電氣アジール日録

2017-01-01 あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

2016-12-30 それでは皆様よいお年を

2016年最後の挨拶とか年間ベストとか

申し訳ありません、年末年始仕事が詰まってるんで今年のベストは簡単に済ませます。

というか、本年は無駄に忙しく仕事と関係ない読書とか映画観に行ったりとかの余裕がほとんどなかったので、実際に内容も薄いです。

1.映画シン・ゴジラ監督庵野秀明

2.映画ヘイトフルエイト監督クエンティン・タランティーノ

3.評論『シャルリとは誰か?』エマニュエル・トッド

4.映画この世界の片隅に監督片渕須直

5.ルポ『戦争中の暮しの記録 保存版』暮しの手帖編集部

6.評論『「反戦反原発リベラル」はなぜ敗北するのか』浅羽通明

7.ルポ『インド独立の志士「朝子」』笠井亮平

8.映画帰ってきたヒトラー監督:デヴィッド・ヴェンド

9.映画バットマンvsスーパーマン監督ザック・スナイダー

10.TVドラマ精霊の守り人脚本大森寿美男

列外.『東離劍遊紀』脚本虚淵玄

1.映画シン・ゴジラ

監督庵野秀明http://www.shin-godzilla.jp/

なんか、2年ほど前に書いたこの文章(http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20140611#p2)が、結果的に本作品の予告みたいになった気分。

とりあえず、仮面ライダーとかウルトラマンみたいな長期人気シリーズが、みんな過去作品のセルフパロディ的再生産になってる状況下、過去の東宝特撮映画全部リセットして「現実に初めて怪獣が出現したら」を正面から大真面目に描くというのは考えてもみなかった。これは発想の勝利。

2.『ヘイトフルエイト

監督クエンティン・タランティーノhttp://gaga.ne.jp/hateful8/top/

3時間近い上映時間がまったく退屈に思えなかった快作。ラストで主要登場人物は全員ろくでもない最期を遂げるというのに、一番激しく対立していた南部出身の白人と北軍の黒人兵が仲良く一致団結して事件の元凶を拷問、というオチがもたらすブラックユーモア的な達成感は、「謎の感動」としか言いようがない。

3.『シャルリとは誰か?』

エマニュエル・トッド:著(isbn:4166610546

この人、いっけんリベラル派のようでドイツ人には口汚いところとか微妙に性格が悪いが、着眼点はあなどれない。

伝統的宗教カトリック)が排外主義の温床ではなく、むしろ「ヨーロッパ人でもアフリカ人でも同じカトリック信徒」という国際的普遍性があり、伝統的宗教が衰退すると民族主義がその代替物となって排外主義が広まる――という指摘は鋭い。

あと、各国の文化的価値観を家族制度(相続制度)の伝統から分析した部分も奥が深い。イギリスアメリカは兄弟間で相続が平等なので組織運営も平等主義的、ドイツ日本韓国は長子優遇の家父長主義だから平等主義が根づきにくいとの指摘。

(そう考えると、日本では地域によっては兄弟が上から順に親元を離れる末子相続もあったのを政策的に長子相続に一本化した明治期以降の伝統って、本当に不自然で作為的

ロシアは父の権威が強いが兄弟姉妹関係は平等(分割相続できる土地が広いからか?)という説明は、『カラマーゾフの兄弟』を念頭に置くとすごく納得できる。あと「強権の下での平等」ってソ連みたいな社会主義じゃん。

4.映画この世界の片隅に

監督片渕須直http://konosekai.jp/

あまちゃん』の頃から、能年玲奈(のん)は兵庫県出身と聞いて、いずれ関西弁キャラを演じて欲しいと思っていた。広島兵庫の2つ隣だが、劇中の広島弁の自然な上手さに舌を巻く。この人、日本全国どこの田舎娘を演じてもいけるんじゃないのか?

あと、本作を「戦争映画なのに反戦思想がないから素晴らしい」と持ちあげる人がいたようだが、根本から間違ってる。本作品は戦争映画ではない「戦時中が舞台のホームドラマ」だよ。普通にNHKの朝ドラマで通用するじゃねえか(もし山田風太郎の『戦中派不戦日記』を映像化しても、戦争映画ではなく「戦時中が舞台のホームドラマ」だろう)。

あと、画面がとにかく美しい。すずの描いた絵がそのまま風景になる場面とか、アニメでなければできん描写。原作のかなりの部分をカットしたのは尺の都合で仕方ないか。

5.ルポ『戦争中の暮しの記録 保存版』

暮しの手帖編集部isbn:4766001036

本物の戦争経験世代が次々と亡くなる中、大東亜戦争の大義だの大局視点の政治思想論ではなく、庶民の実感として戦争はどうだったという視点は急速に忘れられつつある。本書は、NHKの朝ドラマで注目が集まった花森安治仕事の一つだが、終戦から20数年の時期に集められた「普通の人の戦争体験」の集大成だ。

東京大空襲のあと家が焼け残った人が、「なまじ家があると肩身がせまい。早く焼けてくれりゃいい」と妙な罪悪感を覚えたという話(74p)、イモばかり食ってる疎開先で白米の弁当を持ってきた児童が「制裁」されたという話(132p)、戦局が激化した時期、戦地の兵士と苦労を分かち合うため児童にはだし登校が課された(179p)という話(当然ながら、内地の小学生がはだしで登校したって敵兵は一人も死なない)などは興味深い。

要するに、直接の戦災より「みんな苦労してるのに楽をしてはいけない」という同調圧力の空気が相当に重かったことがうかがえる(一方では、空襲で焼け出された一家に周囲の人間が食料や家財を分けてやったというような「いい話」もあるけれど)、この手の「ぜいたく狩り自粛要請空気圧力」みたいなものは、2011年東日本大震災後などをふり返ると、平成時代もあまり変わらん気がしてならない。

6.評論『「反戦反原発リベラル」はなぜ敗北するのか』

浅羽通明:著(isbn:448006883X

本書は左翼批判というより、動員が目的化した方法論の批判、「デモなどやらなくても政治が変われば結果良し」という話。その選択肢には、ロビー活動外国勢力を引っ張り出す、ストライキなどのほか、究極的には暴動やテロだってある。

「意見が違う人」ではなく「立場が違う人」(そもそも政治や思想に興味自体ない親兄弟や近所の人)への働きかけの放棄、同意見の人間の世間でツルむ居心地の良さへの耽溺などの問題は、今やむしろ左翼よりネトウヨにも当てはまると思ったのはわたしだけか?

世の中は「敵と味方/右翼左翼」の2種類でできてるんじゃない、じつは「無関係第三者」が99%なんだよ! それに訴えられるかこそが重要

あと、「空気読めなかった(近代的自我を持ってたともいう)」(177p)という一節は大笑いした。

7.ルポ『インド独立の志士「朝子」』

笠井亮平:著(isbn:4560084955

第二次世界大戦中、日本ドイツと連携していたチャンドラ・ボースインド国民軍義勇兵の顛末。インド国民軍の婦人部隊では17歳の女の子隊長で大尉とか、ガンダムか何かのアニメみたいな話だが、動乱期の革命軍ではこういうことが本当にある。

結局、志なかばで終戦直後に死去したボースは、枢軸国の協力者ということでインドでの評価も微妙だ。しかし、ガンジーからは「インド国民軍はヒンディーとムスリムの融和というすばらしい前例を作ってくれた」と評価されていた。独立後のインドはヒンディー教徒のインドムスリムパキスタンに分裂し、今も対立が続いていることを思うと、なかなかにせつない話である

8.映画帰ってきたヒトラー

監督:デヴィッド・ヴェンド(http://gaga.ne.jp/hitlerisback/

独裁者を生むのは民衆――というよくできたお話。ラストシーンでは現代ヨーロッパ排外デモ1930年代になぞらえられるが、ふり返ってみると、2010年代ではなく1960年代でも1990年代でも社会に不満を抱く層はいて、「新しいファシズムの予兆が」と言う人はいた。この映画トランプ大統領就任で一気に現実に追い抜かれた印象だけど、ちっとも新しくも古くもない。

9.映画バットマンvsスーパーマン

監督ザック・スナイダーhttp://wwws.warnerbros.co.jp/batmanvssuperman/

アメコミヒーローへの関心は低かったが、町山智浩による原作の紹介が興味深かったので観賞。当然「ただの人間のバットマンがどうスーパーマンと戦うんだよ?」と思っていたら、ベン・アフレック演じるブルース・ウェインあの手この手で小細工をくり返す。

異邦人の若造(スーパーマン)と、女(ワンダーウーマン)の台頭に手を焼くブルース・ウェインの姿に、「アメリカの白人中年男大変だな……」と思ったのは俺だけか?

10.TVドラマ精霊の守り人脚本大森寿美男

脚本:(http://www.nhk.or.jp/moribito/

とりあえず、やっと日本で「ファンタジー物=西洋風でないといけない」の呪縛を脱して、日本人役者が演じて違和感ない作品がメジャーな形で放送されたことに喝采。久々に松田悟志の派手なアクションが観られたのも嬉しい。

列外.『東離劍遊紀』

脚本虚淵玄http://www.thunderboltfantasy.com/

本年、純粋に娯楽作品として接した中ではもっとも熱中した番組かも知れない。仮面ライダーの次は台湾浄瑠璃みたいなもの(布袋劇という)に手を出すとか、虚淵の引き出しの広さは予想以上。登場人物がほぼワルしかいないのも武侠物らしい。

本年、書き落としたことなど

――こういう短文の走り書き、本来ならツイッター向けなんだろうけどな。

回顧と展望

本年、何やってたんだよ? と言われるかも知れないので、今年後半の仕事の一部を説明。

日本神様イラスト大図鑑』(isbn:4800263050)、スサノオノミコト建御名方神猿田彦熊野三神菅原道真蛭子神、などの項目を執筆。

『60分で名著快読 マキアヴェッリ君主論」』(isbn:4532197996)、マキアヴェッリが生きた15世紀イタリア情勢、ムッソリーニマキアヴェッリの関係、18世紀フリードリヒ大王によるマキアヴェッリ批判、などを解説。本書の仕事して改めて思ったが、ルネサンス時代はかなり「近代」で、君主と軍人ビジネスライクな契約関係。でも、まだ社会契約論がなかった、その辺で後世のフリードリヒ大王との温度差は面白い

『「平均的日本人」がわかる138』(isbn:4569766579)、例によって統計ネタ雑学。平均年収の真相、平均貯蓄の真実、夫婦の平均プレゼント回数などに言及。

元号でたどる日本史』(isbn:4569765815)、結果的に「平成の次」に注目が集まる時期に先んじた企画。当方は「大化」から平安時代までの各元号を担当。

天皇陛下83年のあゆみ』(isbn:4800262208)、以前に昭和天皇の本の仕事をしたときと同じく、今上天皇生物学研究や海外訪問の話について書いてます。

――当方はまだ諸々の業務が片付いてませんが、いつも書いてますように、まあ仕事のお声がかかる内が花。

それでは皆様、よいお年を

2016-11-06 歴史の捏造について

古事記』の時代サザエさんはいましたか

なんでも日本会議によると、日本模範的家族像はサザエさん一家であるらしい。

日本会議理想サザエさん一家」啓発 24条改正巡り

毎日新聞2016年11月3日 02時30分(最終更新 11月3日 12時49分)

http://mainichi.jp/articles/20161103/k00/00m/040/159000c

阿呆か。

いかに憲法を改正しようとも、かつてのような大家族は復活しない、こんなもんは完全に「絵に描いた餅」である。理由は、産業構造の変化を完全に無視してるからだ。

日本昭和の中ごろまで家族大事する価値観が強かったのは、戦後個人主義に毒されていなかったからとかい精神論の問題ではなく、まず大多数の世帯農家個人商店のような「家業」であり、そこでは家族は最小にして基本の「職場」だったからだ。親族経営農家個人商店も、働き手として子どもとじいさんばあさんが必要だったのである

そうした「家業」がすたれて総サラリーマン化すれば、大家族必要も意義もなくなるのは必然ではないか。本ッ気で大家族に戻したければ、今の日本経済的繁栄を捨てて農村社会に戻れよ。

つーか、よく考えたらサザエさん一家自体、戦後民主主義のもとでできた、せいぜい70年ぐらいの歴史しかないフィクションである

それまで1000年以上も続いてきた日本の伝統的な家族ってのは、武士でも農村でも家督農地)を継承する長男のみがエラく、次男以下は状況次第では家から捨てるものだった(この辺の話は輿那覇潤の『中国化する日本』(isbn:4163746900)にも出てくる。なんと、昭和30年ごろまで農村では長男でなければモテなかった!)

日本会議とその支持者は、神武天皇実在したと主張したり、『古事記』『日本書紀』の内容が大好きなのだから戦後フィクションしかないサザエさん一家などではなく、神代古代天皇家家族構成を理想としないのか?

天照大神は夫のいないシングルマザーで、逆にスサノオも男だけで子ども作ってたな(きっと神代にはiPS細胞があったのだろう)、大国主命一夫多妻ハーレムじゃねえかw

さすがに神代は別としても、神武天皇以降の人皇時代だって、兄妹姉弟で近親相姦一夫多妻の方こそ日本神話が描いてきた美しい「伝統」だぞw

絶対に当たる予言 10年後にドヤ顔させてもらいます

以前も述べたが、現在進行している少子化産業構造の変化が原因にある。

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20160404

少子化非婚化の原因は若者貧困から賃金を高くすれば少子化非婚化も解決すると主張する人は少なくない。確かにそれも大きな側面だ。

しかし、そう主張する人の多くが見落としているが、合計特殊出生率戦後最低値を更新した「1.57ショック」は、バブル経済絶頂期の1989年だ!! 第三次産業中心社会に移行すれば少子化が進むのはどこの国も通ってきた道なのである。景気が回復しても、それだけで出生率が飛躍的に改善することは多分ない。上記の説明でも触れたが、少子化の打開策は「家業の復活」しかないと思う。

から、ここでひとつ「絶対に当たる予言」をしてやる。

憲法24条が改正されても、絶対に少子化改善しない!!

現状の自民党案どおりに改憲が実現したとして、その改憲を推進した人たちは10年後に必ず、「あれぇ、なんで出生率が伸びないの?」と思う。そして、その理由を「改憲されてもいまだに日本国憲法時代の間違った個人主義価値観に毒された世代がうんぬん」という言い訳正当化する、ここまでテンプレ

――もっとも、この予言は、春が来たら「必ず桜が咲くぞ」とか、夏が来たら「必ず台風が来るぞ」と言うようなものから予言ですらないがw

もちろん、改憲関係ない別の理由で少子化改善すりゃ、そっちの方が良いに超したことはない。

バブルすごい」のディトピア

日経新聞正社員様によると、デフレ不況若者が消費しないせいらしい。

インフレ知らず悲観的…物価2%、ゆとり世代が壁  :日本経済新聞

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXLASGF24H0E_V21C16A0SHA000/

阿呆か。

日経新聞正社員様は西友スーパーとか行ったことねえんだろうなあ。西友じゃさも自慢げに「6ヵ月以上値上げなし プライスロック」ってポスター貼ってるぞ。

http://www.seiyu.co.jp/campaign/pricelock/index.html

まさにアンチインフレ権化!! 西友アベノミクスに真っ向から敵対してるじゃねえかw

当然ながら、西友スーパーの愛用者のメインは「若者」ではない、30〜60代の主婦のおばちゃんが大多数である。今やバブル世代含めて標準的専業主婦はみんなデフレ支持なんだよ!!

からずっと思っていたのだが、バブル世代が自慢げに口にする「俺らの若い頃は高級車や高級ブランド品にバンバン金使って消費してたのに、今の若い奴は消費しないからケシカラン」という自慢話は、最低のクソ言説である

それ、戦中派世代の「俺らの若い頃は支那チャンコロ兵と殺し合いしてたのに云々」や、全共闘世代の「俺らの若い頃は機動隊ゲバ棒でぶん殴ってたのに云々」と同じじゃねーか! で、バブル世代はそーいう上の世代の自慢説教いちばん嫌いだったはずだろ?

そして、ここが重要なのだが、バブル世代が高級車や高級ブランド品などの高額消費に金を使ったのは日本経済のためなんて大義ではなく、自分快楽のためだろ!! なんでそれを自慢げに威張ってんだよ?

平成生まれが聞いても信じないバブル時代真実

昨今では「20〜30年早く生まれてバブル時代に生きたかった」とホザく若者もいるそうだが、以下は1970年生まれでバブル経済絶頂期に20歳だったわたし経験証言である

(1).バブル時代にも貧乏人とブラック企業はあった

(2).バブル時代オタク人間以下の最底辺の身分だった

(3).バブル時代大学企業体育会系帝国だった

(4).バブル時代にはすでに深刻なモテ格差がはじまっていた

(5).バブル時代日本人海外で嫌われていた

まず(1)、わたし高校卒業直後の1989年最初に就いた仕事は福岡市内の新聞配達員で、配達のみ集金業務なしの契約だったが、本来ならば専業職員がやるべき広告チラシ折込などの雑務もやらされ、実働時間は集金業務ありの学生配達員と同じだったのに、賃金は集金業務なしの金額だった。しかも1日10時間以上労働はザラで、残業代は出ない。大企業ならいざ知らず、地方中小事業所なんて当時もそんなもんである

(当時は「ブラック企業」という言葉と概念がまだなかっただけだ)

次に(2)、一部で言われ古されているがバブル絶頂期の1989年には、幼児誘拐殺害藩の宮崎勤逮捕されて、一気にオタクバッシングが広まった。

バブル崩壊後の長期不況お金のかかる娯楽(高級車、高級ブランド品、ゴルフワイン料亭ディスコを貸切にしてナンパなパーティとか)がすたれた結果、2010年代現在、「消去法のように」若者の娯楽としてはゲームアニメ漫画の地位が向上した。しかし、1989年当時は、お金のかかる娯楽の方が圧倒的に主流だった。

現在ディスコを貸切にしてナンパパーティするウェイ系リア充オタクの身分差が「貴族と下級市民」ぐらいの感覚なら、1990年当時には「皇帝奴隷」ぐらい感覚のだった。

続いて(3)、1990年代後半以降のITの普及で、現在でこそオタク向けデスクワークは圧倒的に増えた。ところがバブル時代当時、ビジネスは圧倒的に「夏でもネクタイスーツ」で、「大きな声を張り上げ」、「手で触れる実体のある商品」を直接に取引先に営業するのが中心で、企業ではそういうのに向いてる人材いちばん重宝された。つまりはバリバリ体育会系である。当然、ホリエモンみたいな奴なんてまだ影のような存在しかない。当時の若者がみんなマネをしたタレントとんねるず石橋と木梨だ。

そして(4)、バブル時代とえいば、『POPEYE』だの『ホットドッグ・プレス』だの『MEN'S NON-NO』だのの雑誌流行ファッション女子ウケるオシャレな店など、「モテマニュアル」を押さえてないと相手にされないとしきりに喧伝された時代だった。結婚相手の条件は高身長高学歴高収入の「3高」なんて言われた時期。あと、「20代女性人口がXX万人も男性より少ない」なんて報道もよく聞いた。

この当時に比べれば、若者貧乏がめずらしくなくなって無駄な見栄を張る必要がなくなった現代の方が、ある意味では健全に思えてならない。

最後に(5)、今の日本で「爆買い中国人」がよくコケにされているが、あれはバブル時代フランスシャネル本店の前に行列をなした日本人買い物客とかの姿とまったく同じである日本人ニューヨークロックフェラーセンターの前の土地を買い取ったときなんざ、アメリカじゃひどい憎まれようでしたよ。

――上記のようなバブル時代真実って、テレビ昭和回顧ネタとかじゃ絶対に語られない。ウケないからだろうね。結局みんな「見たいものしか見ない。「日本スゴイ」ネタと同じだ。

2016-09-30 「リベラルなエンタメ」はあり得るか?

ヒロイズムの否定しかできない左派の愚

このブログでは毎度のように周回遅れで後出しネタだが、今さらこの辺の話について。

https://twitter.com/kabutoyama_taro/status/770565856199790592

シン・ゴジラ』に限らず、ここ数年というもの、自衛隊ともコラボした『ガールズ&パンツァー』だの『ゲート』だの、日本アニメやらゲームではウヨにウケるミリタリ系エンターテインメント作品のヒット作が続出し、共産党やら社民党やら民進党関係者だの左翼リベラル派がそれに噛みつき、「ブサヨエンタメ言論弾圧者」というレッテルを貼られるというダメループがくり返されている。

そういや、少し前には、産経新聞社月刊正論8月号で、桜井浩子ウルトラマンについて語ったりしてた。

おいこら、俺はもうすでに10年近く前から言ってるぞ日本左翼は今、「面白いもの」「カッコよいもの」「夢」保守陣営に取られてる事実を率直に考え直して頂きたいってな!!

なぜ、ヒロイズム立脚したエンターテインメント右派は相性がいいのに、左翼はそれを否定する側になってしまったのか? たぶん、そのヒントはこの辺↓にある。

なぜ、サヨクリベラルは人気がないのか…社会心理学で原因が判明!?

http://lite-ra.com/2014/11/post-616.html

・サヨが重視する価値観

ケア/危害〉……苦痛を感じている者を保護し、残虐行為を非難すべし。

〈公正/欺瞞〉……ふさわしい人々と協力し、抜け駆けする輩を警戒せよ。

自由/抑圧〉……信頼できないリーダーによる不当な制限を退けよ。

・ウヨが重視する価値観

〈忠誠/背信〉……チームプレーヤーには報酬を、裏切り者には制裁を。

権威転覆〉……安定のために有益な階層関係を形成し維持せよ。

〈神聖/堕落〉……聖なるものを尊び、汚らわしいものを卑しめ。

この分類に立つと、左翼リベラル派の価値観では、歴史物で人気のある主君に忠義を尽くす武将とか、組織や集団の強い団結や戦友愛、崇高な理想への自己犠牲などを美化する作品だのは、みんなNGということになってしまう。

しかしである、逆にいえば、左翼リベラル派の価値観に即したエンタメだっていくらでも成立し得るのだ。横暴な権威への反抗、悪い為政者に対する弱者正義、弱い人間保護し広範な立場の人々と絆を結ぶ……などといったモチーフの作品だ。

あの世界的ヒット作のファン反差別リベラル派?

実際問題過去には広義の左翼リベラル派に人気のあったエンタメ作品は多数存在する。白土三平の『カムイ伝』は、領主の悪政に立ち向かう農民&被差別階級の決起を描いて左翼学生に支持されたし、赤軍派よど号ハイジャック事件ループは「我々は『あしだのジョー』だ」と言った。むしろ、1970年代当時まで、漫画アニメヒーローは、権力に与しないアウトローであることの方が多数派だった。

主人公国家権力側の人間である刑事ドラマだって、『太陽にほえろ!』など、人気があったのは大抵、組織に忠実な優等生ではなくはみ出し者タイプのアウトローキャラである。この図式は『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』『PSYCHO-PASS』にまで一貫している、それどころか、この3作品とも主人公はぜんぜん国家権力に忠実とは言いがたい反逆警官ではないか。

はたまた、現代でも『亜人』『東京喰種』『寄生獣』『仮面ライダーアマゾンズ』など、主人公を世間一般の多数派から迫害される少数者の人外の怪物(端的に言ってしまえば被差別マイノリティ)の側に置いた作品が多数存在し、一定の人気を得ている。本当に社会右傾化しているならこれらの作品がヒットするわけがない、主人公普通人間で、それが人類に害を為す異物を排除するのが一切正しい行為、という作品がばんばん作られてヒットしていなければおかしいはずだ。

Newsweek』の2015年9月6日号に、興味深い記事があった。「ハリポタトランプ旋風を止める?」というもので、アメリカで『ハリー・ポッターシリーズファンに対して行われた調査によると、同シリーズの愛読者ほど、同性愛者やイスラム教徒への寛容度が高く、ドナルド・トランプは、同シリーズの悪役で魔法使い以外の人間にきわめて差別的なヴォルデモート卿になぞらえられるという。

どうよ?

このように、差別的なエリート主義者を嫌な悪者として描くエンタメ」や「悪い権威への反抗をヒロイックに描くエンタメ」や「マイノリティ目線に立ったエンタメはいくらでもあるのに、楽しくそれらを語ることができないのが、今の左翼の本当に救いがたくダメなところだ。

なお、エンタメを禁圧するのは左翼だけとは限らない。戦時中にも娯楽作品は検閲されまくり、傷痍軍人を描いた江戸川乱歩の『芋虫』は発禁にされ、映画『無法松の一生』主人公戦争未亡人に恋心を抱くという内容ゆえ改変を余儀なくされた。

こんな『シン・ゴジラはいやだ!

もし仮に、「右翼的エンターテインメント」と「左翼的エンターテインメント」を、それぞれ純粋に徹底するとどうなるか?

純粋右翼的エンターテインメント

権力、体制はつねに正義である

・もちろん主人公はつねに体制権力に忠実な優等生

職業軍人は全員、清廉潔癖の聖人君子である

少数民族異端マイノリティはつねにすべて悪

・強い者が正義貧乏人はすべて自己責任

・なんの変哲もなく、武力、財力にまさる者がつねに勝つ

主人公側が属する陣営による殺戮破壊は無条件に全肯定

純粋左翼的エンターテインメント

権力、体制はつねに悪である

・もちろん主人公忠誠心ゼロ反抗的性格

職業軍人は全員、卑劣で腐敗している

少数民族異端マイノリティはつねにすべて正義

貧乏人は常に善人、金持ち貴族は必ず悪者

・どういうわけか、武力、財力にまさる者がつねに負ける

・そもそも戦いを全否定アクションやバトルが一切ない

――それぞれどっちも、果たしてそれで面白いですか?

「ウヨ的に正しいシン・ゴジラ」を完璧に徹底したらどうなるか?

日本民族は優秀であるから、ゴジラは秒殺されて何も問題は起きない

放射能を脅威として描くのは反原発厨だ、ゴジラの攻撃でみんな健康になる

在日米軍正義の味方である日本への核攻撃を検討するはずない

――こんなもんスリルサスペンスも何もないわい!

「サヨ的に正しいシン・ゴジラ」を完璧に徹底したらどうなるか?

自衛隊は戦わない。日本人は全滅する

――これではそもそもお話が成立しねえよ!

この調子で「ウヨ的に正しい」パトレイバー攻殻機動隊をやると、主人公は最後まで警視庁に反抗せず何もドラマが起きないし、逆に「サヨ的に正しい」作品にしたら、主人公は何もせずテロリストが勝ってしまう。そんなもん面白いかってのw

すべてのエンターテインメントプロパガンダになり得る

急いでつけ加えておくが、わたしは今回、漫画映画アニメゲーム小説などを「右翼的な作品」「左翼的な作品」に分ける気は一切ない。というか、それは一番不粋でつまらん行為である

作品が娯楽として面白いか面白くないかと、ウヨ的かサヨ的かは関係がない。というか、人間快楽原則には、上記の「リテラ引用記事のようなウヨ的要素とサヨ的要素が常に混在している。悪い権威への反抗を描く作品がみんなサヨ的とは限らず、逆に、忠誠心や戦友愛物語がすべてウヨ的かといえばそんなことはない。

たとえば『水戸黄門』はどうか? 最終的に庶民を救う黄門様は幕府権力人間だ、しかし、毎回の悪者は悪代官とか悪徳商人とか庶民をいじめる強者・プチ権力者だ。「領主側の人間はみんな善人、農民一揆指導者はつねに悪者」なんて時代劇が流行ったためしはない。

忠臣蔵』は主君への忠誠の物語だが、四十七士の討ち入りはときの幕府権力の秩序を乱す行為なので切腹を余儀なくされ、しかしそれゆえ庶民に支持された。

自己犠牲ヒロイズムといえば、日本では特攻と結びつけられるからウヨ的に解釈されがちだが、ヘミングウェイ原作の『誰がために鐘は鳴る』では、ファシスト軍と敵対する人民戦線側に属した主人公自己犠牲的な死を遂げる。

また、サヨ的立場だと愛国ナショナリズムが悪なら、英国に対するアイルランド人中共に対するチベット人イラントルコに対するクルド人など、少数民族の熱烈なナショナリストによる解放運動とかはどうなるのか?

先に『亜人』などは被差別マイノリティ視点の作品としたが、常に「マイノリティ=反権力的」とは限らない。むしろ、『寄生獣』や『デビルマン』以来この手の作品は、主人公が人外の存在でありつつ、多数派人類(秩序)の味方をするのがパターンだ。しかし、だからといって多数派人類がただ善良な存在とは描かれない場合も多い。

それにだ、冒頭で触れたように、今日でこそ左派がさまざまなエンタメ作品を戦争バンザイの内容だと叩いているが、今や古典といえる佐藤健志ゴジラヤマトぼくらの民主主義』(isbn:4163466606)の手にかかれば、初代ゴジラウルトラマン宇宙戦艦ヤマトもみんな戦後民主主義に毒された作品だったことになる。

……ほらね、こういうことを言い出すと、もはや何がウヨ的で何がサヨ的やら、わからなくなってくる。

ウヨの快楽とサヨの快楽は共通する

思うに、ウヨの快楽にもサヨの快楽にも共通するものがある。それは「大きなものとつながりたい願望」だ。ただし、その対象が、自国、自民族のみか、他国、多民族も含めているか範囲の違いなのだ右翼世界を「内と外」に分けて内の味方をする。左翼世界を「上と下」に分けて下の味方をする。そしてどっちも、自分の属する陣営(ウヨなら国家民族、サヨなら階層社会的少数派身分)に甘いw

ナチス宣伝大臣ゲッベルスは、クライマックス労働者資本家に暴動を起こす『メトロポリス』を絶賛して、監督フリッツ・ラングユダヤ系!)にナチスへの協力を求めた。すぐれたプロパガンダ映画技法は、右派にも左派にも流用できるのだ。

で、今回の結論を述べると、すぐれたエンターテインメントは、しようと思えば、ウヨ的解釈もサヨ的解釈もできる。逆に、先に触れたウヨの快楽、サヨの快楽をどちらもまったく否定した「無色透明エンターテインメント」があったとしても、面白くも何ともない。良くできたウヨないしサヨ的プロパガンダ作品も大量に存在し得るが、わたし個人の好みとしては、様々な要素が入りまじった結果、ウヨだかサヨだかわけがわからんぐらいがちょうど良い気がする。

2016-08-11 死ん・ゴジラ

「個としての人物」を描かないことで成立した傑作

で、公開から2週間も経つからもうネタバレも気にせず今さら『シン・ゴジラ』の話。

  1. 全体の印象
  2. 人物
  3. 見せ方
  4. ゴジラ自体

妄想

ところで、本作に登場しなかった今上天皇はどうしていたのだろうか。政府は退避を進言するだろうが、お優しい明仁天皇のことであるから、311の時から考えて、まずは「都民を置いて一人だけ逃げるわけには行きません」と発言しそうである。さらに都民に対し「軽挙妄動は慎み、落ち着いて避難してください。皆さんが力を合わせれば東京は必ず再建できます」といったビデオメッセージを出しそうだ。

そして、とりあえず皇太子以下の皇族は先に京都か葉山那須に脱出させたのち、皇居の地下壕で美智子皇后と一緒にテレビ報道を観ながら「海洋生物学者だったおもうさまなら、ゴジラ細胞サンプルが見たいと言いそうだねえ」「そうですわねえ」などと語り合っていそうな気がする。

また再録

かつて雑誌『TONE』第2号(2005年6月刊行)に執筆した原稿

■「戦争」を描いたヴィジュアル作品レビュー10

 (1)映画ゴジラ』(1954年監督・本多猪四郎

水爆が生んだ怪獣は、日本だけを襲う祟り神】

 怪獣ゴジラが最初に銀幕に登場したのは、まだ戦争記憶も生々しかった1954年昭和29年)、ビキニ水爆実験が行われ、第五福龍丸が被爆した年だという。

僕らの記憶で最初に見たゴジラの姿は、カラー映画になってからの、人類の味方として悪役怪獣と戦うゴジラだった。けれど、怪獣図鑑にはゴジラ水爆実験によって生まれたと書かれ、最初のゴジラを説明する白黒の写真では、逃げまどう人々の姿も、破壊された東京風景も、まるで戦争映画のように暗かった。

 水爆が生んだ怪獣ゴジラは、多くの戦没者を出した南の海から現れ、本土決戦を避けた帝都を襲う、それは空襲の再来のように、平和戦後に生き延びた者たちを脅かす。主人公の一人である平田昭彦演じる芹沢博士は、傷痍軍人を思わせる眼帯をしていた。どこか戦争で生き残ったことへの罪悪感を抱えた芹沢博士が、自らの造った化学兵器によってゴジラと相討ち心中することで、やっとゴジラの災厄は払われる。それは特攻のようだった。

 この最初のゴジラ戦争の匂いが漂うのも当然だった、『ハワイマレー沖海戦』を撮った特撮監督円谷英二に、自分自身特攻隊に行ってたかも知れない平田昭彦ほか、作り手自身も戦争経験者ばかりだった。当時の観客が銀幕の中に見たのは、恐らく、巨大な怪獣の恐怖に仮託された、つい十年前に見た空襲原爆の惨禍の再現だろう。しかし、そんなPTSDを起こすようなものに、なぜ人々が集まったのか……それは同時に、死者とお互いとの共通体験を再確認する儀式だったからではないか?

 その後もゴジラやほかの怪獣たちは、高度経済成長期の驕りへの戒めのように、高層ビルの街を破壊した、しかし、やがて戦後の豊かさが世を覆い尽くし、戦争記憶が消え、恐怖の対象だったはずの原子力産業利用も普及する内に、ゴジラは、払ったはずの厄を内に取り込むかのように、戦後日本を襲う悪い怪獣と戦う「戦後日本の守り神」へと姿を変えていった――要は、お子様向けに怪獣プロレスを演じるヒーローに姿を変えたということだが。そして70年代も中頃、高度経済成長期が終わり、巨大なものがすたれると共に、怪獣たちも退場した。

 それから10年、高年齢化したファンの声に押される形で、1984年ゴジラは再び渋い悪役として銀幕に復活した――しかし、作り手側自身も戦後世代になったゴジラには、真面目なテーマを言わんとしても、どこか空疎お題目感が拭えなくなってしまった。「ゴジラ核兵器の恐怖の象徴」という言説は、ひょっとして、単に「ゴジラは単なるお子様向けじゃなく、大人の観賞に耐える真面目な映画だ」と言うことで、自分の地位向上をしたかった怪獣マニアたちの方便で、今やいい年した怪獣マニアが珍しくもなくなったら無用になったってことか?

 しかし、2001年の『ゴジラ モスラ キングギドラ 怪獣総攻撃』では、久々に忘れられていたゴジラの姿が甦った。ゴジラ放射能火炎を吐いた次の瞬間、破壊された都市にはきのこ雲が上がる、まるで歩く原爆だ。天本英世演じる老人が「ゴジラ戦没者たちの怨念集合体だ」と語る。昭和29年の最初のゴジラの襲撃で家族を失った防衛軍の橘准将は、魂鎮めのようにゴジラを海に返す。だが、彼は芹沢博士のようにゴジラと一緒に死ぬことはない、なぜなら結局、橘も戦後生まれだからだ。

 平成16年2004年)、50歳となったゴジラは、老いた悪役レスラーのように、最後の花を咲かせて一応の引退を遂げた。しかし、この微温な平穏が続くのなら、ゴジラはまたいつか東京を襲わねばならない。戦争記憶を忘れてしまった僕らに、それを叩きつけてくれるために。

あと、この原稿のさらに1年前わたし『架空世界の悪党図鑑』の「加藤保憲」の項目で「あの加藤が最後の一匹とは思えない……。ゴジラと同じく、彼はきっと、また東京を襲うであろう」と書いたのだが、『シン・ゴジラ』には嶋田久作も出ていたw