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2011-08-30

[]vol.27 森山 茜

今回は、ストックホルムで活動を始めた森山茜さんのインタビューです。日本で建築を学んだ後、スウェーデンテキスタイルを学んだ森山さんの作品遍歴と、いま考えていることについてお聞きしました。

※このインタビューは2010年の7月にストックホルムで行いました。


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ストックホルムのスタジオ


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photo: Jonas Isfält

森山茜(もりやまあかね)

1983年生まれ。

2008年京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科(博士前期課程)建築設計学専攻修了

ペトラブレーゼの主宰するInsideOutside(オランダ)でのインターンを経て、スウェーデン政府給費留学生として2010Konstfack/University Collage of Arts, Crafts and Designテキスタイル学科修士課程修了。在学中より、建築空間におけるテキスタイルを用いた作品を発表する。

現在はストックホルムにて活動中。主な作品に「O邸のカーテン」(建築設計:中山英之)、展覧会「Go Blanc」(ストックホルム)など。

ホームページ http://akanemoriyama.com/


interview

聞き手:坂根みなほ(g86)


建築からテキスタイル

坂根|今日は、日本からスウェーデンに至る経緯も含めて、時をさかのぼって話を伺っていこうと思います。

 茜さんの京都工芸繊維大学大学院での修士設計作品である「mille-feuille」(トウキョウ建築コレクション 2008 宮本佳明賞受賞)という作品は、布を重ねることで空間をつくっていました。また、修士 1 年の時にインターンをされていたオランダのインサイド・アウトサイドは、テキスタイルランドスケープデザイナーであるペトラブレーゼ率いる事務所であることなど、当時からテキスタイル建築の関係について考え始めていたと思います。

まず、修士の時の話から聞かせてください。

森山|学部修士ともに建築意匠の研究室で学びました。学部の卒業設計が終わって、これから自分が建築にどう関わって行こうか模索していた時に、先輩からたまたまペトラブレーゼという女性が率いるインサイド・アウトサイドというテキスタイルインテリアと同時にランドスケープのデザインを手がける事務所の存在を教えてもらいました。

 建築に対して独自の切り口でデザインを行う集団で、そのスタンスがとてもいいな、と思いました。とりあえずこの人達がどんな人達でどういう風に働いているのか会って確かめてみたいな、と思い、インサイド・アウトサイドへインターンをさせてもらいたいという手紙とポートフォリオを送りました。幸運にも受け入れてもらえ、早速行ってみたら想像以上に素敵な仕事場だったんです。

 いい音楽と空気が流れる中で皆テキパキ仕事していて、楽しくて笑いの絶えない場所でした。彼女たちの働き方がそのまま建築へのスタンスとして作品につながっていると感じました。建築設計事務所とはまた違うアプローチの仕方、そして働き方をしていたと思います。側面とみなされがちなところから建築のことを真剣に考えている。そういうふうに建築に関わっていくのが自分にあっているな、と実感しました。

 インターンを終えて日本に戻った時に、まず一番可能性があって面白いと思ったテキスタイルという素材から初めて、それがどう建築に関われるのか自身の手で確かめながら探りたいと思いました。なんとなくピンときた学校がスウェーデンストックホルムにあったので、そこに志願することに決めました。

 なので、修士制作は最初から大学院修了後にスウェーデンの学校のテキスタイル学科へ持っていって会話ができる作品と考えていました。私が建築からテキスタイルの分野にきてどういうことが出来るのか、こんな面白い事が出来るかもしれないということを、言葉もバックグラウンドも違う人達と共有できる何らかの面白いものを提示したいと考えました。


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修士制作作品"mille-feuille"


坂根|どういう作品だったのですか。

森山|テキスタイル建築を作ることの可能性を利用した陶磁器の美術館の提案です。テキスタイル建築においてどんな可能性があるかとい うところから自問自答を繰り返して1/10,1/20,1/50 のスタディ模型を沢山作りながら進めていきました。

 でも作っても作ってもゴールか見えず、途方にくれてばかりだったのですが、製図室で私の机の前を通りがかった人を捕まえてはそこに転がっている模型を見せて意見を聞いたりしながら、少しずつ手がかりを見つけていきました。そこにいてアドバイスをくれた友人達、そして叱咤激励をしてくださった先生方のおかげでなんとか前に進んだプロジェクトでした。

坂根|そのスタディというのは、布がこう垂れ下がるとこういう空間になるとか。

森山|建築空間をテキスタイルという素材からの視点で捉え直すと、光や経験がどうなるかという探求です。その一連のスタディは今でも実寸大で続けていることです。

坂根|その作品でコンストファック(Konstfack University College of Arts, Crafts and Design / スウェーデン国立芸術大学)に志願したんですね。コンストファックに入ってからのテキスタイルの勉強では、マスターコースでしたが基本的なテキスタイルの勉強は自分でしたんですか?

森山|学校に入る前に織りの短期講習にいったり、入学して最初の数ヶ月に、基本的な染織などの技術を学ぶコースがありました。クラスメイトはすでにテキスタイルに関する豊富な知識があったのですが、私は全てが初めてだったので本当に何も知らない赤ちゃんのようでした。

 もちろんテキスタイルには様々な技術あり、歴史があるとても奥の深い世界なので、2年間なんてテキスタイルを知ろうとするには本当にわずかな期間です。ただ、私はある特定の技術の職人になるために来たのではなく、テキスタイル側から建築的視点にどういうものが必要かを提案出来るようになることが第一に重要だと考えました。建築に対してテキスタイルの側から見えるものがあるはず、と。とはいっても、いろんなことがわからないことだらけですね。

 ファッションやアートの経験の豊富なクラスメイトや先生方に沢山の事を教わりました。温かい周囲の状況に本当に感謝しています。テキスタイルだけでなく、様々な国籍や分野の人が混ざった学校はとても刺激的でしたし、いろんな立場から把握して自分のしていることを説明することの大切さも知りました。建築の分野では常識のことがテキスタイルの分野では全く通じなかったり、日本では当たり前のことがスウェーデンで当たり前ではないと発見したり。


O邸

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O邸(建築設計:中山英之 カーテン製作:森山 茜)


坂根|中山英之さんが設計した O 邸のカーテンを制作することになったのはコンストファックに入って1年経ったころですね。森山さんにお話がきた時点で設計は割と進んでいたのでしょうか。

森山|そうですね。その時点で既にファサードがカーテンというのはとても重要な要素でした。

坂根スウェーデンにいる茜さんと日本にいる中山さんとの間で打ち合わせが始まったんですね。カーテンのイメージは中山さんから伝えられましたか?

森山|中山事務所からは最初に『トラッドで、レディーメード感があって、でも少しアバンギャルドがプラスされた』ものを目指したいという言葉がありました。お互いに徐々にイメージを共有しながら模索していき、どういう生地なのか、どういう色なのか、どう開閉するのか…

 色んな素材や方法を試しましたね。最終的にはとてもシンプルなものになりました。

坂根スウェーデンと日本の間でのやりとりは大変でしたか。

森山|メール、スカイプそしてサンプルの郵送を通して進めていったのですが、距離や時間の差はむしろプロジェクトを楽しくする要素だったと思います。何か対話の糧になるような素材を見つけたらすぐに切手を貼って封筒で送るようにしていましたし、ストックホルム東京という、時間の流れや空気が全く違うところで、同じ京都の一つの空間について一生懸命考えているという状態はとても発見的でした。

 ストックホルムで実寸大のスタディをし、素材を探しにいき、東京からはイメージを伝えるスケッチや模型、現場の写真、時には古い雑誌の切り抜きが送られてきたり。取り付けの時までに実際に会っての打ち合わせはありませんでしたが、そのことによる大きな問題はなかったと思います。


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ストックホルムでの原寸大スタディ


坂根|ドレープが綺麗ですね。

森山|高さが約 7m あるカーテンなので、劇場のカーテンのようにロープを裏から引いてカーテンを畳むようになっています。どのポイントで裏側からのロープを吊ればいいのかなど、実際に試してしてみなければわからなかったので、実寸大を作ってみたりもしました。

 また、どう布の自重を支えながら建築本体とつなぐか、ということを考えたとき、ジーンズのジョイントの部分のデティールがなぜ強いからということも考えたりもしました。そうやってファッションのデティールを参考にするような部分は服と繋がっているなと実感しました。大分試行錯誤しましたが、掛かった時は本当に嬉しかったです。あのカーテンをこれからも使い続けていただければとても幸せに思います。


draped flower

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draped flower


坂根|そのプロジェクトの後、コンストファックでの修士制作が始まったんですね。私も設営を手伝わせて頂いて完成を見る事が出来ましたが、とても楽しくて素敵なプロジェクトでした。

森山|スウェーデンの王室専属のフローリストとお話をする機会があったのが制作のきっかけでした。彼は国王が世界中を旅する時について行き、現地で王の出席する晩餐会などの花のアレンジを行う人です。場所や状況によって選ぶ花の香りや色から、どんな花がこの国では尊敬されているとか、色んな国の花の状況を事前にリサーチをするという話を聞いて、「旅と花」の組み合わせって面白いなと思いました。

 O 邸のカーテンはスウェーデンで制作したものをトランクに詰めて日本に持っていったのですが、その時にも布は移動できるのがいいなと感じていたんです。そんな背景があって、花のカーテンを作ったのがこの作品です。このカーテンには小さな花入れが挿せるようになっていて、そこには水と共に生きた花を生けられるようになっています。花入れの位置自体がパターンになっていて、それがカーテンの襞を作るようになっています。

 カーテンを色んな場所に持って行って、そこに好きな花をいける。花は場所や季節によって違うし、そこに生けるのは一輪でもいいし沢山でもいい。どんな時に、どんな場所にいるか、どんな人が生けるかでカーテンの様相が全く変わってくる。

坂根|カーテンを持ち運ぶという考えは面白いですね。

森山|例えば引っ越しをして新しい部屋にきたとき、窓にカーテンがかかるとちょっと落ち着きますよね。

坂根|そうですね、自分の空間になるような。

森山|そういう手段になるかもしれませんね。

坂根|構造は織りではなく編みの構造を用いていますね。

森山|最初は織で作っていたのですが編まれた構造は少し伸びたり縮んだり動く余裕があって、そのルーズな感じと生きている花の相性が良かったんです。伸びるということを積極的にとらえて作りました。


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坂根|花も造花ではなくて生花を使っているので緊張感がありますね。

森山|一輪の花があると何もない部屋でもなにか取り持っていることってありますよね。J.L.ゴダールの「小さな兵隊」にそんな部屋がでてきたのを覚えていています。

坂根|例えばお祝い事があったときに花を飾るとか、花を生ける行為そのものが日常に花を添える行為ですね。普通のカーテンがただ開け閉めして部屋を隠すようなものであるのに対して、より人間のライフスタイルを作り出すカーテンになるのがとても良いと思いました。食卓に花を添える感覚でカーテンにもっと関われる。

森山|そうですね。それがどんな花でも、花を生けてそれが空間の一部になることが楽しくなれば、と思っています。例えば、初めての場所でもスピーカーから自分の好きな音楽を流したらその空間がぐっと自分に近く感じると思います。

 同じように、もし自分の選んだ花が空間の一部を作ることができればそこに流れる空気をどこか自分に近いものにできるのでは、と考えています。そして周りの人と素敵な音楽を共有するのが楽しいように、このカーテンを通して花の色や香りを周囲と共有できればいいな、と考えています。


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坂根|朝から近所で野花を摘んで来てカーテンに挿しましたね。特にタンポポが良かったです。

森山|そうそう、あれは気づいたら後で綿毛になっていて!

坂根タンポポが沢山咲いて黄色かったカーテンが、いつのまにか真っ白な綿毛のカーテンになっていたという!

森山|水をやるのを忘れていただけなんですけどね。でも水を替えないでドライフラワーにするということもできますね。

坂根|展示のときは、部屋の内側に色のある花をさして、外側にはカスミソウを挿したら、そっちは森みたいになって、カーテンというよりランドスケープのような感じでした。

森山|ランドスケープに憧れを抱いているところがあります。京都の庭や Per Friberg(スウェーデンランドスケープアーキテクト)の作品は本当に尊敬します。

坂根|作品名は draped flower ですが、これはどういうことでしょうか。

森山|ドレープされた花。Drape は動詞で、ドレープ(襞)をつくるという意味と私は捉えています。


テキスタイル建築のこれから

坂根|布から空間を考えるようになって、建築の見方も変わってきましたか。

森山|ますます建築が好きになりましたし、新しい発見も増えました。先日グンナール・アスプルンド設計のヨーテボリ裁判所に行ったのですが、カーテンレールの取り付け方が建築全体と呼応していて、建物をよりいっそう魅力的にしていました。以前はそういう見方をしませんでしたね。

坂根|以前オランダに行った時、レム・コールハース設計のクンストハルでインサイド・アウトサイドがデザインしたカーテンレールが綺麗に天井に曲線を描いていて驚きました。

森山|あのプロジェクトはインサイド・アウトサイドが割と早い設計段階から関わっていたと聞きました。そういう風に、プロジェクトの根本的なところから加われることが出来ればより実験的なこともしやすくなりますね。

坂根|今後、どのようにテキスタイル建築の可能性を考えていきますか。

森山|この前、マッツエックというスウェーデンの振付家が振り付けをした「Orphée」というダンスが多く取り入れられたオペラを観に行ったのですが、あるシーンで、シルクハットをかぶった二十人くらいの人達が突然ハンカチをパッと出して、全員同時にひらひらひらと落とすシーンがありました。

 そのハンカチが群れて落ちた瞬間、舞台の空気がふわりと劇的に変わったんです。誰かがハンカチを一枚だけ落とすのは日常生活であるかもしれないけれど、二十人くらいの人達くらいがいっぺんに落とすってなかなかないですよね。その二十枚くらいのハンカチが空気抵抗を受けて同時にゆっくりと落ちる光景は、ハンカチの存在自体よりもそこに空気が存在することを表しているようでした。それを目撃したときに、自分は彼のような素晴らしい振付けはとても出来ないけれども、もしも何か私ができることとしたら、そのハンカチがどんな素材か、どういう色か、どういう大きさなのかを真剣に考えることだと思いました。

 たとえばそれが絹だったら、光を反射しながらツルンと落ちるけれど、麻だったら割とパサッと落ちて、それが 100 回洗った麻だったらもうちょっと柔らかく落ちるとか。ハンカチ一枚でも重力と出会ったとき、その質の違いから空中でどう振る舞うかに差が出るのだろうと思いました。数時間に及ぶオペラの中でたった数秒の出来事でしたが、その瞬間は舞台に魔法がかかったようでした。オペラを振付家として全体から考える人がいれば、たった一瞬舞うハンカチの落ち方から全体を考える人がいてもいいかもしれない。どちらにしろ、そこで観客が体験する空間は一つです。

 建築においても同じように考えています。様々な視点があることを肯定的に捉えていきたいと思っています。いろいろな人と共同しながら、素材の可能性を発見していければ素晴らしいな、と思います。

坂根|これからもとても楽しみです。今日はありがとうございました。

(all images from AKANE MORIYAMA)

2010-04-08

[] vol.26 Claesson Koivisto Rune

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Claesson Koivisto Rune

1995 スウェーデンストックホルム芸術工芸デザイン大学で学んだ後、Mårten Claesson、Eero Koivisto、Ola Runeの3人でClaesson Koivisto Runeを設立。

2004 スウェーデン建築家として初めてベニスビエンナーレに出展

http://www.ckr.se/

建築を始め、数多くの家具メーカーにデザインを提供する等、世界的に活躍するグループ。日本でも京都にあるスフェラ・ビルで建築デザインを手がける。


今回はストックホルムからの更新です。

スウェーデンデザイナーClaesson Koivisto Runeにインタビューをしてきました。

インタビュー内容(以下、敬称略)

聞き手:坂根みなほ(g86)、田邊 都(Claesson Koibisto Runeにてインターン

「Claesson Koivisto Runeのスタイル」

坂根|まずお聞きしたいのは、Claesson Koivisto Runeの働くスタイルについてです。コンストファック(スウェーデン国立芸術工芸デザイン大学)の学生時代に3人が集まってClaesson Koivisto Runeを始めたのですね。グループで活動することについてどう思われますか?なにか方法論はありますか?

モーテン|私はグループで活動を始めようとは思っていなかったし、正直どうしたらいいのか分かりませんでした。でもそれは人生における沢山の出来事のひとつとして起こったのです。

 私たちはもちろん違う個性を持っています。おそらくMiyako(田邊)がそれについては知っていると思うけれど、実際私たちの間には決まった役回りはありません。だから私たちに会った人々は誰がボスなのか分からず少し混乱しますね。そして問題は誰もボスではないのです。私たちは全員がボスで(笑)、可能な限り私たち3人以外のスタッフも含めてボスだと思うようにしています。ヒエラルキーをなくすことは創造において最もポジティブな立場だと思います。なぜならヒエラルキー軍事のなかで一番良くはたらくから。でも創造においてはこれはネガティブです。いいアイデアを思いついた人はそれをみんなに提案できる。もしアイデアが良かったらそれが最初誰のアイデアであろうと実行される。それと同時にここでは誰もが何でも批評できます。

坂根|なるほど。そして最初のプロジェクトはコンストファックでのディプロマでしたよね?

モーテン|いいえ、実際はあれが最初ではありません。私たちはいくつかの学生コンペに勝ったことをきっかけに一緒にコンペをするようになり、三年生の時にスウェーデンに森をもつとても大きな紙工業会社から依頼を受けました。それは彼らのヨーロッパ中にある営業所をデザインするというものでした。私たちはまだたった3年しか学校にいなかったので何も経験がなかったのですが、この依頼を受けてからバルセロナに始まり、ウィーンロンドンコペンハーゲン、そしてストックホルムでデザインをしました、それも一年の間に。そして彼らに「君たちは私たちの会社に登録してくれ、そうするしかほかにないので」と言われて、まだ学校にいながら会社に登録したのです。

 だから私たちがディプロマの”Villa Wabi”をSergelstorgetで行ったときはすでにこの会社があったのです。あれは1994年のことでしたが、この年は大変な不景気で知られています。50%の失業率新卒はほとんど職を得ることが出来ませんでした。しかし私たちにはこの会社があったので、つまりやってきたことを続けたのです。そして問題は私たちには経験が無かったことです。建築のプロジェクトをどう行ったらいいのか。自分たちのやり方を見つけなくてはならない。私たちが今日やっていることは、そうして独自に考えたものです。

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Villa Wabi(Stockholm,1994)

「プロダクトデザイン」

坂根|プロダクトのプロジェクトも多いですね、そしてコンストファックのプロダクト教育はとても素晴らしいと思います。コンストファックからのバッググラウンドについてどう思いますか?

モーテン|私はいつも、最初から建築家になろうとしてきました。だから私にとってコンストファックはプロダクトデザイン、特に家具デザインを含んだ、建築教育といった感じでした。そして正直に言えば、教育は素晴らしくはありませんでした。教授陣のレベルがよくなかったのです。でも意欲的な学生なら自分で良い教育をつくりだせる。コンストファックにはたくさんのワークショップ(作業出来る場)があり、そんなに学生も多くなかったので、私たちは毎晩作業していました。それがコンストファックの素晴らしいところでしたね。それから私たちは数年間のあいだに百以上ものインテリアのプロジェクトを行いました。そういったものから人間的な空間性の感覚を得たと思います。

 私たちにとってプロダクトデザインは常に建築の一部です。歴史を振り返ってみると、とくに北欧では多くの家具が建築家によってデザインされてきました。そういう意味では私たちは伝統に従っているだけなのです。北欧を例にすればもちろんアルヴァ・アアルトヤコブセン、ブルーノ・マットソンなどがいますね。私たちにとって家具は建築です。インダストリアルデザインの人たちと話していると、私たちの家具は建築を考えながらつくられていることが分かるとよく言われます。建築に関係づけられ、建築の中におさまることが考えられていると。

だから、逆に言えば私たちのプロダクトデザインはとても建築的なのだと思います。

「プレハブ住宅の可能性」

坂根|そうやって入れ物と中身を同時に考える事はとてもアクティブだと思います。

そしてプレハブ住宅のプロジェクトもあると思いますが、これはプロダクトとしての住宅のように考えられますよね。

モーテン|ええ、そのとおりです。もう既に言ったかもしれないけれど、私にとってプロダクト、家具デザインも建築です。だから家も家具も建築で、スケールの違いがあるだけです。

また、市場や関わる人の違いもありますね。

 プレハブ住宅において敷地との関係が欠けてしまうのは確かです。でも残りは純粋な建築です。空間性、素材、その他ありうる項目についての決定は同じなので、そんなに違いはないと思います。クライアントとの関係に欠けるということもありますが、家をつくるときは製造者というクライアントとの関係がああります。そしてそれが繰り返されれば、私たちは多かれ少なかれプロセスを削ることが出来る。

 私の教授が言ったのは、「建築を見てみなさい。私たちは一つの家のために百もの図面を描く。そしてそれは高度に発達した技術をもつ大量生産品をつくるための情報と同じ量なのです。私たちはそれをひとつの作品のために行うのです。」だから、そういった意味で私はプロジェクトを繰り返したらどうかと思うのです。これは非常に創造力、エネルギー、時間を必要とする建築プロセスです。それを繰り返すのは面白いと思う。一般的な考え方ではないけれど、そういったことも考えていいと思います。

東京ストックホルム

坂根東京での住宅プロジェクトを考えていると伺ったのですが、東京に家を建てることをどう思いますか?

モーテン|基本的には同じように考えます。違うパラメーターがあるのはいつものことでしょう。それぞれのプロジェクトに新しいパラメーターがあります。経済的なパラメーター、クライアントパラメーター、敷地のパラメーター、文化のパラメーター・・・。東京には何度も訪れたことがあるので知っていますし、理解すれば問題はありません。

 東京で周辺との関係について少し大切だと感じた事を言うと、たとえその敷地いっぱいにとれる形をとって、最大限に空間を使おうとしたとしても、それを詩的に解くことは可能だと思います。その周りにあるものと詩的な関係のようなものをもつためにはね。

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SFERA BUILDING(Kyoto,2003)

坂根ストックホルムはとても保守的で、新しい建物をここに建てる事は東京に比べたら難しいと思うのですが、ストックホルムについてどう思いますか?

モーテン|東京の建物の平均年齢は十年かそこらだというのを読んで驚きました。ストックホルムの建物の平均寿命は二百年です。それは土地がそこに建つ建物よりも価値があるのでそういった経済的な状況として考えるべきことだと思いますが、文化としても考えられると思います。変にきこえるかもしれませんが、年齢そのものは価値だと思います。でもそれはまたヨーロッパの街をとても保守的にしている。でも街は違うものです。ストックホルムは美しいし、私でもそれは守るべきだと思う。ストックホルム建築家になるのはとても難しいことで、基本的にはストックホルム以外の場所に仕事を見つけなければなりません。でもマルメやヨーテボリは同じスウェーデンの街ですが多かれ少なかれ保守的ではなくなってきています。だからストックホルムももしかしたら変わるかもしれません。

 ただ私たちは世界中で活躍することを目的としているので、ストックホルムの状況には依存していないのが実情です。私たちはどこでも働けます。

「新しいタイポロジー」

坂根|ここで少しプロダクトの話を伺いたいのですが、いくつかのプロダクトには、人々に普段とは違った使い方を促すようなデザインもあると思いました。例えば、椅子のようでテーブルでもありうるような。

モーテン|私たちは進化したいのだと思います。それはおそらく原動力のようなものでしょう。新しいものを見つけることへの野心。デザインはすでにある分野、タイポロジーの中において新しいものを作るのがそんなに難しくなくなってきたと思います。だからこんどはタイポロジーを変え、新しいタイポロジーを見つけるのです。

 十年前、私たちはカッペリーニ社のためにPEBBLESという家具を作りました。これは新しいカテゴリーで、というのもソファでも椅子でもテーブルでもなく、seating island(座る島)といわれています。これは新しいタイポロジーのようなものでした。座れる平らな面の少し上により小さな面がのっていて、これが肘掛けのような、サイドテーブルのような、したいようになんでもなりうる。そしてこの二つの面はどちらも不規則な形なので角度を変えることもできる。つまりこの上で何でも出来てしまうのです。

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PEBBLES(2001)

坂根|なるほど、実際私はDODO(Claesson Koivisto Runeのプロダクツのひとつ)がすごく好きです!

モーテン|ええ、DODOも同じことです。私たちは東京にいる友人に何かデザインするように頼まれたのです。床に座る席を持ちながら背もたれを持たない伝統的な日本料理屋なんかに依頼されたら素晴らしいのですが、ヨーロッパにはそのような市場がありません。好きなのですが、私たちは床に座らないのです、基本的には(笑)。だから私たちは典型的な西洋のオフィスチェアを融合させることにしました。だからこれはオフィスチェアのように回転できるのです。そして座り方によってはサイドテーブルとして使える部分があり、パソコンを置いたり本や紙を置いたりすることが出来ます。これは日本にとってもヨーロッパにとっても新しいコンセプトでした。クライアントのひとつはソニー東京本社ゲーム部門で、それ以来内装が変わったか分かりませんが、彼らは大量のDODOを社員のために買いました。こうやってひとつの作品がただのショーのためなどに制作されるのではなく実際に彼らの働きかたに適したのは素晴らしいことです。

坂根|そしてもちろん、たくさんのDODOが集まると本当に鳥の群れに見えるのが面白いですよね。

モーテン|ドードーが何か知っているね!

坂根|もちろんです。家具の周りになにか物語がみえるような気がするし、それが空間を特別なものにしていると思います。

モーテン|そうですね。

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DODO(2002)

建築とプロダクト」

田邊|私はここで働きながら、形について考えていました。それは、建築の形を物体を扱うように少しずつ変形させたりするようなことがあるからです。建築とプロダクトの形のデザイン違いについてどう思いますか?

モーテン|そうですね、違いはあると思います。スケールは特に重要だと思います。

 例えば東京アサヒビルはほとんど物体で私は建築ではないと思う、これはデザイナー建築を理解しない典型的な例だと思います。また逆のこともある。例えば私はフランク・ロイド・ライトのファンなのですが、彼の建築はとても素晴らしい。彼は家具のデザインも多くこなしましたが、それらについては私は全然素晴らしく思えません。あれは家具にしてはあまりにも複雑すぎる。これは建築家建築とプロダクトデザインの違いを理解しなかった例のひとつですね。これはとても重要なうえに、おそらく経験によってのみ学べることだと思います。そして建築は空間的にはより複雑だし、経済的にも、クライアントや建設業者との関係などどれをとっても複雑です。そしてまた建築規制やエネルギーの規制、プロジェクトに影響するありとあららゆるものがあります。

 しかし一方でミース・ファン・デル・ローエは「いい椅子を作るのはい高層建築を作るよりも難しい」と言いました。つまり椅子をつくるのも、その限られた空間のなかで、ある高さの座面と、ある高さの肘掛けをもち、安定性があり普通は四本の足がある・・・などということを考えればとても難しい事なのです。それにくらべたら家はもっとオープンです。つまり、違いはありますが、概念的には、また空間との関係においては間違いなく同じ芸術形態と言えますね。

アートギャラリーの設計」

田邊|微妙に形を変えて沢山の模型を作っていますが、どうやってその微妙なラインを決定しているのですか?

モーテン|特に住宅プロジェクトについてということですね?それは敷地特有の問題です。また私たちはいくつものプロフェクトに折り曲げることと角度をつけることをテーマにもっているのではないかと思う。まっすぐなものがどこか折り曲げられたりね。しかし私たちはもしかしたらそういうのに飽きたのかもしれない、やってきたことを繰り返すのではなく、違う方向性に挑戦してみたくなりました。

 私たちはアートギャラリーをつくったのですが、これは裏がへこんだ屋根をもつボックスのようなものです。そして、そこに生えている草は一メートルくらいでした、普通は刈られて新しい建物を建てるでしょう。こういった草原はもはや海のようです。そこには水平線があり、景色が広がっていて、水面ではないけれど水面のように見えます。そこで私たちはギャラリーの中にいながら草原の上を歩いているような感覚をつくろうと考えました。そのためにフロアを同じ高さにもちあげ、丸い丘のような形の基礎を建ち上げました。そして新しい水平線をつくる代わりに、家のフットプリントを丘に沿わせ、バランスをとるためにその逆のことを屋根でしたのです。さらに、家が四角くないのでそれをゆがめました。このギャラリーには基本的には四つの大きさの異なる展示室があって、それぞれの立面の壁には玄関と窓があります。私たちはこれらの部屋を少しずつ、90℃ではないのですが、ずれたような斜めの通路でつなぎました。これはその場では分かりにくいですが、空間に緊張感のような質を与えるものだと思っています。

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Art gallery

「今後の展望」

坂根|最後に、これからのClaesson Koivisto Runeの展望をお聞かせください。

モーテン|そうですね、何と言ったらいいか、確かなこととして言えるのは死ぬまで続けるだろうということですね。そして進化し続けていたいです。そうでなくては続けていくことが出来ません。だから今やっていることがさらに良くなればいいと思いますね。

坂根|今日は本当にありがとうございました!

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インタビュー風景(Claesson Koivisto Rune Office in Stockholm)



(following in English)

"The style of Claesson Koivisto Rune"

Sakane: Firstly, I want to ask about the working style of Claesson Koivisto Rune. You started your work when you were student in Konstfack, and three students started together.

What do you think about work in a group, do you have any methods?

Mårten: I didn’t have an ambition to start to do in any group, in fact I didn’t know what to do. But it just happened like many things in a life.

We are of course different personalities. And I’m sure your friend Miyako can tell you about it but we don’t really have fixed role in this relationship. So people who come to us do get a little confuse, because they are not certain about who is the boss. And the matter is there is no one who is the boss. We are all the boss together and we have tried as much as possible to include the staffs in this, I mean the other people except the three of us, in this mentality. I think it is the most positive ground for creativity, to try to do away with hierarchy. Because hierarchy works very well in the military. But in creativity this is actually negative. Anyone with a good idea should feel encourage to bring up to all. if the idea is good, it will prevail regardless of who came up with the idea from the beginning. At the same time I mean anyone can criticize anything here.

Sakane: Okay, and your first project was your diploma work in Konstfack?

Mårten: No, well actually, it wasn’t really the first project. We put it couple of competitions, student competitions that we won, and this is how we started to make competitions together and then by the 3rd year we actually got a commission from a very large corporation in Swedish forest owner and paper manufacture.

And it was to design their sales offices through out Europe. And we were in only 3years in our school so we didn’t have any really experience, but we got this commission, and we ended up design their office in Barcelona which was the first one, and Vienna, London, Copenhagen and Stockholm in one year also. And they told us this is the measure corporation, one of the world largest owner of forest, so they said to us, “You have to register company because we can not deal with this otherwise”, so we registered a company together while we were already at school.

So when we graduated and we did this degree work which was the “Villa Wabi” on Sergelstorget we already had this company. And this was in 1994 and this is very similar to today, it was very very bad recession. It actually was for architects. There was 50 percent of unemployment rate. So newly graduated you have absolutely no chance of jobs. And we didn’t even try, but we have this company. So, you know, continue doing what we have been doing. The thing that matter was we have no experience, in architecture how to deal projects. You have to find your own methods. We have created our own way of working I think, which is what we do today.

"Product design

Sakane: You also have many product projects, and your school, I think Konstfack also has a good education for products. What do you think about your background from Konstfack?

Mårten: Well, I think I always aim to be an architect from the beginning, so for me Konstfack was the type of education, just a sort of architecture education that includes product design specifically furniture design. And I think, to be quite honest, the education was not fantastic. The level of the professors were not good.

You can create your own education which is fantastic if you belong to the students that were very ambitious. There was a lot of workshops and there were not too many students, so we worked all the nights. That was fantastic about Konstfack. And in that school we did about over hundred interiors in just a few years, extremely amount of projects. From that I think we got good sense of spaciality that is related to the human being.

And the product design, to us it is always a part of architecture, and if you look back in history specially in the Scandinavian, most of the products of furniture were designed by architects. So we are just following this tradition in a sense. If you look the Scandinavian examples you have of course Alva Aalto, Jacobsen , Bruno mathsson. For us, furniture is architecture. And when we talk to people in industrial design, quite often they tell us just like our furniture design is, you can sort of sense that it is made with the architecture in mind, that it is related to architecture, it fits inside of an architecture.

So I think our product design is very architectural, rather than other way around.

"Possicility of prefabricated house"

Sakane: I think to design container and contents together like you do makes you really active. And you also have prefabricated house project which seems like house as a product.

Mårten:Yes, you are right. Although I think, perhaps I already said, for me, product or furniture design is architecture. So Houses and furniture are architecture. They are just a little bit different scale. Also there are some differences in a market and people that are involved to it are different.

It is true that we kind of lack the relationship with the site, if you have a prefabricated house. But the rest is purely architecture, I think it is the same decisions about spaciality, material and what else you have, I don’t find it very different. I find we also lose the kind of client relationship. But when we do the house, we have the client relationship with the manufacture. And then when it is repeated, of course we more or less cut off the process.

. But I have to say you know, as one of my professor said, “Look at architecture, we make a hundred drawings perhaps for a house. And it is the equivalent of making highly-advanced technical mass produced object the amount of information that you have to prepare. We do it to produce a one piece.” So, in that sense I think why not try to repeat this project. This is very kind of creativity, energy, time-consuming process architecture. And maybe you could find a way, if you found some quality in it, some essence, I think it is interesting to repeat it. Not as a general idea for an architecture but you could also include this, I think.

"Tokyo, Stockholm"

Sakane: I heard about that you are going to do some house projects in Tokyo. What do you think about building a house in Tokyo?

Mårten: Well, I think it is basically the same. You have different parameters but you always do. Each project that you deal with, you have new parameters to deal with. It could be the economical parameter or it could be the client parameter or it could be the site parameter and the cultural parameter….I know because I have traveled a lot to Japan and I can deal with this if I understand it.

In Tokyo, maybe try to introduce a slight sense of importance of the exterior relationship to the surrounding, even if you want to maximize the place that you can take in the air, you want to maximize the use, I think it could be possible to try to do that in a poetic way. So that the building has some sort of poetry relationship to the things around.

Sakane: I think Stockholm is really conservative and it is hard to build a new building here, compared to Tokyo. What do you think about Stockholm?

Mårten: I read about the average age of the building in Tokyo is ten years or so. That is amazing. The average age of the building here is probably two hundred years. And I think that has to do with economical situation at land which is so much more worth than the building on it. But it is also about culture. I think age itself is a quality, which is strange if you think about it. But that is also what makes European cities very conservative. But cities are different, I mean Stockholm is beautiful and even I think it is important to preserve. It is very hard to be an architect in Stockholm and basically have to find your work outside Stockholm but I think Malmö or Göteborg are much less conservative already and they are also Swedish cities. So Stockholm will probably change also.

But in this office we have opportunity to work around the whole world so I’m not really depend on the situation of Stockholm. We can work anywhere.

"New Typology"

Sakane: Then, I want ask some about your products. I found some of them are designed to let people act differently from the ordinary way. For instance, something like chair but it also can be table…

Mårten: Well, I guess we want to develop. I think that is probably the driving force. The ambition is to find new things. And design has come to a point that it is not very hard to design something new within a known sector or typology, so what you can work with this is to try to change the typology and try to find a new typology.

Ten years ago we did a piece of furniture called PEBBLES for Cappellini which was a new category because it was not a sofa and it was not a chair and not a table, it was you know, later labeled a seating island. And that was kind of a new typology. There is a one flat surface which you sit on it and second smaller flat surface slightly above which is kind of a armrest or a side table or whatever you want it to be. And you can also rotate it because these shapes are irregular both these flat shape. So you can do anything on it.

Sakane: Yeah, and actually I really like DODO!! (one of the products of Claesson Koivisto Rune)

Mårten: Yes, DODO is the same thing. We were asked by our friend in Tokyo to design something for him. That was fantastic that you could be offered by a traditional Japanese restaurant and if you found they have seat without backrest but still on the floor, but this is something that is impossible in marketing in Europe. I mean people love it but there is no market because we don’t sit on the floor, basically. So we took the typical category of western office chair which is work chair, and we combined these things too. So Its revealing like an office chair so you can rotate it. And you also have the additional little table depending on how you sit on it and you can put your laptop or book or paper something like that. And it was a completely new concept for both Japan and Europe at the same time. One of the clients, the game section in Sony bought it for the main office in Tokyo. I don’t know if they changed the interior since then but they bought a large number of them for their staffs, which was fantasitic you know, it was not just one piece for a show or something but it was suitable for their work philosophy.

Sakane: And of course what was interesting about that furniture is when many DODO are gathered, it looks like real bird flock.

Mårten: You know what the dodo is!

Sakane: Of course. We can find a story around the furniture and it makes the space special.

Mårten: Yeah.

"Architecture and product"

Tanabe: While I was working here, I always thinking about the shape, because you change the shape of architecture slightly like handling the object. What do you think about the difference of the shape between architecture and product?

Mårten: Okay, I think there is a difference, I think scale is extremely important.

For example Asahi building in Tokyo is absolutely object and it is not an architecture I think this is the typical example of designer not understanding an architecture. And you can see the other way around also. I’m a fantastic fan of Frank Lloyd Wright for instance. His architecture is fantastic. He also did a lot of furniture designs which I don’t find at all it fantastic. Because they are too complex for the piece of furniture. So that was an example of an architect not understanding the differences in scale between architecture and design. I think it is very important and probably you can only learn this from experience. And architecture is more spatially complex, and it is also complex in any other way, in economy around the project, in a relationship with clients, builders etc. And you also have a building regulations, energy regulations you have everything affect this project.

But on the other hand Mies van der Rohe said “Its more difficult to make good chair than the skyscraper.” So it is also very difficult, maybe because you have such a limited space to create chair. And chair needs certain seat height and armrest needs to be certain height and it has to have stability that normally you need four legs etc. House is much more open, you know. So there are differences but conceptually and also in a relationship with spatiality It is definitely the same art form, I would say.

"Art gallery"

Tanabe: You make many models changing slightly. How do you decide those shapes?

Mårten: You mean specifically the house projects? That is site-specific thing. I guess also we have been kind of working on the number of project with folding and angular themes, straight things that are folded somewhere or something like that. But we kind of perhaps got a little bit fed up with that and we wanted to try another direction so that we didn’t feel ourselves that we are kind of repeating ourselves.

So we did an art gallery, the project which is this kind of box which has underside concave roof. And the herbage that are growing there were about maybe one meter high that are normally cut down and people build up something new. These kind of farm fields are almost like a oceans. They have horizon and you have long view, it is not a surface but it appears like a surface. So We came up with the idea we wanted to have the sensation of being inside the art gallery and somewhere you have the outlooks, that you are walking the top of the field. So we wanted to elevate the floor to the same level. We had to build up the foundation like a hill .and that hill became round shape. So instead of making a new horizon line on the house we let kind of footprint of the house follow the hill to create very specific shape. And then to balance that, we did the opposite thing with the roof. And then we distorted it because the house is not square. This gallery has four basic rooms, for exhibitions that have different sizes. And each elevation, each wall we have an opening one is the entrance door and the others are windows. We connected those slightly diagonal course inside that creates, it was not 90 degrees but its likely off, which is hard to see when you were there it is just something that slightly which adds kind of tension quality to the space.

"Vision of Claesson Koivisto Rune"

Sakane: Lastly, what do you think about Claesson Koivisto Rune in the future?

Mårten: Well, what can I say, Im quite sure that we will continue until we die. And we hopefully continue to develop, or we need to develop. If we don’t develop it is not keep going. So hopefully I think we do what we do better.

Sakane: Thank you very much!

(all images from Claesson Koivisto Rune)

2010-01-19

[] vol.25 建築家 藤村龍至

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Fujimura Ryuji

1976 東京生まれ

2000 東京工業大学工学部社会工学科卒業

2002 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了

2002-2003 ベルラーへ・インスティチュート(オランダ

2002-2005 ISSHO 建築設計事務所共同主宰

2003-2008 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程

2005 藤村龍至建築設計事務所設立

   東京理科大学、首都大学東京、日本女子大学非常勤講師

2009年度、東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。

なお、藤村さん率いるTEAM ROUNDABOUTは来る2010年2月6日にイベント『LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010』を開催します。

僕らg86も当日の議論を収録するフリーペーパーのライブ編集へ駆けつけます!

歴史的な瞬間を目の当たりにしましょう!


「時代を語る建築の理論をつくる」

聞き手:鎌谷潤(g86),山道拓人(g86),坂根みなほ(g86),乾谷翔


「社会工学部時代」

山道|藤村さんは学部が社会工学科で、大学院から建築学科に入りましたが、社工当時の建築に対する考えなどから聞かせて頂けますか。

藤村|僕はもともと都市計画に興味があって社会工学科に入りました。神戸の「ポートアイランド」っていう人工島を知ってますか?昔、「山、海に行く」と言われて、山を造成してトンネルを掘ってベルトコンベアで土砂を運んで、そこからタンカーに積んでそのまま海を埋め立てて、港の開発と山の開発を一気にやってしまう、それで終わった後そのトンネルを下水道に使うという一石三鳥な方法が実行されたんですけど、それを考案したという当時の神戸市長の原口忠次郎さんは工学博士でもあったそうです。その話を聞いて、自分がニュータウンの開発の風景の中で育ったこともあり、工学と政治に対する興味から都市計画について考えたいと思い始めました。建築と社工の違いについては丹下健三さんも都市工学科の教授だったし、あまり深く考えていませんでしたが、最近になって建築学を学ぶ前に社会工学を学んでいたことの意味を実感するようになりました。4 年生になって所属した土肥真人さんの研究室ではまちづくりのワークショップ等を行っていて、マクロな計画というよりは、コミュニティのデザインやマネージメントに問題が移っていました。模造紙の上に参加者の意見を記したポストイットを貼り、KJ 法でそれらを構造化して合意形成をはかっていく。具体的なコミュニケーションの技術を駆使して空気をほぐしていくと議論がポジティブで生産的な雰囲気にドラスティックに変わっていく、そのダイナミズムを感じていました。そういった政治的なプロセスとしての空間に興味がわきました。他方で、そのプロセス自体は方法論的なのに、そこから出てくる空間のイメージというのが凡庸だとも感じて、効率も悪いし、固

有性もない。いろいろ疑問を口にしているうちに土肥さんから「もういいからおまえは建築に行け」と半ば追い出され、塚本研究室に大学院から入ることになりました。


修士制作について」

山道|修士制作のファイルを見て面白かったのが、社会的アドレスと物理的アドレスということをおっしゃっていて、そういう見えない居場所と物理的な居場所ということを当時から言われていて、そういう議論は当時はなかったと思うんですけど。

藤村|いや、むしろ90 年代は情報空間と物理空間の関係についての議論は盛んだったですね。ただ、そういうことにも関心はあったけれど、塚本研のM1 ってゼミも無いし、仕事ばかりでアウトプットの場所が無いんですね。それですごいフラストレーションが溜まっているときに、「ネット」という場所を見つけました。

一同|笑

藤村|全然違う建築以外の人とつながりを作って、議論し始めると塚本研でやっていることも整理されて、とても面白かったんですね。M2 になって、研究室の仕事にも慣れて来た頃、TNprobe の連続レクチャーシリーズがあって、ヘアート・ローフィンクというアクティビストのレクチャーを聞きました。彼が問題提起していた

「ネットの環境で公共空間が出来るか」というテーマに刺激を受けて、帰ってきてその日の夜に新しいサイトを立ち上げ、翌日のゼミで発表しました。

鎌谷|それはいつですか。

藤村| 2001 年の5 月。9.11 の直前で、かつその直後に大阪の池田小で児童殺傷事件があったこともあり、塚本先生に「これからの公共空間を考えるなら、小学校を考えたらどうか」と言って頂いて、現代的な公共空間のモデルとして、小学校について考え始めました。

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fig.1 修士設計/パブリック・スクール・ブロジェクト


それで小嶋さんや山本理顕さん、工藤和美さんのような小学校を設計されている建築家の方々にインタビューをして、それをネットに公開するようになったんです。それを五十嵐太郎さんが拾ってリンクして下さったりするようになって、徐々に反響が広がっていきました。そうやってインプットとアウトプットを続けながら、小学校のスタディを始めて、情報空間と実空間の関係をその時はずっと考えていたのですが、ある日スーパーに行ったら、あれ、これは二層なのではと。笑

一同|笑

藤村|下が、商品の陳列された棚で、上がサイン。3次元だと思っていた空間が、2次元と4次元に分節されているのではと気がつきました。それを塚本先生に話したら、興味を持ってくれて、色々白熱した議論になったりしたんだけど、結局は建築をうまく作れなくて、仙田満先生も「切り口はいいんだけど、もうちょっと建築的なディテールがあればね」とおっしゃっていました。

山道|今、つくるプロセスとして検索段階、比較段階といったように構造化されてますが、修士制作当時はどうでしたか。

藤村|同級生の人に最近の論考等を見せると、「まだ同じことやってる!」と言われることもあります。修士制作のときは毎週ゼミがあるから、そのペースで毎回1 個ずつ模型を順番に作っていて、その履歴をそのまま最終的にもプレゼしたんですが、最後に「修士制作でプロセスを見せるというのは悪くない」って塚本先生がおっしゃって, 自分なりに何かをつかんだ気がしたんですよ

ね。


オランダ留学後」

鎌谷|修士が終わって、オランダ留学をした後の話をお聞かせください。

藤村|留学前に興味があったのは、情報と空間の関係とそれが身体にどう関わるかっていうこと。だけど、ベルラーへ・インスティテュート(オランダ)に行ったら、当時EU が出来て社会全体が流動的になっているなかで、「ビルバオ・グッゲンハイム」の成功に刺激されて、地域のアイデンティティを復活するために建築の文化的な力をどう使うかという議論が盛んになされていました。社会工学科のときの卒業論文で調べていたことに近くて、とても刺激的でした。ただ、それらの議論は、最初は面白かったんだけど、だんだんパタンが読めてきて、結局政治の話ばかりしていることに気付いて、1 年後に日本に帰ってきました。でも帰ってきたら帰ってきたで相変わらず「見える/見えない」とか、「重い/軽い」とか、身の回りのことばかり話している。本当は、身の回りの身体性と政治性をつなぐものが「建築」だと思うんですけどね。


「設計と理論をどう繋ぐか」

山道|帰国後はどうされましたか。

藤村|帰国後に塚本研の博士課程に戻り、研究室では「伴山人家プロジェクト」という中国の天津の郊外に別荘地をつくる計画の担当をしていました。設計期間が長かったこともあり、塚本先生はとにかく無数というか永遠にスタディを続けるわけですよ。そこで鍛えられて、かつそれまでの反動がぎゅっと凝縮したのが初めて個人で受けた「UTSUWA」という店舗設計のプロジェクト。完全

にロジカルに、無駄無く作っていったら修士設計の頃の調子が出てきて、徐々に展開していきました。設計と論理をどう繋ぐかということは塚本先生に習ったことで、今の自分は、過剰に説明的だった30 代前半の頃の塚本先生をロールモデルにしているところがあります。それに、もともと都市計画への興味から入ったので、窓辺でご飯を食べることとか、それまでは考えた事もなかったけれど、少しはそういう身体的な想像も多少はできるようになったので、その部分は塚本先生に教わったおかげだと思っています。

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fig.2 Building K の設計プロセス


「教育の現場で」 

鎌谷|教育の現場に携わっていることが多くなって、思うことを聞かせて下さい。

藤村|僕は大学院から建築を学んだので、最初は全然図面が引けませんでした。でも、わからないなりに研究室の作業に参加していくうちに、だんだん建築家特有の思考方法とか、作業方法を客観的に理解できるようになりました。だから設計が出来ない子の気持ちも、感覚的に設計をやる人の気持ちもよくわかる。その経験を踏まえ、マニュアル化したのが「超線形設計プロセス論」という方法論です。首都大や理科大、日本女子大等の授業で展開しているのですが、落ちこぼれを出さずに建築的な思考のイメージを身につけるにはどうすればいいか、学生と一緒に試行錯誤しています。


「昨今の卒業設計」

鎌谷|昨今の卒業設計についてどう思われますか。

藤村|かなり演劇的になってきて、役者が出て来ていると思いますが、この時代にしてこの卒業設計ありきみたいに、今の社会状況を正確に反映した作品は、まだまだ少ないと思っています。1990 年代以降の社会問題としては「情報化」と「郊外化」という二大コンテクストがある。それをちゃんと繋いだ人っていうのはまだあまりいない。それに、そういうことをちゃんと評価する人もあまりいないように思えます。どちらかというと、見た目のインパクトをがむしゃらに押すみたいな流れがあると思います。「日本一決定戦」は特に演劇的になっていますが、それは実際の建築ジャーナリズムも構造として似たようなものなので、そこで勝負して、自分の攻め方を学ぶことも必要でしょう。

山道|大学を出ると東工大の代表として意見を求められる瞬間がたくさんあると以前仰っていたと思うのですが、そういう場面で語るときの東工大建築に対する認識についてお聞かせください。

藤村|建築建築の言葉で考えるところが良かったと思います。今は建築家建築家固有の言葉を失っているように思うので、東工大の環境は救いだと思います。ただ他方で、論理的な純粋性にこだわらずにもう少し自由にやってもいいのかな、と大学を出てから思うようになりました。


「時代を語る建築の理論を作る」

鎌谷|藤村さんのこれからの展開をお聞かせください。

藤村|まずは時代を語る建築の理論を作っていくのが目標です。先日の『思想地図 vol.3』の論文で理論である「批判的工学主義」から方法論である「超線形プロセス」に至る大枠のストーリーはできてきたと思うので、まずそこからまとめて行きたいと思っています。まずこのストーリーを固めて、その後はそれをメディアのレイヤーで展開していき、いつかは教育や政治のレイヤーで活かしていきたいと思っています。

一同|ありがとうございました。

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インタビュー風景(事務所にて)

2010-01-17

[]vol.24 建築家 吉村英孝

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Yoshimura Hidetaka

1975 愛知県豊田市に生まれる

1998 東京工業大学

2000 東京工業大学大学院卒業

2001 SUPER-OS 共同主宰

2005- 吉村英孝設計事務所主宰

   東京工業大学技術補佐員

2007- 東京理科大学非常勤講師

2009年度、東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。


「話すこと」のひろがり

聞き手:鎌谷潤(g86),山道拓人(g86),坂根みなほ(g86),宮城島崇人


「90 年代の卒業設計」

山道|卒業設計当時の話を教えてください。

吉村|僕が卒業設計をした90 年代の後半は、まず図面を描くツールが変わる過渡期だったことが大きかったかな。いくつか上の先輩からCAD を使う人が出てきて、PC が学生の設計でも特殊なものから一般的なツールになり始めた頃で、時代的にはポストモダンがなんとなく終わったことがわかりはじめて、建築界が共通した目標(大きな物語)を失ったような頃でした。当時は、とにかく新しいものの考え方、特にPC などの違う分野で新しく起こり始めた事を、建築の分野にいかに応用できるかという風に考えていた節はありますね。ただ、いざ応用するとなると、もともと関連性のない分野だから、建築の何に何をどう対応させるかという適用の方法が、内容よりも重要になってしまう。今のプロセスの話なんかでもそうだけど、実際にはプロセス自体よりも扱う対象の選択の方が重要なんじゃないかと思います。語られないけどね。それで構成や空間の形式が選ばれる際には、独立した建築の物語ではなく、条件や環境などを逆に取捨選択する側面があるのではないかと思っていた。そこで卒業設計では、まず道に対して間口を持つという条件と、賃貸の事務所だと床面積が基準になるのに対して、容積を基準とすると何が変わるのかということを考えながらつくっていました[fig.1]。室単位の自由度を保ちつつ、単位の集積としての全体形でもなく、全体形の部分としての単位でもないような、微妙なラインに興味があったかな。

山道|周りの人はどんな感じでしたか?

吉村|今の学生とくらべると、自由だったと思うよ。今は何となく「東工大」を意識しすぎて、距離とるなり似たことをやるなり、不自由になっているかな。

山道|兄弟(兄:靖孝氏)が他の大学にいた影響もありましたか?

吉村|あるかもしれないけど、ほとんど建築の話をしたことはなかったね(笑)当時の風潮として、みんなが共通した目標を持てなくなると、作家性に閉じこもるようになるんだよね、ちょうど企業秘密みたいに。そんな時代だからあまり話さなかったかな。当時の東工大生もあんな製図室があるのに割と閉じていて、話すことが重要だよと教えてくれる人もいなかったし、話すことにどう

いう価値があって、その上で、どうやったらオリジナリティや個人が位置づくのかを考える土壌も無かった。

鎌谷|現代の卒業設計でも、作家性が強く出るものが評価される傾向はあると思うんですけど、対比的にそうでないものも浮き彫りになってきたと思います。

吉村|作家性を求めるのかそうではないか、その方法自体どっちが正しいとも思ってはいなくて、最終的にできたモノを通してどれだけのことが伝えられるかという方が大切だと思う。作家性に閉じながらたくさんのことを伝えている例もあるしね。手法の問題が大きく取りざたされるようになっているけど、閉じることでうまくいかなくなった時に、その壁を破る方法として手法や話すと

いうことがあるくらいでいんじゃないかな。

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fig1:卒業設計/ Office for Short Stay


「10 年前の興味」

山道|塚本研一期生となるわけですが、当時塚本研に入ろうと思ったきっかけと当時の様子を教えてください。

吉村|自分が受けてきた教育との違いに純粋に新鮮味を感じたことが一番かな。当時は建築の理論と実践の問題が乖離していて、どちらかだけを語っていても面白くないなと思っていたところに、塚本先生が、あるデザインがどういう効果を生んで、どういう問題や議論に接続しているのかを具体的なところを消さずに説明していて、それが当時とても刺激的でしたね。

山道|修士では吉村さんは実作もつくっていますよね。

吉村|東工大の先生方もかなり若い時期に処女作をつくっていたので、自分も早く建ててみたいというのがありました。それに当時、研究室での設計も、法規から作り方まで、全部ゼロから自分たちで調べてやる様に仕組まれていて(笑)、それなら自分でもできてしまうんじゃないかという勘違いでもあって(笑)ちょうどその頃、留学行く直前だった兄を捕まえて、一緒にやらないかと話を持ちかけました。そこで久しぶりに話をすることになるんだけど(笑)そうするとやっぱり、建築の社会的意義から作家性に対する姿勢までありとあらゆる価値観が違っていて、それはそれでいい経験でした。

宮城島|ダブルテンポ[fig.2] は、条件に対してどう考えるかということがよく表れていると思うのですが、そのやり方は、そのような価値観の違いがあるなかで共有する仕組みでもあったんですか?

吉村|共有するかどうかはあまり問題じゃなくて、考え方は違うという前提だったから、言葉ではなく、モノでお互いが納得する瞬間を目指していました。大雑把に言うと兄が内部から、僕が外部から建物のカタチを決めようとしていて、什器の寸法体形と自動車の寸法体形が斜め45°に振るとちょうどあうと気づいた瞬間に、うまくあのカタチができて、お互いに納得した。この建物は条

件の取り扱いとか、当時考えていたことが割とピュアに表れていると思うんだけど、実際には条件の定義だけでは埋められないところがあって、今はそこに建築建築らしさがあると思うようになってきたので、そこをもっと追求したいと思っています。

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fig2:ダブルテンポ(設計 : SUPER-OS)


「実践的素振と理論的打席」

鎌谷| SUPER-OS の時は理論と実践と言った場合に、実践を通してお互いの共通項を見出して設計していくスタンスだったと思うんですが、それに対して現在のスタンスを教えていただけますか。

吉村|はっきりその二つは分けられないと思うけどね。ベクトルの向きからすると実践から理論へだと思います。というのは僕の場合は、何かを一旦つくればそこに入ってみた気になって、作るときに想像していなかったことを発見する。そのプロセスが結構重要な気がしていて、自分のつくったルールから離れていくものは何なのか、ということに興味があります。だから常に今でもたくさんアイデアを出してはつくり、それに対するジャッジをたくさんする。もしかしたら10年後には頭だけですべてわかるようになっているのかもしれないけど、今はもう素振りのようなもので、一日何本でも素振りをして、今の素振りは良かった、違う空気との感触があった、みたいな発見をしています。体育会系だからかもしれないんだけど(笑)常に動かしていくなかでつくっていき

たいと思っています。ただジャッジするのには打席に立つことが必要なので、どこで素振りをやめるか、球を読んでどうあててどこに飛ばすのか飛距離を読んでゲームの流れを作るのかを決めるのが理論なんじゃないかな。このループがないと素振りが一人歩きしてしまう。

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fig3:西光寺本堂(設計 : SUPER-OS)


「土としての東工大」

宮城島|東工大の教育や、その中での卒業設計というものをどう位置づけていますか?

吉村|今は教える側なので、東工大の教育はいいと思っていますよ(笑)。卒業設計は、先生達が何を評価するのかの価値基準が顕在化されるようになると良いと思うんだけど、今は学生の方が評価されることに価値を置きすぎているから、先生たちの価値基準は問題にされなくなっている。目標はあの人たちを焦らせることではないかと。僕の時はこういうことをやる先生なんて東工大にいないだろうと思いつつも、あの人たちが評価するのだから、そこに投げかけて、彼らが自分の作品にどう反応するのかを聞きたいと思っていました。だからもう少し素直に、何かを知るために卒業設計をやってもいいと思う。ただ東工大には伝統的に培われてきた文脈があって、それをどう受け継ぎ、どう伝え、その中で自分は何をするのかを考えられる軸があるというのは非常に幸せなことだと思いますね。教える側としては、半分は伝えられてきたことを、もう半分はそれに対して自分はどう考えているのかということを伝えていこうと思っています。誰かの教えをただ伝えるのではなく、そこに自分の価値感を投影して、またそれに対して批評を受ける。そういう場は今のところ東工大にしか無さそうなので、これはいい土壌だね。みんなは種のようなものなので、そこから距離を取ろうと、土を毛嫌いする必要はなくて、いい土でどう伸びるかを考えてすくすく育てばいいんじゃないか。僕は養分として何かを加えてあげられればいいと思っています。


「教育というメディア」

坂根|今後の展望を教えてください。

吉村|早く研究室は持ちたいですね。坂本研究室のOBで教育関係の方の集いに飛び入り参加する機会があって、そこで気付いたんだけど、まずは坂本先生に直接教えを受けた人たちがたくさんいて、さらにその人たちの教え子がたくさんいる。その孫世代である僕らのさらに教え子がいれば、もうねずみ講のように、世の中は教え子だらけになる(笑)大学は刹那的な流行をいきなり作れたりはしないけど、非常にゆったりと、多くのことを伝えられるメディアだと考えれば、初速は遅いけど50年後にはかなりの多数派になっているというのは非常におもしろいと思います。それは雑誌に載って何部売れるとか言うのとは違う世界。こうやって、自分の中での教えることの価値が分かってきたので、早く研究室を持ってたくさんのことを伝えていきたいですね。研究室を持つのと並行して、作品もたくさんつくりたいですね。僕の場合、つくるって事がないと自分の思考の仕組みが作れない。だからやっぱり何かをこう常に素振りしながら、やっていきたいなと思っています。

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fig4:インタビュー風景(事務所にて)

2010-01-09

[] vol.23 建築家 大成優子

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Onari Yuko

1974 東京生まれ 茨城県つくば育ち

1997 東京工業大学工学部建築学科卒業

1997-2002 妹島和世建築設計事務所

2002 大成優子建築設計事務所

2003-2004 中央工学校非常勤講師

2004 武蔵野美術大学非常勤講師

2005-2008 森山邸住人

2008 京都造形芸術大学非常勤講師

2009年度、東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。


「納得するまであきらめない」

聞き手:鎌谷(g86)、丸子勇人、似鳥俊平

「都市と建物の境界が曖昧な教習所」

鎌谷|まず大成さんの卒業設計について教えて下さい。

大成|私は自動車教習所を作りました。教習を受ける人以外には閉じられている都市施設をもっと積極的に使うことで、都市がより面白くなればいいなと思って。敷地は大崎で、すでに自動車教習所があった場所です。教習所って一生に一回くらいは行くかなと。逆に言えば、行ったきり二度と行かない場所でもある。でも地図で見ると割と大きめの街区で見えてくるから、そういうところがまた行ける場所だったらおもしろいんじゃないかなと思ったんです。ここに実在する自動車教習所はすでに2層だったのですが、教習所の隣の同会社の経営するタクシーエリアも取り込んで、新たに立体的に複合させました 。

fig.1卒業設計/ドライビング スクール ビルディング

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自動車教習所の練習コースや教習教室はもちろん、車の修理用に板金工場、タクシーの運転手が休憩するところや銭湯も計画しました。車の軌跡が建物内に

出てくるので、結構大きなスケールもつり合うなと考え、テニスコート、25M プール、パチンコ屋さんなどの大きいプログラムも入れました。その他にも、託児所やコンビニとかちょっとしたシアター。あとタワーを作って住宅や見晴台を設置したり。いろいろと入ってます笑。

鎌谷|確かに、教習所のような、人がそう頻繁に利用しないけど都市にいくつもある施設ってありますよね。そこに着目してデザインをしていくというのはすごく興味深いです。従来の教習所では車と人が分断してしまっていますよね。これはそれが入り組んでいる。

大成:そう。だから、車と人間っていうスケールの違いをどうやって複合したらいいかなと考えて、車のスラブと人間のスラブに分けて交互に重ねていきました[fig.3]。

もともとここの敷地は高低差が1層分ある地形だったので、それを利用して、土地の段差がそのまま上に上がっていくように。人と車は直接触れあうわけじゃないんだけど、絶えず見えている状態を作りました。食事しながら、車の練習をしているのが見えたりだとか。

似鳥|一層飛ばしのエレベータのダイナミックな感じも好きです笑。S 字クランクとかも作りましたか?

大成|作った作った。しかもこれはすごい怖い。吹き抜けのところがS 字ですから笑。遊園地よりスリリングかも笑。

丸子|教習所の相手が遊園地笑。

大成|要するに気軽に遊びにこれたらいいなと思って作ったんですよね。私もそうでしたが、学生の時に車をもってなかったので、思いっきりペーパードライバーなわけ。もっと気軽に一日教習とか利用できるといいなと思って。自転車を止めてふらっといろんなところに行けるように、気軽に自動車を止めてふらっと行ける場所にしたかったんです。

鎌谷|それが、車と人の空間の配置の仕方で明快に実現していて、すごく面白い。車と人の階高の変化はありますか?

大成|人のスケールを抑えて、車は大きくして、3mと4m かな。単純にこのまま積んでいきました。そのかわり、タワー部だけは一層の高さを4m として、それが突出して見えてくるようにしました。

fig.2 スケッチ(卒業設計/ドライビング スクール ビルディング)

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全く同じ関係性ではなくて、上の階ほどタワーとスラブとでレベルの違いが出てくるので、上へ上がっていく楽しみもあるんじゃないかなと。模型はスラブの高さが違ってくる感じを出したくて、素材とかかなり無茶をしましたね。

「自分で模型を作らない意義」

大成|あと、ここで初めて学んだことがあって、生まれて初めて自分で模型を作らない。それって実はすごく設計者として私は大事だと思うんです。実際に建築を建てるときは自分で図面は書くけど、基本的には工務店とか建ててくれる人達が別にいてそういう人達に、言い方はよくないけど、指示を出すのも仕事かと。それを生まれて初めて体験するのが、卒業設計だったなと思うんです。

手伝ってくれる人が何人かいて、いつ来てもらえるかをスケジュール調整したり、この日にこの人にこれをお願いしようとか指示をしたり、材料はどれだけかかるかを計算したり。とにかくあまり自分は動かないで周りに指示を出すということが生まれて初めてだった。やっぱり苦労もしたけど、それは今後に繋がる、かなり貴重で有意義な体験だったなと思います。

「SMLXL の影響」

鎌谷|大成さんが4年生の頃の東工大の共通意識はありましたか。例えば、みんなが参考にする建築家はいましたか。

大成|私が好きだったのはレムですね。一層飛ばしのエスカレーターとか直接的に影響を受けています笑。だから、真っ白い模型というよりも、OMA のように模型に素材感があるようなものを作りたくて色々工夫をしたことを覚えています。この時期に丁度出版されたのがSMLXL。生まれて初めてあんな分厚い高い本を自分のお金で買って。製図室で枕になったりもしてましたけどね笑。 卒業設計でも、必ず手の届くところに置いて設計をしていました。すごい影響受けていると思います。

丸子|周りの人はどうでしたか?

大成|私たちが2・3年生のころに、安藤忠雄さんの六甲の集合住宅II や、近つ飛鳥博物館がどんどん完成していて、やはり影響は大きかったように思います。カチカチしたコンクリートの固まりみたいなものに、なんだかおおーと感動していたり笑。かと思うと、妹島和世さんの軽やかな建築におおーと感動していたり。私は森の別荘にものすごく衝撃をうけました。妹島事務所に行きたいと思ったのも、この作品の影響が大きいです。

fig.3 模型(卒業設計/ドライビング スクール ビルディング)

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大学院にいついくべきか」

似鳥|大成さんの卒業設計は自身の卒業論文のテーマとは関係がありますか。

大成|正直全然ないです。とにかく自分で楽しいと思えるものを作りたい、という気持ちが一番大きかったので、卒論のテーマには特にこだわらずに考えました。論文で苦しんだのでおそらくその反動かと笑。

鎌谷|それは僕に置き換えても同じことが言えそうです笑。僕たちは今、大学院へ進学し、修士論文に向けてそれぞれのテーマの研究を中心に行っています。大成さんは大学院へは行かずに、妹島事務所へ行かれたそうですが、大学院で学ぶことについてはどう思われますか。

大成|今だったら大学院へ行って研究をしてみたいとも思います。学部を卒業してすぐの時には、特に強い研究願望とかなかったんですけどね笑。大学院にいつ行くのか、ということは大きいように思います。もちろん学部を出てすぐに院に行くという選択もあると思いますが、一度社会に出たその後で院、という選択肢もありかなと。実際、外国ではそういう人も多いそうです。

 私の場合、実際に設計をいくつか経験した事で、建築に関して自分なりの考え方っていうのが、少しずつ見え始めている。自分の興味のあることも色々とあるので、今だったら行くのもいいんだろうなと。一度実務を経験してから、もう一度研究をするというのは建築ではあり得るし、人によってはその方が有意義なこともあるのかなと思います。

「納得するまであきらめない」

丸子|大学を卒業後の、妹島事務所での所員時代で学んだことを教えてください。

大成|たくさんありますが、一番大きかったのは「あきらめないこと」ですね。施工側から、作れないとか駄目だとか色々言われるんだけど、妹島さんはそれで折れることはまずない。作れない理由をしっかり聞いて、それで違う方法を考えたりして何度も交渉しなさいと、よく怒られました。自分でも結構粘っているつもりで、それでも駄目かなと思ったときも、まだ妹島さんは粘ってい

て納得するまで絶対にあきらめない。

似鳥|妹島さんの作品の抽象的で特異な形態が実現する裏には、そういった想像以上の粘り強さがあるのですね。

大成|精神的な強さというのは、本当に大事だと思う。独立してみてますますそう思います。いつも頭の中の仮想妹島さんにはっとさせられる笑。 妹島さんも独立し始めたときは、自分がこうやったら伊東さんは何とおっしゃるだろうかを考えてやってらっしゃったみたいで、

今はそれが良くわかります。

「純粋な気持ちに戻れるもの」

鎌谷|今現在、独立してから建築を設計していく中で、自身の卒業設計をどう捉えてらっしゃいますか。

大成|卒業設計では学校で設計してきた中でも、かなり純粋にやりたいことをどんどん突っ込んでいけた感覚がありますね。だから、この卒制を見ると素直に純粋な気持ちに戻れる。今回のインタビューをきっかけに久々にじっくり見返してみたのですが、この当時と今の自分を客観的に、今私は何を考えているのだろうということを、改めて見つめる事ができました。そういう意味では大事な作品ですね。

丸子|大成さんの中では、今なお卒制がご自身の設計の軸として位置づいているんですね。

大成|実際に建物を作ったことのない段階で作った最後の作品だから、そういう意味では、現在の自分との比較としてはかなり興味深いです。独立後に作った最初のポートフォリオには、時系列で新しいものから並べて、一番最後に卒業設計を載せてました。どこからスタートだっていうとやっぱり卒業設計からかなって思います。

2009-11-12

[]vol.22 建築家 KUU

KUU

佐伯聡子氏 +KM TAN氏

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上海を拠点にアジアを活動ベースにする建築事務所。佐伯聡子、Kok-Meng Tan(シンガポール)によるパートナーシップ。現在KUUバンコク主催のBoonsanga Tetiya Tek(タイ)はKUU上海の元パートナー。

佐伯聡子 (1973年名古屋生まれ)_1997年 明治大学卒業_2000年 ペンシルヴァニア大学大学院修士過程修了_2000-2002年 MADA s.p.a.m.勤務_2003年 明治大学非常勤講師_2008年 深セン大学非常勤講師

Kok-Meng Tan (1964年シンガポール生まれ)_1992年 シンガポール国立大学卒業_2000年 U.P.C.バルセロナ大学修士課程修了_2000年  Alvar Aalto Centennial ワークショップ参加_1999-2001年 シンガポールアーキテクト編集長_1999-2003年 シンガポール国立大学; RMIT シンガポール大学; UNSW シンガポール大学非常勤講師_2008年 深セン大学非常勤講師

(このインタビューはKUUのお二人(上海)、g86山道(東京)、g86鎌谷(北京)の3つの都市間でインターネットを通して行われ、後日、東京にて実際にお会いし議論を重ね編集したものとなります。)


「中国でスタートしたきっかけ」

山道:今日はよろしくお願いします。

KUUは上海を中心に活動しています。

まず、佐伯さんが上海で仕事をするきっかけについて教えてください。

また、上海と東京は、同じアジアの都市ですが、東京は住宅で出来た都市であると言える一方で、上海は摩天楼を思考しているように見えます。

そういったコンテクストの違いについてお聞かせください。

佐伯:こちらこそよろしくお願いします。

アメリカの大学院修士設計時の担当講師が中国人建築家でした。卒業後、その人に上海で仕事をしないかと誘われ、それに参加したのが上海に来るきっかけでした。それが2000年で、まだ中国が今ほど騒がれることになる前のことだったので、中国でデザインの仕事をすることについて周りの人から反対されたりもしました。今では若い人含め、日本人の設計者はたくさんいますが、その頃はほぼゼロだったと思います。その事務所に数年勤めた後、日本でプロジェクトの話があり上海をいったん離れました。ただどうしても上海にやり残し感があり、2年後にまた上海に戻りその時に事務所を設立しました。

上海には過去に日本を含めた諸外国によって占領されるという苦い過去があり、街中にそれらの外国人によって建てられた西洋風住居や、それが中国風にアレンジされた里弄という住居形式がかなりの量残っています。割と早いうちに上海政府はそれらにビジネスチャンスがあると気づき、保存する方針を決めています。もちろんコンディションの良くないものは都市成長のあおりを免れずにどんどん壊されて、高層ビルに建て替えられていますが、それでもかなりの量が残っていて、新旧の混じったとても特徴のある街並みを作っています。東京とも似ている部分がいくつかあり、実はそのうちの一つが「都心部に住宅がたくさんある」という所なのです。上海都心部の住まい方は特徴的でKUUでも色々とスタディーをしています。

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fig1:shanghai housing study

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fig2:shanghai housing study


もう一つの共通点は「歩ける都市」ということです。北京の様に一ブロックが大きすぎて歩きにくいということもありません。

山道:なるほど。特に佐伯さんが建築をそれぞれの都市で設計する時に、それぞれの都市をご自身の中でどのように位置づけて考えていますか?

佐伯:上海にいるので上海用のスタンスがあるという訳でもありません。共通したものの捉え方のようなものがあり、それを通してそれぞれの異なるコンテクストというか現実に対応していくような感じです。残念ながら現在は東京でのプロジェクトはありませんが、中国は広いので上海とその他の都市では状況がかなり違いますし、シンガポールやタイでのプロジェクトもしています。各地で現実的に多くのことが違うので、それに対応していくうちに結果として違ったものが出来てくるのが面白いと思っています。最近は情報の共有によってどの都市にも同じような建築が建ち始め、都市間であまり差が無くなってきていることには不自然さを感じていますから、KUUというフィルターを通すことで何かその都市の特徴や面白いところが現れてくるといいなと思っています。

「スケール感の違い」

鎌谷:はじめまして。鎌谷潤と申します。よろしくお願いします。今僕は迫慶一郎さんが主宰するSAKO建築設計工社の北京事務所にてインターンをしております。ここに来て一番感じるのは、距離と時間の感覚の違いです。北京は佐伯さんのおっしゃる通り、一ブロックが相当大きい。歩きづらい。CBD地区にいるので、よりその北京のスケールを感じます。また中国は都市の更新速度が相当早い。至る所でスクラップアンドビルドの風景が広がっている。行きつけの場末の飲み屋がこの2ヶ月で3件つぶれました。笑 またそれは、迫事務所でのプロジェクトに関わっていても感じます。数百万㎡の都市計画級のプロジェクトの締め切りを1週間後に設定してきたりします。その距離と時間感覚の違いには驚きました。佐伯さんは上海で設計活動をなさっていますが、その日本との違いを具体的にどういう所で感じますか、それが設計でどういう風に反映されているのか、もしございましたらお聴かせ下さい。

迫さんも佐伯さんと同じように、北京用のスタンスがある訳ではなく、その国々の特徴を拾い上げてそこから抽出していく作業だとおっしゃっていました。ただその単位が国というのが僕にとっては衝撃だったのを覚えています。 _

佐伯:鎌谷さん、こんにちは。はじめまして。

まず距離についてですが、中国では距離というかスケールに対する感覚が違いますよね。北京のブロックの大きさについてもそうですし、開発物件のスケールをみても感じられると思います。香港やシンガポール等の土地に限りがある場所とは違って、中国人の頭の中では国や大地は無限に近い感覚なのでしょう。開発のレベルでは、共産主義であることも当然関係しています。ただ新築マンションで400平米とか、別荘で1000平米なんてものをみると正直何だこりゃと思います。好景気なので可能なことでもあるわけですが、多くはより大きく開発してより大きく儲けるという、国や中国デベロッパーの思惑です。KUUの別荘プロジェクトの2 in 1 villaでは「日常暮らすのにそんなに大きなスペースいらないでしょ」というアプローチをしています。

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fig3:2 in 1 villa

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fig4:2 in 1 villa


時間については、中国は早いというイメージがありますが、実際には終わってみたら意外と時間がかかったということもよくあります。確かにこちらのクライアントは初めは必ず無茶なスケジュールを持ってやってきますが、色々な意味でオーガナイズされていないことが多く、必ず途中で何度かスローダウンします。実はクライアントはその辺りも分かっていたりとか。最初はあたふたしましたが、最近は慣れてきて加減がわかるようになってきたような気がします。

もう少し長いスパンでの時間の捕らえ方も中国人は違うようです。現在はあくまで長い歴史の通過点というような意識でいるようなので、細かいことに大らか(大雑把)なのかもしれません。

迫さんの事務所と異なる点は、KUUは私とシンガポール人とタイ人のパートナーでやっているので、日本人事務所という意識がないところです。私達にとっては概念としての国とか国籍はあまり重要ではないように思います。当然私個人は日本人なのだけれども、それはもっと習慣というか体にしみ込んでいるようなレベルのものです。どの環境に住むか、どの都市に住むかは重要ですが、どの国に住むかというのはそれほど重要だとは思っていないのかもしれません。設計時にも、国の話をすると抽象的な話に終始しがちだけれども、都市の場合は気候、風土、文化、習慣といった要素をもっと具体的に落とし込めるように思います。

「中国の豊富嗜好」

山道:中国での建築家の土俵を見ていると、「大規模再開発」or「古い町家やショップのリノベーション」の二択と言い切ってもいいくらい乖離したもののように見えます。しかしkuuの提案する「2 in villa」は、そのビッグネスとスモールネスの乖離を架橋するモデルと位置づけることが出来ると感じました。

また日本人事務所という意識が無いというのが、興味深いです。しかし、「2 in villa」を見ると、‘小さな建物’と‘隙間’で出来ており、それはやはり‘東京’や‘日本’でこそ、佐伯さんが培うことが出来た都市感だと思いました。

僕自身ベトナムや、マレーシア近辺のアジアへリサーチへいきましたが、街には隙間がなく、グチャっと街全体が寄り添うように、文字通り、構造的にも本当に支え合っているんじゃないかという風景が広がっています。

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fig5;ハノイの街並


そこでお聞きしたいのは、シンガポール人やタイ人の方と仕事をしていて、どのようなプロセスを経て、「2 in villa」では「小さな建物」とか「隙間」という具体的な形式にまで落とし込みましたか?

佐伯: 前述したように、小さく住もうよというのが提案としてあったのですが、設計しないといけないのは800平米の邸宅でした。よってここでは基本的な住居機能は中庭の更に内側に入れられています。そしてそれ以外はパーティー用というか、ハウスツアー用のスペースという設定になっています。この小さく、ということに関しては日本人の身体感覚に近いものが基本になっています。ただスケールについて言えば、幼少期に長屋のような場所に住んでいたKM(シンガポール人パートナー)も、心地いいものになりうるという感覚を共通しています。

ただ今回は隙間(庭)も含めて入子状にレイヤーにすることによって、ある程度の密度を生み出すことも目指したものの一つでした。というのも、中国人の共通概念というか嗜好のようなものの一つに「豊富(ふぉんふー)」というものがあって、それはニュアンスとしては「より多いもの」「賑やかなもの」という感じなのですが、それを生み出したかったのです。ただ、特殊な材料や装飾のようなものを用いるのではなくて、空間と人の行動が重なって見えることによってその感覚をつくりたいなと。よって隙間を作って空間を整理するというよりは、それによって空間の奥行きや種類を増やそうとしました。アジアのスラムの様な状態と比較するのは少し難しいですが、それでも複雑さみたいなものを作ろうとしたのです。

ちなみに、今日はたまたま金沢にいたのですが、アトリエワンのプロジェクトである「町屋ゲストハウス」に泊まることができました。最初に着いた時の印象がとてもよくて、奥の松の木までいくつかの部屋を介して見通せて、しかも土間にも庭が引き込まれていました。中からみると町とつながっていて、一番表に近い和室に座っていたら、通りを行く人が気づいて声をかけてくれる。面白いのは気づくのは子供の方が多かったということです。畳に座ると目線が外にいる子供と同じになるようですね。中国の古い住居にも見られることですが、ここでは部屋と部屋が閉じていなくて連続していて回遊できることで、空間の可能性が無限に広がっています。現在進行中の「MINUS K HOUSE」でも同様のことが基本になっています。

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fig6:MINUS K HOUSE

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fig7:MINUS K HOUSE


ここでは一単位が3mx3mと小さいのですが、それを繋げてさらに回遊させることで狭さを感じさせないようにしています。この3mx3mというのは小さい空間でも十分だよという考えからと、低予算であるこのプロジェクトに中国で一番凡庸なブロックによる壁構造を採用したためにスパンをできるだけ小さくするという目的もありました。

鎌谷:中国の豊富嗜好は実に面白いですね。祭りで使われるような賑やかな装飾がどんな店内にもいつも飾られているし、看板は可能な限り配置する。建築だけでなく人もそうで、でっぷりとしたお腹は富裕層のステータスとして解釈されている。そのように、一目見て明らかに富んでいる状態というのを中国は好みますね。その豊富嗜好を佐伯さんは解釈しなおして、空間的に「富んでいる」状態を作り出そうとされているやり方は非常に興味深いです。それは日本人が中国で設計をしてこそ生まれる状態なのかもしれません。それと繋がりますが、KUU設計の「SUPER SENSE SPA2」では壁を剥がすなどの引き算のデザインを取り入れている。

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fig8:SUPER SENSE SPA2

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fig9:SUPER SENSE SPA2


それは中国ではあまり見られない手法だと思います。引くことで全体として「富んでいる」状態を作ることはこちらにいると新鮮に映ります。

荒波の中国で新しい価値を提唱しようとされている佐伯さんの建築家としてのスタンスにはとても感服いたします。

これまではKUUでは、ハウジングプロジェクトや内装プロジェクト等を中心として活動されていると思いますが、アモイのオフィスタワー等のスケールの大きなプロジェクトもいくつかされてきています。そういったビッグスケールの建築を設計する上では、また別の論理が働くと思います。相当な資本が動きますし、様々な人が介入してきます。迫さんは、そういう状況で、明快な「主題」と「タイトル」を作品毎に与えることで、スピードを保ちつつ共有を図りながら、プロジェクトを進行させています。

そのような資本と人が大きく動く状況の中で、設計をしていく上で、佐伯さんはどのようなことを意識しておられますか。

佐伯: そうそう「富んでいる」ことですね。何かと賑やかなことが好きなのです。よって「SUPER SENSE SPA2」でも引くということと同様に重ねるということも意識しています。1930年代の建物なので、オーナーや用途が変わるたびに壁紙やタイルが剥がされたり、重ねづけられたりして今がある。そしておそらく今のオーナーが最後ではなく、これからも同様のことが続いていく。よって古いものが全て重要で保存とか、古いから要らないとかではなく、現在を歴史の一過点のようにとらえて、既に重なってきたもののいくつかを剥がし、新しいものを更に重ねて上塗りしていくような作り方をしました。そしてその重なりが「豊富」というあらわれ方をするといいな、と。

私たちにとってはマスタープランニング、建築インテリア、家具も、設計の手法とては差異はあまりありません。もちろん規模を含め諸条件の種類が違ってきますが、それの整理の仕方は同じことです。よってどれも同じようにやってみたいのですが、残念ながらマスタープランや建築のプロジェクトはその諸条件が複雑なので、途中で止まってしまうことが多く、いまだ実現したものがありません。「MINUS K HOUSE」が冬に竣工すれば最初に完成する建築になります。それ以外にも「FACTORY K」(image09,10)や「BAIXI VILLAGE」

(image11,12)等の中止になってしまったけれども、是非完成させたかったプロジェクトが多くあります。

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fig10:FACTORY K

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fig11:FACTORY K

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fig12:BAIXI VILLAGE

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fig13:BAIXI VILLAGE


ただ中国の大規模プロジェクトで気をつけないといけないのは、私たち建築家が関われる範囲が限られてくることです。基本設計までしか携わることが出来ずに出来上がってみたら違うものになっていたということがよくあります。それはこちらでの法や仕組みが違うからなのですが、やはりそれでは私たちとしても意味がない。よって最初から最後まできちんと見させてもらえる、インテリアや小規模なプロジェクトを好んでやっているということもあります。

それからどの規模のプロジェクトにしても、最終的にどのような空間になるのか、どのような使われ方をするのかに興味があります。言葉はそれを説明するためには使用しますが、それ自体が建築のアイデアをイニシエイトしたり、定義したりすることは少ないです。

「中国におけるメディアの可能性」

山道:一番興味を引いたのは中国の法や仕組みの違うという点です。実施設計をする設計院という組織があるので建築家は基本設計のみを手がけると書かれていました。また、「詳細図面よりも、現場で職人さんにヴィジュアルで説明することの方が大事」と、非常に現場主義というか物に近い実践の必要性を、商店建築のインタビューで読ませていただきました。

そういった状況の中で、佐伯さんは「私たち建築家が関われる範囲が限られてくる」とおっしゃられました。「富んでいる」状態を目指す、設計以外の建築家のメタな思考というか、中国の建築界(もしくは社会)へメディアを通してマニフェストを掲げたりといった活動の可能性や、教育の可能性についてはどう考えますか?

KM:中国のメディアは建築の議論や潮流には興味はなく、出来たもののヴィジュアルしか報道しません。「写真をください」というだけでアイデアを伝えることはなかなか難しいですね。

山道:中国のメディアは建築的思考やアイデアを伝えづらいという事ですか。

KM:そうですね。中国の建築メディアは若いからだと思います。中国では建築の仕事がたくさんあるので、若い人も大学を卒業したら仕事を得やすいし、給料も悪くない。だから教育や批評の道へ進んだり、雑誌の編集者になる人というのが少ないのも原因の一つかもしれません。

佐伯:中国ではボトムになる建築の概念が無いので、皆何を信じたらいいのかわからないということも言えると思います。世界で建築がモダニズムだどうだと言っていた時には、国内の情勢が不安定でそれどころではなかった。その後もずっと国は閉じていたのです。80年代になってようやく経済の開放と共に情報も増えてきて、西洋建築と共に磯崎さんや黒川さん等が紹介されるようにもなった。それでもまだ中国では建築のディスコースがびっくりするくらい無い。

また今の中国ではコンテンツよりスピードが求められるのも、ディスコースが育たない理由の一つかもしれません。

山道:シンガポールではどうですか?

KM:ここ十年で批評の土壌は整ったと思います。アートやソーシャルスタディーズなどの土壌も同時にそろって来ていてクロスオーバーしてきていると思います。

中国のメディアについて詳しく話しますとそれらは3つに分類されます。

一つ目は古いからあるもの。エルデコとか。ジェネラルで、ライフスタイルマガジンみたいなもの。

二つ目は、大学により発行されるもの。大学出身者の建築作品のアーカイブみたいなものですね。

三つ目は、ドムスとかa+uなどの海外のものの中国語版。

これらが、断絶してしまっています。

山道:日本でも雑誌の休刊が相次ぎ、ネットメディアの活用が随所で見られます。中国ではネットメディアの可能性についてはどう思いますか?

KM:そういえばシンガポールにはあなた達のような三つの学生のグループがあって、それが今では建築家のグループになりました。とても興味深い方法だと思います。

佐伯:私があなた達の活動を面白いと思うのは、雑誌に登場しない人に注目しているという点です。雑誌というのはたいがい同じ人しか取り上げません。「若手特集」と言えば、どれも同じ人。売り上げのためにはしょうがないのかもしれません。

中国の大学はすごいコンサバです。まだまだ教授の言う事が絶対で独立した思考を持つのがすごく難しい。今でも磯崎さんがいいとか、IMペイがいいとか、時間が止まっている。石上純也さんのような新しいコンテクストで仕事をする建築家を古くからの教授達が正確にジャッジできない。

KM:中国では講評会のときにも教授同士でも、批判的なことは言う事はありませんし、礼儀正しさを大切にする傾向があります。

佐伯:私たちが去年深セン大学で教えていた時にも「建築には色々な可能性があるんだよ」といった基本的なことを伝えるようにしていました。

本来中国ではネット上の議論はとても活発です。若い学生がそこに何か仕掛けていくことがもっと起きていくといいなと思います。

「地元に開くという方法」

山道:インタビューの冒頭に「引き算のデザイン」と鎌谷が言っていましたが、金沢のまちやゲストハウスでは、アトリエワンは、まちやを丸ごと作り替えるわけではなく、シンプルな方法で修理をして、ギャラリーやゲストハウスとして使いましょうという枠組みの変更を提案し、開いた町家のあり方を提案しています。こういう方法論は、古い街と再開発が混在する中国ではありえますか?

佐伯;あのプロジェクトを見させていただいて、地元に開いたあり方がとてもいいと感じましたし、それこそ、今度は地元の人が、あれを見て、次に繋げられるかが重要ですよね。

山道:以前、金沢に行ったときに、地元の人の中に町家にいい思い出ないとおっしゃっていた方がいたのが印象的でした。

佐伯:上海も同じ状況だと思います。私たちが古い家を見てこれはすごいと感じても、実は劣悪な環境だったりします。住んでる人たちにとっては、抜け出したいというところもあるかと思います。私たち建築家が考えるべきは、壊すか、そのまま完全に残すか、という0と1の世界でなくて、今どのように使えばいいのかを考えるべきだと思います。

山道:地元に開くというありかたがいいとおっしゃられましたが、KUUの事務所も古い民家を改修していて、内部にはギャラリーを内包していますよね。

佐伯;中庭の壁をギャラリーとして使っています。

KM:ビエンナーレにも飽きたので、ギャラリーオブエブリデイライフ笑。

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fig14:KUU OFFICE


山道:笑。KUUのオフィスのあり方というのは、僕らが目指しているものそのものです。事務所内部に他者が展示できるようなスペースがあると、自分達の思考のジェネレーターになり得ると考えています。

「現場で考える」

山道:中国では設計院があるので、基本設計までしかしないので、それとともに詳細図面よりも現場で模型などでヴィジュアルで正確にやりとりしていくことが重要とありましたが、その中で育まれる独特の方法論などはありますか?

佐伯:人件費を気にしなくていい事ですよね。例えば、小さなタイルや装飾をズラーっと手作業で貼って行く意匠なんかは日本では絶対に出来ないけど、中国だと、工業製品を使うより逆にその方が安かったりします。

私たちがやっているハウジングスタディーでもブロックを手作業で積んで行きますが、人件費が安い事から発想の転換をすることがよくあります。

KM:あと中国では‘見積もり’が大雑把なので‘決断’を現場まで持ち込むこともできるというのも特徴の一つですね。工事が始まったあとで現場で見て仕上げを変えてることも出来る。

山道:現場でどんどん作り替えて行くのはアレクザンダーのようでもありますね。

佐伯:そうですね。フィックスしないおもしろさもありますよね。昔は日本の庭園なんかでも、あそこに木をもっと植えたらいいのではとか、ここに月見のスペースを作ろうとか、現場で柔軟に作り込んで行ったと思います。

「設計の実況?」

山道:コンピューターを使った設計についてはどうお考えですか?

佐伯:「遠隔操作」のようなやり方には興味があります。

上海やシンガポール、タイ、日本に渡って仕事をしていく際の新しいやり方として、コンピューターを活用するというのはありえると思います。現場に行けなくとも実況するとか笑。

山道;そういえば海外で新人の医者が手術をしなくては行けない状況になって、ベテラン医師からtwitterか何かで、指示を受けて手術を成功させた例がありましたね笑。

KM:設計をコンピューター化していっても、空間は変わっていないと感じます。例えば、フランクゲーリーやザハハディドの昔の作品と現在の作品では、ツールのコンピューター化が驚くほど進んでいますが、空間の質はそんなに変わっていないですよね。だからコミュニケーションには寄与しても、空間を変えうるとは必ずしも言えないと思います。

「これからの展望」

山道;KUUのこれからの展望を聞かせてください。

KM:両義的なことを考えて行きたいですね。アジア的なことと、ヨーロッパ的なこと。情報がシェアできる時代に何ができるかということを考えたいですね。現在の建築教育は西洋建築が基礎になっていますから、アジアの人は西洋を比較的良く知っている。ただ西洋の人はアジアをまだあまり知らない。安藤=シンプル、SANAA=軽いみたいな記号的なことで止まっているので、その状況が何とかできればいいなと思います。今はブログや出版物の中でそういったことを発信するようにはしています。

佐伯:そのためにも、プラクティスつまり建築を実際に作るという立場も大切だと思っています。作ることで見えてくる地域性というものや建築の手法というものがあり、それがまた次の思考やプロジェクトへと繋がっていきますから。

あとは先ほども言いましたが、漠然とあるイメージは遠隔操作みたいなものです。建築は現場があってその土地に縛られるというのは必須だと思うけれど、その一方で色々な場所で暮らすという豊かな経験も大切にしたい。よって拠点が色々あって、各所をまわりながら、、、なんてことが出来ないかなと考えています。

山道:建築が他の科学と違って面白いのは、そもそも矛盾のようなものを内在しているという点です。何も無い場所に壁を建てなきゃいけない。だから窓をあける。

KUUの目指す、遠隔操作のような離れていることの可能性と、最後まで決めないというような現場の可能性を考えることというのもそういった建築に元々内在している矛盾との格闘から生まれてきた思考だと言えると思います。今日はありがとうございました。

2009-10-21

[]vol.21 建築家 高橋晶子

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Takahashi Akiko

1980 京都大学工学部建築学科卒業

1986 東京工業大学博士課程修了

1986 篠原一男アトリエ(〜 88)

1988 ワークステーション設立

2004- 武蔵野美術大学教授

2009年7月に開催した東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。


「説明するリテラシー」

聞き手:鎌谷潤(g86),丸子勇人,宮城島崇人



「卒業設計/京都大学」

鎌谷|高橋さんは京都大学で卒業設計をされたそうですが、卒業設計ではどういった設計をされましたか。

高橋|自分の実家(静岡県富士宮市)に建つ公共性の高いホールと広場を設計しました。私は80 年に卒業しているんですが、当時は実家には文化施設が無くて、0( ゼロ) のところに1個作りたいというスタンスでした。大都市にはそういうファシリティーは整っていたんですが、地方都市にはこれからという時だったので、まちのセンターの更新が出来て、顔を強化出来るような公共空間を作ろうと考えていました。富士宮では神社がまちのセンターになっていて、そこに参道のアクシスがありました。そのアクシスを延長してアクシス上に神社と対面するように文化施設を作ったということです。

鎌谷|地方都市のコミュニティのあり方を、その場所の歴史を踏まえ、敷地の情報にそれを翻訳し、設計されている。その敷地の読み込み方が明快で共感が持てます。学部時代から、地方都市に対する問題意識は持っていたんですか。

高橋|それが自分の問題意識の根幹になっているとは甚だ思えなくて、月並みなことを考えていたと思います笑。

宮城島|では、京大内では社会や建築に対する何か大きな問題意識を共有されていましたか。

高橋|当時は、磯崎さんを中心に、様々な問題意識の投げかけも出ていたのですが、私の周辺では同時代に敏感な人たちは意外と少なくて、それぞれがそれぞれに好きな建築家を探して好きなように勉強しているというような環境でした。もちろん建築好きの仲間はいましたが、

みんなで問題意識を共有することはなかったと思います。その時に抱いていた建築に対する消化しきれなかった考えは東工大に来てやっと解消したんですね。だから東工大で篠原先生に触れたときに自分の設計の第一歩が始まった。建築観や、社会に対する建築の位置づけなどがそこで初めて身に付いたと思っています。

「篠原スクール時代」

丸子|僕たちは篠原先生が亡くなられた年に入学したので、先生と直接触れ合う経験が無いんです。でも、今でも作品集や論考を見て議論し合うほど、先生の影響を受けています。当時の篠原先生のお話をお聴かせ下さい。

高橋|噂どおりカリスマ性が強い先生でした。住宅が主体だけれども、生活から入る建築とは全く違うアプローチだったので、学部生の頃からすごく魅力的だと感じていて、相当作品集などを読み込んでいました。研究室に入り、設計や建築観等々、様々な形で直に影響を受けましたね。具体的にいうと、先生が担当の輪読をする授業があった。そこで、ロラン・バルトの本をテキストにされたんです。それはイメージの意味作用についての本だった。バルトは記号論には収まりきらない、ものの意味に関わる話を非常に鮮やかに論じていたんですね。私はその本をすごく気に入って、意味作用について研究した修士論文を書きました。その後博士課程に進み、先生の作品の設計を担当しました。

似鳥|どういった作品を担当していたんですか。

高橋|私が担当したのは、先生の自邸でもあったハウスイン ヨコハマ。篠原研の場合は、担当者が一番年が若い人という教育的なルールが当時ありました。ですから、先輩たちに助けられながらも鍛えられましたね。

鎌谷|ハウス イン ヨコハマを僕たちと同じ年頃に担当されていたとは、とても羨ましいです笑。篠原先生は一つの作品にかける設計期間がかなり長かったそうですが、研究室の中ではどのように設計を進めていたのでしょうか。

高橋|設計活動はいわゆる民間の事業とは全然違うスピードでとてもゆっくりとしていたことと、事務処理系の業務はほとんどオミットされていたので、純粋にかたちを作っては直し、それをみんなで話し合うというようなことの繰り返しでした。先生は案が時間に耐えられうるかをすごく気にしていらした。だから、スタディは長い時間をかけて、毎日少しずつ少しずつ一進一退を繰り返しながら進めて行くスタイルでした。そのスタディ途中の先生を交えた議論は相当集中力を要するものでしたね。そこで建築の見方、考え方の多くを学びました。

似鳥|篠原先生の印象深かったお言葉はありますか?

高橋|よく「休んではいけない」と言われていました。やっぱり先生はパワフルでしぶとかった。相当反芻して考えをまとめていって、またそれを次の作品でも反芻するという、そのしぶとさが、悪い意味での作品主義になっていない理由のひとつだと思います。とにかくその言葉が私には一番大きかったです。

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fig:ハウスインヨコハマ(設計:篠原一男研究室)

「再定義すること」

丸子|今は高橋寛さんと共同でワークステーションとして設計活動をしながら、武蔵野美術大学でご指導もなさっていますが、そこでは卒業設計に関しても教えることが多いと思うのですが、そういう所で心がけていることなどはありますか。

高橋|武蔵美の学生たちはスクラムを組んで一つのテーマを考えてみたり、ある分担したポジショニングを意識して話すということはあまりないですね。ただ、ベクトルやテーマを共有しうるグループを育てていくことは意識しています。よく学生に言うことは、「再定義」ということ。その場の状況をよく見て、定形じゃない提案をそのつどすると何かいいことが起きるんじゃないかとか、そういうスタンスでものを見るように話しています。甚だ東工大的かもしれないけど笑。

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fig:高知県立坂本龍馬記念館( 設計:ワークステーション)

鎌谷|美大の卒業設計は、一分の一で作る人や、都市スケールで作る人などがいたりして、いろんなスケールの作品があるのが特徴的ですよね。

高橋|そうですね。穴を掘った人もいる笑。そういうインスタレーション作品をつくる人もけっこういます。武蔵美は大学全体が卒業制作するんですね。だから数日間は学校全体が美術館みたいになるんです。それに、他学科の作品と同じように並べられてあるから、学科を超えたつながりがそこに生まれているのが非常に興味深いですね。

宮城島|それは面白いですね!展覧会でまた、自分の作品の違った見方が発見できそうですね。

高橋|そうですね。ただ審査するには、表現媒体の違いが大きくて審査が難しいです。

「説明するリテラシー」

鎌谷|京都大学、東京工業大学、そして武蔵野美術大学と様々な大学と関われてきた中で、東工大建築に対してどのような考えをお持ちでしょうか。

高橋|血統のようなものを感じます。谷口、清家、篠原、坂本とずっと背負ってきている社会でのポジションや社会への問題意識の変遷を追いかけられる大学は少ないと思います。だから東工大の人たちの中には、継承するというか脈々と伝わっていくものが大きいと思う。それは

色々な形で。一部では反面教師としてでも伝わって行く。ブランドというと誤解されるかもしれませんが、かなり強固な縦のつながりを持ちながら広がっていくあり方がとても面白いと思います。比較すれば、京大はもう少しフレンドリーで、横にひろがっている感じがする。

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fig:地域資源活用総合交流促進施設( 設計:ワークステーション)

鎌谷|なるほど。僕は今、展覧会のメンバーでもある山道、坂根たちと、その東工大のスクラムを相対化する必要があるんじゃないかと考えて、他分野の最先端で活動している方々へのインタビュー活動や他大学の学生を集めた議論の場を企画したりして、僕たちオリジナルの評

価軸を見出そうと試みています。それはある種、東工大が反面教師なのかもしれません。笑

高橋|東工大って専門性が高いので、いい意味で玄人の中で深い話が出来ていく。一方で、阿吽の呼吸でみんなが話しているので、外の人からは分かりにくい、せまいというようなことは前々から言われてきた。建築の行為というものの表現のあり方がどんどんと多様化して、多義的になってきている中で、一般の人や専門領域が違う人の良さや個性をうまく引き出すために、いかにコミュニケートしていくかが重要になってきていると思います。つまり説明するリテラシー。それについては確かに、私は東工大時代学んでなかった。かつて、ある公園のコンペの審査に参加したんですが、審査員が都市計画や、造園、文化人類学など、色々なジャンルの方々で、そこでこの課題にぶち当たったことがありました。ある案をどうしても分かってもらえず、東工大の中では当然分かるというようなことも、丁寧に順を追って説明したのだけど、評価を変えることができなかった。そういう場面で自分のリテラシーのなさを感じたんです。

鎌谷|まさにそこで、多様化、複雑化した現代社会の中で、建築も必然的にそれを要請されている。そんな中で、東工大建築をもっと相対化する必要があるんじゃないかと思うんです。

高橋|私たちはそのコンペの後からは、自分たちがどういう領域の中で集中的に生きるかを考えるようになりました。だから、そういうポジショニングは自分のベクトルや専門性を鑑みて、時間をかけて環境設定していけばいいと思います。そこにはどれが良い悪いとかは無く、やはりある相対化の中でしかないと思います。そっかぁ東工大にもどんどんそういう波が来てるのね。笑

一同|今日はお忙しい中、ありがとうございました。

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fig:インタビュー風景

2009-09-29

[] vol.20 構造家 金箱温春

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Kanebako Yoshiharu

1953 長野県生まれ

1975 東京工業大学 工学部建築学科 卒業

1977 東京工業大学 大学院総合理工学研究

社会開発工学専攻 修了

1977 - 1992 横山建築構造設計事務所

1992 金箱構造設計事務所 設立

2009年7月に開催した東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。



「個別性と普遍性を架橋する」

聞き手:鎌谷潤(g86),東克彦、キムヒョンス、重田淳



「説明を求められる時代」

鎌谷|金箱先生が学生だった時代、その当時の時代背景や東工大の印象はどのようなものでしたか。

金箱|当時の東工大はデザインもさることながら、構造等のエンジニアの学校という意識が強くありました。1971 年に大学に入りましたが、1964 年に東京オリンピック、1970 年に大阪万博があって、新しい技術で超高層や大空間が作られはじめ、日本全体がそういう技術革新によって新しい時代に向かおうという勢いがありました。今もそうだけど、他の大学に比べても構造の先生方が充実していて、様々な新しい研究が試みられていましたね。私も研究室では、実験と研究に明け暮れる日々でした。

キム|卒業研究ではどういったことをされたのでしょうか。また、それを金箱先生の中でどう位置づけておられますか。

金箱|鉄骨の梁が塑性変形を繰り返し受けた時の安定限界と部材形状の関係についての実験をしました。卒業研究では、研究そのものよりも、様々な事象から一つのテーマを見出し、それを自分なりにまとめ、公に説明し表現するということについて、大変勉強になったと思います。

それは卒業設計でも同じで、学生の訓練としては重要なことだと思います。なぜそれが必要かと言うと、多様化してきた現代においては建築家も構造家も説明する事が求められています。昔は専門家が言う事は絶対だったけど、今はそういう時代ではなくて、建築家はあらゆる場面でプレゼンテーションをしてクライアントや住民に理解してもらうことが必要な時代になりました。構造家が説明する場面が増えてきています。プレゼンテーションやディスカッションができる、そういった様々な事に対応できる能力が必要とされているんですよね。

鎌谷|なるほど。それは他のインタビュイーの方々のお話に通じる所があります。高橋晶子さんはある時に説明可能性の壁にぶつかったと仰っていたし、坂本先生は「昔は何か作れば良いとされてきたが、今は周りの建物もある程度良いものがある。だからその中で勝ち残るには説明していかないといけない。そういう意味で今は昔と比べとても厳しい時代なのではないか」と仰っていました。

金箱|ものを説明したり表現する時にそれが何であるかを考えることが大事だと思います。昔はある条件に対して答え、出来たものがまとまっていればそれで良かった。しかし、今はそれが社会に対してどういう意味があるのかを必要とされる時代になっていると思います。その点を卒業設計や研究で学んでもらいたいですね。

「飛んでいる鳥を撃ち落とす」

重田|東工大を卒業され、その後、構造事務所に入られたそうですが、その頃のお話をお聴かせください。

金箱|卒業後は、日本で初めて民間の構造設計事務所を始めた横山不学先生の事務所に入りました。そこでは様々な仕事を経験してきたわけですが、最大の転機となったのは水戸芸術館を担当したことですね。

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[fig.1] 水戸芸術館( 設計: 磯崎新アトリエ 構造: 木村俊彦構造設計事務所)

磯崎さんがデザインを、木村俊彦さんが構造設計を行い、僕もこれに参加することになるんです。これをきっかけに、木村さんから色んなことを学びましたが、その中でも木村さんが言われたことで印象深いことが二つあります。僕らは建築家と打ち合わせをするでしょ。それで、

検討して次の打ち合わせに行くと当然案が変わっているじゃないですか。昔はコンピューターがないから相当大変な時代でした。そんな時に木村さんが「君たちは飛んでいる鳥を撃ち落とすのにどこを狙って撃つんだ。今飛んでいる所を撃ったって当たるわけはないんだから、どっちに動くか先を読まなければならない」と仰ったんです。それはその通りなんですよ。今でも思うのだけど、打ち合わせの時に建築家が図面を用いながら説明することは考えていることの断片であり、そこからどういう方向に行きたいのかを把握しないといけない、そういう会話をやるべきだと。もう一つは「三遊間のゴロはサードが捕るか、ショートが捕るか」という言葉です。つまり建築をデザインで決めるか、構造で決めるか分からないことがあり、それらは並列的でどちらが決定してもいいということの例え話なんです。この考えはとても新鮮に感じました。領域が横断的になってきている現代社会に対しても、この言葉は非常に的を射たものだと思います。

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[fig.2]京都

建築家とのコミュニケーション」

東|構造家はそういう建築家とのコミュニケーションが重要だと思いますが、どういったところにその面白さを感じられますか。

金箱|建築家が何かを考えて来て、要求された通りに設計すれば、ものが出来てしまうこともあるんですよ。だけど、自分の中でどういう仕組みで成り立たせるかを整理出来ていないと気持ちが悪いですね。構造家から「構造的にはこういうことですね」と組み立てを説明して、建築家もそれを理解してくれて、それがもっと面白いところに集結することがある、そういう時がとても刺激的で面白いですね。ただ、アイデアが完成するまでは大変ですよ。建築って最初と最後は楽しいけどその間の作業は大変ですね。笑

キム|坂本先生がデザインを担当して、金箱先生が構造を担当した網津小学校[fig.3] の場合、最初は梁が逆梁で、ヴォールトも太かったのですが、議論の重ね合いで最終的にはスレンダーなヴォールトになりましたね。

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[fig.3]宇土市立網津小学校( 設計: アトリエ・アンド・アイ+坂本一成研究室 構造: 金箱構造設計事務所)

金箱|そうそう。最初はヴォールトの天井が連続した、壁が全くない開放的な空間を作りたいという要望があったので、ヴォールトの屋根に逆梁が付いていたんです。しかし、よく考えてみたら一部のヴォールトをフラットにしたり、柱を太くして片持ち柱の役割をはたせることでヴォールトにかかる水平力を少なく出来ることに気付いて、結果今のようにスレンダーなヴォールトになりました。でも、設計している時は様々なアイデアが浮かぶのですが、検討してだめな場合もあり、実際には右往往していた感じです。今改めて整理すると理にかなった展

開をしていることが分かるんですけど。

重田|やはり、解答というのはそれに向かって一直線に進んだり、一つでは無いんですね。

金箱|そうですね。よく思うんだけど、同じ解決法でもプロジェクトによってそれが相応しいか相応しくないかがあります。建築ってそのとき作る場所とか、その施工に関わる人たちによって使える技術と使えない技術がありますね。作り方はいくらでもあって、それによってデ

ザインが変わる場合もありますよね。

キム|時には建築家がやりたいことと構造家が求めている合理性がぶつかる場合もあると思うのです。

金箱|構造の合理性を重視しなくてもいい建築っておそらくあると思います。建築家に構造的にはこのようにした方がいいよと言っても、どうしてもデザインとしてこうやりたいということもありますよね。もしかしたらこの建築家が言う通りにやったほうが良いものになるかもしれない。問題はもうコストだけです。そんなことで決めるのかと思うかもしれませんが、最後の判断はそこにあるわけです。ただ、建築家が要求したことに対して、構造的な解決法を出し、コストがプロジェクトの予算の範囲内に収まっていれば、構造家としての責任は果たしているというのは最低条件で、さっき言ったようにもっと刺激的な関係を作りたいと考えています。

「構造とは個別性と普遍性を架橋する行為」

東|学部の構造の授業ではそういった建築家とのやりとりやコストの話など現実的な話にはあまり触れていませんが、今先生が大学で伝えようとしていることはどういったことですか。

金箱|学部時に学ぶ基礎学問は重要です。実務を経験してみると、特殊な構造の形式においてもそれは基礎の積み重ねであるし、ある種の単純化したモデルで理解できるということが分かります。それをもう少し若い人たちに伝えられると良いなと思っています。特殊なことを理解でき、実現することの面白さがあるから、構造設計は大変なことを乗り越えて行うわけです。ただ、実際の建築と基礎理論のつながりとか関係とかは実はすごく難しくて、一般論として説明できない部分もあります。意匠のデザインは個別性が高く一般論は難しいという前提で、建築デザイン論が構築されたら議論されたりしているかもしれない。構造は普遍性を持っていることが特徴ですが、ものを組み立てていく過程においてはやはり個別性が強いものです。構造技術という普遍性の多いこととデザインという個別性の多いことを一緒にやることが構造のデザインなんだということを伝えていきたいなと思っています。もう一つは社会的な環境整備です。姉歯事件を契機として世の中の認識や制度が変わり、構造設計者やその仕事ぶりが注目されるようになってきています。そういう状況に対して、構造家と社会がどのように付き合っていくのかという道筋を作っていきたいと考えています。

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[fig.5]interview風景

「学生へのメッセージ」

鎌谷|最近は、周りでも構造家を目指す人が増えています。そういう人たちに向けてメッセージをお願いします。

金箱|建築の構造設計やる人は、建築のデザインも理解できないとだめだと思います。さっき言ったように飛ぶ鳥を撃つわけだから、ある程度建築家の考えていることを理解できないといけない。だから設計製図を学べるそういう環境にいるわけですから、建築デザインの方に進

まないとしても、それを一生懸命やることはすごく重要だと思います。それに、人間の運命って自分で規定できない部分もたくさんあります。僕も、人との出会いとかプロジェクトとの出会いとか偶然の積み重ねで今日まで来たようなもので、その時々で自分にできることを精一

杯やること、やり続けることが大事だと思います。

一同|今日はありがとうございました。_

2009-04-11

[][]vol.18 建築家、美術家 江頭慎

今回は建築家、美術家である江頭慎さんにインタビューをしてきました。

作品、活動の解説を中心に、ロンドン東京のコンテクストの違いについて興味深いお話を聞くことができました。

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江頭 慎

建築家、美術家、ロンドンAAスクール ディプロマユニットマスター(教授)

1987年 東京芸術大学美術学部建築科卒業

87-88年 北京にて集合住宅の実務に携る。渡英

1990年 AAスクール ディプロマをオナー(honor)にて修了

90-91年 ポストグラデュエートデザインリサーチ及びデザイン指導

1992年 インターミディエートユニットマスター(Intermediate Unit 3)

1996年〜 AA ディプロマユニットマスター就任(Diploma Unit 11)


Interview内容(以下敬称略)

澤田:最初に江頭さんが10年以上続けていらっしゃる新潟県旧川西町の小白倉集落でのワークショップについてお話を聞かせてもらいたいのですが、具体的にどのような活動をされているのでしょうか?

江頭:毎年8月の後半に三週間程度、参加する人の対象はAAの学生に限らず興味ある人だったら誰でもこれるようにしてるんだけど大体20人程度、その場所をドキュメントするってことと、コミュニティと一緒に何か建築的な活動するていいうこと、その間にドキュメントしつつものをつくることもあるし、改造することもあるし。そういうことをしながらひとつは短い期間でできること、それと同時に毎年一回ずつ続けて長い目で見た時に構築されていく部分、あるいは長い目で見ないと記録できない部分ていうのを要はデザインするってことと場所の変容だとかを丁寧にドキュメントしていくという両方の課程を実験的に行ってるという感じかな。

澤田:普通の建築の設計だとデザインして完成したらそれで終わりですよね。

江頭:そうね。でも普通どんな設計でもデザインをし終わってからそれをどう実現するかって時にデザイン自体どんどん変わっていくよね。返ってそのプロセスの方が現時点での問題点だとかリアリティとかに本当に携わる部分だから。もちろんデザインがどこから始まるか、どのようにできるか、の課程を見るとそのラインてそんなにクリアじゃないよね。ただその建築を設計する事務所だとか、世の中の建築家に与えられた条件の中でやってくとしたらもちろんそこには契約があったり、初期設計があってその中から予算をとって詰めていくっていうそういうある決まり事がないと経済の中でデザインが成り立たないかも知れないけれど、小白倉みたいなところだとワークショップをやるっていうことは今ある普通の建築が作られるシステムでは成り立たない場所だと思うのね。それは経済があまり潤わない、建築家がいない場所だったり、特殊というかそういう状況で建築の他にランドスケープを変えていく手法だとか、コミュニティの特殊ですごくイントリケートな部分を尊重しながらその中で何が出来るかってのを考えた時にデザインていうこと自体も一回クエスチョンしないと成り立たないでしょ。そういった意味ではデザインていうのがあるアウトラインを決めてそれを決めて作っていくんじゃなくて、まずひとつはそこにある状況だとか、その内容をどうやって読み替えていくか、使えるリソースだとか条件ていうのを再解釈していくそういうことの方が問題解決のために何かデザインするっていうよりもやっぱり意味があることなのかな。

澤田:なるほど。ルイス・カーン" Architecture does not exist, what exists is the work of architecture"てことを言ってて、要するに建築建築作品は別ものだと言っていると思うんですが、江頭さんの小白倉ワークショップのアーカイブを見てると地元の住民の方とのコラボレーションからものを作っているのように思えて、そのプロセスが作品自体より重点的にドキュメントされているように感じたんですが、住民の方からは実際にどういうフィードバックを受けたりするんでしょうか。

江頭:まずデザインに関するボキャブラリとして、やっぱり学校でいうようなフィードバックっていうようなものではないよね。ひとつの現象として、人口が百人足らずの集落で皆家族のように暮らしているところに毎年色んなところから色んな国籍の人がきて、なんだか分んないものを作ってるんだけども何かやってる、何かいつも残していく。そういう現象に対するノートの方が彼らにとっては自信に繋がるんじゃないかな、きっと。いつもは今回一体何やってるんだろうかとか、結局こんなものになったとか、そういう建物の結果というよりも色んな人が来て何を見ているかとかね、どういうものに興味を貰ってそこの場所から何かインスピレーションを貰ったり何か結果として出てくる、フィードバックとしては視点だとかものの見方とかそういう部分のほうが返って興味もってる部分なんじゃないかなきっと。

澤田:川俣正さんとのコラボレーションされたLodging Tokyo、Lodging Londonについてお話をお伺いしたいんですが、コンセプトとしては都市の中の建築としては使われていないような場所を建築的に見立ててロッジングするということなんでしょうか。

江頭:そうだね、結構昔の話だからちゃんと覚えてないんだけども笑。川俣さんは藝大での先輩になるんだよね、川俣さんはいつも新しいものに興味持ってる人でしょ。小屋のプロジェクトだとかホームレスのシェルだとか、すごいテンポラリーな部分に興味持つと同時にね、彼の作品ずっと見てるとさ、普通皆彫刻家だと思うかも知れないけども、川俣さんて絵画なんだよね。平面からものを始めてそれをインフォーマルに都市の残余空間だとか廃材だとかを使ってテンポラリーなものを作っていくっていう手法があった時に、自然と建築に興味を持ち始める時期っていうのがあったと思うのね。そういう流れの中でちょうど僕らが2000年前後にAAで始めてたことっていうのも都市の残余空間だとか過剰生産物、余剰物、要は建築として普段あんまりこう認められてないけれども都市を生成する上では非常に重要なエレメントとしてこう介在している、副産物としてあるパターンだとか空間を作っているものに興味を持ってたのね。そこで興味が合ったのかな。身体的なスケールから見た時の都市の様相だとかね、小さなスケールでもものごとをずっと繰り返していくうちに可能となる建築的なもの、あるいはテンポラリーであると同時にパーマネントていうのかな、繰り返しっていうことでものが成立しているとかね。Lodgingでやろうとしてたことっていうのは要はもし僕らが自分達の体だとか感性だとかテクニックだとか、ありとあらゆる手に入る材料を使って出来る限りの中であらゆる有用な場所、スペースをプリコラージュ的に都市の空間をリサイクルしていくっていうのかな、それを皆でシステマティックに進めていくことによって作品を作るよりもひとつの現象を作れないかなと、そういうことを同じ視点でひとつ東京でやってみて今度はロンドンでやってみた時には、違うものが見えてくるのか、もしくは似ているものが見えてくるのか、それをちょっと確認してみようっていうプロジェクトなんだよね。

澤田:実際に結果として東京ロンドンでやってみてどういう違いが見えてきましたか?

江頭:そうだね、東京はね、僕らがやる以前からぱっと見てこれは凄いなと思う部分が既にいっぱいあるんだよね。既に現実化されてしまってる。普通のリサイクル業者がいつの間にか作ってしまっているようなものだとか。そういう意味からいうと東京では東京に既にある事例から学ぶことの方が多くて、ロンドンっていうのは要はものを集めて来て手を加えるとそれがコントラストとして非常にこう作品として成り立つような気がしたななんか。建物が煉瓦でできていたりだとか、やっぱりそういう重い中でちょっとインフォーマルなことをすることによって作品ていうものがパフォーマンスとしてだけじゃなくて、実際のものとして成り立つんだよね。そういう土壌っていうのはハードな面からいったらロンドンの方があるんじゃないかな。歴史的なコンテクストがある上でっていうのもあるかもしれないけれど。

澤田:なるほど。こないだ再オープンしたサーチギャラリーに行ってきたんですが、元々兵舎だった建物をコンバーションして使っているんですが、兵舎の外壁が凹んだ部分に新しく階段部が入って、今まで外部だった場所が内部になっていて、そういう歴史的なレイヤーが重なっている様子が凄く面白かったんですね。テート・モダンなんかもそうですけど歴史的なコンテクストがあるとそういう単純な作業で凄く面白くなるんだなとも思いました。

江頭:そうかもしれないね。たださ、東京とかで凄くいいなと思ったのはもしアートワークっていうのが世の中の既にある状況を探し出してそれをリプレゼンテーションするっていうとこで成り立つんだとしたら、僕らがやっていたLodgingっていうのはどちらかっていうと東京の中で既に存在するような現象をもう一回コミュニケートするっていう意味では本来の意味でのファインアートに近い部分なのかも知れないね、きっと。逆にロンドンとかだとさ、妙にそれが作品になってしまってるっていう事態がもしかしたら不自然なことかも知れないね。東京で面白いなと思ったのは作品だとかものの成り立ちを説明するにあたって、手がかりとしてシステムをまず説明しなくちゃいけないていうのがあって。こういう部分があって、なんでそれが成り立っているのかとか、どうしてこうなったとか。そういう決まり事の枠がもうちょっと複雑なのかもしれないね。ロンドンていう場所は制約とかルールだとか、自分たちで約束事を破らないとものが成り立たないというか。そうするとさパフォーマンスの部分ていうのが、建築家にしてもアーティストにしても凄く英雄的、ヒロイックに物事を進むような気がするんだよね。要はさ、例えばアジアの都市とか見るとさ都市が面白いなって部分はさ、あんまり生活のスタイルにこだわらずに営利活動してたり商業活動してたりそういう部分で都市のダイナミックが成り立ってる感じがするよね。香港とか行くと高速道路とかの陸橋の下にレストランがいっぱいあったりだとか、ビルの隙間にものすごい数のがらくたを売ってるお店があったりとか、そういう部分が普通のこととして成り立ってるでしょ。そこで住んでる人っていうのは活力がやっぱりあるよね。ロンドンみたいな場所って皆生活にこだわるからさ、こんだけレールウェイアーチがいっぱいあってもそこの下に住んでる人ってあんまりいないでしょ。大体パターンが決まってて、自動車とかMOTの倉庫になってたりとか。ひとつのコードみたいな部分での約束ごとっていうのがなんかこうもっと限られているような気がするな。

澤田:『メイドイントーキョー』的な特殊な風景ってロンドンだとやっぱりあんまり無いですよね。

江頭:そうね。ここ三年ぐらいね、ユニットでは東京ロンドンを比較するような都市の見方をしてるんだけどね。そうすると逆に東京にあるスペースのタイポロジーみたいなのをこちらに持ってきてアダプトするっていう事の方が、それはもちろん僕らがロンドンでリサーチして勉強しているってこともあるかもしれないけど、逆に都市の特異性だとか特殊状況みたいなものを学んでそれを分析してどうやったらそういう状況が成り立つかってことを考える場合には返って東京から学ぶ事の方があるかもしれないね。

澤田:関係ないかもしれないですけど、その対比は建築教育にも共振してるように思えるんです。僕は日本の建築教育受けてないのでちゃんと分ってないかもしれないですけど、元々あるものを再解釈してリプレゼントする東京ロンドンで作品が都市とコントラストを成すっていうのは、僕は日本の建築教育受けてないのでちゃんと分ってないかもしれないですけど、日本の学校がこっちより空間の構成に重きを置かれていたりだとか、例えば家型のアーチの流行だとかと、ロンドンのAAとかだと例えばザハ的、AADRL的なちょっと現実の都市とは乖離した「作品」を作ってるストリームの対比にも共振する気がするんですが。

江頭:そのザハとかがやってる部分てのはもちろん現代建築の一旦を担ってるからさ、それと都市の分析を比べるのは不可能な気がするけどな。どちらかっていうと、ザハの最近の流れを見ていると、都市自体を建築にしていくような流れだよね。都市をプロトタイプだとかプロダクトといてやっている。そのスケールの大きさっていったら、昔あったメタボリズムだとかそういうレベルだよね。都市っていうものが今のテクノロジーを使って今まで建築家ができなかったようなデザインのスケールで、ルールだとかスクリプティングだとか都市論ていうのをインフラのレベルまで見ていってデザインの対象にしてしまうっていう流れだよね。それって現状のコンテクストを読んで手を加えていこうっていうのとは全く逆のアプローチなんじゃないかな、きっと。

澤田:なるほど。ロンドン建築教育でいうとバートレットについてはどうですか。アート色、ペーパーアーキテクト色が強いですよね。

江頭:バートレットで最近external examinerをやっていて最終の作品をいっぱい見る機会があるんだけれど、バートレットとAAはまるっきり違うかもしれないね。凄いバートレットはナラティブっていうのかな。要はベスポークって分るかな。テーラーメイドってものあるよね。 特殊状況に対して特殊なものを提示していくっていう。それに近いものがあるかもしれないな。やっぱり建築の特異性だとかスタイルだとかで、特殊状況を更にこう建築的にリプレゼントしていくっていうのかな。僕が時々最近思うのは、もしAAの伝統として今でも残っているものがあるとするなら建築を通して都市を勉強していく態度だと思っていて、建築の学校だからじゃぁ建築をつくるためにリサーチをするんじゃなくて、建築のボキャブラリーだとか技術だとか知識を使ってデザインすることによってどうやって自分と都市の関係を築いていくだとか建築をデザインすることによって都市がどう変わっていくだとか、既にある現在僕らが住む都市は何が一体それをコントロールしていて、どういった状況なのかっていうのを建築を通してリサーチしていくっていう。そういう違いがあるんじゃないかな。多分の日本の設計っていうと工学部だとかデザインの意匠ていうと最終的に建物のスタイルだとか出来たものによって評価されるけども、それがもしアプローチの中にもうちょっとリサーチっていうものが入っていたら見えてくる都市のあまり見られてない部分だとか、設計を成り立たせるための、もっと有用なパレメーターだとかダイナミズムだとかそういうものをもしかしたら見失ってしまうようなことがあるかもしれないよね。

澤田:リサーチは建築をつくるためのアプローチっていう単純なイメージがあったんですけど、逆に建築をパラダイムに都市を見るっていうことなんですね。そう考えると小白倉のワークショップなどの姿勢がすごい理解できた気がします。

江頭:昔から都市論て都市計画だとか地域計画とか、要は計画案、ひとつの決まり事、約束ごとをつくっていくっていうのがあって、逆に建築をデザインしていくことによって都市と関係していくっていうのは都市論じゃなくてやっぱり建築論だと思う。ある状況の中で一体どういう建築が成り立つんだろうかとか、建築的な手を施すなかでそれが一体都市の中でどういう意味を持って成り立っていくのかっていう部分から考えると、都市がどんどん変容していく中で建築のデザインていうのもそれをリフレクトしながら常にリニューアルして新しいアプローチだとか知識だとかを使っていくものだとしたらね。もちろん建築の学校でもいつも同じことやっててもしょうがないわけでしょ。何を見てそこから建築のあり方を見てこうかなって考えると、やっぱりなんでも変わっていく中で建築に対する解釈も変わるだろうし、その中で都市と建築を切り離してしまったらあんまりこう社会との関わりってあんまり無くなっちゃうと思うよね。

澤田:なるほど。では昨年展示された『都市を歩く表象』についてお話を聞かせてもらっていいですか。

江頭:あれは建築っていうよりもアートワークに近いかもしれないな。岡村っていう家具の会社とコラボレーションしてインスタレーションをつくっていくっていうプロジェクトだから、デザインていう仕事と工業デザインの違いがあったとすると、ひとつに世の中の発展してきた便利な技術でもっと効率にもっといいものをつくろう、改善していこうという流れがあると思うんだけど、それとは別に建築の視点からものをみた時にもうちょっと違う見方があるんじゃないかなと思っていて。世の中不思議な状況がいっぱいあるわけでしょ。こういうAAの建物にしても昔のジョージアンスタイルの建物の中で、同時に違う国籍の人達が一緒にいて携帯だとかコンピューターとかそういうものが混在している不思議な状況ってあるよね。そういう物事がどれだけ同時に混在していて世の中がどんなに効率的に見えても実はそうでなくて物事っていていうのは元々のアイデンティティを超えてそれが応用されることによって偶然的に何かと関係したりして、そういうことによって本当の意味でのリアリティって成り立っているんじゃないかなと思っていて。そういうひとつの仮定がある中で空間的なインスタレーション考えてったって言えばいいのかな。都市を歩く表象の中で使ってる材料として百年前にエドワード・マイブリッジが映画がまだできる以前に動物や人間の動きをカメラで撮って動画を作ってた時のモチーフとしての象があって、そのモチーフを僕でも使えるようなiMovieだとかでアニメーションしてそうやって作った象が動く様子を今度はコンピューターでプログラミングしてインタラクティブなスイッチで再生していくことで、北斎がつくった北斎漫画で象のイメージを木版画でつくってたように、コラージュ的にモーターだとか木だとか硝子だとか色んな技術をチグハグに組み合わせて、曖昧な空間の中で百年前の映像を流したんだよね。ただ色んなレイヤー、読み方があって、その中で象っていうのは北斎が木版画作った時ってのは日本にまだ象がいない時期で大陸からくる情報から思い描いて象を彫ったんだけど、その中で象に目の見えない人達が手で色んな場所を触りながら、象をディスクライブしていくのね。全体は見えないんだけどディテールを触ることによって象の意味っていうものが出てくる。それを木版画にしたのが北斎の「象にのぼるひとびと」っていうものなんだけども。実際のディテールっていうのは色んな側面を繋ぎ合わせていく事によって変容していくものなんだよね。だからバックグラウンドとして移されてる映像の中も東京に実際にあるバックグラウンドとかディテールだとか音だとかそういうものがインタラクティブの中に入ってくる。概念的になっちゃうかも知れないけどね、象の横に人遍をつけると「像」、つまりイメージ、ビジョンになるよね。象の横に人がいてそこから触発されるイメージが像っていうのかな。もし仮に都市っていうのが建築家達が思い描いているイメージの中で構築されるんだとしたら、色んなディテールだとか建築的な空間だとかアクシデントだとかそういうものを色々重ね合わせた時に初めて見えてくるものがもしかしたら都市の表象なんじゃいかなと思って。一応、象をモチーフにしているけども作られてる映像っていうのは例えばその会場の壁を全部取っ払って360度回した時に見えるだろう東京のイメージを使っているのね。そういう風に視点を色々変えてインタラクティブに象を介在させて都市を表象させていくという。それがテーマにチグハグな技術のバランスをとりながら不思議な状況を作り出すっていうね。わかるかな笑。

澤田:客観的に把握てきる都市というものがあるんじゃくて、自分と他人の色んなパースペクティブから捉えられた表象が集まったものとしての像として都市があって、逆にそうでしか都市を把握できないっていうことなんでしょうか。

江頭:基本的にさ、人がものごとをどうやって把握するかって事を考えるとある程度スケールが大きくなった時ってのは、物事を同時に把握するってことは不可能だよね。どんなものでも既に起こってしまった事象を、後から見直したり、ニュースを見て分ったりだとかでしょ。実際にリアリティだとか都市を一体なんだろうと思ってもそれは絶対把握できないものだよね。どういう媒介をしても、ある自分の知覚だとか知識だとかそれをもう一歩サテライトだとかニュースだとか、そういう情報のドキュメントのリプレゼンテーションをもう一回フィルターを通して見直してるわけだから、実際そのリアルな中で自分たちが何をリアルとして見るかっていうのは、このスピードとスケールの中でこれだけの情報の量をプロセスするキャパシティってのがこれだけ多様になってる中で、もう一回都市っていうのが簡単なものじゃなくて色んなものを可能にするキャパシティ、柔軟性があるべきなんじゃないかなって思うんだよね。


澤田:AAのDiploma unit11ではどのような活動をされているんですか?

江頭:さっき言ってたことに近いかも知れないな。今はマイクロシティってのをテーマにしてるんだけど、今まで三年間バターシーっていう川の南側のバターシーパワーステーションがあるところなんだけど、そのエリアってのは昔から都市のインフラストラクチャーが混在していて、非常にダイナミックな状況なわけ。でも面白いのはマーケットにしてもゴミ処理場にしても物のサーキュレーションにしても全てうまく成り立っていてその間に不思議な状況がいっぱいあるわけね。でそういう部分を今まで都市カタログってのにまとめてたのね。それは残用空間、余剰生産物、アダプテッドインダストリーだとかアクシデンタルパブリックスペースだとかそういうものがどういう関係性の中で色々派生してきたかってのをタイポロジー化してカタログをずっとつくってたわけ。結局都市を材料、プログラム、大きなスケール、小さなスケール、あるいは余剰生産物、技術っていうそこにすでに存在している部分を一旦全部カタログ化した時には、そのカタログをもう一回使い直すと色んなものの組み替えだとかができるから、それを元に都市を再編成してみようっていう一個の流れがあってその三年間の蓄積で去年一区切り打ったのね。そこからでてきた色んなタイポロジーだとか建築的な可能性だとか、そういうところからいくと、ひとつは都市建築タイポロジーっていうのかな、色んなレベルでのテンポラリティだとかパーマネンシーだとかスケールのオペレーションだとか絶対必要なインフラストラクチャーだとか排泄物の処理の仕方だとか色んな部分がある中で、それがある種の手法として成り立つとしたらどうしようかと。今年から場所を一回変えて、Elephant&CastleとKing's Crossでやってるんだけども。そこを選んだ理由ってのはElephant&Castleはこれから再開発が始まるところなのね。ロンドンの中では一番込み合ったバスの集客点でそのエリアってのは昔からコラージュ的に発展してきていてそれをこれからどうやって場所的に取り壊しながらやっていくかっていうマスタープランが一個あるわけね。そのマスタープランをコンテクストにして、これから消えていく可能性のある建物とミックスプログラムだとかがマスタープランとして存在している部分を一回ディテールから、既にそこに存在しているボキャブラリーを再編成しながら、都市の再開発を見てったらどういう結果が生まれるかってのを見るのがElephant&Castleでのプロジェクト。King's Crossの場合には既にユーロターミナルが入っていて、昔イメージされてた部分と今現状として提示されてる不思議な状況ってのが混在している状況だから、それのポストになるかプロセスになるか、都市が変容しているふたつのモデルを今まで使ってきたカタロギングだとかサンプリングっていう手法を使って、都市の建築プロトタイプってのを作っていて。マスタープランではない残用空間によって再構築されていくっていう新しい手法、シナリオづくりをテーマにしてるって感じかな。その中では十二月には東京に行ってメイドイントーキョーみたいな既にあるミックスプログラムだとかクロスユーティライゼーションだとか、要はフラグメントとしていくつかの建築物が不完全な形で共存する中から補い合いながら存在しているネットワークのシステムだとか、サービスのインフラともうちょっと小さなコマーシャル、あるいはパブリックスペースがどういう形で補い合いながら共存しているかとか、そういうものの関係性ってのを東京の中からサンプルとして持ってきてそのフレームの中でどういうアクシデンタルに共有できるようなものが存在できるかってのを、現実のシナリオと比べ合いながら進めていくと。パーマネントな構築物によって成り立っているテンポラリーなプログラム、あるいはパーマネントなプログラムによって成り立っているテンポラリーなストラクチャーだとか、そういう色んな関係性からデザインの手法に変えていくっていうのかな。

澤田:どういう経緯でロンドンに来ることになったんですか?

江頭:やっぱりAAがあるあら来たんだよね。一度藝大を出て北京仕事をやってた時期があるんだけどね。もともと藝大に入った理由ってのも、本当は高校生の終わりまでは美術家にはなろうと思ってたけど建築家になろうとは思ってなかったのね。でも高校の先生に言われたのが今からアーティストになるなら、例えば絵画を描くために絵画科に行くなんてことはこれからは成り立たないから、違う技術だとか視点だとかディシプリンを勉強してそれを他の部分に役立ててくことの方が意味があるからと。今面白いことやってる美大に行っても絵画科行っても絵画描いてる奴なんて一人もいないからと。お前一体何を勉強してそれをどう使っていくかってのをちょっと考えた方がいいって言われてね。初めに興味持ったのがやっぱり建築が面白いなって思ってさ。それが発端で今でもそうかもしんないね。建築勉強したから普通に建築の仕事に携わっていこうってつもりはあんまりないわけ。ただその物の表記の仕方だとか分析の仕方だとか、建築的な手法、言語だとかは他では絶対勉強できなかった部分なんだよね。でも一回大学出て実務をやってみるとやっぱりこうなんか違うんだよね。なんていうかな、高校の美術でも現代美術は教えないよね、大体高校の美術の教科書ってのはピカソ辺りで終わっててさ、その後一番面白い時期の二十世紀後半に一体どういう動きがあって何が生み出されたかっていうコンテクストってのは建築だけじゃなくて美術に対してもリアリティを感じないわけ。要は大学に入っても現代建築史って近代で終わってて、それから今いる場所で今やってる人達の仕事と建築のコンテクストがなんか切り離されててさ、大学で興味をそそられて見る部分て大体a+uだとか雑誌を通して入ってくるものでさ。ちょうど僕が学生だったころっていうのは、安藤さんがいっぱい建物つくりはじめる時期だったりとか、アメリカからポストモダニズムってのが入ってきてパステル調のものが多かったりしてね、その中で一番目を引くのはチュミだとかレム・コールハース、ザハ、ナイジェルとか彼らがまだ建物をつくる前の状況でね、グラフィックにしてもなんか不思議な感じがして見ても分んないわけ。でもなんかこれは視点があってやってうんだろうなと思ってて。それが元々AAに興味持った時期なんじゃないかな。彼らみたく、どうも建物をデザインするってことを目的にしてるんじゃなくて、もうちょっと他にもっとメタのレベルで何か考えてやってるんじゃないかなって本能的に分るわけね。まだそん時学生だから、他の学生と見ても、やーこれ面白いんだけどよく分らないと。大体コラージュのテクニックを盗んだりだとか、ナイジェルみたいに文章を書いてみようだとかその程度のレベルなんだけどね。それから卒業して実務やってる間に、もう一回ちょっと勉強し直そうかなって思った時に昔そういう風に見てたのもあったから、それが影響したんだよね。ちょうど働いてたのが中国が開き始めた時期で、その後天安門事件で閉じるちょうどその間だったんだけど、生活費かからないし、出張補助金もでて、日本に返ってきた時には結構お金がたまってたから、じゃぁそろそろ使おうかなと。それでロンドンに来たんだよね。でも元々興味持ってたのはセドリック・プライスだとかアーキグラムだとか、その辺の流れに一番興味持ってたからそういう人達と会えて一緒に勉強できたらと思って来たんだよね。

澤田:なるほど。本日はどうもありがとうございました。

2008-11-07

[]vol.17批評集団 筑波批評社

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今回は僕らと同世代の筑波大学の批評集団『筑波批評社』のメンバー、シノハラユウキ・塚田憲史・klovg86による激熱対談の後半戦です。前半戦は筑波批評社のブログをご覧ください。なおこの対談はigoogleのチャットを使って別々の場所からアクセスし行ったものです。

筑波批評社は東浩紀さん主催のイベント「ゼロアカ道場」に参加しており彼らの最新の同人誌は11/9の秋葉原で開催される文学フリマにて発売されます。

東浩紀さんのブログでも審査等についてかかれています。

interview内容 (以下敬称略)

g86 vs 筑波批評社 後半戦

プロセスとアウトプットの融合―ハチロク世代的組織論

山道: 筑波批評社ってメンバーは追加したりします? 僕らが筑波批評社に興味を持ったのは、主体性の問題か、枠の強さの問題か。

塚田: その中でg86とか筑波批評とかはある意味閉じているように見える。ゲーテットに向く興味というのはそういうところにあるのかなと。でもそれだけじゃない。ゲーテット自体に興味があるというよりも、その枠、壁に興味がある。だからこそ窓という主題が成立する。そういうイメージを受けました。

鎌谷: 集団集合のあり方として、僕たちg86と筑波批評社っていう集団のどこに特徴があるんでしょうね。

山道: 各個人が個性的に見えるチームに憧れるんですかね。交換可能じゃないチーム。

鎌谷: 個人がはたまた記号なのか

シノハラ: 現段階では、筑波批評社は多分そんなに特徴ある集団じゃないですよ。組織のあり方としては、わりと普通の学生サークルだと思います

問題は、学生じゃなくなっていったときに、これをどう維持していくかで、その時に色々問われてくると思っているんです。具体的な方法論が何か必要だな、というのもそういう点です。

山道: でも各個人のブログとかすごく強さを感じます。それを結局枠づけているのが筑波批評社だと感じました。

klov: 筑波批評社の名前として残るのは、年二回の同人誌くらいなので、結構がっちりしてるイメージはないんですね。

シノハラ: プラットフォームが表現形態なのだ、ということには考えさせられるとさっきちらっと呟いたのですが、筑波批評社のメンバーが集まっているのは、上でklovが言ったように、年二回発行の『筑波批評』があるからだと。ということは、『筑波批評』の制作作業に関われば、筑波批評社メンバーであって、そうでなければ、メンバーではない、簡単に言えば、そういうことをイメージしています。

klov: 結構面と向かって交換可能かと聞かれるとどきっとするなw

鎌谷: 笑

山道: そういう枠があるから、思想を共有しているかのように見えるんですかね

塚田: そこで交換不可能だと言いたくないという気分が僕たちにはある。なぜかというと、交換不可能な人たちの共同体というのはあまりに前時代的すぎるから。だってさ、僕たちがかけがえの無い仲間で一人もかけてはならないなんてアホみたいでしょ。

シノハラ: ただ、これの求心力って一体何なのか。僕はまだ言語化できていない。

鎌谷: 僕たちの活動のやり方として、まずコアメンバーは僕たちの5人がいて、そこからプロジェクトの内容によって様々な人を巻き込んでやっていく。その時にg86という枠組みがそのプロジェクト毎に変化しているような錯覚があります。例えば参加してくれた団体が主体的に宣伝をしてくれたり、企画の根幹部で協力してくれたり、その時々で最も合理的な方へ集団のありかたが柔軟に変化していくのは面白い。

シノハラ: 『筑波批評』に参加したら、筑波批評社メンバーです、と。じゃあ、『筑波批評』に参加するのに必要なことってなんですか、あるいは参加することのメリットってなんですか、と聞かれるとすごく答えにくい。ただ、感覚として、何かある、何かあるとは思っているんですが。

塚田: それがいいと思うよ。別に交換可能であっても、残るものはある。個性がある人たちが集まる強い団体なんて幻想だって、そんなもんあこがれる必要ない。

山道: 塚田さんが言えた気がする交換可能であっても、残る物があるわかりやすい。

klov: 結構g86を見ていて思うのが、速度がある。速度があるから、次々に何か「残る」。その速度とアウトプットの関係性が「残る」ものなのかなとか。速度があると、「残像」みたいな感じ。

山道: それは意識してます。とにかく今は、ベータ版でも出しまくる。

山道: プロセスとアウトプットが混ざってる感じです。

シノハラ: g86のみなさんには、ブログの長所をかなり言ってもらったけれど、ブログは本当に残るんだろうか、と思わなくもない。g86ブログの下の方に、リサーチ・書籍・webと書いてあって、つまり書籍というのが付け加えられていたのが、ちょっと気になっているわけです。

山道: それはありますね

鎌谷: ブログはプロセスとアウトプット。

山道: 物質的に印刷すると、アナログだけど、質量をともなうんですよね。情報を質量に変換したいのかもしれないですね。

シノハラ: 僕たちも、ブログだ、ustだとやっていますが、ベースとしては同人誌という紙媒体があるので

鎌谷: ブログと同人誌のメディアの使い分けを筑波批評社ではどのように意識していますか?

シノハラ: これは、よくある話ですが、ブログは文脈がない(エントリがそれだけで読まれる)。雑誌には文脈がある(一つの記事だけ読む場合もあるけど、他の記事が必ず目に入る)

klov: 特集とかテーマ決めるからね。同人誌は。

山道: 藤村さんがいう遭遇可能性というのと近いかもしれないですね。

塚田: おお、確かに。

シノハラ: 『筑波批評』という雑誌には、かなりバラバラの記事が載っています。もし、ブログで書いていたら、これらの記事をまとめて読む人は多分いないと思います。でも、これらの記事を、ひとまとまりのものとして読むと、なんか共通しているものがあるように見える。これは、さっき言った、集合の定義(?)の話とも多少繋がってくるかなあと思うのですが、同じ場所、同じ文脈に放り込んであると、バラバラのものが何となく繋がって見える。

これは、現段階だと、紙媒体にはあるけど、ネット媒体だとあんまりない要素ではないかと思っています。でも、ネット媒体とかでも、そういうことができないといけないんじゃないのかなと思ったりはしているんですが。

未知なるバナキュラーを探して―新しい郊外論へ

山道: このチャットでも全然違う地域の人が読んだら関東圏にはこういう文脈があるのかとか感じるのかな

塚田: いまだに東京が文化的な中心となってしまっていることについて考えることはありますか? 郊外とか。

山道: 仙台にいる阿部仁史さんはUCLAでも教鞭をとっている建築家ですが東京でも仙台でも関係ないといっていて、阿部さんの活動をみているとたしかに速度や密度はなんら東京建築家とかわりません

klov: 建築は確かに空間を対象とするがゆえに逆に東京にこだわらなくてもいいのかな。

塚田: 建築の需要は郊外も多いでしょうけど、それがスーパーマーケットというかジャスコ的なものに制約されたりはしないのでしょうか

シノハラ: ちなみに、みなさん出身はどちらですか。僕は札幌なんですが。

山道: 僕は東京です

鎌谷: 兵庫です。姫路。

klov: 神奈川です。塚田君は…

塚田: さいたまさいたまさいたまー

坂根: 生まれは千葉で、茨城と、途中から東京です

山道: 僕と鎌谷は漫画喫茶で生まれました

鎌谷: 笑

klov: www

山道: 母乳の代わりにドリンクバーで育ちました。澤田はディズニーランドの近くで育って今はロンドン在住です。

鎌谷: あとのメンバーの小林も札幌です

klov: 漫喫で生まれたってのはいいですね笑。

鎌谷: そういえば南後さんが東京VS郊外で語るんじゃなくて郊外VS郊外として郊外を語るべきみたいなこと言ってたなあ。

山道: 郊外の差異をみろということですね

塚田: ほう、さいたまVS札幌とか。僕はシノハラと意見が違ったりしますね。なんか、シノハラは、自分のこと都会人とか郊外じゃないとか言ってるみたいだけど。余裕で郊外だからみたいな!

klov: そうか!?

塚田: 相対的に札幌の周りとの関係で語ってるけど、だって東京じゃないじゃん。

klov: いや郊外というのは一定の中心に対する相対的なものなので。

塚田: そういうもんなのかー。

山道: 地域ってなんですか?

klov: 地域?

鎌谷: 地域

山道: 田舎ってひとくくりにして逆にグローバルっぽい表現をする建築家もいます。田園の風景みたいな中で、グローバルな環境装置みたいな住宅を謳う人とか。

塚田: つまり、どこにいっても同じような風景が広がっていて、特徴がないという意味でということですか。

鎌谷: そうですね。でもそれは都市との対立でしか見ていないからそうなる。特徴がある都市と特徴がない郊外。そういう対立軸しか生まない。

klov: 今フィールドワークで柏を扱っているのですが、結構、ベタに「柏が好き」と言ってしまえる人が多い。どう好きというわけではないのですが、とにかく柏という地域が好きなようです。先ほど「筑波批評」という浮遊した記号といいましたが、逆に記号が浮遊することで、中身の無いコミットメントが出てくる。浦和レッズとかも近い感覚。何がすきなのか、結構実はみんな分かってないで「好き」という。

塚田: さいたま人の浦和レッズ好きとも近いんじゃないそれは

klov: そうだね。柏レイソルのサポはレッズと近いらしい。

山道: ららぽ鬼熱いのも近い感覚

塚田: サッカーチームみたいなものが擬似的な焦点になりますね。僕としてはそれは嘘だと思う、やっぱり幻想だと。 だからといって、歴史を取り戻せばいいかというとそうは思ってなくて、単に俺はさいたまに生まれたからさいたまがすきみたいな。さいたまの歴史性の無さみたいなものが、僕にはコンプレックスになっていて、逆にそれを擁護したいみたいな。

klov: そういうのを「共同幻想」というのですが、案外地域性なんてそんなもんんかなと。実は中身が無い。

鎌谷:その共同幻想を持っている人は郊外に多いと。

塚田: 共同幻想無しに郊外都市に生まれたからというただそれだけの理由でコミットしたい

鎌谷: 僕の地元の友達もみんな地元愛を謳いますね。わけもなく。

塚田: わけもなければ健全だと僕は思います、そこに何かがはまり込むと面倒(レッズみたいな)

山道: 僕は北千住生まれで、金八の舞台に暮らしていたんですが、そこに感じる地域性も共同幻想に近いのかも。上戸彩がドラマの中に住んでいたマンションに住んでいました。丸井できて北千住はがらりとかわりましたね。ほかの地域の駅前と同じ風景にかわりました。

鎌谷: 共同幻想もさっき言った集団集合の定義とかゲーテッドにからんできそう。

klov: まさに絡んできますね。東浩紀の「東京から考える」などではちょうどその話が出てきました。

坂根: でもなんか引っ越しとか転校とか、中高も受験して地元じゃなかったりすると、klovの地元性が言えなくてちょっとそういうひとたちがうらやましかったりする

klov: ああ成人式のときとか

坂根: 行ってません

klov: 中学が私立だったやつとかはちょっとさびしいとかいってました。

塚田: 地域とか地方とかの関係で建築が担える役割みたいなものってあると思いますか?

山道: そこを今めちゃかんがえて、ショッピングセンター研究をしているのですが、都市形態とかと絡められるんじゃないかなとか。

塚田: 個人的には安易に、その地域っぽさを取り入れる、ご当地キャラみたいなものはいやだなとか思って不安に思ってるのですが。

山道: それこそ地域の差異を建築の何かに変換したいですね。

塚田: 今ある都市の形を所与の条件として、そこに最適化するみたいなことですかね。

シノハラ: まさに、藤村さんの批判的工学主義みたいな話ですね。

山道: 特産品とかではなく、空間的な差異に落としたいですね。

klov: ただ建築と地域性というと、どうしてもランドマーク的なものを作って「街づくりしよう」とかいう動きに飲まれかねないような気もするのですが、そういうのにはどう抗うのかなとか。

塚田: 絶対失敗は目に見えてるwなぜなら、全国津々浦々どの地域でも「町おこし」はできるのだから。 もっと地道なものですよね

山道: 今まで無視されてきた新しいヴァナキュラーを地域に見いだしたいのかも。先日の自由が丘プロジェクトで僕らはQRコードをばらまきましたが、すぐちかくのケータイショップの店内にめちゃくちゃQRコードがレイアウトされていたんですね。ケータイショップには地域性はないかもしれないですが、あの商店街におけるケータイショップの位置づけを考えると僕らは連続しつつ、あちら側とつなげようとしたのかもしれません。

塚田: まさにそれが大切だと思います。ケータイショップには地域性はない、だけどそこにあることは確かなのだから、そこと地続きなデザインをすることで得られるものがある。交換可能性はあるけど繋がることってまさにそういうことだと思うなあ。

山道: 交換可能性はあるけど繋がる。いいですね。

鎌谷: 実際藤村さんのインタビューをされて、どんな感想をお持ちになりました建築にたいして。

シノハラ: 実務と思想が繋がっていること(実務的な思想を作ろうとしていること)、新しい価値基準を作ろうとしていること、建築業界そのものを変化させようとしていることの3点に、なるほどなあと思いました。すごくざっくりした感想で申し訳ないですが。

山道: 東工大の建築の文脈て、スペクタクルじゃなく、どうインパクトを作るかっていうのが、あるかもしれませんね。そこにある、ごく普通の要素をどうこねくりまわすか

klov: ショッピングセンターとかコンビニとか普通に考えたら建築家の作家性とか絡まないところに絡む。

山道: そうですよね。ショッピングセンターとかコンビニがおもしろいのはシステムと絡んでるからだと思います。

塚田: 作家性が取り戻せない状況でいかに振舞うかについてかなり刺激的でした。そういうのって文学でもなんでもいろんなところで見られる現象なので。つまり作家性が抜け落ちるということだよ、ケータイ小説とか。

山道: 村上春樹も、ビームサーベルとかが出てくるようなSFでないのに、飛び感があるのはそれに近いと思います

klov: 飛び感。

山道: あくまで日常的だけど内容は飛んでる。ケータイ小説とかはとび感は無いような気もしますよね

klov: なるほど。ベンチューリの逆!

塚田: 藤村さんと社会学者の南後さんのタッグのように俺たちもタッグを組もうと。

山道: タッグ組みたいですねー

シノハラ: 作家性が抜け落ちていく、というのは確かにそうだと思う。それはとても大事なことなんだけど、一方で、作家性のない固有性を探ろうとしているところが面白いところだと思います。つまり、藤村さんは、アーティスト的な建築家に作家性なんてないよっていう一方で、組織の中にいる人たちにも語りかけているからです。

山道: 瀬戸内寂聴さんがケータイ小説っぽく書いてたらしいですけど笑

シノハラ: 言われたとおりに設計図を書く人たちというか、そういう言い方をしていいのか分からないですけど、そういう人たちのポジションをちゃんと作ること。作家というよりは、職人なんですかね。

klov: 批評社が建築の話してg86がケータイ小説の話してる!

山道: ほんとだ(笑)。こういう反転が出たのは今回のある種の到達点ですね。

とりあえず第一回目の対談はこの辺にして、第二回目に繋げましょう。

つづく