都市の力と遺伝

都市の力はやっぱりすごい。
ランズバーグの「フェアプレイの経済学」、バーンスタインの「豊かさの誕生」でも強調されていることだが、人が多いほどその中で新しいアイディアを思いつく者が増える。また、アイディアとアイディアがぶつかり合うことで進歩が生まれる。つまり発展というものを考えた場合、人的な要素としては都市は不可欠なのだ。「アフリカの悲劇」の原因の一つは、気候・地形が都市の形成に向かなかったことなのだろう。都市を利便性やライフスタイルから捉えること以外に、発展の原動力となっていることにも目を向けねばならないだろう。
また、初期の文明においては、定住生活とそれを支える農耕の技術が必要になるはずだ。人と人が密に暮らすためには農業は必須である。一定の人数を支えるために必要な土地の面積という視点で考えると、狩猟生活は農耕生活よりも遥かに広い土地が必要になる。これは人と人が密に暮らすことには向かないのは明白である*1。更に農業の生産性が上がると、農業以外に従事する人の存在も可能になり、これもまた発展の原動力となる。

ここで、以上のような従来からの発展の議論とは別の角度から都市のことを考えてみたい。それは遺伝子のことである。
ドーキンスの「延長された表現型」によれば、ビーバーのダムなども遺伝子の産物として捉えることができる。木を組み合わせたものがはたして遺伝子の産物なのだろうか。
ドーキンスの議論を私なりの言葉で展開すると、動物の体格などは遺伝で規定される。同様に毛なども遺伝で規定される。よく考えてみると、毛というものは生えた後は死んだ細胞の集まりである。次に貝の貝殻も遺伝子の産物であるが、これは細胞どころか単なる分泌物の固まりである。こうなると、ビーバーの体とは全く関係のない材料でできているダムも遺伝子の産物であるという説に納得せざるを得ない。
ならば、都市も遺伝子の壮大な産物と捉えることもできよう。しかもこの遺伝子の産物は単体の生物の遺伝子ではない。多人数の遺伝子の産物なのだ。誤解をさけるため書いておけば、アフリカに住んでいた人が都市形成の遺伝子を持っていなかったなどと言いたいわけではない。発展のための条件がいくつかあって、少なくともそれらの一つが欠けるとだめだろうということだ。アフリカの場合は気候・地形の制約が大きかったのだろう。

ただ、アフリカに生まれた人類が徐々に散らばっていってメソポタミアで農耕を始めたとき、保守的でアフリカにとどまろうとした人々と、好奇心に突き動かされ旅に出た人たちには、遺伝的な差があったに違いないと考えている。新奇性探索傾向にはD4DR遺伝子というものが関係していると考えられており、この差が関係している可能性は高いと思う。
また、中国はかつてあれだけの大国であったにもかかわらず、科学技術の発展にはあまり寄与していない。対して、ヨーロッパでは科学技術が花開いた*2。この部分には遺伝はどのくらい関与しているのだろう。停滞していたヨーロッパが急に技術革新に目覚めたのだから遺伝だけが原因ではないだろう。ウェーバーの言うように宗教の影響もあるのだろうか。

更に都市の特徴は色々な地域からの人の流入が起こりうることである。都市におけるアイディアとアイディアのぶつかり合いも遺伝的に多様な人がいれば更にユニークなものになるに違いない。

*1:輸送・交易が発達してくると都市から離れたところで農耕ということが可能になるが初期は無理であろう

*2:もっとも、ヨーロッパで科学の進歩が停滞していた時期にはイスラム教文化圏で科学の進歩が続いていたということはあるのだけれど