ほそい道:贅沢貧乏『ハワイユー』

 贅沢貧乏『ハワイユー』は西大島のとある物件で 6月 20日まで、およそ週 3日のペースで上演中。3作品を上演した「家プロジェクト(うちプロジェクト)」を後継する「家プロジェクト アパート編」の 1作目にあたる。「家プロジェクト」で一軒家を借り切ったのと同様に、「アパート編」では 2階 2部屋、1階はおそらく元住居兼店舗、の物件を借り切っているようだ。

 西大島の駅前で待ちあわせて、時間になったらガイドスタッフに従って南の住宅街へ、 15分ほどをかけて歩いていく。アパートの外のスペースで少しの説明を受けてその指示通りに、一人ずつアパートの 2階へ上がっていくことになる(なぜ一人ずつかというと、入口と階段がともに、すれ違うにも多少の慣れが必要なくらいの幅だからだ)。

 説明される「上演開始の合図」まではしばらく間があって、それがあるまで部屋のなかを自由に観察することができる。といっても部屋には既に家主の田井(大竹このみ)が帰ってきていて、すでに演技は始まっているから、合図まで立ち歩いている観客はあまりいないかもしれない。美術はよく作りこまれていて、日常にあり得る生活とほとんど区別がつかない(その大部分は実際に、そのまま生活に使っても差し支えないものだろう)。部屋の入口のふせんや壁に張られた手書きの申し送り、そして唯一不自然さを残すポスターなどから、田井のおおよその日常を事前に窺い知ることができる。合図が鳴って開演する。

 実際の生活にあり得ることだけが起こる。筆者が観ている贅沢貧乏の作品『タイセキ』『ヘイセイ・アパートメント』『みんなよるがこわい』ではリアルな生活の描写を軸にしながらも、ファンタジックな描写もまた必ず挿入されていた。例えば人間でないものが登場したり、その場に実在しないはずのものが置かれていたり、ある俳優の声が隣にいる(聞こえていないのが不自然な位置にいる)俳優に聞こえていなかったり、といったようなことだ。

 『ハワイユー』ではその類のことは(東京デスロック『東京ノート』のように、観客が俳優に(存在を知覚されながらも)徹底的に無視される、という一事を除けば)一切起こらない。二人の俳優はお茶を飲んでにんじんを食べ、花に水をやってトイレに行き、時おり電気を消して部屋を出ていく。コップを洗ったり服を着替えたり、電気を消し忘れそうになったりもする。起きた問題が解決するとは限らないし、だれかの決意に置いていかれることだってままある。そういった描写だけで今回本が書かれたのは、なにか変化があったからなのかもしれない、と思った。内容的には『みんなよるがこわい』からの流れを特に感じた。

 観客の体験がたいへん細かにデザインされていて、それがもっとも印象に残った。思い返してみれば公演のあいだずっと、いや待ちあわせた駅前からずっと、観客は本来可能であるはずの行動のうちほとんどを言外に制限されて、あるいはある種の行動を(一定の範囲で)強制されていた。わざと細い路地を使うアパートまでのルート取りも、アパート前で説明を行うその場所の設定も、入室後の振舞いについての指示内容も、概ねそのように機能したと言ってよいだろう。必ずしも観客に明示されない演技を、けれど少しずつ、できる限り目撃させる。観客の平常(観劇へ意識を傾けきらない前の状態)とまちの日常、そして上演とを断絶させないまま少しずつ開演するために敷かれたほそい道が用意されていたように思う。

 反面、終演があっさりと示されたので、帰りはかえって抜けきれずにふらふら歩いた。つい癖で、来た道を逸れて明治通りへ出ると、この町の違う面を偶然目にしたような心地がした。それを端緒になんとなく切り離されはじめた気になってそのまま、歩いて、駅の階段を踏んだくらいのところで、ようやく確かに終演したように思われだした。

秘密結社の遍在:本牧アートプロジェクト2015 石神夏希『ギブ・ミー・チョコレート!』

 『ギブ・ミー・チョコレート!』は 2015年12月12日(土)・13日(日)、本牧アートプロジェクト2015のプログラムとして上演された。指定された人物に会うたび手渡される秘密の「指示書」を頼りに、本牧各所を参加者が伝ってめぐる公演である。

 参加者はまず受付での指示に従って、会うべき最初の人物である「番人」に会い、「指示書」を受けとる。「指示書」には次に会うべき人物の居場所と、話しかけるべき合言葉=符丁が書かれている。新しく人と会うたびに新しい「指示書」を受けとりながら本牧のまちを転々として、三人の人物との接触を果たすと、本牧に隠された「楽園」へ行けるようになるのだという。これらの接触はすべて秘密裏になされなければならない。なぜなら参加者が会うように指定される人物たちは、「本牧愛する人々で結成された秘密結社【GMC】のメンバー」たちだからだ。秘密結社に関わることはこっそりやるのが世の道理である。

 彼/彼女たちは本牧の日常にまったく紛れこんでしまっていて、一見したところ秘密結社のメンバーだとはわからない。なにぶん結社のことは秘密だから、真っ当に話しかけると日常通りの言葉が返ってくる(言葉さえ返してもらえないかもしれない)。合言葉によってはじめて生じる参加者とメンバーとの短い接触は、だから、参加者が次の「指示書」を手に入れるためだけの単なる手続きではない。参加者とメンバーとがそれぞれ装っていた互いに交わらない日常が数秒のあいだだけ翻されて、秘密を共有する仲間同士としての交流がメンバーと参加者との間に生じる。「指示書」はむしろ、その帰結として参加者へ渡されるにすぎない。接触の方法は、秘密を共有する快楽を参加者に(そしておそらくメンバーにも)体験させる仕組みとして設計されているのだ。

 筆者が最初に受けとった「指示書」の隅には小さく「#D-1-1」と記号が書かれている。おそらく複数のルートがあり、ルートによってはさらに分岐があるのではないだろうか。同時に歩いている参加者は何人もいたはずだが、筆者は他の参加者にはひとりも出会わなかった(あるいは気づかなかっただけなのかもしれない)。本牧通りを根岸方面へ、間門の手前まで進み、都合三枚の「指示書」を受けとったところで次の予定へ向かう時刻になってしまって、「楽園」へはたどり着けていない。

 出演者たちが秘密結社【GMC】のメンバーである、というのはもちろん、(ツアーパフォーマンスにおいて語られるさまざまな物語や意見、感情がしばしばそうであるように)本牧のまちに重ねられた虚構にすぎない。そのような上乗せされた虚構が、まちの底から染みだしてきたものであるかのように(まちや俳優やテキストが参加者の想像力を媒介することによって)次第に感じられてくる体験は、けれど、ツアーパフォーマンス一般においてあり得ることだ。『ギブ・ミー・チョコレート!』において特異なのは、「本牧を愛する者たちで構成された」のだという秘密結社【GMC】が、『ギブ・ミー・チョコレート!』を上演するために「本牧を愛する者たち」で構成された実在の結社だという点である。まちに重ねられた虚構にすぎないはずの秘密結社はまちの底から染みだしてきた実在のものとして、ある種のトロンプルイユのように裏返って再度参加者のまえに現れる。虚構の人脈を縫ってまちの表面をなぞっているつもりでいたのが、いつのまにかまちの日常に忍びこまされていたことに気づかされるのだ。

 そのように忍びこまされる日常のターミナルとして「楽園」があるのだとしたら、「楽園」と呼ばれるべき場所は実際には本牧の外にも、また内にも、そこにある日常(≒結社)の数だけあるはずだ(ただしすべての日常が、余所者が「楽園」にまで忍びこむことを許容してくれるわけでは当然ないだろう)。日常は一様ではない。まちを歩くとき、自分の目には映らない日常を過ごし、知らない「楽園」へ向かう人びとと、今日も明日もすれ違っているのかもしれない。

揺れる針先:BricolaQ『演劇クエスト・本牧ブルース編』

 上等なコンパスの盤面は透明なダンパオイルで満たされていている。粘性の高いこのオイルは磁針の動きを妨げない、一方で、その位置が定まるときに起こるぶれを小さく抑える役割をする。それは登山やオリエンテーリング、それらに関わる簡単な測量に際して、正確な方位を知るために必要な機能だ。けれどそれを知らせることだけが本当にコンパスの役割だろうか。

 BricolaQ『演劇クエスト・本牧ブルース編』は 11月 22日(土)から 24日(月祝)にかけて上演された。参加者は旧マイカル松竹シネマズ本牧で「冒険の書」を受けとり、「冒険の書」に従って本牧の町を歩くことになる。

 前作『演劇クエスト・京急文月編』では前説の形式、開始直後の移動ルートなどによってスタート当初から参加者同士がまとまりやすい(≒コミュニティを形成してしまいやすい)形式になっていた。PortB『完全避難マニュアル 東京版』についても以前似たようなことを書いたけれども、ツアーパフォーマンスにおいて、特にコミュニティを相手にする(あるいはし得る)ツアーパフォーマンスにおいて、集団での参加と個人での参加とでは体験が大きく異なってくる。参加者たちは集団となることによってあらかじめ参加者のコミュニティを形成してしまい、それはツアー先のコミュニティに対して悪い意味でのクッションとなるからだ。少なくとも遊歩的な振舞いからは遠のいてしまう。

 本作においてはその点が徹底的に修正されている。集合時間に幅を持たせたことも前説を取りやめて「冒険の書」を手渡すだけにしたこともスタート直後にすぐ分かれ道を作ったことも、そればかりが目的ではないとしても、参加者たちを(スタート直後の段階では)まとまらせない方向に強く作用したといえるだろう。

 参加者たちは出発後間もなく 4ルートのうちひとつを選ばされることになる。旧映画館を出てすぐの四つ辻の交差点で、東西南北どちらへ進むか選択を迫られるのだ。けれどどの方角へ向かったとしても、参加者は共通して 2つのアイテムを手に入れることになる。ひとつは本牧にまつわる記憶の存在を示すカード。もうひとつは長さ 2センチほどのうすい針と、申し訳程度に八方位・十二方位が記された文字盤をプラスチックのケースに封じた小さな方位磁針=コンパスである。

 このコンパスは必要があって導入されるものだ。今回の本牧に設定された冒険エリアは網の目のようになっていて、参加者は「冒険の書」に従って同じ道を何度もループすることも、同じ交差点へ別方向から侵入することもできる。単視点からの記述では別方向からの参加者を迷わせてしまうし、それを避けようとすれば章の数を膨大なまでに増やさなければならない。けれど鳥瞰からの記述にしてはそもそもツアーの趣旨を損なってしまう。主観的な記述のなかに、鳥瞰的だけれども掌に収まる、手触りのある目印を示せるものとしておそらくコンパスは導入された。

 そうしてその針先が、けれど常に定まらず、「おおよそこの方向」という大まかな指標だけを参加者に与え続けたことが、私にとってはもっとも印象的だった。冒険は自由だけれども、選べる道はいずれにせよ片手で数えるほどしかない(七叉路を除いては)。オイルコンパスのような精度を出せる必要はないのである。一人で進む方角を決めるためにはその道のすこし先に何があるかについての知識、そのさらに先に何がありそうかについての予見、そして指標を与えて選択を後押ししてくれるもの、たとえば細かく揺れる針先さえ手のなかに揃っていればよい。


 考えてみればバスにはすこし先の知識もさらに先の予見も揃っている。どこで降りるかを選ぶためには、(おおよその場合そうであるように)あらかじめ決断を後押しするなにかに出会っておくか、あるいは車内で出会いさえすればよい(もしなににも出会わなかったなら、バスが終点まで連れて行ってくれる)。この日の朝は横浜駅から和田口まで行くつもりでバスに乗ったのだった。三渓園へ向かうバスはひどく混みあってやたら賑やかで、電車で移動する横浜とはもう、冒険のスタートより前から景色が違っていた。途中で小学生二人が混んだ車両へ乗りこもうとしたところへ運転手が、前の乗車口はもう混んで駄目だから、降車口から乗って降りるときに前へ回って払いなさい、小学生? じゃ 100円、中学生? 小学生、じゃ 100円だ、とやって、バスの中に笑いが起きたのは、もしかしたらあの日のベストシーンだったかもしれない。三つあとの停留所で彼らが降りたのを半ば追うようにしてバスを降りると、目の前には公園が広がっていた。

震えをおこす/呪いとグルーヴ:BricolaQ『演劇クエスト・京急文月編』

 大谷能生は「それまで無関係だと思っていた過去が突然のようにつなぎ合わされ、一つの現在となって鳴り響くこと。現実に流れる時間のなかで、複数のものが一つになり、一つのものが複数に分岐してゆく(中略)ような振動状態」を「グルーヴィー」であるとした(『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』2013年 本の雑誌社、p.16)。ブレイクビーツを丁寧に解説してきたこの「二つになる一つのもの(グルーヴとは何か?)」と題された文章にはここでグルーヴの定義が置かれ、後半でその概念が大きく拡張されていく。音楽はもちろんダンスや演劇、キスやセックス、あるいはさらに単純な、話す、聞く、といった行為にまで。


 BricolaQ 『演劇クエスト・京急文月編』は7月12日(土)に三浦半島を主な舞台として上演された。参加者は井土ヶ谷の BlanClassで「冒険の書」と「プレイヤーカード」を受けとり、「冒険の書」に従って三浦半島を、主に京急電鉄線を利用して「冒険」していく。

 「冒険の書」はゲームブック風に作られていて、段落番号を付与された文章が、けれど読む順番としてはランダムに配置されている。ある文章の続きを読むには、段落の最後(あるいは途中)で指示される段落番号を追っていかねばならない。続きが二つ以上指示されていれば、そこで物語が分岐する。先は見えないけれど、前へ進んでみるとすこし先までは見えるようになる。

 「プレイヤーカード」として参加者に配られるのは二枚のカード、大アルカナのタロットカードと、その解釈が記されたカードである。この「プレイヤーカード」を「呪い」と表現したのが BlanClassで出発前に上映されたスライドだったのか、タロットを配布した落雅季子だったのかははっきりとは覚えていないけれど、落だったのではないかと感じる。

 解釈が記されたカードにはそのほかに、「あなたの設定」「質問」が書かれている。「冒険」中つねに念頭に置いておく様に指示されるこの二つの言葉はかわいらしいようでいて、けれどその実、まさに参加者にかけられた呪いそのものだ。なぜなら普段いわば「いつもの私」としてだけあるはずの参加者は、これらの言葉によって二分されて「いつもの私」と「設定に従う私」とを行ったりきたりすることになるからだ。呪いは参加者自身をグルーヴィーな状態にする=参加者の内面を二分して、互いに出会わせる役割を果たすことになる。

 大谷によればたとえば演劇について、「ある社会で暮らしているある人間が、それとは異なった状況を演じてみせること」もまたグルーヴィーである。「自分が自分のまま、異なった存在としてあることへの可能性。舞台の上にはそのような経験を載せることが出来る」。対して呪いは舞台上の人物ではなく参加者自身を二分させて、そのような経験をさせる(かもしれない)。(いつもの)私と(設定に従う)私とが分けられて、しかし時折出会うような状態はすでにグルーヴィーだし、そこへさらに他者との出会いがあるようなら、それはさらに大きなグルーヴを生むだろう。

 このような呪いのはたらきは、単独でよりも、本作のテーマである遊歩の振舞いへ参加者を近づけるものとして効いてくる。(遊歩者がそうであるように)参加者がその内面を二分されたまま三浦半島を遊歩するのを助けるために仕組まれていた。


 僕がひいたタロットは審判の逆位置、設定は「大切な人とけんか中」。質問は「今まででいちばんつらかった仲違いは、どんなものでしたか?」だった。

 個人的な話になるけれども、金沢八景をこのような形で訪れることになるとは思っていなかった。初恋の相手がこの町に住んでいたのだけれど、横浜より西へ僕が足を踏みいれることは高校卒業まではついになかったのだった。僕たちはおなじ部活の同期で、僕たちの代はひどく他愛のない(そして当時の自分たちからすれば、どうしようもなく深刻な)けんかばかりしていた。それはもういちばんではないけれど、自身の内面を二分するには十分な材料だった。

 当時の具体的なエピソードを思いだしたのは上演が終わってからのことだけれど、その意識が置かれていなくても僕はその日、通りがかりの犬に吠えられて財布を落としたおばさんの小銭を拾ったり、列車の先頭に座りたそうな子供に席を譲ったり、角打ちで中瓶を空けていく男たちと肩を並べたり、ゲーセンにマイダーツをもってきてひとり練習する学生のとなりで下手なダーツを投げたりしたのだろうか。あるいはひとりで「冒険」するつもりがパーティに加わり、最後には 8人ばかりでテーブルを囲んで飲むようなことを。けれど少なくとも BlanClassに戻ったところで、魔女に頼みこんで「けんかしている人と仲直りできるか」占ってもらうようなことをしたからには、なにか呪いによる震えがあったのに違いないのだ。

気配の所在:贅沢貧乏 家プロジェクト『タイセキ』

 贅沢貧乏 家プロジェクト『タイセキ』は 7月 7日(月)から 27日(土)まで、週一日の休演日を置きながらほぼ毎日上演中。場所は西大島の一軒家。詳細な位置は公開されていない。西大島は錦糸町や亀戸の近く、新宿からは都営新宿線で 20分とすこしかかる。都営線は駅間が短くて、トランジットのひとつとしてよりも生活移動の手段として、人々が乗りこんでいるように見えた。

 駅前で集合、スタッフのガイドによってまっすぐな川を越えて、「小名木川駅前」交差点でセブン&アイグループの商業施設「アリオ北砂」を横目に住宅街へ。いくつ角を曲がったか数えるのをやめようか考えだした頃、二階建てのその家にたどり着く。

 姉妹がおもに登場する。生活が脱ぎ捨てられ、積み重ねられていくさまとか、スポットを扱うタイミングは見事だし、舞台装置は予想していたよりも演劇的だった。物語じたいへはあまり僕は入りこめなかったけれど楽しんだ。

 気になったのは観客が何者としてそこにいたのかということだ。家の片隅で息をひそめて眺めている様はたとえば甘もの会『はだしのこどもはにわとりだ』における観客にも似ている。けれど本作においては観客自身の身体がその場を占めていることがより強調され、自覚させられる。その感覚が観客の劇への没入感を阻害しもするし、その場に確かにいるのに役者たちからは見えていない、妖精のようなもの=観客としての自身をより認識させられもする。

 観客は演出の山田由梨が許す限り(舞台≒客席としての家のなかで、山田ひとりが自由に動きまわって観客に、移動を促したり、ほのめかしたりする)、家のなかの好きな場所を客席として過ごすことができる。360度が舞台、という感想が散見されるように、家のなかでの観劇に臨んであらためてわかるのは、ひとつの建物のなかでの、あるいはなかからの、気配の伝播のしかた、気分や振舞いの伝わりかただ。

 立教大学新座キャンパスで行われたにれゆり『新座キャンパスで、かもめ。』を参照する。大学の一キャンパス全体を舞台に上演された『新座でかもめ』ではキャンパスという広い場所全体を舞台にしたために、一所で起こった感情や振舞いが必ずしもその瞬間には他所へ伝播しなかった(そのことによる良さも多分にあった)。家という小さな空間では良くも悪くも不十分に伝わってしまう。ひとつの場所のなかでつねに演劇が継続されていて、観客がそのなかで観劇する物語を(完全に恣意的に、ではないにせよ)選択する自由を持つ、しかもそのなかで主軸となる動線/物語の流れが観客に示されている、点で両者は共通しているが、感情や振舞いの伝達=コミュニケーションの早さ、あるいは親密度、という点ではコントラストが表われる(これはどちらがより良い、ということではない)。この家で実際にレジデンス製作しているという、その生活感との重なりも感じられて、それはとても良かった。


 妹が「お父さんはなぜこの家を買ったのだろう」と姉に問いかける場面がある。

 会場の側にあるアリオ北砂は 2010年、貨物駅であったJR小名木川駅跡地に建設された。交差点はその名残りである。小名木川駅へはまっすぐな川=小名木川から水路が引きこまれ、鉄道から水運への荷渡し場としても機能したらしい。その小名木川は旧中川と隅田川をつなぐ古い運河で、その歴史は江戸時代まで遡るのだという。長く物流と近しい町だったのだ。

 父親がなぜこの町を選んだのかは判然としない。けれどこの町に堆積してきたものを積極的に選んだ結果でないことは想像できる。商業的なものとプライベートなもの、以外のものを堆積させることは難しいし、させられたとして、東京で住む場所としての評価にはなりづらい。けれどそこへ堆積してきたものの気配が父親にこの家を選ばせたのかもしれない、と思って一軒家を出た、その塀にかかっていた表札はもちろん、舞台に登場した誰の名字でもなかった。

出会いとシーケンス:池田拓馬× 居間theater 『居間 theaterと巡る、池田拓馬の世界』

 パフォーマンスギャラリーツアー『居間 theaterと巡る、池田拓馬の世界』は 7月4日(金)に 3回、5日に 2回行われた。6月14日(土)から 7月6日(日)にかけて谷中 HAGISOで開催された池田拓馬の展示「主観的な経験にもとづく独特の質感/解体」のギャラリーツアーをパフォーマンスを交えて行う試みである。

 定員は各回5人で、観客はいちどギャラリーで展示を観たあと別室に移動して池田拓馬による解説を聞き、ふたたびギャラリーであらためて展示と向きあう。

 展示の説明が必要だ。池田拓馬による展示「主観的な経験にもとづく独特の質感/解体」では HAGISOのギャラリースペース(カフェスペースと隣接。柱と梁はあるものの壁面と天井がないので、カフェスペースや吹抜け部分とは空間的に区切られない)に壁面と天井を仮設し、そこから四辺形をいくつか切りとっている。これら四辺形はプロジェクタをななめに投影した際にできるいびつな形をしている。切りとる様子は映像として撮影され、ギャラリー内に設置された当の四辺形へ投影される。つまり既に切りとられた四辺形へ、まさにその形を池田が切りとる様子が、等倍で映るのだ。ギャラリーの中からは 4つの四辺形をした穴と 4つの四辺形の板(映像が投影される)を見ることができる、ということになる。

 池田は別室での解説で、この作品が「主観的な経験にもとづく独特の質感」と「主観的な経験にもとづく独特の解体」という 2作品によって構成されていると語っていた(「/」を「スラッシュ」と読んでいたことを印象的に覚えている。)。つまり四辺形の穴があいた壁面天井と、切りとられた四辺形が「質感」であり、四辺形へ投影された映像が「解体」であるという。「質感/解体」において投影されることによってこれら二作が出会い、「今いるここはどこなのか」についての感覚を揺さぶる。


 ギャラリーツアーには池田拓馬と山崎朋しか登場しない。というのは、解説がなされる別室にはかわるがわる居間theaterのメンバーや池田本人が現われるものの、彼らは全員等しく池田拓馬を名乗るからだ(パフォーマーとして現われる山崎朋だけは一言も発さず、名乗りもしない)。

 飲みものを供してくれた池田拓馬が退出したあと、観客とともにテーブルにつき、池田のプロフィールと今作に至るまでの経緯をもっとも詳細に語るのは池田拓馬(稲継美保)だ。「私とはなにか」から「今いるここはどこなのか」に展開した作家の問いを聞かされながら、それを語る「私」が「私」ではない事実に攪乱される。

 稲継と入れ替わりに入ってくる山崎は、けれど、テーブルにはつかずにゆっくりとしたパフォーマンスを行い、そのまま退出する。それから池田拓馬(池田拓馬)が入室し、今作についての説明をしたあと、観客をふたたびギャラリーへ案内する。

 「今いるここはどこなのか」という問いは、映像を含む作品においては「今いるここはいつなのか」という問いもまた内包している。今という言葉自体は伸縮性をもってある時間のシーケンスを示すものだけれども、映像もまた切りとられた時間のシーケンスであって、ためにかならず対比が生じてしまうからだ(映像に没入できる構造になってさえいなければ)。「質感」のうえに「解体」が投影されることによってふたつの「今ここ」が出会い、また引きはがされる(四辺形へ投影された映像のなかで四辺形は取り外されてしまい、その後は壁の向こうの空間が映されることになる)。切りとられた四辺形に穴や傷がつけられているのはおそらくそれを強調するためで、この穴は映像のなかで池田によってつけられていく。

 映像はそのまま続いて、やがて壁の向こう=四辺形のなかをゆっくりと、別室でのパフォーマンスと同じくらいの速度で横切る山崎の姿を映す。けれど壁に実際にあいた四辺形の空洞の向こうを見ると、やはりそこにも山崎がいて、実際にも視界を横切っていくのだ。

 ふたつの役割がある。映像の「今ここ」と現在の「今ここ」をふたたび出会わせる役割と、別室での解説とギャラリーでの体験を別個のものではなく、ひとつのシーケンスとして再認識(≒「解体」)させる役割だ。あるいは作品が「今ここ」を宿らせる先をギャラリーから HAGISO全体へ拡張した、ということもできるかもしれない。

 世界のなかを巡ったというよりは、作品からもうすこし先まで散歩に誘われたような感覚で、けれどそれをどう説明すればいいのか、まだよくわからない。

視線の先:マープとジプシー『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと----------』

 この次にどこを見ているのだろう、と終演時に考えたことを覚えている。舞台はきれいで、どこから写真に撮っても絵になりそうだった。二度目にはぜひ席を変えて観たいと思った。

 マープとジプシー『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと----------』は池袋の東京芸術劇場シアターイーストで上演中、公演期間は 6月 8日(日)から 6月 22日(日)まで( 6月 16日(月)のみ休演)。また北海道伊達市のだて歴史の杜カルチャーセンター大ホールでも 6月28日(土)・29日(日)に公演される。

 フライヤーによれば本作は戯曲『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』の再構築だが、観ていたかぎりではひとり戯曲にとどまらず、近年上演された作品から少しずつ、要素が抜きだされているように感じられた。

 木製のフレーム同士をつなげ/ばらし、構造物をつくって/変形していったり(『モモノパノラマ』)、舞台の外にいる役者が、舞台の上の役者へ小道具などを渡したり、また舞台の外で実際に、調理などの作業をしてみせたり(『Rと無重力のうねりで』)、ビデオカメラで役者やミニチュアの街を映してみせたり(『あ、ストレンジャー』(再演)など)、もちろんリフレインも使われている。フレームの移動によってズームを表現したり、回転舞台によって役者同士の関係やその場面の主役を反転させたり、といった表現も用いられた。
 何より舞台の外から舞台を見つめる、(その時舞台に登場していない)役者たちの視線が、観客と舞台、ではない部分で結ばれる舞台との関係性を浮かびあがらせる(このことには確か自分で気づいたのではなく、どこかで読んだはずだという気がするのだけど、誰のコメントだったのか覚えていない)。

 立ち位置を入れ替えてくり返されるリフレインはひとつの場面に少しずつずれた輪郭を重ねていく。唯一「デスステップ」、一部のファンのあいだでいわゆる「マームステップ」は使われなかった。

 誰がなにを見ているのか、気になる舞台だった。役者同士が互いに誰を見ているか。観客は舞台を見ていて、けれどその向こう側に、控えている役者たちのこともまた見えている。舞台の外から舞台に注がれる視線は誰のものか。回転舞台を回す波佐谷聡や中島広隆、小道具を舞台に渡す荻原綾のことは舞台からは見えているだろうか。それは誰として見えていただろうか。あるいはまた天井の目は。


 『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』の成田亜佑美が間取りを語る場面では、どうしても島での公演を思いだす。そういえば五反田でこのまえ、彼を久しぶりに見かけたような気がする。声をかけられなかったけれど安心したのだった。