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fuzzy dialogue

20160320

秘密結社の遍在:本牧アートプロジェクト2015 石神夏希『ギブ・ミー・チョコレート!』

 『ギブ・ミー・チョコレート!』は 2015年12月12日(土)・13日(日)、本牧アートプロジェクト2015のプログラムとして上演された。指定された人物に会うたび手渡される秘密の「指示書」を頼りに、本牧各所を参加者が伝ってめぐる公演である。

 参加者はまず受付での指示に従って、会うべき最初の人物である「番人」に会い、「指示書」を受けとる。「指示書」には次に会うべき人物の居場所と、話しかけるべき合言葉=符丁が書かれている。新しく人と会うたびに新しい「指示書」を受けとりながら本牧のまちを転々として、三人の人物との接触を果たすと、本牧に隠された「楽園」へ行けるようになるのだという。これらの接触はすべて秘密裏になされなければならない。なぜなら参加者が会うように指定される人物たちは、「本牧を愛する人々で結成された秘密結社【GMC】のメンバー」たちだからだ。秘密結社に関わることはこっそりやるのが世の道理である。

 彼/彼女たちは本牧の日常にまったく紛れこんでしまっていて、一見したところ秘密結社のメンバーだとはわからない。なにぶん結社のことは秘密だから、真っ当に話しかけると日常通りの言葉が返ってくる(言葉さえ返してもらえないかもしれない)。合言葉によってはじめて生じる参加者とメンバーとの短い接触は、だから、参加者が次の「指示書」を手に入れるためだけの単なる手続きではない。参加者とメンバーとがそれぞれ装っていた互いに交わらない日常が数秒のあいだだけ翻されて、秘密を共有する仲間同士としての交流がメンバーと参加者との間に生じる。「指示書」はむしろ、その帰結として参加者へ渡されるにすぎない。接触の方法は、秘密を共有する快楽を参加者に(そしておそらくメンバーにも)体験させる仕組みとして設計されているのだ。

 筆者が最初に受けとった「指示書」の隅には小さく「#D-1-1」と記号が書かれている。おそらく複数のルートがあり、ルートによってはさらに分岐があるのではないだろうか。同時に歩いている参加者は何人もいたはずだが、筆者は他の参加者にはひとりも出会わなかった(あるいは気づかなかっただけなのかもしれない)。本牧通りを根岸方面へ、間門の手前まで進み、都合三枚の「指示書」を受けとったところで次の予定へ向かう時刻になってしまって、「楽園」へはたどり着けていない。

 出演者たちが秘密結社【GMC】のメンバーである、というのはもちろん、(ツアーパフォーマンスにおいて語られるさまざまな物語や意見、感情がしばしばそうであるように)本牧のまちに重ねられた虚構にすぎない。そのような上乗せされた虚構が、まちの底から染みだしてきたものであるかのように(まちや俳優やテキストが参加者の想像力を媒介することによって)次第に感じられてくる体験は、けれど、ツアーパフォーマンス一般においてあり得ることだ。『ギブ・ミー・チョコレート!』において特異なのは、「本牧を愛する者たちで構成された」のだという秘密結社【GMC】が、『ギブ・ミー・チョコレート!』を上演するために「本牧を愛する者たち」で構成された実在の結社だという点である。まちに重ねられた虚構にすぎないはずの秘密結社はまちの底から染みだしてきた実在のものとして、ある種のトロンプルイユのように裏返って再度参加者のまえに現れる。虚構の人脈を縫ってまちの表面をなぞっているつもりでいたのが、いつのまにかまちの日常に忍びこまされていたことに気づかされるのだ。

 そのように忍びこまされる日常のターミナルとして「楽園」があるのだとしたら、「楽園」と呼ばれるべき場所は実際には本牧の外にも、また内にも、そこにある日常(≒結社)の数だけあるはずだ(ただしすべての日常が、余所者が「楽園」にまで忍びこむことを許容してくれるわけでは当然ないだろう)。日常は一様ではない。まちを歩くとき、自分の目には映らない日常を過ごし、知らない「楽園」へ向かう人びとと、今日も明日もすれ違っているのかもしれない。

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