またもや愚痴り気味

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/98/index.html

きっかけはこの記事を読んだことに始まる。
自慢じゃないが私はたばこを止めて2年になる。今は全く吸いたいと思わない。止めた理由は理由で馬鹿みたいなものなのだが。

それはさておき、世の中は禁煙(嫌煙)ブーム?である。そして喫煙してる人はいわば野蛮で最低な人のような言い方をされるし、吸う場所はどんどん制限され、分煙の店ではなくたばこがOKな店でも嫌煙家が横に座った時点で下手をすれば文句を言われる。昨今の嫌煙家の言い草だと、毒(=煙)を振りまいている人がのさばるな・・・といわんばかりなのだ。(こんな風潮を肯定するつもりは毛頭ないがやめた理由はこんなことも関係している。)

問題はタバコを吸うことが悪か正義かと極端に分類していることではないだろうか。自分たちの立場だけでの主張が多すぎる気がするのである。
嫌煙家の言い分は、私にはタバコを吸わないだけではなく、他人のタバコの煙を吸わない権利がある。
・喫煙家の言い分は、20歳を過ぎて法律で認められているタバコを吸う自由と権利がある。

嫌煙家として活動している人が、排気ガスを吸わない権利もあるといって同じような行動を取れるのであろうか・・・車に乗るのを一切やめ分煙のために道のないようなところに住みたいのだろうか。
愛煙家の人たちも、隣から聞こえる騒音を自由だと黙って認めることができるのだろうか。。。分煙であったりエチケットであったりもやはり必要なのである。

私はタスポの導入を批判する人がいると私は思っていなかった。なぜなら、タスポ導入は未成年に対するタバコ販売を抑制するためのもので、タバコを吸う人を迫害して行われるわけではないと思っていたからだ。ただこのごろの風潮が迫害ムード一色なことがタスポも同様にうつっているのではないか。タバコについて議論できる年の大人(のはず)なのだから、もう少しお互いの権利や主張を踏まえて何が何でも嫌煙であったり、嗜好は私の自由だと意地を張ってないで歩み寄ればいいのにと思うのは私の考えが浅いのかも?

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この文章はあくまで私の私的な意見であり、たわごとであります。落書き程度の読み物として扱っていただければ幸いです。

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