「祭祀」及び「呪術」、「芸術」と「芸能」、「時間」と「空間」、「日本」と「世界」、「社会」と「家族」及び「人間」という対構造が特質ともいえるでしょう。

既に『唯葬論』を読まれた方は第二章「神話と儀式」、第五章「宗教と儀式」、第六章「芸術と儀式」、第十四章「人間と儀式」という順で読み進め、その後に対構造となっている章を読むのもあり、でしょう。

私は手始めに「儀式と芸術」、ついで「儀式と宗教」から読みましたが、それは「芸術」「宗教」ならば既知の内容がある程度はあるのではないかという「読み」からです。

『儀式論』に限りませんが、読書は未知の世界を愉しむものであるとはいえ、「まったく知らない世界」を一度読んだ程度では、まず理解不能です。

私はクラシック音楽を愛聴するので音楽書を好んで読みますが、オーケストラスコアは読むことは出来ません。

しかし、一般の愛好家向けの音楽書であれば、大概のことは既に理解していますし、既聴の音楽作品演奏家についての論考なら難なく読み進めることが可能です。

楽譜と文章の違いは、楽譜は読めなければ意味不明な記号(呪文)の連続でしかありません。

しかし、ある程度の識字力があれば『儀式論』は読めるでしょうが、理解できるかどうかは別物です。

そこで「オレ流『儀式論』を愉しんで読む方法」をご紹介しましょう。

通常であれば読書の際に容易するのは、赤ボールペンとアーチルーラーだけです。


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   アーチルーラーで線を引きながら読む


しかし、『儀式論』を読むにあたって「青ボールペン」も用意しました。

最近、愛用する赤ボールペンはZEBRAの「Rubber80」ですが、青も同一シリーズもモノを用意。

さて、この2色をどう使い分けるかですが、「一条本」の構造特質を知悉している方はピンとくるはず。

これは書籍一般に言えることですが、著者自身のオリジナルな見解でない記述は、すべて「引用」なのです。

この「引用」には「直接引用」「段落引用」「間接引用」がありますが、「一条本」には「引用」が多いことが特質です。

しかし、この「引用」がハッキリしていることが重要なのです。

引用を明示せずに自己のオリジナルな見解であるかのように記述することは「剽窃」と呼ばれ、学者であれば学者生命が絶たれてしまうほどに恥ずべき行為です。

勿論、一般の作家の場合も同様であり、すくなくとも読者の信用を失います。

誤解を承知の上で表現すれば『儀式論』は「偉大なる引用の書」であるといえます。

しかし、引用が適切できるということは「著者の論考」と「先人たちが学究した論考」を明確に区別できている書籍だという証左です。

活字の大海ともいえる『儀式論』ですが、見方によっては「湖」かもしれません。

それは何故か?

『儀式論』の巻末に付された参考文献の一覧は12ページにも及びます。

300冊超の文献名が列挙されていますから壮観!


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   参考文献に12ページが割かれている!


この中には自著も含まれていますが、この自著にも参考文献があるいことを考えた時、一条真也氏が「平成の博覧強記」と呼ばれている所以が容易に理解出来るでしょう。

この参考文献の総ページ数を寡聞にして知りませんが、恐ろしい文章量となるでしょう。

つまり、引用されている文章は参考文献の僅かな一節に過ぎず、この書籍群を読破した上で繰り広げられる論考であることを読者は知るべし!

さて、『儀式論』を読むにあたって赤と青の2色を用意したのは、一条氏の論考には「赤」、段落として引用された論考には「青」、直接及び間接引用された文章には「赤と青」の二重線を施しました。


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   著者の論考は「赤」、段落引用は「青」


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   直接引用と間接引用は「青と赤」の二重線


なにせ600ページもありますから、読み手である私自身が「思考」する際の整理が必要となります。

この基準で赤と青で線を引きながら、全篇を読み終えた訳ですが、段落として引用されている部分は再読が必須となります。

まだ、この再読が出来ておらないことから、冒頭に記したとおり「読みこなせていない」状態ではあります。

しかし、少し時間をおいて再読する方がいいかもしれません。

學而時習之 不亦説乎

一条氏のブログによれば、本書を求めた経営者の方も多いようです。

経営者で読書を好まない方は稀でしょうが、やはりビジネス書とは性格を異にする『儀式論』は容易には読了できないのでは・・・

極論ですが、一条氏の論旨(私の読書法でいけば赤線を引く対象文章)のみを通読することをお薦めします。

600巻に及ぶ「大般若波羅蜜多経」ではなく「般若心経」をというほどの意です。

仮に読まずとも「いざとなったら『儀式論』を出せ!」という感じですね。

こころある会社には神棚があるように、こころある経営者の書棚には『儀式論』

(失礼しました・・・余計なお世話ですね)

さて『儀式論』の全体の印象から記していきましょう。


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   ムーンキャンドル「月あかり」と『儀式論』


ジャン・パウルというドイツ小説家がいます。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと同時代の作家ですが、全65巻という全集がある多作家であるにもかかわらず、日本では無名に近い存在です。

恥ずかしながら、浅学なる私は彼の小説を読んだことはありません。

では、「なぜジャン・パウルの名を知っているのか?」ですが、クラシックの愛好家ならば周知のエピソードから「ジャン・パウル」はつとに有名なのです。

ロベルト・シューマンは、シューベルトの通称『ザ・グレート』交響曲第9番ハ長調を、ジャン・パウルの小説にたとえ、「すばらしい長さ (天国的な長さ)」と評しています。





正確を期せば「いつまでも終わって欲しくないほど優れている」という意味で「天国的な美しさが永遠に続くようだ」と語ったようです。

伽羅倶梨道中夢草紙というブログでは「いたるところに機知がちりばめられ、風刺が効いているかと思えば、繊細な感情表現があり、メロディアスなその文章はあまりに自由奔放である」とジャン・パウルの作風を評しています。

そして、ジャン・パウルには『巨人』という長篇の教養小説ビルドウンクス・ロマンBildungsroman)があります。

かつて 国書刊行会から翻訳本が出版されていたようですが、781ページの大書です。

この小説を愛読していたのが、かのグスタフ・マーラー

小説『巨人』は、天才的で奔放な主人公が恋愛など、人生の経験を積み重ねながら、円満な性格になっていくまでの経緯を描いたものだそうですが、マーラーが自身の交響曲第1番ニ長調に「巨人」と命名したことは周知のとおり。





この2つのエピソードを長々とご紹介したのは、『儀式論』を記した一条真也が数多ある冠婚葬祭互助会のオーナーの中で擢ん出た「知の巨人」であり、傑出した儀式についての論考はもとより、書籍としての仕様も含め「不朽の美しさ(天上的な美)」があることを表現したかったからに他なりません。

勿論、言葉よりも行動が見られている覚悟を一条氏がもっておられるがゆえに「万言」を記すとこが出来る訳です。

既に80冊を超えた「一条本」の中でも「代表作」と呼ぶに相応しい一冊であることはもとより、『論語』為政第二ノ一の「爲政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之」という一文の如く、儀式の意義を指し示す「徳」さえも薫る名著といえましょう。

本書では儀式が「地域や民族や国家や宗教を超えて、あらゆる人類が、あらゆる時代において行ってきた文化」であることを一条氏は繰り返し強調しておられますが、先人たちが守り伝えてきた儀式を廃れないように時代に合わせてアップデートしていく必要性があることも、本書が強く主張するところであります。

しかし、一条氏は「古人の跡」を求めたのではなく、「古人の求めたるところ」を求めたことは一読すれば理解出来ます。

すなわち「不易流行」があったればこそ、儀式という文化が時を超えて「いま」に伝わっているのです。

しかし、著者が危惧する昨今の儀式に対する日本人の姿勢は、良識ある方ならば首肯出来る惨状にあります。

学者ならば憂いて終わればいいのでしょうが、実業家としての一条氏には「止むに止まれぬ想い」、すなわち使命感から「真理は単純にして美しい」ことは百も承知で、600ページを費やして「儀式が日本を救う」、ひいては「世界に平和をもたらすのは儀式」であることを縷々と書き綴っておられるのです。

いわば『儀式論』とは「救国の書」でもあるのです。


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   『儀式論』に込められた救国の想い


著者が経営する冠婚葬祭互助会であるサンレー・グループは本年、創立50周年を迎えたそうですが、この「不識庵の面影」でもご紹介した一条氏が本名である佐久間庸和として上梓した『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)という書籍のタイトルが示すとおり、一条氏が『論語』を中軸とする儒教に傾倒しておられることは周知のとおり。


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   『ミッショナリー・カンパニー』


「知命」を迎えたサンレーグループが「使命感ある企業」を目指す上で、孔子が説いた「礼」を経営の最重要徳目に据えているのは自然な流れであり、『儀式論』が上梓される背景もここにあるのです。

四書五経のひとつ『大学』には「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下」という八条目の綱領があります。

儀式とは個人の人生を修めていく上で忽せに出来ないものであることはもとより、引いては家庭、社会、企業、国をも修めていくことに繋がるというイメージを一条氏が確信出来ていなければ『儀式論』が生まれてくることもなかったのはないでしょうか。

一条氏は『儀式論』を執筆するあたって、常人の想像を絶する読書の「質と量」を己に課し、その精華として構築された「儀式有用論」は鋼のように強靭です。

「人類の知の営み」を追体験すること、すなわち「人類史を俯瞰する大冒険」を試みたのが『儀式論』の各章であり、有史以来、儀式こそが人類の存続を可能ならしめる「文化装置」であると結論づけておられます。

膨大な参考文献を読み込んだ上で「儀式」の重要性を説く一条氏にして初めて「人間は儀式的動物である」というルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタインの名言を自家薬籠中のものとして「引用」出来るのです。

また「儀式を行うことによって、人間は初めて人生を認識できる」という一条氏の至言は、エミール・デュルケムの「さまざまな時限を区分して、初めて時間なるものを考察してみることができる」(『宗教生活の原初形態』)という論考から閃いたものだそうですが、この一条氏の感性が『儀式論』の執筆に大きく影響しているように感じます。

この感性こそ、一条真也が一条真也たる所以なのです。

殊に巻末に添えられた「儀式讃」は、一条氏のブログによれば「天から文章が降ってくるようなイメージで一晩で書き」あげたと記されていますが、まさに一条氏が「ハートフル」という言葉を世に生み出して作家デビューされたことを想起させる詩情溢れた名文。


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   「儀式讃」


儀式には普遍性、すなわち「最古にして現在進行形」であるという事実から、未来永劫、人類には「儀式は必要!」と論考された一条氏の『儀式論』

人類史を語る上で「歴史的な一冊」となる予感がします。

その意味でも、重版出来となる前に「初版」を愛蔵し、子々孫々に伝える価値があります。

『儀式論』の魅力を万分の一ほども表現しえない駄文を連ねてしまいましたが、最後に『儀式論』を読了して一首詠ませていただき擱筆いたします。


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   『儀式論』裏表紙



   うつせみの 悩み迷いを 除くには

        儀式によりて 人となるべし  不識庵



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   『儀式論』オレ流イメージ化


謎のレビュアー 不識庵

2016-12-05

『なくしたものとつながる生き方』

今宵も寓居の書斎サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ作品11をレナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団の演奏で聴きながら閑寂とした時間を愉しみました。





バーバーが自身の弦楽四重奏曲第1番の第2楽章を弦楽合奏用に編曲した作品ですが、筆舌に尽くしたい名曲

1938年11月5日に、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮・NBC交響楽団によって初演されたことは周知のとおり。

ジョン・F・ケネディの葬儀でも演奏されていますが、バーバー自身は葬送をイメージして作曲した訳ではありません。

さらに、映画「プラトーン」で使用されたことで、一般の方には戦争映画の音楽というイメージも定着した感がありますねえ。


さて、今宵ご紹介したい一冊は『なくしたものとつながる生き方』尾角光美著(サンマーク出版)。


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   『なくしたものとつながる生き方』


読了後に深い余韻と共にグリーフケアの本質を考えさせられる一冊。

「見る」「祈る」「忘れる」「触れる」「ゆるす」「信じる」「生きる」Chapter1から7は、野に咲く可憐な花々のようなエッセイ数編で構成されています。

著者である尾角光美さんは、死別を支える一般社団法人「リヴオン」代表理事。


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   本書カバーの後袖


ご自身の死別体験から「グリーフケア」とは何か、真摯に向き合いながら、様々な活動を通じて「グリーフケア」が当たり前になる社会の実現を目指しておられます。

「グリーフ」が日本語では「悲嘆」と訳されることが多いのですが、死別により「こころに生じる感情」は「悲しみ」ばかりではないことを提起されます。

「後悔」「怒り」「安堵感」という一人ひとり異なる感情、体調の変調・・・いま、「グリーフケア」に関する書籍は少なからずありますが、言葉が「こころ」に響かない、沁み込んでこないものが多いように感じます。


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   本書の帯裏


本書では著者の「体験」が原点となっていることもあり、その「言の葉」には「癒しのチカラ」が自然と添えられているように感じます。

Chapter5「ゆるす」に「ショパンノクターン」というエッセイがあります。

この文章を読み終えて、第2番変ホ長調 作品9-2を聴きました。

そして初めて泣けていました・・・





この美しく甘美な曲も、著書の体験を知った上で聴くと「美しくも切なく哀しい調べ」として、こころに響くのです。

これは「ほんの一例」ですが、本書に納められた散文詩のようなエッセイは、日々、当たり前に漫然と生きてはならないという「気づき」を与えてくれます。


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   本書カバーの前袖


東日本大震災の慰霊祭でのダライ・ラマ法王14世からの学び。

僧侶にして小児科医である梶原敬一氏からの学び。

この他、こころある葬儀社、僧侶、友人からの学び。

著者が「死別」を体験することで得られた「縁」から学んだ「目に見えない大切なこと」が本書には切々と綴られています。


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   赤線と「※」で理解は深まる


尾角さんの活動は慈愛に満ちたものであり、多くの人々の喪失を癒しておられます。

以下に、その活動の一例を記しておきましょう。

母を亡くした人たちに亡き母へのメッセージを募り本にする「母の日プロジェクト」

東京増上寺における「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100の対話」

東北京都でグリーフケアについて学ぶ「いのちの学校」

そして、著者がご自身の体験を通じて記された次の一文が印象的でした。


「死は終わりではないということ、はじまりであり、つながりの源です」


悲しみから希望を切に願う尾角光美さんが本書を上梓していただいたことに感謝いたします。


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   愛する人を喪った著書にして書ける深い内容


(平成28年10月17日読了)




不識庵

2016-12-02

『齋藤孝の絶対幸福論』

忙中閑あり。

今宵は寓居の和室において自服を愉しみ、閑寂とした時間を過ごしました。

太宰府天満宮社前で求めた十牛図をモチーフにしたユニークな一碗、京都・仙菓匠 益壽庵(井筒八ツ橋本舗)の仙菓 益壽糖で至福の一服・・・


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   十牛図「騎牛帰家」という銘にしました


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   益壽糖 たまらぬものなり


さて、今宵ご紹介したい一冊は『齋藤孝の絶対幸福論』齋藤孝著(実業之日本社)。


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   『齋藤孝の絶対幸福論』


齋藤孝先生の「幸福論」とは如何なるものか・・・正直、冒頭から意外な提起に愕然とします。

しかし、です。これぞ齋藤流といえばいいでしょうか。

「絶対」とタイトルに入っている所以なのですが、もう「幸せ」とは何かという本質にズバリ明快な回答を出しておられます。


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   本書の帯裏


私たちは好むと好まざるとにかかわらず、相対的な価値軸の中で煩悶しています。

しかし、相対的な幸福感とは為替相場のようなもので安定することはありません。

齋藤先生が絶対的幸福として「ふたつの愉しみ」を挙げておられますが、これに相当するものは「あなたにもあるはず」と「幸福」の基準が自己の内面に向けられることへの呼び水。


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   齋藤流・幸福論のススメ


絶対的とはいえ、現代の日本に生を授かったことだけで幸福の基礎が既に保証されているという相対的な「環境」への眼差しを示しつつ、実はそれは「自分で選択できない」という意味で「絶対的」な条件であることに「気づけるか」を本書を通じて説かれているように感じます。

学生と向き合う仕事を通じて「共に学ぶ」という姿勢が本書でも随所に散見されますが、私が本書を通じて感銘(共感)を受けた齋藤流幸福論のキモは、若い人が何を一番欲しがっているのかという考察なのですが、これは若い人だけでなく、老若男女を問わず個々人にとって「絶対的」なもの。


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   赤線と「※」で理解は深まる


無粋なので表記いたしませんが、これがあってこそ「私淑」「鍛錬」を薦める齋藤先生の幸福論が輝きを放射しているのだと痛感します。

後生畏る可し!

「いまどきの若いモノは」と慨嘆する者は先達にはなれないことを肝に銘じなければ・・・


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   本書カバーの後袖


(平成28年8月21日読了)




不識庵

2016-12-01

『ビジネスマンのための新しい童話の読みかた』

今宵も寓居の書斎ゾルタン・コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ(Háry János )」作品15をユライ・ヴァルチュハ指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏で聴きながら、ハンガリー版「ほら吹き男爵」の荒唐無稽な物語の音楽描写を愉しみました。





さて、今宵ご紹介したい一冊は『ビジネスマンのための新しい童話の読みかた』上阪徹著(飛鳥新社)。


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   『ビジネスマンのための新しい童話の読みかた』


まず、タイトルの「ビジネスマン」と「童話」というミスマッチ、違和感が本書のミソです。

「なんで童話?」と思わず気になりますが、「ありそうでない」という切り口が新鮮。

著者の上阪徹氏は、これまで名経営者、五輪メダリスト、エース社員、芸能界のトップランナーなど、実に3000人以上の成功者に取材を重ねてきているため、成功者が共通してもつ「定理」を熟知しておられるのでしょう。

勿論、「知っているだけ」ではなく、その「定理」を実践出来るかどうかがキモ。


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   本書の帯裏


なぜ、童話なのか・・・おそらく「横に跳ぶ」発想ではないでしょうか。

童話は子供の頃に読むものという固定観念が凡人にはあるはず。

しかし、童話を考案したのは「子供」ではなく我々の先人(賢い大人)であるはず。

そうでなければ、現代においてなお「現役」でいられるはずはなく、疾うの昔に潰えてしまったことでしょう。

「先人」が「童話」に込めた「真の寓意」を「現代の大人」が考察すれば、そこに人生を豊かにする「普遍的な真理」を発見できるという企画ですね。

テーマはともかく、ビジネス本特有の「明快さ」が本書の特徴ですが、著者の文章が実に読み易いことに感嘆。


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   赤線と「※」で理解は深まる


著者は本書の中で「今もって、文章を書くことが得意だなどと思ったことはありません」と述べておられます。

書くのも嫌い、読むのも嫌いであるがゆえに、「読むのが苦手な人」の気持ちを忖度できるがゆえに、執筆する際に「できるだけ文章は短く。リズムよく。平易で、わかりやすい文章」が肝要だといいます。

著者曰く「著名な作家の文章でもない限り、読者が読みたいのは、どう書かれているか、ではなく、何が書かれているか」。

さらに「書くということの恐ろしさ」という視点で書かれた件(くだり)は一読の価値あり。


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   本書カバーの後袖


また、ユニークなのは「ビジネス本」でブックライターとして成功している著者が、お薦めの書籍を問われると小説やノンフィクションを挙げるという信条にもウィットを感じさせます。

大人こそ、青臭いことを言わないといけない。力が伴わないと、青臭いことはできないからだ」

これは本書の「あとがき」に著者が引用している「ある作家」の言葉なのですが、この言葉に共感すると共に「童話」をはじめ、すべてのことから学ぶ謙虚さを持たねばと猛省した次第。


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   つまらない大人にはなりたくない!


(平成28年9月25日読了)



不識庵

2016-11-30

『恥をかかないスピーチ力』

今宵も寓居の書斎でヤン・シベリウスヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47をサラ・チャンの独奏ヴァイオリン、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きながら閑寂とした時間を愉しみました。





さて、今宵ご紹介したい一冊は『恥をかかないスピーチ力』齋藤孝著(筑摩書房)。


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   『恥をかかないスピーチ力』


「何といっても一番大切なのは時間感覚を持つこと」

齋藤孝先生がスピーチ力の「いの一番」に説かれる要諦です。

その慧眼、流石と感銘しつつ、一気に通読させていただきました。

時間は万人に等しく与えられているものの、不可逆的なものであると認識が肝要です。

「時間感覚」は「スピーチ」に止まらず、自己と他者の関係において如何に重要か!

特に「人の時間を使っているという自覚」はすなわち出光佐三の説く「人間尊重」の精神を涵養していかなければ「弁舌爽やかなれど感銘なし」でしょう。


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   本書カバーの前袖


本書においても齋藤先生の授業風景が随所に垣間見ることが出来ますが、「こんな授業が受けたかった」と己の学生時代を振り返りつつ痛感いたします。

「教える」という行為は「使命感」が何より重要だということ。

齋藤先生の著書にはテーマが異なっても教養に裏打ちされた「使命感」を感じます。


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   本書カバーの帯裏


スピーチ力を如何に磨いていくか、具体的にして実践的なメソッドが満載です。

ストップウォッチの活用による15秒スピーチ練習、決めフレーズの用意、身体的効果、小ネタの準備、物事を常に比較して観察する工夫など、微に入り細に入り「サービス精神」が横溢した名レクチャーで読ませます。

さらに自己紹介をはじめとする「シーン別」におけるスピーチのキモについても伝授あり。


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   わかりやすく、に徹した文体   


齋藤先生の文体の特徴は「軽やかさ&しなやかさ」・・・たとえればモーツァルトの音楽のようです。

もっとも齋藤先生ならば、重厚なベートヴェンやブラームスのような表現、すなわち「晦渋な表現」「威厳を感じさせる文体」も“おちゃのこさいさい”でしょう。

しかし、齋藤先生の教養の深さは「時代感覚」を意識した「草書体」ともいえます。

「心をつたえること」

「深い思い、熱い思い、心の底からの思い」

「心をこめて一生懸命話している人は美しい」

「あとがき」にある齋藤先生の「話すという行為」に対する敬虔な姿勢・・・謙虚にして驕らない教養人の「スピーチ講座」は一読の価値大いにあり。


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   赤線と「※」で理解は深まる


(平成28年10月16日読了)



不識庵