電氣アジール日録

2018-08-26 ファシズムの効用

国民を動員する「大きな物語」の魅力

しばらく前からSNSなどネット世論では「東京五輪ボランティア待遇ブラックすぎる」という話題が絶えず、さらに五輪のためのサマータイム導入まで持ち上がり、これまたネット上では猛反発が起きている。それは自分基本的にはまあ同感だ。

が、8月上旬に行われたNHK世論調査ではなぜか、サマータイムに賛成する者が51%に対し、明確な反対はわずか12%にとどまった。

NHK選挙WEB

http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

案外と五輪ボランティアの方も、いざ募集が始まったらネット世論の絶不評ぶりとは裏腹に参加者が集まるのかも知れないなあ……? という気がしている。

ブラック環境からこそ参加したがる奴は一定数いる

最初に断っておくが、わたしはこの手の動員は大キライだし、オリンピック自体にも興味が乏しい。

五輪ボランティア動員を批判する人々は、交通費は自腹、炎天下で長時間働かされても無給、正式雇用契約ではないから熱中症や過労で倒れても労災はなし、にも関わらず学生ボランティアに参加しないと単位がもらえない、就職面接で睨まれる……などと問題点を指摘する。

だがしかし五輪ボランティアには「魅力」もあるのではないか? むしろ、それを踏まえたうえで批判する意見が出てきて然るべきではないのか。

わたしも含めてブログSNSで日々持論を説いているような亜インテリではなく、地方人口の圧倒的大多数を占めるマイルドヤンキー庶民は、運動会やら地元の祭やら「皆が一体感を抱く大きなイベントが大好きである、そこに悪意はまったくない。

前回の1964年から半世紀以上ぶりとなる自国でのオリンピック開催、これは一生に直面できるかわからない大イベントだ、ボランティアに参加すれば、きびしい訓練を積んだ選手でなくとも「当事者」の気分が味わえる。となれば、喜んで飛び込む者が大量に出てきてもおかしくはあるまい。

ここ2、30年というもの、4年に一度オリンピックがある度、マスコミでは「感動をありがとう」などと言ってきた。しかし、福本伸行最強伝説黒沢』の冒頭では、TVサッカーワールドカップでの日本代表活躍を見ていた黒沢が、あれはTVの向こうにいる選手たちの感動であって自分主人公の感動ではない、と気づいて落胆の涙を流す。

ところが、五輪ボランティアになれば「自分の感動」が味わえるのだ。喜んで飛び込む奴は一定数いてもおかしくない。

そんな連中にとっては、熱中症で倒れそうな過酷環境であればあるほど、それを乗り越えた暁の充実感は甘美なものだろう。「五輪ボランティアきっかけで男女が出逢って結婚」みたいな話が美談として報道されたり、10年後20年後まで「俺は2020年五輪ボランティア参加者だぜ」を語り草にする者も現れるだろう。

――言っておくが、わたし五輪ボランティアに待ち構える前述のような問題点擁護する気はいっさい無い。

が、人間は往々にして、ブラック雇用はいやだという実利より大きなイベントの一員になれるという物語を取ってしまう側面があることを指摘しておきたいのだ。大東亜戦争なんてのはまさにそんなノリ(場の空気)で国民に支持された。

常識的に考えれば、1941年当時、すでに4年も続いていた日華事変が一向に決着しないまま、さらに米英と開戦なんざ無謀の極みなのに「白人帝国主義との歴史的聖戦」という物語に、当時のマスコミも津々浦々の亜インテリ層もみずから乗ってしまった。

ファシズム参加者にとって、ファシズムは超絶めちゃくちゃに楽しいである

現代ビジネス

私が大学で「ナチス体験する」授業を続ける理由

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56393

20年前の夏にわたしが一日だけ連れて行かれたネットワークビジネス団体リバティコープ」の集会もこんな感じだったよ。会場内の自分らこそ新時代エリートで、自分らはまったく新しい大事業を興そうとして一致団結してるという熱烈な一体感と高揚感、彼らは最高に楽しそうだった……そのノリについて行けなかった俺にはひたすらウザかったけど。

インテリがこうした大衆動員バカにするのはたやすいが、動員された当事者には動員の「魅力」「楽しさ」があることは事実なのだ

サマータイムという夏祭り国民規模のカーニバル

ボランティアは建前上、志願者のみで成り立つ。だが、サマータイムとなれば国民全員が自分意志関係なく巻き込まれて強制参加だ。

しかし、まさにそれゆえにこそ、ボランティアに志願せず受動的に過ごしてるだけでも「巨大なイベント当事者になった非日常的な気分」が味わえる。もしサマータイムが恒常化した暁には、「国民的恒例行事の第1回に参加した」という歴史的体験当事者になれる、これに喜びを感じる人間一定数いてもおかしくはない。

というか、現代日本人はもうすでに「歴史的国民共通体験」の味を一度覚えてしまっている。こう書けば猛反発を受けるだろうが、2011年東日本大震災は、多数の犠牲者を出して大きな爪痕を残した一方、それゆえにこそ国民が一体感を抱く「大きな物語」として機能した。

原因こそ大災害という不幸なものであるが、多くの人々がボランティアに参加したり義援金を送ったり、国民の間に強い一体感が生まれた側面は確実にあった。311後の計画停電の期間中秋葉原オタク向けショップでは節電協力を示すため「ヤシマ作戦実施中」という看板を掲げていたものだ。

だが本来、大きな苦難ゆえに成り立つ一体感など、無くて済むならなくて良い。

国民全体を動員する「大きな物語」は国民総スカンを食らう危険とも表裏一体だ。しかし、逆にもし国民世論サマータイム反対が多勢となった場合、それに応じて首相鶴の一声サマータイム撤回すれば、政権支持率アップも期待できる。そうなればまったくマッチポンプしか言いようないが、これは単なる現状維持ではなく、良くも悪くも国民全体を巻き込む「新しい提案」を持ち出した与党の勝ちである

現時点でサマータイム反対派の多くは、IT機器タイムスケジュール切り替えに関わる膨大な手間やバグ危険性、急な睡眠時間の切り替えによる健康障害、早く出勤したのに早く帰れない可能性など「実利」の面での問題点を指摘している、これはとりあえず正しい。だが、前回6月1日エントリ共通する問題点ながら、反対派の弱さは「ボランティア参加やサマータイムよりも楽しく魅力的な物語」を提示できていないことではないか?

多数の人々を動員させる「物語」をナメてはいけない。かつて大東亜戦争の末期、日本はいくら食料や燃料が欠乏して兵士や銃後の労働者健康悪化しても、それら実利面での損失は、白人帝国主義に対する聖戦完遂・悠久の大義がどうのこうのという「物語」を論破して撤回できず、昭和天皇聖断が下るまで戦争を辞めることができなかった。

――ま、俺個人は元より勤め人ではないから毎日決まった時間に起きることはなく、でも例年夏季冬季より少し早起きなんで、どうでもいいっすけど(ギャフン

2018-06-01 春のから騒ぎ

真面目左翼なんJ民に劣るワケ

某所でほぼ同じような話を書いたのだが、なんJ民のヘイト動画通報祭りについて。

ヘイト動画消滅させた「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命だったのか? | ハーバービジネスオンライン

https://hbol.jp/167028

上記記事陳腐凡庸さには呆れざるを得ない。「差別動画が消されまくって結構」「ついにネット民正義反差別)に目覚めた」って、都合よく自分の願望に合わせた解釈を述べてるだけではないか。

確かに、ヘイト動画通報しまくってるなんJ民には、純粋正義感で行動している者も一定数いるだろうし、みずからが深刻な差別当事者である本物の在日も含まれている可能性はあるだろう。また、思想性抜きに、ヘイト動画によるGoogle検索結果のサムネ汚染うんざりしてBAN祭り賛同している人間一定数いる模様だが、それらだけが多数とは思えない。

なんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機本質的に、(1)無思想面白主義、(2)反良識逆張り根性、ではなかったか

なんJ民の大多数はヘイトウヨ動画通報祭りを「楽しんで」やってるはずだ。

そりゃ楽しいだろう。

バンバン動画が削除されて目に見える成果が上がってる。

しかGoogleyoutubeという国際的企業お墨付きだ。BAN祭り支持者のなかには、ヘイトスピーチ批判した安倍晋三お言葉を掲げている者もいる、つまり今回の件は「権威」を味方にすることに成功している。権威を笠に着て嫌な相手を困らせられるんだから、そりゃ楽しいわけだ。

――従来の反差別左翼リベラル派は、このようなネット民快楽意識に訴える戦略をできなかったのが最大の失敗だ。

正義感だけで多数の人間は動かんよ。

そもそも、余命三年みたいなブログヘイト動画蔓延するのは、観客に「俺は日本人というだけでエラい」「ネットで真実を知ったぞ」ってな優越感の快楽をもたらすからだ。

俺はもう10年も前からずっと言ってるぞ、左翼は快楽原則で負けてるって。

左派で、山野車輪はすみとしこ匹敵する下世話な(しかし読者に優越感はたっぷり与えてくれる)エンターテイナーは出てこないのか?

「春のBAN祭り」の真の画期性?

ところで、先になんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機として「反良識逆張り根性」を挙げた。

もともと、2ちゃんねるを中心にしたネット世論で、在日韓国人公然差別したり、左翼リベラル派の説く人権ヒューマニズムあざ笑うような右翼的言辞が広まった背景は、テレビ新聞などメジャーマスコミにおいては、反差別左翼リベラル派こそが主流であることに対するアンチ意識だった。

ところが、今やネット世論においては公然差別的な態度の方が主流、そこで今回の件のように「反ネトウヨ」こそが、反良識逆張り根性が噛みつく対象となったのではないだろうか?

もし本当に今回の事件日本ネット文化史における歴史的転換点などと言える要素があるとするなら、「皆が反差別正義に目覚めた」なんて話ではなく、むしろ「一回転して『反ネトウヨ』が逆張り厨の対象になった」という点かも知れない? と感じている。

今回、左翼リベラル派がなんJ民を反差別の闘士のように持ちあげるのは、終戦直後日本共産党アメリカ占領軍を「解放軍」だと思ったのを思い来させる。そんなもん、勝手自分の願望を投影したに過ぎない。

そういや30年近くも前にも、よく似た図式を見たな。ゲイを題材にした映画若い女性客が多数集まるんで、BLとか腐女子存在理解してない反差別の闘士が、左翼リベラル派の雑誌とかで「そら見ろ、若い女性の間ではこんなにも同性愛への理解が進んでるぞ」とドヤ顔してた図だ……1990年代初頭には、本当にそんな勘違いがあったんですよ。

無思想一般人を惹きつけた者こそ勝ち

断っておくが、わたしなんJ民を批判する気はない。むしろ、今回ヘイト動画潰しという意味では駄目な左翼よりよほど役に立ったのを、無思想面白主義という動機まで含めて評価したいのだ。

かつて2012年には「李田所事件」というのがあった(詳細1詳細2)。

このときのネット民の反応の多くは「ネトウヨ淫夢厨に釣られてるw あーあバカだなwww」といったものだったろう。

悲喜劇的だったのは、引っかかった人たちに「李田所」の正体を知るや、「このデマを流したのは中核派だ」とか言い出す者がいたことだ、この世には自分らと敵(反日左翼)の2種類だけしか人間がいないと思い込む発想!

いやいや、世の中の大多数は、右翼でも左翼でもない、自分快楽原則に沿うかが判断基準一般人なんだよ。

この李田所デマにしても、今回の春のBAN祭りにしても大真面目な愛国者の皆様は、左翼でも在日でもない無思想面白主義に足元をすくわれたのだ。

わたしは李田所事件のときの淫夢厨や、今回のなんJ民のような無節操こそ、単純な左右対立図式を相対化して解体するものとして歓迎する。

左翼リベラル派が大真面目にネトウヨ批判したって、それを読んでくれるのは元から左派だけだ。ところが、淫夢厨は明確な思想なんてない一般人多数に「ネトウヨバカ」というイメージを広めるのに大成功した。こっちの方がずっと効果は高いだろう。

無論、淫夢厨やなんJ民は、状況次第では左翼リベラル派もおちょくりの対象にするだろう。別にそれで大いに結構だ。

右派左派非対称性

さて、BAN祭りで痛い目にあった右派の間では「同じように左翼動画通報して削除しまくれ!」という声も挙がっているが、左派陣営から違法動画が大して出てこなかったらしい。これはなぜだろうか?

左翼の方が倫理観が高いとか阿呆なことを言う気はない。

ここで右翼左翼非対称性問題になる。

以前も述べたが、左翼はもっぱら思想の中身という意志的な属性依拠し、右翼はもっぱら人種民族国籍といった先天的属性依拠する。

そう、右派自分の敵への批判個人の主張への批判ではなく、やたらと人種民族国籍全体の問題にしたがる。

「○○は在日→だから悪」「○○人は日本人より下等」式の主張は、民族国籍という大きな属性問題に話をすり替えているだけで、相手の主張の中身に対する正当な批判にはなり得ないから、不当な差別と見なされるのだ。

恐らく、今回のBAN祭りに憤った右派には、「なんJ民は在日」と言ってやれば論破したことになると思っている者も少なくないだろうが、そんなものは「お前の母ちゃんデベソ」レベルの罵倒しかならない。

から、ここで右派youtuberに、削除対象にならない保守動画の作り方のヒントをアドバイスしてやると、「日本左派人士や、中国政府韓国政府北朝鮮政府の『主張の中身、行動の中身だけ』を批判しろ」ということである。「理路整然とした保守」というのはそういうもののはずだ。

まあでも、人種民族国籍とかいった属性だけで自分が優位と思えるのが右派思想の魅力なんだから、それを押し殺すのに乗り気はしないだろうね……。

追記:ヘイト動画削除は資本主義論理

そういえば、初歩的問題すぎて書かなかったが、ヘイト動画BANの妥当自体について。

今回の件を「不当な言論弾圧だ!!」と怒る右派は多い。また、ネトウヨ思想共感するわけではないが、とにかくネット言論の自由尊重する立場から動画BANに懸念を示す者も一定数いる。

しかし、この手の人たちはyoutubeを、誰もが自由に使えるその辺の道路のような公共物とでも思っているのだろうか? youtubeGoogleという「私企業」が経営する媒体だ。youtube公共道路ではなく、私有地を人に貸しているだけなのである

そして、Googleヘイト動画NG判断するようになったのは、動画広告主がヘイト思想賛同者と見なされるのを忌避するようになったからだ。

まりGoogle純粋広告主のイメージを守らないと自社の利益が損なわれるという経営判断で、ヘイト動画をBANするようになったのである

youtubeヘイト動画削除はいっさい左翼思想ではない。むしろ資本主義論理だ。

右派には資本主義批判する国家社会主義者もいるが、今の日本の真面目な愛国者様の大多数は新自由主義肯定してらっしゃるように見受けられる。だったら、自由競争原理に即した切り捨ては当然の正義ではないですか。

youtubeGoogle私有地という基本中の基本を理解せず、「言論の自由ガー」とか言ってる人たちは、ぜひとも自分らの力で、ヘイト動画も含めてどんな言論OK動画投稿プラットフォームを構築してください。ただし、その動画サイトなんJ民や淫夢厨に汚される可能性も充分ありますが……。

2018-01-30 暴力(テロ)肯定の思想

テロは正しい」と言う者は(一貫性だけは)正当

なんか、最近右派には「赤報隊事件義挙」と堂々と公言する者が一定数いるらしい。

赤報隊支持者の皆さん。

https://twitter.com/lautream/status/957223790726955008

#NHKスペシャル解決事件

https://twitter.com/japonistan/status/957585309646036998

これについて大真面目に批判する良識派は少なくないのであるが、当方としてはこういう恥じることないテロ肯定意見には、皮肉な小気味よさを感じる。

おそらく右派赤報隊事件に対する見解としては

 (1).朝日新聞なんてテロられて当然だから義挙

 (2).愛国者テロなんかするわけないサヨク自作自演

 (3).主張内容は正しいが手段テロ)は間違ってる

の3通りがあると推定される。

普通に考えれば比較的まともに思えるのは(3)だが、この見解の支持者はどの程度いるのだろう? そして、(1)と(2)のいずれが多数なのか気になる。

以前も述べたが、かつて、2003年朝鮮総連に対して建国義勇軍国賊征伐隊事件というものが起きたときは、なぜか方々で脊髄反射のごとく「朝鮮総連自作自演」説が唱えられた。

非暴力とか平和主義を唱える左派テロ反対と言うなら矛盾はない。しかし、大東亜戦争肯定したり、敵対する国への武力行使を躊躇するべきではないと主張するタカ派が、自陣営テロ他人事のような顔をするのは何か欺瞞ではないか

昨今、保守とか愛国標榜する人々には「自分ら=社会秩序を守ってる良い子」「左派権力文句をつけたりする悪い子・異端」という意識があるようだが、戦前血盟団事件、515事件226事件戦後1961年に起きた三無事件山口二矢浅沼稲次郎刺殺、野村秋介による経団連放火事件三島由紀夫楯の会事件など、日本近代史上では右派テロも数多く起きている。

断っておくが、わたし自身テロ肯定する気はないし、自分テロられるのは嫌だ。しかし、思想一貫性という点に関してのみ言えば、極右タカ派武力肯定するのは正しい。個人的な好みを言えば、テロをするような「悪い子」は僕らの仲間じゃありません(=サヨク自作自演に違いない)というような優等生意見の方こそ気持ち悪い。

くり返すが、わたし個人テロ肯定する気はない。だが、「赤報隊事件義挙」と語る方は、自分テロられるのも当然アリとお認めになられたうえでの発言なんですよね。「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」の原則に従うならば。

体罰の発想は解決にならない

上記の件とはまったく関係ないが「暴力について」という一点のみ共通の話をひとつ

わたし普段このブログはいろいろ偉そうなことを書いているが、実人生においては非常にしょぼいダメ中年(←いや初老)男である、そのへんを自白する。

つい先日、一方通行の狭い道路トラック路上駐車していたために通れず、安易かんしゃくを起こして思い切りトラックを蹴飛ばしたら、中にいた運転手に怒鳴られた。経緯はどうあれ、他人の所有物(業務用の車両)を破損させたら悪いのはこちらであるから、平謝りである。48歳になってこれかよ、阿呆か。

数年に1度はこの手のポカをやらかす。3年前には、自分が住んでるアパート帰宅したら新聞勧誘員が通路をふさいで、隣室の住人が一生懸命に断っているのに講読を迫っていた。そこで勧誘員の腕をつかんで、「どけよ、あんたがそこにずっと立ってると俺が自分の部屋に入れねえだろうが」と怒鳴ってやったら、隣室の住人には強気だった勧誘員が、途端に泣きそうな声で「何するんだよぉ」とわめきだした。

この手のトラブルになると、わたしはよく平謝りしたうえで、それでも相手が不機嫌そうならば「わかりました。そんなにムカついてるならわたしのことを一発ぶん殴って良いです」と言うのだが、相手がそれで納得したことは1度もない。先日、この阿呆な考え方が何なのか、やっと自分でわかった、48歳にもなって。

要するに、暴力による解決は、体罰の発想なのだ

中学高校で何かポカをした生徒は、教師や先輩に殴られる。ただし、金銭による弁済は求められない。だが、大人になると、余程の体育会系ブラック企業でない限り、体罰ではなく金銭で弁済するのが通例となる。ところが、学校ではこれを教えない。

わたし中高生だった1980年代当時、九州学校では教師も先輩も息をするように体罰を使った。わたしはそれが大嫌いだったはずなのに、無自覚のまま「悪いことをしても、殴られればチャラ」という考え方が内面化されていたのだ。ああ、阿呆か。

そう、体罰の発想は真の反省を生まず、ただ「悪いことをしても、殴られればチャラ」という開き直りになりかねない。暴力解決にならないのである

もちろん、わたしのような社会人失格のダメ中年(いや初老)ではない大人のみなさんは、とっくの昔にみんな気づいていらっしゃるだろうけれど。

2018-01-02 あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

2017-12-30 それでは皆様よいお年を

2017年最後の挨拶とか年間ベストとか

なんか毎年同じこと書いてますが、勤め人と違って年末年始も休めず(零細フリーランスなんで)、本年も仕事と関係ない読書とか映画観賞の余裕は乏しかったのですが、とりあえず本年の年間ベスト

1.映画キングコング 髑髏島の巨神』

2.映画マグニフィセント・セブン

3.ノンフィクション『人民は弱し 官吏は強し』『明治・父・アメリカ

4.エッセイ『マジメとフマジメの間』

5.TVドラマひよっこ

6.ノンフィクション明治天皇 「大帝」伝説』『明治天皇という人』

7.漫画マッハSOS』桜多吾作

8.対談『腰抜け愛国談義』半藤一利×宮崎駿

9.対談『創造元年1968』押井守×笠井潔

10.水道橋重工 VS MegaBots

列外.呉智英 × 中田考

1.映画キングコング 髑髏島の巨神』

監督ジョーダン・ヴォート=ロバーツhttp://wwws.warnerbros.co.jp/kingkong/

公開前『地獄の黙示録』のような怪獣映画と聞いていたが、むしろ『シン・レッドライン』も入ってた印象、なるほど1970年代が舞台という設定なら、WW2の生き残りを登場させることができる。ほぼ完全に「1970年代小学生」の気分で楽しめた快作。

本作のキングコングは都会へ来ないわけだが、おかげでもの悲しくならない。代わりに滅びゆく者の悲哀を背負う役回りが、サミュエル・Jの老軍人だったのだろう。

2.映画マグニフィセント・セブン

監督アントワーン・フークアhttp://www.bd-dvd.sonypictures.jp/magnificent7/

本作の元になった『荒野の七人』は、『七人の侍』とは違った意味で結構好きだった。メンバーがみな基本的に個人主義者で、ラストではなんと一度村人を見捨てつつも、自分の意志を貫徹するためやっぱり戦うのがアメリカらしい。

本作は村人との共闘に力を入れている点、むしろ『荒野の七人』より『七人の侍』に近い。ゲリラ戦機関銃を持つ地上げ屋を撃退する展開は、ある意味で「ベトナム側の視点に立ったベトナム戦争映画」ではないだろうか。

7人のガンマンが白人ばかりでなく、黒人、アジア系ネイティブインディアン)も入りまじっている点は、何やらサイボーグ009みたいだ。これは当世ゆえのポリティカル・コレクトネスというより、実際の当時の西部にもあった光景らしい。

3.ノンフィクション明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』

星新一:著(isbn:4101098174)(isbn:4101098166

星新一自身による、その父で星製薬経営者だった星一の一代記。前々から内容は知っていながらずっと未読だったが、今さら読破。今年は浅羽通明の「星読ゼミナール」(https://twitter.com/asabam1)に何度か参加した影響で。

渡米時の星一と野口英世の同郷(福島出身)から生じた交友、官僚後藤新平右翼活動家杉山茂丸らとの人脈関係などのはほか、興味深い歴史証言も多い。

たとえば、『明治・父・アメリカ』での、19世紀末のアメリカについての印象の記述。

「公徳心のみごとさは、日本から来る者の誰をも感心させる。街の郵便ポストが一杯になると上にポスト郵便物が置かれるが、誰も郵便物を持っていかない。さらに近隣住人が自発的郵便物が濡れないように覆いをかぶせる。公園の芝には柵もなく立ち入り禁止の立札もないが、子供さえ足を踏み入れない、勝手に花や葉を摘む者もいない。セルフサービスの食堂では、出口で食べた物を自己申告して支払うが、食べた物の内容をごまかす者はいない。」(186p)

渡米中の星一がこれらに感心しているということは、つまり当時(明治30年代)の日本人はこの程度のマナーが身についてなかったということである

結局、星一の築いた星製薬は数々の画期的ビジネスアイディアを持つ大企業となりつつ、官僚の圧力で衰退した。恐らく、明治期から戦前には、星一と同じく現在は名前の残っていない「消えた立志伝中の英雄」が山ほどいたんだろな。

4.エッセイ『マジメとフマジメの間』

岡本喜八:著(isbn:4480428933

東宝が生んだ怪監督・喜八の単行本未収録雑文集、絶妙な歴史証言が山盛り。

たとえば、『日本のいちばん長い日』(1967年)撮影時には、本物の古いクラシックカーなら保存されているが、当時から見て「20数年前」の終戦前後の自動車の方が残ってないという裏話が(154p)。戦争末期、工兵士官候補生になったことで「タメになった事」は、疲れないシャベルの使い方、速くて正確なロープの結び方、一見担げそうにない重たい物の担ぎ方などなどだったという(310p)。

いかにも戦中派らしいのが、昭和20年1月に工兵学校に出発したときの以下の感慨。

「俺が銃やスコップを握って護るべき祖国とは、一体何だろう? 掴まえどころのない茫漠とした祖国では困る。俺の祖国は、手近で身近なものでなくては困る。ものごころついてからサンザ叩き込まれた忠君愛国とか滅私奉公といった美辞麗句だけでは、とても敵シャーマン戦車爆弾抱えてぶつかれない。」(303p)。これが『肉弾』(1968年)のモチーフなのは言うまでない。

5.TVドラマひよっこ

製作:NHK(http://www.nhk.or.jp/hiyokko/

向島の工場が舞台の前半、洋食屋が舞台の後半とも非常に楽しく、澄子と豊子の田舎者コンビなど端役の描写もよく描かれていた。ああいう若い連中が集まってわいわいやってる感じは、男子の集団、女子の集団を問わず良いもんです。

本作品のストーリー内容や役者の演技へのほめ言葉はあふれ返っているので、当方はどうでもよい(ある意味ではぶち壊しな)ことを述べる。

本作の第一の偉業は、「団塊世代学生運動」という、ありきたりの偏見をひっくり返したことだ。劇中で主人公のみね子らはほぼ団塊世代、しかしみんな高卒、中卒で集団就職して学生運動とはまったく無関係だ。1960年代大学進学率は20%もないんだから、学生運動と無縁の奴の方が世の中じゃ圧倒的多数なんだよ!! ネット団塊世代と聞けばすぐ全共闘と絡めて叩く奴は何なのか?

本作の第二の偉業は、「戦後の女性の社会進出=左翼フェミニズムのせい」という、これまたありきたりの偏見をひっくり返したこと。劇中のみね子もその友人も、当時の女子はみんな単純即物的に家計のため田舎から都会に就職している。世の中じゃそっちの方が圧倒的に多数派だったんだよ。

6.ノンフィクション明治天皇 「大帝」伝説』『明治天皇という人』

岩井忠熊:著(isbn:4385357870

松本健一:著(isbn:4620320145

本年、仕事のため読んだ本の中で印象深かった2冊。

明治天皇 「大帝」伝説』では、今日では信じられない話だが、明治のはじめには、旧武士階級はともかく庶民の間にはとんと天皇崇拝が根付いてなかったことがわかる。明治9年東北巡幸にまつわる記述がこんな感じ。

「この地方巡幸に随行していた新聞記者岸田吟香の記録によれば、各地で貧しい身なりの民衆が目立ったばかりでなく、道すじであぜ道に足を投げだして珍しい見物でもするような者や、泥まみれの姿で昼寝しているところをたたき起こされてそのまま出迎えに加わる者、丸裸の赤子に乳を飲ませる婦人など、概して天皇に対する敬意を欠いた当時の民衆の模様も知られる。」(41p)

明治天皇という人』では、大日本帝国憲法の制定時には、当時の反政府的な民権論者よりも、むしろ復古的な保守派からこの憲法が叩かれまくったことがよくわかる。明治天皇家庭教師だった儒学者元田永孚などからすれば、古代律令制の復活こそ理想で、憲法の制定自体が西洋かぶれの所業なのだ

だいたい、明治天皇といえば西洋風の軍服のイメージが強いが、そもそも明治維新尊皇攘夷という儒教思想から起きた革命で(吉田松陰儒教の一派である陽明学者)、明治天皇の基礎教養は東洋古来の儒学なのである中国韓国儒教国家だからケシカランとか言ってる、ケント・ギルバートのような坊やはニワカでしかない。

わたしが執筆に関わった『明治天皇 その生涯と功績のすべて』(isbn:4800273110)では、その辺をきちんと書いのたけれど、ほとんど売れず話題にならなかった。が、東洋史の大家である小島毅先生も『儒教が支えた明治維新』で、だいたい俺と同じようなことを述べてくださっている模様。

7.漫画マッハSOS』

桜多吾作:著(isbn:477591474X

1970年代末、秋田書店の『冒険王』に連載されてたオリジナル作品。不良上がりの少年少女を集めた航空隊を描くスカイアクション主人公がAI搭載の核ミサイルと戦闘する最終回ラストが鮮烈で、長年古本屋で探していたが結局、復刊版を入手。

桜多といえば永井豪門下だが、いかにも当時のダイナミック・プロらしいバイオレンスが炸裂、10代のパイロットたちが自衛隊タカ派陰謀に巻き込まれてあっさり戦死したり、極左過激派とガチの銃撃戦を行なったりする。よくこんなもんが小学生向けの雑誌に載ってたな。なかでも、人工島ほどもある超巨大空母少年少女が占拠して独立国を名乗る「独立国ファイヤーバードアイランド」のエピソードは、まさに『沈黙の艦隊』を10年先取りしているうえに、よりスケールが大きい。

8.対談『腰抜け愛国談義』

半藤一利×宮崎駿isbn:4168122018

現在では半藤一利といえば「旧帝国陸海軍の悪口ばかり言ってる人」と思ってる者も多いようだが、その発言の背景には世代体験プラス海軍将兵への膨大な取材がある。一方、宮崎駿のなかでは技術を偏愛するクラフトマンシップによって、「左翼」と「ミリオタ」が矛盾なくつながっている。そんな両人のクロスオーバー

海軍軍縮条約のため余った鉄材で隅田川の鉄橋ができた(99p)、帝国海軍が親米英から親独になった真の理由はドイツ軍ハニートラップ工作(174p)、帝国海軍では聴音探知の成績優秀者をよりによって潜水艦ではなく大和などの大型艦に乗せてしまった(238p)などの証言はなかなか興味深い。

9.対談『創造元年1968』

押井守×笠井潔isbn:4861825962

昨年秋の刊行物だが、本年の頭にやっと読了。両人とも、国家も現実も身体もコケにして観念や実存をこそ信じるという、まあ見習ってはいかん全共闘オヤジの典型。とはいえ、たまーに近代の常識を相対化する鋭い発言があるからあなどれない。

「近代以前は、土地争いなどのいろいろな争いは当事者同士で決裁できました。仮に殺人事件が起きても、殺した側と殺された側で話がつけばそれでいい。もしも妥協が成立しなければ、被害者加害者に報復できる。ところが絶対主義国家が形成されると、犯罪被害者への犯罪ではなく、王への犯罪ということになります。加害者被害者が直接に話をつけることは、もはや許されない。もちろん報復も。」(107p)

10.水道橋重工 VS MegaBots

https://robotstart.info/2017/10/18/kuratas-megabots-battle.html

https://www.youtube.com/watch?v=Z-ouLX8Q9UM

実写版機動警察パトレイバー』にも登場した実在の重機風ロボの「クラタス」が、同じくアメリカロボットオタクマシンと殴り合う。ただそんだけのことに、太平洋を挟んでいい歳した大人同士が大真面目に取り組む過程こそが感動的なのだ。良いプロレスを見た。

列外.呉智英 × 中田考

https://togetter.com/li/1158175

11月3日に開催されたイベント。儒学と天皇制を語る封建主義者とコーランを奉じるイスラム法学者という謎の組み合わせ。案の定、話が噛み合っていたかといえば微妙。そこを「100年前のトルコ帝国では日露戦争に勝った日本を尊敬する人が多かった、それで『きっと明治天皇イスラム教徒だ』と思い込む人がいた」という話でつなげた浅羽通明先生の仕切りが絶妙。

本年、書き落としたことなど

回顧と展望

例によって、仕事が残ってるんで「今年も終わった」という気はほとんどないのですが、ひとまずまた歳を重ねられたことに感謝。

本年はケネディ大統領暗殺の真相が予定より20年ほど前倒しで判明するかと思ったら、楽しみが先延ばしになりやがったので(どうせ判明したらしたでつまらんオチだろうけど)、しぶとく長生きしたいです。

それでは皆様、よいお年を