2008-11-07
■[Interview]vol.17批評集団 筑波批評社
今回は僕らと同世代の筑波大学の批評集団『筑波批評社』のメンバー、シノハラユウキ・塚田憲史・klovとg86による激熱対談の後半戦です。前半戦は筑波批評社のブログをご覧ください。なおこの対談はigoogleのチャットを使って別々の場所からアクセスし行ったものです。
筑波批評社は東浩紀さん主催のイベント「ゼロアカ道場」に参加しており彼らの最新の同人誌は11/9の秋葉原で開催される文学フリマにて発売されます。
interview内容 (以下敬称略)
g86 vs 筑波批評社 後半戦
山道: 筑波批評社ってメンバーは追加したりします? 僕らが筑波批評社に興味を持ったのは、主体性の問題か、枠の強さの問題か。
塚田: その中でg86とか筑波批評とかはある意味閉じているように見える。ゲーテットに向く興味というのはそういうところにあるのかなと。でもそれだけじゃない。ゲーテット自体に興味があるというよりも、その枠、壁に興味がある。だからこそ窓という主題が成立する。そういうイメージを受けました。
鎌谷: 集団集合のあり方として、僕たちg86と筑波批評社っていう集団のどこに特徴があるんでしょうね。
山道: 各個人が個性的に見えるチームに憧れるんですかね。交換可能じゃないチーム。
鎌谷: 個人がはたまた記号なのか
シノハラ: 現段階では、筑波批評社は多分そんなに特徴ある集団じゃないですよ。組織のあり方としては、わりと普通の学生サークルだと思います
問題は、学生じゃなくなっていったときに、これをどう維持していくかで、その時に色々問われてくると思っているんです。具体的な方法論が何か必要だな、というのもそういう点です。
山道: でも各個人のブログとかすごく強さを感じます。それを結局枠づけているのが筑波批評社だと感じました。
klov: 筑波批評社の名前として残るのは、年二回の同人誌くらいなので、結構がっちりしてるイメージはないんですね。
シノハラ: プラットフォームが表現形態なのだ、ということには考えさせられるとさっきちらっと呟いたのですが、筑波批評社のメンバーが集まっているのは、上でklovが言ったように、年二回発行の『筑波批評』があるからだと。ということは、『筑波批評』の制作作業に関われば、筑波批評社メンバーであって、そうでなければ、メンバーではない、簡単に言えば、そういうことをイメージしています。
klov: 結構面と向かって交換可能かと聞かれるとどきっとするなw
鎌谷: 笑
山道: そういう枠があるから、思想を共有しているかのように見えるんですかね
塚田: そこで交換不可能だと言いたくないという気分が僕たちにはある。なぜかというと、交換不可能な人たちの共同体というのはあまりに前時代的すぎるから。だってさ、僕たちがかけがえの無い仲間で一人もかけてはならないなんてアホみたいでしょ。
シノハラ: ただ、これの求心力って一体何なのか。僕はまだ言語化できていない。
鎌谷: 僕たちの活動のやり方として、まずコアメンバーは僕たちの5人がいて、そこからプロジェクトの内容によって様々な人を巻き込んでやっていく。その時にg86という枠組みがそのプロジェクト毎に変化しているような錯覚があります。例えば参加してくれた団体が主体的に宣伝をしてくれたり、企画の根幹部で協力してくれたり、その時々で最も合理的な方へ集団のありかたが柔軟に変化していくのは面白い。
シノハラ: 『筑波批評』に参加したら、筑波批評社メンバーです、と。じゃあ、『筑波批評』に参加するのに必要なことってなんですか、あるいは参加することのメリットってなんですか、と聞かれるとすごく答えにくい。ただ、感覚として、何かある、何かあるとは思っているんですが。
塚田: それがいいと思うよ。別に交換可能であっても、残るものはある。個性がある人たちが集まる強い団体なんて幻想だって、そんなもんあこがれる必要ない。
山道: 塚田さんが言えた気がする交換可能であっても、残る物があるわかりやすい。
klov: 結構g86を見ていて思うのが、速度がある。速度があるから、次々に何か「残る」。その速度とアウトプットの関係性が「残る」ものなのかなとか。速度があると、「残像」みたいな感じ。
山道: それは意識してます。とにかく今は、ベータ版でも出しまくる。
山道: プロセスとアウトプットが混ざってる感じです。
シノハラ: g86のみなさんには、ブログの長所をかなり言ってもらったけれど、ブログは本当に残るんだろうか、と思わなくもない。g86ブログの下の方に、リサーチ・書籍・webと書いてあって、つまり書籍というのが付け加えられていたのが、ちょっと気になっているわけです。
山道: それはありますね
山道: 物質的に印刷すると、アナログだけど、質量をともなうんですよね。情報を質量に変換したいのかもしれないですね。
シノハラ: 僕たちも、ブログだ、ustだとやっていますが、ベースとしては同人誌という紙媒体があるので
鎌谷: ブログと同人誌のメディアの使い分けを筑波批評社ではどのように意識していますか?
シノハラ: これは、よくある話ですが、ブログは文脈がない(エントリがそれだけで読まれる)。雑誌には文脈がある(一つの記事だけ読む場合もあるけど、他の記事が必ず目に入る)
klov: 特集とかテーマ決めるからね。同人誌は。
山道: 藤村さんがいう遭遇可能性というのと近いかもしれないですね。
塚田: おお、確かに。
シノハラ: 『筑波批評』という雑誌には、かなりバラバラの記事が載っています。もし、ブログで書いていたら、これらの記事をまとめて読む人は多分いないと思います。でも、これらの記事を、ひとまとまりのものとして読むと、なんか共通しているものがあるように見える。これは、さっき言った、集合の定義(?)の話とも多少繋がってくるかなあと思うのですが、同じ場所、同じ文脈に放り込んであると、バラバラのものが何となく繋がって見える。
これは、現段階だと、紙媒体にはあるけど、ネット媒体だとあんまりない要素ではないかと思っています。でも、ネット媒体とかでも、そういうことができないといけないんじゃないのかなと思ったりはしているんですが。
未知なるバナキュラーを探して―新しい郊外論へ
山道: このチャットでも全然違う地域の人が読んだら関東圏にはこういう文脈があるのかとか感じるのかな
塚田: いまだに東京が文化的な中心となってしまっていることについて考えることはありますか? 郊外とか。
山道: 仙台にいる阿部仁史さんはUCLAでも教鞭をとっている建築家ですが東京でも仙台でも関係ないといっていて、阿部さんの活動をみているとたしかに速度や密度はなんら東京の建築家とかわりません
klov: 建築は確かに空間を対象とするがゆえに逆に東京にこだわらなくてもいいのかな。
塚田: 建築の需要は郊外も多いでしょうけど、それがスーパーマーケットというかジャスコ的なものに制約されたりはしないのでしょうか
シノハラ: ちなみに、みなさん出身はどちらですか。僕は札幌なんですが。
山道: 僕は東京です
klov: 神奈川です。塚田君は…
山道: 僕と鎌谷は漫画喫茶で生まれました
鎌谷: 笑
klov: www
山道: 母乳の代わりにドリンクバーで育ちました。澤田はディズニーランドの近くで育って今はロンドン在住です。
鎌谷: あとのメンバーの小林も札幌です
klov: 漫喫で生まれたってのはいいですね笑。
鎌谷: そういえば南後さんが東京VS郊外で語るんじゃなくて郊外VS郊外として郊外を語るべきみたいなこと言ってたなあ。
山道: 郊外の差異をみろということですね
塚田: ほう、さいたまVS札幌とか。僕はシノハラと意見が違ったりしますね。なんか、シノハラは、自分のこと都会人とか郊外じゃないとか言ってるみたいだけど。余裕で郊外だからみたいな!
klov: そうか!?
塚田: 相対的に札幌の周りとの関係で語ってるけど、だって東京じゃないじゃん。
klov: いや郊外というのは一定の中心に対する相対的なものなので。
塚田: そういうもんなのかー。
山道: 地域ってなんですか?
klov: 地域?
鎌谷: 地域
山道: 田舎ってひとくくりにして逆にグローバルっぽい表現をする建築家もいます。田園の風景みたいな中で、グローバルな環境装置みたいな住宅を謳う人とか。
塚田: つまり、どこにいっても同じような風景が広がっていて、特徴がないという意味でということですか。
鎌谷: そうですね。でもそれは都市との対立でしか見ていないからそうなる。特徴がある都市と特徴がない郊外。そういう対立軸しか生まない。
klov: 今フィールドワークで柏を扱っているのですが、結構、ベタに「柏が好き」と言ってしまえる人が多い。どう好きというわけではないのですが、とにかく柏という地域が好きなようです。先ほど「筑波批評」という浮遊した記号といいましたが、逆に記号が浮遊することで、中身の無いコミットメントが出てくる。浦和レッズとかも近い感覚。何がすきなのか、結構実はみんな分かってないで「好き」という。
klov: そうだね。柏レイソルのサポはレッズと近いらしい。
山道: ららぽ鬼熱いのも近い感覚
塚田: サッカーチームみたいなものが擬似的な焦点になりますね。僕としてはそれは嘘だと思う、やっぱり幻想だと。 だからといって、歴史を取り戻せばいいかというとそうは思ってなくて、単に俺はさいたまに生まれたからさいたまがすきみたいな。さいたまの歴史性の無さみたいなものが、僕にはコンプレックスになっていて、逆にそれを擁護したいみたいな。
klov: そういうのを「共同幻想」というのですが、案外地域性なんてそんなもんんかなと。実は中身が無い。
鎌谷:その共同幻想を持っている人は郊外に多いと。
塚田: 共同幻想無しに郊外都市に生まれたからというただそれだけの理由でコミットしたい
鎌谷: 僕の地元の友達もみんな地元愛を謳いますね。わけもなく。
塚田: わけもなければ健全だと僕は思います、そこに何かがはまり込むと面倒(レッズみたいな)
山道: 僕は北千住生まれで、金八の舞台に暮らしていたんですが、そこに感じる地域性も共同幻想に近いのかも。上戸彩がドラマの中に住んでいたマンションに住んでいました。丸井できて北千住はがらりとかわりましたね。ほかの地域の駅前と同じ風景にかわりました。
鎌谷: 共同幻想もさっき言った集団集合の定義とかゲーテッドにからんできそう。
klov: まさに絡んできますね。東浩紀の「東京から考える」などではちょうどその話が出てきました。
坂根: でもなんか引っ越しとか転校とか、中高も受験して地元じゃなかったりすると、klovの地元性が言えなくてちょっとそういうひとたちがうらやましかったりする
klov: ああ成人式のときとか
坂根: 行ってません
klov: 中学が私立だったやつとかはちょっとさびしいとかいってました。
塚田: 地域とか地方とかの関係で建築が担える役割みたいなものってあると思いますか?
山道: そこを今めちゃかんがえて、ショッピングセンター研究をしているのですが、都市形態とかと絡められるんじゃないかなとか。
塚田: 個人的には安易に、その地域っぽさを取り入れる、ご当地キャラみたいなものはいやだなとか思って不安に思ってるのですが。
山道: それこそ地域の差異を建築の何かに変換したいですね。
塚田: 今ある都市の形を所与の条件として、そこに最適化するみたいなことですかね。
シノハラ: まさに、藤村さんの批判的工学主義みたいな話ですね。
山道: 特産品とかではなく、空間的な差異に落としたいですね。
klov: ただ建築と地域性というと、どうしてもランドマーク的なものを作って「街づくりしよう」とかいう動きに飲まれかねないような気もするのですが、そういうのにはどう抗うのかなとか。
塚田: 絶対失敗は目に見えてるwなぜなら、全国津々浦々どの地域でも「町おこし」はできるのだから。 もっと地道なものですよね
山道: 今まで無視されてきた新しいヴァナキュラーを地域に見いだしたいのかも。先日の自由が丘プロジェクトで僕らはQRコードをばらまきましたが、すぐちかくのケータイショップの店内にめちゃくちゃQRコードがレイアウトされていたんですね。ケータイショップには地域性はないかもしれないですが、あの商店街におけるケータイショップの位置づけを考えると僕らは連続しつつ、あちら側とつなげようとしたのかもしれません。
塚田: まさにそれが大切だと思います。ケータイショップには地域性はない、だけどそこにあることは確かなのだから、そこと地続きなデザインをすることで得られるものがある。交換可能性はあるけど繋がることってまさにそういうことだと思うなあ。
山道: 交換可能性はあるけど繋がる。いいですね。
鎌谷: 実際藤村さんのインタビューをされて、どんな感想をお持ちになりました建築にたいして。
シノハラ: 実務と思想が繋がっていること(実務的な思想を作ろうとしていること)、新しい価値基準を作ろうとしていること、建築業界そのものを変化させようとしていることの3点に、なるほどなあと思いました。すごくざっくりした感想で申し訳ないですが。
山道: 東工大の建築の文脈て、スペクタクルじゃなく、どうインパクトを作るかっていうのが、あるかもしれませんね。そこにある、ごく普通の要素をどうこねくりまわすか
klov: ショッピングセンターとかコンビニとか普通に考えたら建築家の作家性とか絡まないところに絡む。
山道: そうですよね。ショッピングセンターとかコンビニがおもしろいのはシステムと絡んでるからだと思います。
塚田: 作家性が取り戻せない状況でいかに振舞うかについてかなり刺激的でした。そういうのって文学でもなんでもいろんなところで見られる現象なので。つまり作家性が抜け落ちるということだよ、ケータイ小説とか。
山道: 村上春樹も、ビームサーベルとかが出てくるようなSFでないのに、飛び感があるのはそれに近いと思います
klov: 飛び感。
山道: あくまで日常的だけど内容は飛んでる。ケータイ小説とかはとび感は無いような気もしますよね
klov: なるほど。ベンチューリの逆!
塚田: 藤村さんと社会学者の南後さんのタッグのように俺たちもタッグを組もうと。
山道: タッグ組みたいですねー
シノハラ: 作家性が抜け落ちていく、というのは確かにそうだと思う。それはとても大事なことなんだけど、一方で、作家性のない固有性を探ろうとしているところが面白いところだと思います。つまり、藤村さんは、アーティスト的な建築家に作家性なんてないよっていう一方で、組織の中にいる人たちにも語りかけているからです。
山道: 瀬戸内寂聴さんがケータイ小説っぽく書いてたらしいですけど笑
シノハラ: 言われたとおりに設計図を書く人たちというか、そういう言い方をしていいのか分からないですけど、そういう人たちのポジションをちゃんと作ること。作家というよりは、職人なんですかね。
klov: 批評社が建築の話してg86がケータイ小説の話してる!
山道: ほんとだ(笑)。こういう反転が出たのは今回のある種の到達点ですね。
とりあえず第一回目の対談はこの辺にして、第二回目に繋げましょう。
つづく


