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2006-10-08

人様からお金を頂戴するのは大変なことだという自覚がないのかなあ

REVの日記経由 死ぬ死ぬ詐欺

常々思っているのですが、募金に頼った医療は本質的に不適切な活動に違いありません。現在の日本なら、次から次へと同じ手口を使う人たちが続出するでしょう? 今の募金活動の歯止めは何ですか? 合理的な条件を設定していますか? すぐに破綻することが明白な仕組みは、ねずみ講と同義で健全ではありません。

「私(の子供)を治療するには〜」という説明の本質は「私」の「エゴイズム」にあたります。「私はお金が欲しいのでみなさん1億円ください」というメッセージに払うお金はありません。

ただし、社会に対して科学的な手法で還元する意図が保証されていれば別です。「現在の医療技術では〜という病気を治療する方法は確立していないか、または○○円の費用がかかる治療方法しか開発されていません。しかし、将来この病気の治療費を△△円まで低減させる必要性は十分に認められます。幸い私(の子供)は被験者の資格を持っていますが、費用負担能力に問題がありますので、どうか費用の一部を出していただけませんか? その代償として、被験者として全面的に協力することを約束するとともに、その内容は医療チームを通して活用していただきます。さらに、治療の経過については報道機関等の取材に可能な限り対応させていただきます」くらいの論理的説明をしてくれれば心証もよくなるのですが、全然ないみたいです。

説明が出来ないなら出来ないでよいのですが、対価もなしに1億円以上も得られるなどと甘い考えはよろしくありません。最低でも20年間はテレビカメラの取材を含めてプライベートな部分まで継続的に取材と報道が行われる覚悟は当然でしょう。プライベートが丸はがしになるのはある意味で強い恐怖を伴います。「(治療がうまくいったから/うまくいかなかったから)もう私たちのことはそっとしておいてください。取材は一切お断りします」は許されないのです。募金活動を推進する側は、きちんとそこまでケアできているのでしょうか(多分ないんでしょう)。

志の良い活動には応援を。

(追加)

partygirlさんは2ちゃんねらーに対して批判的のようですが、彼らの行為は一部マスコミのそれと本質は同じですから、芸能人・政治家官僚・事故や事件の関係者に対するゴシップ番組・記事をよく見ている人たちも同様の行為に加担しているため批判できる立場にはないと判断しています。partygirlさんがそうでないことを祈りましょう。

無断リンク禁止は常識ではありません

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20061007.html#p02

これではまるで、Web 2.0時代になったから無断リンク禁止が非常識化したとでもいわんばかりだ。そうではなく、Web 0.1時代からずっとリンクは当然であって、「黎明期に作られてそのまま継承」というのは事実誤認だろう。黎明期にそんなものは存在しなかった。私の理解では、1990年代に存在したのは著作権との混同による法的に誤った主張にすぎなかったのが、2001年前後に急速に「無断リンク禁止」サイトが増殖を始め、以下の日弁連の弁明にあるような理由で正当化しようとする勢力が拡大した。

1992年からインターネットの利用を始めているのでWebも初期の頃から見ているのですが、最初の頃から「無断リンク禁止が常識」などという事実はありません。高木氏の説明は正しいです。

あと、ついでですが、

http://blog.japan.cnet.com/nakajima/archives/003210.html

の「サイト利用規約」にはやっぱり首をひねりました(笑)。マナー・慣習と規約を混ぜるとめんどくさい。

[]1989年に「長門有希の100冊」を見たらどうやって考えを深める?

(前回の記事)

現在は、知らない言葉が出てきたら、1. Googleで検索して、2. Wikipediaや解説をまとめたWebページを見て全容を把握してから、3. 詳細なWebページをいくつか読んで理解することが出来ます。本や論文を読む場合も、先にWebで1.と2.のステップを踏んで準備してから本や論文を読み始めると、内容をすばやく理解できます。

とはいえ、「ネットなんか使わなくてもちゃんと調べて理解できるよ!」という方もいます。そこで、日本国内ではほとんどの人がインターネットを使えなかった1989年に行えた方法を再確認してみます。

わからない言葉に出会ったら、A. まず最初に百科事典を見ます。広辞苑(国語辞典)は説明が短く、かつ論理的・科学的な説明という意味では十分に練られた記述ではないので見る必要はさほどありません。

百科事典は五十音順あるいはジャンル別に並んだ数十冊で構成され、各用語毎に原稿用紙数枚前後で説明がなされています。また、それぞれのジャンルの専門家が執筆するケースが多く、専門的な理解に間違いが少ないことが期待できます。ここが国語辞典との違いです。

B. 次に専門別の事典やそのジャンルの代表的な本にあたります。C. さらに雑誌のバックナンバーや全集等にあたります。このあたりまで読み進めれば、核心の記述がある本または雑誌の記事が特定できてきますから、D. いよいよそれら(特定の本や記事)を探して読むことになります。

もし常日頃から暇を見つけては百科事典を読み、毎月雑誌を丹念にチェックしているのなら、最初からD.に進むことができるでしょう。しかし、勉強を怠っていたり、自分がチェックしていない内容に出逢った場合は、A.〜C.のステップに戻らざるを得ません。

もちろん、詳しい人をつかまえて、内容を聞いたり本を教えてもらう方法もありますが、それはそれ。常日頃から詳しい人を把握しておき仲良くなっておく必要はあります(笑)。

さて、具体的にそれらはどこでどうすれば行えるのかですが、A.の百科事典は個人で手元に置いておくのが望ましいです。手元に無い場合はなるべく通いやすい図書館を押さえておきましょう。(ちなみに私の場合は、小学生の頃は子供向けの、その後は一般向けの百科事典が自宅にあったので読んでいました) B.の事典や代表的な本ですが、興味がある分野ならば手元に置いておくのが良いですが、高度な図書館には置いてあることが多いのでそちらを確認するのも良いでしょう。C.の雑誌や全集ですが、これは高度な図書館でも蔵書の種類に限りがありますから、必要そうなら手元に置く。そうでなければ図書館を探し、なければ持っていそうな人にあたり、それでもダメなら購入を試みるか遠方まで探しに出ることになります。D.の特定の本や記事は、C.以上に難しくなります。ものによっては国立国会図書館に頼らざるを得ないケースも出てきます。

というわけで、余程調査に熱を上げない限り、手近な範囲で入手できる限られた種類の本や雑誌などを読んで理解を進めることとなります。この点が個人個人の理解を進める上での大きな障害の一つとなります。

美崎薫さんのように作家の方々はきっと手元にかなり本を集めていらっしゃるのでWebに頼らなくても自宅内で処理が完結できそうなのですが、ごく一般的な家庭では百冊も本や雑誌があるかどうか、少々凝った人でも千冊前後が限度のようですので、自宅内で作業を完結するのは難しく、県立図書館を併用しても満足に至らないことが多いというのが妥当な線でしょう。

そこで、現実(リアル)で同好の士を求める行動に移るか、ひたすら資料の収集に励むことは必然の理と言えるでしょう。

ちなみに、情報の質云々の問題ですが、見極める力はそれ自体磨かなければ高くならず、磨かぬ者には皆同じように見えるでしょうかね。様々な人を相手に校正作業をすると、様子がよく見えると思いますが(笑)。

(参考)

現在の川崎市内の市立図書館の蔵書は各館とも20万冊近辺(全館合わせて180万冊、ただしダブリを含む)、神奈川県立図書館は80万冊強、国立国会図書館は1000万冊前後のようです。百冊や千冊がどの程度の意味があるかは、それらの数字と比較すると徐々に見えてきます。

英語圏での話ではありますが、Googleの1500万冊公開計画は(ダブリや著作権等の問題で実質かなり減るとはいえ)その影響度は国立国会図書館に近い大きさがあります。

(余談)

どれ位モノを調べて、確認作業をして、考察をしているかは、アウトプット(ブログの記事)からでも十分に想像がつくわけですよねー。手順を踏めば、アウトプットにいくらかでも反映しますから。

(超余談)

GooglePageRankの凄いところは、何も知らない人がたった1秒でいきなりD.に辿り付けるシステムを実用化したってことなんです。