大乗推命学会ノ心得
「学ぶに暇あらずというものは、暇ありても亦学ぶこと能わず」(淮南子)
[要約]
暇がないから勉強できないと言う人間は、暇ができても学ぼうとはしない。
「筆を取れば物書かれ、楽器を取れば音立てんと思う。・・・。心は必ず
事に触れて来る。仮にも不善の戯れをなすべからず。あからさまに聖教の
一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。率爾にして多年の非を改むる
事もあり。仮にいま、この文を披げざらましかば、この事を知らんや。
これすなわち触るるところの益なり。心更に起こらずとも、仏前にありて
数珠を取り、経を取らば、怠るうちにも善業自ずから修せられ、散乱の心
ながらも縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。事理もとより二つ
ならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。強いて不信を言ふべからず。
仰ぎて之を尊むべし」(徒然草)
[要約]
人間は、とかく身近なものに心が惹かれる。だから良いと思われることは、
たとえ、それが他人の真似であっても躊躇することなく、どしどし行うべきで
ある。外相とは外見。内証とは心。よって善事の真似が最初は外見だけで
あっても、その真似を怠りなく行っていると、ついには心がそのようになる。
つまり修養が、やがては本物になる。だから第三者から見て、「あんなもの
は偽善者がすることだ」なんて言うよりは、むしろその方法を進んで見習う
とよい。
上記は、「大乗推命学会ノ心得」に掲載されている一部です。
失礼ながら「耳が痛い」という方もおられるかも知れません。
とくに解説は不要と思いますが、亀石先生はこのような文章がお好きで、よくお話を承りました。
いま、あらためて再読しますと、心に響く言葉ばかりです。
「少年老い易く学成り難し」に終わらないよう、日々の心掛けと精進が大切ですね。