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Act Naturally

2018-12-16

ボヘミアン・ラプソディを観てきた

 今話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきた。こう書くととてもミーハーな感じがして嫌なのだけれども、見たのは事実だからこう書くしかない。この気持ちは、特別なファンではなくてもクイーンを前から聴いてきた人に共通するものだろう。この映画の評価が分かれるのも同じところから出ていると思う。

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が評判になっていることは聞いていたが、妻の友達(おおよそクイーンなど聴いたことのないおばちゃんたちが)見に行くとか見たというのを聞いて、心底驚いていた。これはもう社会現象に近いのではないかといった気分である。映画に描かれたエピソードなどはチョットした音楽ファンなら知っていることだし、フレディ・マーキュリーの人生をそんなに単純化しないでくれという気持ちが、昔から彼の歌声に痺れその曲を聴いてきた人たちには強いからこんな形での人気拡大には違和感を覚えるのだ。

 だからといって映画が不出来だったわけではない。映画にしたらこうなるのだろうというのはよく分かる。それでもこれが自分の音楽の在り方を貫いた歌手・バンドの人生とか軌跡というとらえ方をされると少し違うだろうと言いたくなるが、クイーンの知識などあまりない人に映画を見るべきかどうか訊かれたら、見るべきだと答えるだろう。映画で流れる音楽は基本的にはクイーンのものだからで、それを聴くだけでも価値はある。フレディ・マーキュリーの歌の素晴らしさが心を揺さぶる。

 泣いたという人が多かったので少し冷ややかな気持ちで見ていた。最後のライブエイドでの演奏シーンでフレディが何曲目かに「ボヘミアン・ラプソディ」を歌いだすのだが、オリジナルの曲にある導入部分をとばしていきなりサビの‘Mama,just killed a man`から入った。このMamaの一声を聴いて涙が出てきてしまった。フレディの歌は凄い。

 おじさんおばさんだけではなく、若い人にも見てもらいたいというか、クイーンを知ってもらいたい気持ちになった。その目的は十分に果たしている映画だ。

2018-11-30

変化の始まり

 11月の最終日にこの月初めてのブログを書く。これまでひと月空けたことはなかった。別に病気をしてたわけでも、長い旅行に行っていたわけでもない。普通だった。ゴルフをして、一泊の旅行に行き、ギターを練習していた。本も読んでいたし、よくあるようにちょっとしつこい風邪もひいた。そうした日常でゴルフやギターを上達しようという意欲と行動を考えると中々勤勉にやっていたともいえる。ただブログを書く気が起こらなかったのだ。他の活動をした後に、ブログを書くエネルギーが残っていなかった気がするし、書くことへの飽きもあったような気がする。それでも書くのを止めてしまう気にはならないので、またぼちぼち書き始める。書くことはいっぱいあるのだから。

 最近なんとなく感じるのは世の中がまたは世界が変わりつつあるような気配だ。これまで68年生きてきたが、一度だけ世の中が大きく変わるのかなと感じたことがあった。1989年に当時のソ連ゴルバチョフが出てきて権力を握り共産国ソ連民主化しつつある時に、ドイツベルリン壁が崩壊して東西ドイツが一つになった時だ。ニュースの映像を見ながらこれで世界は変わるんだと少し興奮したことを覚えている。

 その後NYで9.11事件が起こったがそれがソ連民主化ドイツ統一と関連した出来事とは考えもしなかった。だからソ連ドイツでの大きな変化によって世界が変わったという実感はなかった。自分の身の回りも大きく変わったわけではなかった。これはチョット拍子抜けしたというか、何かおかしいなといった感じを持ったのを記憶している。しかし今振り返るとグローバル化が始まったのはソ連崩壊とドイツ統一の後で、あの二つの事件があって世界のグローバル化が進んでいったと考えられる。資本主義共産主義対立資本主義勝利に終わり、長く分断されていたドイツが統一されたことは、明らかに世界が一つの経済体制に移行するスタートだったのだ。

 グローバル化が進む中でそれに抵抗する勢力もあらわれた、ソビエト連邦崩壊後のロシアでは民主化が後退し、プーチンのような国家主義者が支持を得て現在に至っている。また経済グローバル化が文化や価値観の一体化につながることへの抵抗から宗教的、民族的な過激主義者が勢力を伸ばした。この意味では9.11テロソ連民主化ベルリンの壁崩壊は無縁とは言えないということだ。あのテログローバル化の過程で起こるべくして起こったような気がする。

 その後中国共産主義体制を維持しながら資本主義経済に参加して富を増やし、国際的な政治的・経済的影響力を強めていくと、その分野で世界における影響力を落とし続けていた米国がこれに反発して自国優先の政策をとり始めた。欧州でもEUドイツばかりが利益を得ていることにいら立った英国EU脱退を決めた。要するに30年前に始まった(と見られる)グローバル化は曲がり角に来ているのだ。

 これが今起こっている変化で最も大きいと感じるものだ。訳の分からないトランプ大統領の出現と自国優先の近視眼的な政策、プーチンの強権的で狡猾な外交英国の混乱、中国習近平長期政権への野望等々、これまでの体制の軋みと新しいルールへの移行の気配を感じさせる。今後どうなるかなどはわたしに分かるはずもないが、日本の政治家たちにそうした問題意識が乏しい上に、これに対処する気概も見られないことに危機感を感じる。

 そうした話とは別にわたしの好きなスポーツの世界では新しいスターが生まれているのはとても楽しいことだ。ゴルフでは松山(最近少し不振だが力は十分ある)と女子の畑岡が世界のトップレベルで活躍している。凋落が続く日本の男子ゴルフにも今平、秋吉、星野他の若手が台頭してきたし、これで石川がまた優勝すれば盛り上がると思う。テニスでも錦織に続き、女子の大坂が大活躍だ。野球ではいうまでもなく大谷で来年は打者に専念するがその成績に期待が高まる。西武の菊池も来年はMBLでやるそうで、日本人ではめずらしい左投手として活躍しそうだ。バドミントン、卓球サッカーでもトップ選手の活躍と若手の台頭が著しい。ボクシングの井上は本当の世界ナンバーワンになって、ラスベガスでメインイベンターになれそうな気がする。マラソンにも有望な選手達が現れてやっと世界と戦えそうだ。こう書いているだけで彼らの活躍に期待が高まってしまう。嫌なことも多いが若いスターたちの頑張りには励まされる。

 

 














 

2018-10-10

2018年10月の雑感

 最近朝晩は涼しさを感じ、昼の風もさわやかで車でも窓を開けていた方が気持ちいいくらいだ。しかし日向に出ると日差しは強いし長くいられない。秋の気配は来ていてもこれまでとは少し違う感じがする。

 テレビのニュースでも報じられていたが、今年はキノコがとても多い。わたしの庭にも直径20センチを超す大きなキノコが円を描くように生えていた。庭に生えるキノコは好きではないのですぐに掘って取ってしまったが、また別のやつが生えてくる。キノコが好きでないのは子供の頃に見た「マタンゴ」という日本映画のせいではないかと思う。南海の孤島に流れ着いた人たちがそこのキノコを食べると、そのキノコ(マタンゴ)になってしまうというどうも気味が悪い映画で、60年くらいたった今でも映画のシーンをよく覚えている。もちろん我が家に生えたのはマタンゴではなくオオシロカラカサダケというもので写真はこんな感じだ。

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 調べたところでは毒キノコで食べると下痢、嘔吐となり最悪の場合は死ぬという。庭のキノコを食べようとは思わないが、孫が遊びに来て口にしたりしたら怖いと思う。スコップで土ごと掘ってとったが数日後違うのが生えていた。これはとげのようなものがあるのでヒメホコリタケらしく、他にもシバフタケが生えていた。今の家に住んで35年くらいになるがこんなにキノコが生えたのは初めてで、暑さと雨が普通でなかったことの影響なのではと思う。

 元横綱輪島が死んだ。70歳だそうでこの数年は喉頭がんを患っていたとのことだ。憎らしいほど強かった北の湖を下手投げで何度も負かしたシーンは今でも鮮明に覚えている。相撲を辞めた後はプロレスラーやタレントとして生活をしてきたが、天才型の名横綱の引退後としては寂しく感じたものだ。平成の大横綱貴乃花も若くして相撲界を去ることになったがどんな人生を歩むのだろうか。

 名横綱は引退後は親方となり、相撲協会の理事長になるものだと思っていたが、栃若時代ならいざ知らず最近はそうもいかないようだ。このルートは北の湖が最後のようだ。今の時代で協会のトップになるには外部の有識者と良い関係を保ちながら、旧来の親方衆の意見を上手く調整する能力が必要なようで、大きな変化を求めない常識的な人が求められていると感じる。相撲界の内実は分からないが、まだ旧態依然で改善すべき点があっても、急激または徹底的にやろうとすると強い抵抗にあうのだろう。貴乃花はこの点で嫌われた気がする。

 常識にとらわれず好きな生き方をした輪島などは、私生活を上手く律しきれなかったのか借金問題で追放されてしまったが、いかにも昔からの相撲取りらしく豪快な生き方なので、もう少し良い形で相撲界に残れる方法はなかったのかと感じてしまう。貴乃花もそうだが、相撲界を盛り上げた立役者たちだ。こうした人たちが角界に残れず、三役や前頭で終わった力士たちが上手く親方株を手に入れて権勢を振るう風潮はどうも好きになれない。計算づくで世渡りが上手い連中がのさばる現代社会そのもので、相撲界などは少しは違っても良いのではと思うのだ。

 もっとも輪島の人生が本当に不幸だったかどうかは分からない。彼は才能を生かしてスターになり、好きに生きて相撲界を追われて別の道に進んだ。それは従来のスター街道ではなかったが、わたしが思うほど本人は気にしていなかったかもしれない。人の生き方でこれがいいとか、上等だとかの区別があるとは思えないからだ。人は皆生きて死ぬ、その中でどう生きようと(特別な場合を除いては)、誰もいいとか悪いとか言えない。政治家になって権勢を振るっても、実態は嘘と騙しの人生かもしれない。何が良いなんて誰にも言えない。そんな生き方だったと言えるだけだ。だから貴乃花も自分が良いと思える人生を歩むしかないのだと思う。

 わたしも68歳になると輪島の死が身近に感じられる。後5年で死ぬのか、20年生きられるのかなんて分からない。自分の来た道を振り返ったり、いろんな人の人生を見ていると、出世しようと金持ちになろうと有名になろうと、大した違いはないと思えるのだ。だれだって自分なりに生きてゆくしか出来ない。それでも法を犯したり人を騙したりはしない方がいいし、そんな人たちの人生がそれはそれでいいとは言いにくい。(それでいいという考え方もあってそれも分からなくはないのだが、そこまで話を広げると複雑になりすぎるのでやめる)

 わたしには社会的活動をする力もないので、健康で楽しく毎日を送ることを考えている。ゴルフとギターがもう少し上手くなればいいのだが、中々そうはいかない。ゴルフなどは若い時より上手くなっていると思うのだが、スコアは変わらないし、ハンディキャップも19に落ちたままだ。ギターもほとんど毎日弾くが進歩は少しづつだ。弾けない曲が弾けるようになったり、むずかしいフレーズが出来るようになると嬉しくなるが、お手本のようにきれいな音が出るわけではない。ギターはゴルフのようにスコアがないので、目標はお手本のようにに弾くことだが、これはプロゴルファーのようにプレーすることと同じで一生無理な話だ。それでも目標を持ってやるのは楽しいことだ。

 

 問題はいつまでゴルフやギターが出来るかだ。出来なくなったらどうなるのだろう。寝たきりになるのかボケてしまうのか分からない。心配してもどうにもならないが、避けては通れない道なのだろう。それにしても70歳は早すぎるなあ。

PS 今日自分のブログを開けたら記事の後の広告が入っているのでびっくりした。目につくところのものを消したのだが、勝手に載せているのに、消そうとすると理由を聞く画面が出たりして腹立たしい。断固消すアクションをとると、それではこの広告はもう出しませんというメッセージとともにgoogleの文字が出る。少したってまた見るとさっきの広告はなくなっているが別の広告が出ている。わたしはブログに広告を載せようなんて思ったことはない。勝手に載せるのは泥棒に等しい行為ではないのか。googleどんな説明をするんだ。乗せるなら仁義を切るなり金を払えといいたいところだ。