因縁自覚

 

 8月4日からはじめましたこの「四柱推命は神様の黙示録」のブログも、本日でちょうど100回目となりました。
 100日間続けて書くことを身をもって体験し、なかなか大変だったなぁーというのが正直な感想です。


 人によれば、1年以上も毎日ブログを書いたり、メルマガを発行されたりしている方がありますが、その根気と熱意に敬服致します。


 本ブログのタイトルが「四柱推命は・・・」と唱っているのに、四柱推命の話が少し少なかったので申し訳ないと感じています。
 四柱推命の話はどうしても専門的になってきますので、テーマ選定は苦慮しました。


 その点、神理の話は、どなた様でも話せば分かると思います。
 四柱推命より大切なお話ですので、テーマの数も多くなってしまいました。


 本日で、当初の目標であった100日間連続して書かせていただくことは達成しましたので、あとは1週間に1回か2回くらいのペースで続けて書きたいと思っています。
 これからもどうぞよろしくお付き合いの程お願い致します。


 さて本日は、自分で言うのも何ですが、100回目の記念する日ですので、とっておきのお話をさせていただきます。
 まずは、わたくしが平素ご指導いただいています自由宗教一神会の会長様のご講話を謹んで掲載させていただきます。




     因縁自覚
  助けてください 助けてくださいと言ってお願いしても
  自分の因縁を知らない者が助かりましても
  助かったのか 偶然に良くなったのか
  自然に良くなったのだろうと 自分に
  都合のよい考え方をして 神様のおかげであることを
  忘れてしまうので 助かったことが無駄になってしまう
  神の方から言えば 助けても無駄であったということに
  なるので 助けるにも助け方があるのですよ

  
  人間が自分の因縁を悟っていれば
  本当は もう駄目になってしまうところ
  或いは 目茶苦茶になってしまうところ
  或いは不孝(原文のまま)になってしまうところを
  助けていただいたというように悟れまして
  感謝もお礼も出来ますが 自分の因縁を
  知らない 因縁自覚が出来ていない人は
  助かっても 助けていただいても
  わからないから やがて落ちてしまう 
  つまり人生の落伍者となってしまう  
  本当に因縁自覚は必要です

  
  いまの世の中に生きているものは とくに人間は
  皆々良い因縁の人なぞ 一人もいない
  運が良い人がいても その人も因縁は
  良くないわけだ なぜだろう
  いま生きている人間全部 
  おわびとお礼を知らなければ
  今度生まれ変わったときに 人間になれるか
  何うか 危ういものだ
  因縁自覚のない者には
  おわびもないし お礼もない
                          会長
              平成一年十一月二十八日



 運の良くない人は、皆、因縁が良くない人です。
 運を良くしたい、何とか幸せになりたいと思っている方が、占い師のところに行ったり、自ら四柱推命はじめ占いを勉強されます。
 わたくしの場合もそうでした。


 でも、残念ながら、四柱推命のどこにも運を良くする方法はひと言も触れられていません。
 紫微斗数には、開運法があるようにいままで申し上げたかと思いますが、それとても根本的なものでなくあくまで対処療法に過ぎません。


 真の開運は、自力と他力が上手く組み合わさってはじめて達成できるものです。


 自力とは、自助努力でこちらのほうは案外皆様されています。
 問題は他力のほうです。
 他力がはたらかなければ、自力だけでは形に現れないのです。

 
 この世はすべて二象一態、陰陽で成り立っています。
 開運も、陰と陽が合わさってこそ現象として実感できます。

 陰が他力、陽が自力。

 神様のご守護をいただかないと助かったとか、良くなったということが現れてこないと思います。


 そのためには、どうすればよいのか??


 その方法が上記のお話にはっきりと示されています。


 おわび(お詫び)とお礼(感謝)です。


 これが、根本的な他力、つまり神様のこ守護をいただく方法です。


 とくに大事なのは、お詫びです。


 神様にお詫びされている方は、ほとんどおられないのではないでしょうか。


 でも、これが究極の開運法です。


 お詫びも、口で言っているだけでは駄目です。


 「神様、どうかわたしが●●したことをお赦し下さい。申し訳ありませんでした。お詫び致します。」と唱えても、神様は、「分かった」と言われるだけで、「良くしてあげよう」とは言われません。


 「神様、わたしが●●したことは本当に申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。」
 「そのお詫びのしるしとして、◇◇日間、これこれしかじかの事をさせていただきます。」 あるいは
 「お詫びのしるしとしまして、ここに金□□円をお供えさせていただきます。」というようにお詫びを形に現すことが大事です。
 この世は現象世界だからです。


 そして、ここで問題となるのは、「●●」の部分です。
 自分の過去(前生を含む)のどのような行いの結果が、いま(今生)の不幸不運になって現れたのか、つまり事情身情問題の原因を探るということです。
 

 自らの因縁を知り、因縁自覚をするということです。


 そのために神理の勉強をしなければなりません。
 神理(真理)に外れた行いが不幸不運の原因、つまり良くない因縁となって魂に引っ付いているからです。