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読書三到・アナキズム

2006-09-07

[]1922年9月7日。信濃川虐殺真相調査会主催「新潟県朝鮮人労働者虐殺問題演説会」が開催される。

この演説会は、官憲の介入で途中で解散させられたが、当時日帝本国で活動していた朝鮮の社会主義者と日本の社会主義者たちが初めて協力して開催した集会である。

朴烈は現地調査を報告、中浜哲は検束される。(信濃川虐殺真相調査会が組織され新潟現地調査に参加 <新居格の信濃川虐殺に関する論文に、イニシャルBとあるが朴烈の事か>)二二年九月七日、信濃川事件(近年の地元研究者は「中津川事件」と呼称)現地報告集会、

信濃川事件は一九二二年七月、読売新聞が最初に報道した。「信濃川に朝鮮人労働者の死体、何体か流れつく」と刺激的な見出しであった。当時「信濃川朝鮮人虐殺事件」と呼ばれた事件の発覚であった。実際に死体が発見されたのは上流の中津川であり穴藤(けっとう)の発電所を建設中の労働者であった。

事件発覚後『東亜日報』は記者を新潟現地に特派し水力発電所建設現場の穴藤地区を中心に朝鮮人労働者への虐待、虐殺の調査と取材をもとに連載記事を掲載した。

中浜哲は『労働運動』第七号一九二二年九月十日発行号に現地報告を掲載している。

「信越の監獄部屋から」自由労働者同盟 濱鐡 [註 濱鐡は中濱鐡の筆名の変形]

 実地調査した『信濃川虐殺事件』の真相を送る。信濃川(千曲川)の支流たる中津川の下流、信州切明から越後大割野に至る信越の国境八里余りの間。これが信越電力会社を経営する大工事なのだ。千曲川に呑まれる下流の大割野に第二発電所あり、それを遡る二里の下穴藤に第一発電所がある。…監獄部屋を作るには絶好の箇所だ。

…日本土木株式会社(即ち大倉組)が、大割野、前倉間。大請負師大林組が前倉、切明間を請負ってゐる。更にその又下に沢山の頭連があって、総数二十余りの飯場小屋をおッ建てゝゐる。その奴隷供給地は、主として不景気でアブレてゐる九州、朝鮮だ。近傍の信越の地方だ。失業者、自由労働者、小作人などの群れが、百人、二百人とまとめて貨物同様に部屋へ連れ込まれて来るんだ。…」

 朝鮮人虐待の全ては大倉組の大頭目によって引き起されたと『東亜日報』の記者は報告している。そして九月七日の前日に演説会の開催記事が掲載される。

《新潟県虐待事件と反響、空前の大演説会、朝鮮人と日本人の連合で七日東京で演説会開催、東京から特派員 李相協》

「…七日午後七時から、神田美土代町の青年会館で大演説会を開くことを決定した。…すでに決定した演士は次のとおりである。

△朝鮮人側 鄭海雲、羅景錫、朴烈、鄭泰成、白某(註・白武)、金鐘範、申某、金烔斗、李康夏

△日本人側 …憲政会代議士・山道襄一、革新倶楽部代議士・中野正剛、堺利彦、大杉栄、中濱鐡、小牧近江、松本淳三 朝鮮側主催でこれほど大規模な演説会が開催された前例はない。それだけに世間の熱い注目をあつめてり、警戒は今からすでに非常に厳重である。」一九二二年九月六日『東亜日報』

補足(2008年4月14日)

一九二二年の朴烈の主な活動

一九二二年一月四日 一一名の連名で『朝鮮日報』紙一月四日号に「同友会宣言」を発表

一九二二年四月 淀橋署に一六日間検束。[英国皇太子来訪のため予防拘束]中浜は皇太子の訪問地を移動。

一九二二年四-五月 金子文子と同棲、

一九二二年七月一〇日『黒濤』創刊

一九二二年八月一〇日 『黒濤』第二号                 

一九二二年八月 信濃川虐殺真相調査会が組織され調査委員として参加、中浜哲も現地調査。

一九二二年八月頃 新潟現地調査に赴く。[新居格の信濃川虐殺に関する論文に、イニシャルBとあるが朴烈の事か]

一九二二年九月 中西伊之助「不逞鮮人」(短編小説)『改造』誌四巻九号に発表

一九二二年九月七日 調査会主催「新潟県朝鮮人労働者虐殺問題演説会」朴烈は現地調査を報告

一九二二年 ソウルの思想研究会から招待され「信濃川虐殺真相報告演説会」に出席

一九二二年一一月 黒濤会分裂は決定的になる。黒友会の成立。「日本における鮮人労働運動黒友会」申煖波(『労働運動』一〇号、二三年一月一日)

一九二二年一一月七日頃『太い鮮人』第一号発行 枠外に「フテイ鮮人」と記載「破れ障子から」金子文子、朴烈『太い鮮人』はモット早く出る筈だったが朴烈が例の信濃川の虐殺事件で現場へ行ったり所用有って朝鮮落ちをしたりで遅れた

一九二二年一二月一九日 頃『太い鮮人』第二号発行「所謂不逞鮮人とは」朴文子


この事件の研究文献としては『新潟近代史研究』第三号八二年「中津川水力発電所における朝鮮人労働者虐待・虐殺事件、東亜日報掲載の資料紹介」張明秀。『在日朝鮮人史研究』「新潟県中津川朝鮮人虐殺事件」佐藤泰治、八五年がある。

『亜細亜公論』が「事件」に対する感想をハガキでのアンケート回答として掲載している。社会主義者や朝鮮にゆかりのある文化人の回答が掲載されている。

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