電氣アジール日録

2004-08-14 敗者「皇道派」の弁明

昨日、今の差別しかない自称極右は、現状の自己否定につながる大東亜戦争は肯定するのか?と書いたが、実はそれは一種の挑発であって、ある意味では、本当はわたしはそんなことはどうでもよくて、もっと根源的な論点がある、と思ってる。

そりゃ何か、というと、思想の左右とか以前の「人間観」についてというのかな。

わたしは「つくる会」の幹部を支持してました

98年頃当時、わたし自身はどういう立場だったか、古証文を引っ張り出す。

"当時"わたしは、新しい歴史教科書をつくる会に与した大月隆寛氏を擁護する論を張ったことがある。

http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log1051.html

上記の文章を書いた背景は、当時わたしがやってた掲示板大月隆寛氏が出入りしてたのを見たある人物が、つくる会に批判的な佐藤亜紀女史の文章を無断引用して、

http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log511.html

大月氏がこれにレスをつけたら

http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log551.html

今度はそれを佐藤亜紀女史に垂れこみ、佐藤亜紀女史が下記の一文を書いた

http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/tamanoir/mdata/monk26.htm

ことへの返答になってる。(背景の説明だけで随分とややこしい)

わたしが佐藤亜紀女史に書いた意見には、今生きてる俺らは、それが良くても悪くても、爺さんの世代や親父の世代があって、それが切り拓いた歴史連続性の積み重ねの産物なんだから、たとえ爺さん世代が現在の視点から見ておかしくても、それを他人事のように批判する左翼歴史観は無責任でおかしいんじゃないか、という考えもあった。

(ただし後、『正論』の巻頭コラム連載で、どうもこの佐藤亜紀女史は本当に頭の中が半分ヨーロッパ人みたいで、俺個人としては性に合わないかも知れないが、反世間主義者としては骨のある尊敬に値する人でもあるとは大いに認めるに至った)

"当時の"大月氏のこの発言とか、今読んでも、結構いいこと書いてるとも思える。

でも、「タテマエ」は全て偽善だ、てなことだけ言ってちゃ

てめえひとりの安心立命はできるだろうけど、

「人の為に善いと書いて偽善」(by濱田マリ)なわけで、

それが偽善であれ何であれ、

「人の為に善い」とされる「タテマエ」がひとまずないことには

そこから先の、それこそみなさんお得意の「ツッコミ」だって

入れようがないでしょうに。

でも、偽善を暴き続けるだけで人間、ずっとやってける人ってのは

良くも悪くもそれが可能な恵まれた条件にある人だけだと思います。

まして、学校という場で教師という仕事に要求されるのは、

そういう「タテマエ」の「偽善」であっても

人間が生きてゆくには必要なんだ、ってあたりも含めて

身にしみるように教えることのはずで、

"当時の"大月氏のこの発言は、戦後民主主義左翼歴史観は、国家戦争もとにかく悪いとばかり教えるが、じゃあ何が良いのか? これでは主体の無いニヒリズムしか残らないではないか、だから、タテマエだと自覚しつつも、日本を、歴史を肯定するタテマエを建設しようぜ、という志向だったのだろうと思っている。

あらかじめすり替ってた(と俺には思われた)保守革命

しかし、当時はオフレコと言われたけれど、今じゃもう時効だろうから暴露するが、1999年頃"当時"大月隆寛氏はわたしを含む周囲の人間に、つくる会内部で小林よしのりの急速な右旋回をどうにか舵取り修正しようと苦労してるが、会内部の人間関係が難しくうまく行かない、と困惑を吐露していた。

これはより正確にいえば、"当時の"小林よしのりの急速な大文字大局論化、ということであろう。

"当時の"大月氏は自虐史観イデオロギーを批判したが、だからって別に「大東亜戦争は亜細亜解放の正しい良い戦争で云々」というイデオロギーを唱えたかったわけでもなかった。

どうもわかりにくいだろうが、大月氏は、庶民大衆のイデオロギー化される以前の生活実感に基づく本音みたいなもんを重視する立場で、だから戦争評価にしても、左翼史観の教科書じゃ、まるでただ「戦時中の日本兵=残虐な軍国主義の走狗」と人格などない悪者扱いだが、そりゃさすがにおかしいだろ、個々の兵士はみな普通の人間だったはずだ、「戦争=とにかく悪い」というが、じゃあなぜそんな戦争が起きた、そりゃ民衆自身の中にも戦争の楽しかった奴は多くいたからに決まってるだろ、だから戦争に関わった個々別の人間像をちゃんと見よう、という視点だったのだろう。

それこそ、後に大月氏はつくる会をやめた後2000年に刊行した『あたしの民主主義』に岩下俊作のナイスな名文を引用してる。

とつぜん柴崎が、日本中が貧乏しとる、どうなるんだろうと不景気の奴にいじめられてビクビクしとる。どうなるんだでは駄目だ。どうとかしなけりゃ、こんな元気のない日本をしっかりしろと殴りつけんことにはいかんじゃないか。

戦争! いいなあ、にやけたモダンボーイが消えて了うだけで景色がいい。

――岩下俊作『青春の流域』

邪悪な戦犯でもご大層な英霊でもない、こういう、戦争に与した何の変哲も無い庶民の本音の声を繰り込んだ歴史観を持とう、と、大月氏は言いたかったのだろうと思う――と"当時"わたしは勝手に受け取り、そこに共感てしたつもりだった。

しかし、こういう「ミクロな人間観」への視座というスタンスは、とにかく「戦争は悪い日本は悪い」あるいは「いや日本戦争は正しかった」と簡略に集約できる、大局的な大文字イデオロギー的物言いに比べ、勢いが無いし、地味で、わかりにくい。

小林よしのり自身はそもそも、戦争に参加した爺さん達が、左翼史観では一方的に「戦時中の日本兵=人格などない悪者」とされるのに、いや爺さん達だって本来個々には愛すべき普通の人間の筈じゃないか、と思想以前の「ミクロな人間観」から疑問を抱き(その義侠心自体はまったく正当だろう)つくる会の運動に乗った筈だったが、会に集まる人々、西部邁なり西尾幹二なり藤岡信勝なり「イデオロギーの専門家」の「ノリ」などに浮かされ、勢いづいて当初の「ミクロな人間観」より、「大東亜戦争は亜細亜解放戦争日本は正しかったのだ」という大局的な大文字イデオロギーの方に大いに比重を傾けてしまった。

しかしこれでは、人間観ではなくイデオロギー先にありき、ってことじゃ左翼側と同じともいえる、だが、若い学生は、圧倒的に「ミクロな人間観」をすっ飛ばして(これは若い人ほど、人生経験がない分、人間観への想像力が足りないのもあるだろう)大東亜戦争肯定(=日本は良い国正しい国→そこに生きてる自分も良い子正しい子)のイデオロギーに飛びついてしまった。かくして、いわゆる「コヴァ」大発生、とまあ、そんな自体にどうしたものか、俺の志とずれてきちまった、と……と大月氏は頭を抱えたのであろう。

(ただ、これにには、つくる会幹部の中で、大月氏は唯一、右であれ左であれ、今さら大局的大文字の歴史観や政治思想を正面から大真面目に語るのは何かダサい、という価値観が主流を占めた80年代世代だったことと関係あるのかも知れない)。

結局、大月氏のスタンスっては、つくる会をやめた後の2000年に刊行された『あたしの民主主義』にまとめられてる。わたしは2000年"当時"それを勝手に補完解説するつもりで、以下のような文章を書いたこともある。

http://www.axcx.com/~sato/atamin.htm

取り残された90年代前半のナチス突撃隊

と、なんだか大月氏の話ばっか書いてきたが、わたし個人はどんなスタンスだったか。

まずわたしは、90年前後に、当時の別冊宝島(『おたくの本』『80年代の正体』他)の浅羽通明氏や大月隆寛氏の文章で、当時はエコロジーとか湾岸戦争反戦運動とかが、「こういう問題にも関心ある、知的な、ナウくて、カッコいい、正義の側」を気取るファッションとして流行ってたが、そういう社会問題を語り反体制言説を唱える前に、他ならぬ自分自身も資源を浪費する社会システム自民党アメリカの作った戦後の豊かさに乗っかって生きてきたことを自覚しろ、足場への当事者意識なきまま大局的大文字イデオロギーの正義を唱えるのは欺瞞だ、という指摘に触れ、かなり頭をガツンとやられたクチだった。

だもんだから、ああそうだ社会に文句つけるより順応して一人前にならないといけないんだ、と義務感で単直に過度に思い込み「俺は最底辺の人間だが社会に順応しようと努力してる、だってのに俺よりずっと学歴も収入も高いはずの人間が『俺が生き難いのは世の中のせい』とか甘えたこと言うな」という感じに、反管理教育運動とか、だめ連とかには反発してた(だがそれは、今にして思えば、自分は「だめ」で、脱落者で、と正直に吐露できてる人々への嫉妬だった面もあったと思える)。

しかしこりゃルサンチマン反動右翼である。余りその度がひどかったんで、畏友bakuhatugoro氏などからは「お前みたいなのが、関東大震災が起こった時、自分自身が市民社会の多数派から疎外されるが怖さに、極端に多数派に順応しようとして、率先して朝鮮人虐殺に走るんだ」などと言われたものである(→ココ、わたしは左翼だと思ってる人は驚いてくれ)。だから、それではさすがにいかん、と、人間観を修正、回心したつもりでいる。

ところが、90年代後半、昨日書いたような流れの果て、いつの間にか時代は一回転して、なんだか世は差別全開のルサンチマン右翼オッケーになってしまったように見える。だが、そうすると、今度は何かがすりかわってしまったようで、今さら乗れないのである。

(というか、表面的な左右は別にして、構造自体に関して言えば、90年代前半、未熟な若者がどっかの大人を悪者にしてエコロジーや湾岸反戦を叫んだのも、昨今の若者の「日本は一切正しい自分は一切正しい、あいつらだけが全部悪い」という反日勢力批判の思考も、それを言ってる自分の足元直視はすっ飛ばして、どっかの悪者を批判して、いっぱし「正義」を身につけたつもり、って点じゃ変わらんように思えている)

先日書いた「ロリコン萌えオタなんかむかつく」も同じ構造を感じてる。90年代前半、まだ宮崎勤の事件の記憶も強かった時期は、そりゃオタクとかロリコンとかいえば恥ずかしいもんでというプレッシャーがあった、だから、少女が好きでも、現実には断絶があることを考えざるを得なかったり、また自己正当化の理論武装に頭をひねったりが求められたわけだが、その格闘、葛藤がオタクの成長の契機、試練だったと思う。ところが、90年代後半以降、こんだけオタク産業が隆盛し欲望にド正直な萌え商品が堂々と世に溢れると、オイさすがに何か違和感あって俺は乗れない、というようなことである。

ルサンチマン右翼にさえなれないダメ野郎を

――と、以上を、これは要するに「俺が90年代前半屈折混じりに考えてたことを、最近の若い奴はてらいもなくストレートに言う、じゃあ俺が若い頃シタバタしてたのは何なんだ、悔しい」というボヤきじゃないか、とツッコミ入れることも可能である。また逆に「ああやっと俺が以前から思ってたノリの方が主流の時代になった」と、現状に乗る手もある。実際わが同世代にはそういう方もいるようだ。

ま、自虐的な言い方をすれば、わたしは負け組が好きってことなんだろうが、前向きに言わせて貰えば、わたしは欠落やルサンチマンを直視するのに誠実でありたい、ってことだ。

先にだめ連への感情を書いたが、さてダメ人間表現者の現代最新版でわたしよりずっと若い滝本竜彦には嫌な感じはしない。滝本は『NHKへようこそ』の冒頭で、「この世の裏は全部CIAだがユダヤフリーメーソンが操ってて云々」とかいう言説でもって、結局、俺が不幸なのもそのせいだ!とかいう陰謀説というものは、イケてない人間のルサンチマンの産物だ、としつつ、それを自覚しながらも陰謀説を求めてしまうダメな男の話を書いてる、それも決して他人事として「いやあ、こういう人っていますね、困ったもんですね」とバカにして笑う姿勢でなく、自らそんなダメさを楽しんでもいるし、笑えるものとして書いてる(と、そんな奴に自分から関わる女の子が出てくるのはやはり安易とは思うが、まあそれがなきゃ商品にはならんからだろう)。

滝本はルサンチマン野郎だが、だからって安易に「チョン氏ね」とか差別には行かない、行けない、俺が「自分でない悪者」を求めてしまうのは、俺自身がダメ人間だという事実を直視したくないからだ、というところまで目が行ってしまうからである。だが、それが自覚できるには、もう本当に逃げも隠れもようないくらいダメ人間であることが必要なのかも知れない。こういう滝本は不幸かも知れないが、誠実ではあると思う。

わたしもせいぜい、ルサンチマンを大局論にすりかえず自分の欠落に率直でありたいとは思う。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/15 14:37 また、古い話を持ち出してんなあ... あんまりツッコミすぎるのもあれだけど、「お前がやってんのは、ある意味震災後に朝鮮人を〜」ってのは、右、左って問題じゃないんだよ。例えば当時君は「世の中を支え動かしてるのは有能なエリートなのだから、自分のような無能な人間がわがまま言うのははしたない」「何の権威も地位もない人間が、自分の頭でものを考えるのは、独善でしかない」ってなことを常日頃から口にしていたと思う。自分を省みて分を知ることは大切し、徳目とも言えるけれど、君の言い方には自己否定(している自分は、他のそうでない人間よりも正しい)を主張することで、いたずらに弱者を叩いて回るような方向が確かにあったと思う。これは、実は左右に関係なく、例えば紅衛兵だって、新左翼の総括だって同じなんだよ。
で、ここを踏まえることが、ネットの保守化の話にしろ、ロリコン話にしろできてるのかっていうと、正直読んでてかなり怪しいなと思う。
とはいえ、じゃあ誰もが自分のエゴを自覚し引き受けて、それをすり合わせ調停する、なんてことが本当に可能かといえば、そんな強靭な「個」を持ってる人間なんて、実はほとんどいやしない。
「じゃあ、どうするか」ってことを考えるのが、これからやるべきことだと思うんだが、どうだろう?

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/15 15:01 あとね、敢えて「弱者」って書いたけど、人の優劣や価値にはいろんな基準や角度があって(優劣が無いとは言わない)、その様々なニュアンスを汲みつつ人に対するのが苦手だからこそ、思想や構造的把握によって人間や社会を理解してしまいたいって欲求を持つ人はいると思う。そしてだからこそ、そういう方向で目覚しい力を発揮する人もいるんだけど、そこが目覚しいだけに、根っこの部分の問題や隠し持ったルサンチマンから、「この人困るなあ」と感じる場合も凄く多い。
また、ハートが弱いために、対極的なところでリアリティのある判断ができず、「政治を考えるのには向かないな」って思う人もいる(だけど同時に、そういう人が自分の実感や、生存の主張をすること自体がいけないとは俺は思わない)
俺自身は、自分は政治的なところでリアルな発言をするには強さが足りないと思っているけれど、だから「個人的なものである」ことを引き受けつつ、「わからないこと」や「嫌なものは嫌」ってところには踏ん張ってこだわりたいと思ってる。長々失礼。

gaikichigaikichi 2004/08/15 18:23 はい「世の中を支え動かしてるのは有能なエリートなのだから、自分のような無能な人間がわがまま言うのははしたない」「何の権威も地位もない人間が、自分の頭でものを考えるのは、独善でしかない」みたいに”義務感で”思ってました。ところが、その少なくとも俺よりは「有能なエリート」「権威も地位もある人間」にも、冷静に見ても、ただのルサンチマン差別野郎にしか見えぬ奴があるとわかって阿呆らしくなったのであります。で、昨今のネット世論差別の横行は、叩く対象の向きが変わっただけで「紅衛兵だって、新左翼の総括だって同じ」にしか見えない、俺はもうそれには乗れない、という話なのです。

kikori2660kikori2660 2004/08/15 22:53 >(ただ、これにには、つくる会幹部の中で、大月氏は唯一、右であれ左であれ、今さら大局的大文字の歴史観や政治思想を正面から大真面目に語るのは何かダサい、という価値観が主流を占めた80年代世代だったことと関係あるのかも知れない)。

gaikichiさんの記述の、このほんの一部分が大月氏のスタンスを見事に象徴しているんではないかと思ったんですが。私は大月氏の著作を読んで彼のスタンスはある程度理解していたんですが、いわゆる親米VS反米論争でそのキッカケとなったつくる会委員の私的感情のもつれに関する記述などを見て、やっぱりこの人には限界があるなぁ、と思いました。教科書問題なんてのは、イデオロギー論争・政治運動以外の何者でもなくて、それに付いていけない人は脱落せざるを得ないんですよ。単なる学術論争じゃなくて、他の人、同じ日本国民全体を巻き込んで世論を喚起せねばならない。その中でイデオロギーに対して一歩引いて眺めている人なんてのは、自らの宗教の教義を信じずに布教している教祖のようなもんです。成功するわけがない。「大局的な大文字イデオロギー」だって偽善の一種なのにね。ただだから大月氏がダメ、ってんじゃなくて
>だが、その「歯切れの悪さ」は単なる責任逃避の価値相対主義とは確実に違う。安易に結論を下してわかりやすいスローガンに逃げず、地道に対象と付き合い具体性のある地に足のついた言葉を身につけろ、という民俗学者の心意気と受け取った。

こういうツッコミ能力、山本七平流に言うと「水を差す」能力の持ち主にいてもらわないと困る。だけど、それが世を動かすパワーになるかと言えば、ならないわけで。

で、全くの検討違いだ、と怒られるかも分からないけど例の岡田斗司夫の町山批判に関して、 bakuhatugoroさんの岡田批判さらにそれを越えての町山氏に対する苦言(?苛立ち?)と似ている気がします。これは私個人の勝手なこじつけですが。「自分は楽しくやりたいだけだ」というとスタンスの持ち主にとって、個の強さの実現を常に突き付けてくるbakuhatugoroさんって一番厳しくて嫌な読者じゃねーの?と思ったり^^;)。

gaikichigaikichi 2004/08/16 00:21 「自らの宗教の教義を信じずに布教している教祖のようなもんです。成功するわけがない。」物凄くごもっとも。そりゃ当然、圧倒的に「紅衛兵」化した若い人たちには負けますし、確かに「自分は楽しくやりたいだけだ」というスタンスの持ち主にもウケが悪いでしょう。しかし不幸にして、そこに違和感が生じてしまうのが習い性の人もあるわけで、誰も言わんなら、一応、誰かが言わねばならんかともは思うんですが。絶対にそういう意見が世を動かすパワーになることはありえなくても、相対化の一材料の途を世の隅っこに用意しとく役割として。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/18 14:01 kikoriさん。うっかり返信遅れました。
「状況を動かす力にはならない」まさにそのとおりで、俺自身は基本的で受身で、そうしたず太さに欠けている人間だと思う。保守体質のリベラル気分というか。
ただ、イデオロギーに頼らなくとも、政治は考えられる。いつでも、何でも、根源的、全体的に考える必要はない。
「文芸春秋」9月号の特集で呉智英が取り上げていた福田恒存の「平和論に対する疑問」の、「米軍基地の存続とその周辺で風紀が乱れ学童の教育に悪影響があることは別の問題」で、「ひとびとは教育問題を、平和論を支える一本の柱として利用しているだけで、じっさいに事態を改善しようなどという意図はもうとう無いのです」といった引用。
例えば今回のムーアの話で言えば、僕はこうした具体的、現実的な判断ができるような見識もなかったから「のれなかった」。
ただ、そのこととは別に、現実的に自分のエゴや立場を主張するとして、何を優先するかを自覚的に考え、引き受けるかは大切だ。
ただ、僕はそれが、己を棚に上げたイデオロギー的な熱狂や脅迫の中でなされるのが、どうにも嫌なんですね。
そこから距離をとって、自分や人間に向き合う為の構えや道筋の方に興味がある。
そうした「個」を超えた現実を、いかに受け入れるかということを含めて。
そういう意味で、これも福田恒存の分け方にならうと、僕は「文学」の方の人間なんだと思う。
政治的な「調停」に文学を持ち込むのは間違っているし、人間観自体を「政治」で割り切ってしまうことも間違っている。町山さんとのことで言えば、そこは確かにはっきり言いたかった点ですね。

大月氏については、骸吉君の書き方は身びいきが過ぎるというか、誠実な自己客観化が全く無い人だと思う。「場」とか「大衆」への自分の依存心も、80年代的な相対主義への根本的な疑いも突き詰めないまま、場当たりな合理化で自己正当化している人だと思う(本人は、客観的な位置から「ために」「敢えて」やってるつもりでいる「つくる会」にしても、最近の2ch的なふるまいにしても)。
そのあたりは、小林よしのりが最近やっているポピュリズム批判が、そのまま当てはまるサンプルのような人だと思います。

gaikichigaikichi 2004/08/18 19:09 >大月氏。だからくどい位”当時の”と強調している次第。また、内心はどうあれ、書かれた分、発言された分に限っての言及にとどめている次第。そもそもなぜ「当時はオフレコと言われたけれど、今じゃもう時効だろうから暴露するが、」と書いたかというと、そもそも大月氏当人がつくる会を離れて何年も経ち、今や自分から、つくる会・小林よしのり批判をはじめているから。しかもその内容はまるで以前言ってたことと違いませんか?というのが動機。しかし、”当時”と”現在”の比較のためhttp://www.axcx.com/~sato/memo/log/log511.html の文章とか読み直してみたら、真面目にこれは結構よい発言ではないか思ってしまい、大いに困惑している。一体なぜ”現在”のようなことになってしまったのか……?

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/18 20:18 サイバッチのことを言ってるのなら、実は大月氏、言ってる内容自体は当時とほとんど変わってない。その上で、サイバッチに煽るだけ煽らせておいて、自分は穏当に状況を冷静に見てるってつもりでいるし、そう印象付けようともしてる。で、何が問題なのかというと、彼が根拠にしようとしている「地に足のついた庶民の生活実感」っていうのが、高度情報消費社会化以降すっかり変質してしまった。彼は、そうした現在からたとえ乖離してでも、歴史的な「常識」を保守するという態度が取れなかった。で、現在の生活リアリティの中に、信頼にたる共同性と、そこからうみだされるリテラシーを探そうとした。そのこと自体は民俗学者として前向きな態度なんだが、学者、インテリやマスコミ業界における左翼への反発に足をとられて、自分の立場をそこに性急に見出そうとしてしまったんだな。
彼はもともと屹立した個人倫理よりも、共同性から生み出されるリテラシーの方を重視する人だったけど、そうした自分の動機を相対化、検証する勇気と謙虚さを持たなかった(この辺、「自意識過剰」や「自分探し」を極端に近親憎悪する所以)。自信は無いけど負けたくない、場や数の後ろ盾を求め、行く先々で場に依存してずぶずぶになりながら、客観視「してるつもり」の自己合理化を繰り返す。
これやってるうちに、恥の感覚が「武士は食わねどなんて流行らない」「みんなで渡れば」式に麻痺しちゃった結果が現在だろう。
実は、かなりバブリーな感覚の人だったんだよ。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/18 20:21 だから、小林よしのりの時も、今のサイバッチも同じ。便乗しておいて、本人は保護者かストッパーのつもりでいると思うよ。

rinsetrinset 2004/08/18 23:10 大月氏とbakuhatugoro氏とは文章の解らなさの質がいっしょ。大月市の方がよりもの言いたげの度合いが強いとは思うけど、ディテールにこだわって結論を急がないという迂遠な方法論も同じだし、私は結構同志じゃないかと見てますが。

gaikichigaikichi 2004/08/18 23:59 まあだから自称『敗者「皇道派」の弁明』たる所以。『などてすめろぎは人となりたまひし』(笑)。あと、上記文ではああ書きましたが「庶民大衆のイデオロギー化される以前の生活実感に基づく本音みたいなもんを重視する立場」の落とし穴は、じゃあ、庶民大衆がイデオロギー以前の自発的意思(マス・ヒステリー)で朝鮮人虐殺を始めたら、それも良しとなってしまうことだ、と最近気づきました。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/19 00:04 俺と大月氏に共通の資質があるとしたら、「あなたたちよりは」物事を思想や構造を通して理解するのでなく、直に触れたニュアンスから解きほぐしていくという「分かり方」をしているところ。俺の文章技術的なところを棚に挙げて言わせてもらえば、あなたにわかりにくいのは、あなたのそうした「資質のため」もあるということに対する自己相対化が、あなたには全く欠けていると思う。
上の文章を読んで尚、俺と彼の立脚点の相違がまったくわからないとすれば尚更。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/19 00:05 ↑rinset氏へのレスね。

kikori2660kikori2660 2004/08/19 00:40 今更だけど、検討違い→見当違い

なるほど、bakuhatugoroさんの大月批判、共に至る岡田斗司夫批判を理解する事が出来ました。そして当然、私との優先順位や立脚点の違いも。

kikori2660kikori2660 2004/08/19 00:51 この数日のコメント欄について言及してる人も多いようなんだけど、結局その都合の良い一部分だけ抜粋して「保守→右翼→ロリコン(妹)またはレイシスト野郎」という結論しか導けないのばっかで、何だかアホらしくなってきたというか。はいはい、「恋風」の単行本持ってますよー、妹萌えの僕ちゃんですよー。

gaikichigaikichi 2004/08/19 03:20 元からの自論と合致する部分だけ取りたいという方が多いのでしょう。しかしすると、たかが俺の発言も「チョン叩いてオッケー」というムードや、一時の小林よしのりの大文字言説と同様に、便乗される対象にされてるのか(笑)。いや笑いごっちゃないです、そんで「骸吉ごときの分際で、同意見の身内に祭り上げられて裸の王様の天狗になりやがって」と言われるのは一番本意に反することですから(その点bakuhatugoro氏の情容赦ない身内ツッコミには感謝すべきか?)。しかし、すべての言説は、自己に引き寄せることをすっ飛ばして便利に自己正当化に流用されることを避けられないのでしょう。

bakuhatugorobakuhatugoro 2004/08/19 13:41 事情がよくわからないからむしろ訊きたいんだけど、「保守→右翼→ロリコン(妹)またはレイシスト野郎」なんてイメージ、そんなに激しく定着しちゃってるものなの?
あんまりイメージ自体を云々しすぎることは、それぞれの思い込みを強化、宣伝するって方向にしかいかなくて不毛だと思うよ。むしろ、ご自身の「妹萌え」について掘り下げた語りをしてみては?
骸吉君の方も、どうしてそうも自分はそこが気になるかって形で、当事者として語らないと、どうも「風俗の客が他の客に説教」的にちぐはぐな印象は受けるよ。

kikori2660kikori2660 2004/08/20 02:36 左右に関わらず他人の意見に便乗する手合いはいるわけでおっしゃる事を全否定するわけじゃないんですが、まあそれを革新系の人達が一様に“ネットウヨク”と切り捨てるのもおかしいなぁと思ったのが発端です。
で、「妹萌え」ですか?いや、妹萌えそのものを語りたいのではないのです。まず話を最初に戻すとして。現実の女のコを好きになる事と、ゲームやアニメに出てくるキャラクタを好むのはそもそも違う行為でしょう。決して現実との代替行為ではない、これがオタクの文脈という奴であって、それを他でもないオタクが否定しちゃいかんだろ、と。そりゃアンタ達(オタク第一世代?)をも否定する行為だと指摘したのです。まあ昔はギャルゲーを「恋愛シミュレーションゲーム」なんて呼んでいた時代もあったけれども。その文脈を理解出来ない非オタクの人が「日常に戻れ」というのならまだ分かる。けど政治云々とかじゃなくて、「妹萌え」なり「ふたなり」なりは、そのオタク文脈の歴史の積み重ねで生まれてきたもんであって、社会主義だろうと資本主義だろうと関係ないだろうと。単純に日本という国で独特に育ってきた文化の意匠のいうやつで、保守だから、若年層のネット人口が増えたからなんて言ったってしょうがないだろうと思ったわけですよ。それだけ。

kikori2660kikori2660 2004/08/20 02:40 しかしこんな自分でも、某ブログのコメント欄で小泉批判をしたら「サヨク」「朝鮮人の手先」と罵られました^^;)。怖いよぅ、ネットウヨクって(笑)。

MoondanceMoondance 2004/08/20 08:13 「ふたなり」はともかく「妹萌え」をオタクの文脈だけで語れますか?kikori2660さんの周りにもいません?二次元を飛び越えて三次元の「妹」に「萌え」ている奴。オタクであるが故に憧憬とか恋心だけで終わることがほとんどかとは思いますが、相手の方からすりよってくる様な状況があるのならば、容易に一線なんかは飛び越えられるような人間が極めて多い気がします、「妹萌え」の人たちには。...こんな事を言うのも、俺がその体験者であるからに他なりませんが...(苦笑

MoondanceMoondance 2004/08/20 08:19 この二次元から三次元へのボーダーラインの消失は、イメクラからコスプレ喫茶までの「二次元の性欲を三次元にそのまま持ち込んだ世界」の隆盛を見ればなんとなくお分かりに頂けるのではないかと... これらの三次元の世界は、明らかに疑似恋愛装置として機能し始めていますから。

kikori2660kikori2660 2004/08/21 00:06 幸いなことに(?)自分の周りにはいません^^;)>Moondanceさん
そのツッコミは覚悟しておりました。“それじゃ「わたおに」はどうなるんだ?”とかね。おっしゃる通り、二次元と三次元へのボーダーラインは消失、もしくはあいまいになってきてると思います。ですが、コスプレ喫茶とアンミラなどのウェイトレスとはだいぶニュアンスが異なるのではないでしょうか。コスプレ喫茶の女のコは、アニメ・ゲームなどの“キャラクタ”が投影されているものであり、極論すれば二次元妄想を補完する為の道具。ただアンミラにしても、制服が女のコの可愛さ・エロスを引き立てる為の道具でしかなかったはずのものが、そちらが妄想の主眼となってしまうという逆転現象も起きていますけども。ただ私は、3Dとは立体という物質上の表現ではなく現実の女性、2Dとはキャラクタ・虚構・見立て、という意味で使っております。

kikori2660kikori2660 2004/08/21 00:09 だから「妹萌え」とは言っても、実際の妹が欲しいんじゃなくて「妹キャラクタ」「自分に妹がいるという世界の見立て」を望んでいるだけじゃないのかってね。ただご指摘の通り、「疑似恋愛装置」として受け取る人間が多く、暴走してしまう奴がいるのも確か。でもだからこそ、宮崎勉事件に対する一種の後ろめたい気持ちが
第一世代オタクの反省が前提としてあって、今のあられもない「萌え」化に拒否反応を示しているわけでしょう。だけどそのようなgaikichiさんの苛立ちに同意するにしても、それをネットの若年化やウヨク化という単純な結論に収斂させるだけで良いのか、そりゃアンタ達先代のオタクが残した歴史や遺産があって初めて成立したのであって一体何を偉そうに冷めた目で批判してるんだい、というのがそもそもの疑問だったわけです。

gaikichigaikichi 2004/08/21 16:33 ここで有効なツッコミ方法を一つ挙げると「骸吉は差別批判をしてるくせに妹萌え差別だ」と言える(笑)。
公正を期すため白状しますが、わたしも差別大好き者です。ただその対象がへそ曲がりなわけで。以前、どっちかと言えば反体制反権力な人が多い掲示板で「わたしは差別主義者だ、ネオナチやKKKを差別するのが大好きだ」と書いたら「差別者を差別するのは差別にならない」と返されましたが、そりゃ身びいきってもんだ、わたしも「有色人種やユダヤ人相手にしか強がれない白人の中の落ちこぼれよりは俺の方がマシ」という優越感の快楽が動機に過ぎません。

gaikichigaikichi 2004/08/21 16:33 所詮、個人的好みの提示し合いに過ぎません。だから例えば、わたしの書いてることに対し「ハア? 『女の子が外部世界の象徴』ってのが良いだってぇ? 強い姉ちゃんに守ってもらってた男の子が対等になろうとする話が燃えるだぁ? こいつウザい! キモい!」とかって言ってくりゃ良いんです。
そうやって相互ツッコミ合いの研磨を経て、表現の質が上がったり、結局、多様なものが優劣抜きに並列的に、あれもあり、これもあり、ってなりゃ良いと思ってるわけです。