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四柱推命は神様の黙示録

2010-04-29

生きがいが感じられる仕事


 超心理学者で宗教家でも著名な、本山 博先生の講演会に参加することになりました。


 本山 博先生のプロフィールについては、インターネット百科事典ウィキペディアに次のように掲載されています。


『母の指導の下、幼少の頃より滝行や断食、般若心経の読誦などの修行を行っていた。クンダリニー・ヨーガに造詣が深く、立花隆によればその研究は世界的に有名であり、ユネスコ本部より世界の著名な超心理学者十人の一人に選ばれた。心霊手術やユリゲラーの超能力、外気功、福来友吉の念写の研究、霊の憑依現象、輪廻転生等に肯定的な発言をしている。また、本人の話によれば、母親が霊能力者であり(生みの親、育ての親2人とも)滝の水を逸らしたり、海の上を歩くことが出来たそうである。』


 本山先生の講演会参加に先立ち、先生の著作を読むようにということで、講演会主催者より推薦のあった「愛と超作」(宗教心理出版)を買い求めて読みました。


 何冊か推薦図書があったのですが、この本の副題には、「神様の真似をして生きる」と書かれてあり、この言葉に惹かれてこの本に決めました。


 読みやすくて、心の糧になる良書と思います。

 聞き慣れない言葉である、「超作」についてご興味のある方は、是非、お読みになられることをお奨め致します。(アマゾンで購入可)


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 わたくしはこの本のなかで、とくに印象深かったのは、次のところです。

 少し長くなりますが、引用させて頂きます。


 --- 本山 博著 「愛と超作」より引用 ---

  仕事に上下はない

 この世に再生してきた理由というのは、自分がしないといけない仕事を一生懸命にして、それを通して霊的な成長ができること、そして自然や人間全体が調和をした状態をつくること、そして神の国が実現できるようにすることだと思います。それが、この世をおつくりになった神様のご経綸であり、それに沿うように動いたらいいのですよ。


 だから、仕事は、自分に合った仕事ならば何でもいいのですよ。自分に与えられた仕事で、ああ、これこそは自分の生きがいだと思えるもの、それが自分の仕事なのです。

 −中略−

 生きがいのない仕事は、いくら努力してもやっぱり続かないのですよ。その訳は、自分が前生から行なってきたことによって、AならAということに生きがいを感じるように、自分で自分をつくったからなのです。そしてAという仕事に生きがいを感じて働けるような意志や力、智恵、能力というのは、神様から戴いたものなのです。

 そういう点では、仕事には上下はないのです。

 --- 引用終わり ---


 いかがでしょうか?

 いまの自分の仕事に意欲が沸かない人は、その仕事に生きがいを感じておられないということでしょう。


 「生きがいが得られるような仕事は、神様に向いてお祈りしていれば、自然に授かりますからね。」とも本山先生は言っておられます。

 

 また、生きがいを感じる仕事をしないと人間的に伸びないのは当然のことですが、と同時に、嫌いなこともしないと器の小さな人間になるともおっしゃっています。

 このあたりはバランス感覚の問題でしょう。


 この世の幸不幸の尺度はいろいろありますが、そのうちのひとつに生きがいが感じられる仕事に就いている人は幸福な人、といえるのはどなたであっても否定はされないと思います。


 ただ、問題なのは、生きがいが感じられるような仕事であっても、それで一人前の収入が得られるかどうか?、家族を養っていくことができるのか?、こういうことで悩んでおられる方は結構多いのではないかと思います。

 とくに芸術家や占い師のような仕事をしている人の中に多いように思います。


 難しい問題ですが、これに関してわたくしが平素お世話になっています自由宗教一神会の創立者である浅見宗平会長様のことをご参考にお話させて頂きたいと思います。


 会長様は、その昔、お若いときには働きながら自宅の一室に神様をお祀りして、信者さんの参拝やご相談に乗っておられました。


 専業の宗教家として立ち上がられてからも、社殿や神楽殿などの社屋建築は、当初は自ら図面を引かれたり建築に携わったりして、できるだけ無駄な費用は削って、自分たちでできることは自分たちでされたようにお聞きしています。


 そのときに、会員信徒からは寄付の強要などは一切なさらず、もし、建築費が足らなければ自分たちで外に働きに出て稼いでくるという信念でいらっしゃいました。


 宗教家は人助けが仕事であるのに、寄付や寄進を信者さんに割り振ったり強要するようでは、逆に助けられていることになり本当の宗教家ではない・・・、というような考えをお持ちでした。


 本当に生きがいを感じられる仕事とは、世の中の役に立ち人様の為になる仕事であるはずです。全力で仕事に取り組んでいけば、食べていけないはずはないと思います。

 もし、そうでないのなら、何かやり方が間違っているのか、創意工夫が足りないのか、理由があるはずです。

 

 自分が選んだ生きがいが感じられる仕事で、どうしてもそれだけでは食べていけないなら、他の収入が得られる仕事と並行してでもやり続けられるか?

 神様はその人の覚悟のほどを見ておられるのではないでしょうか。


 生きがいが感じられる仕事が間違った選択でない場合は、いつかきっとその仕事のみで、食べていけるようになるものとわたくしは信じています。

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