電氣アジール日録

2005-06-19 久々に膝を打つ

永久保存版より

家族に「迷惑をかけた」といって自殺した高齢者と、「みんなに迷惑をかけた」ことで三人のボランティア罵倒した人に共通するのは、「人様に迷惑をかけるような人になるんじゃないよ」と常に心優しき日本の母に叱咤されながら育ったことであり、それゆえに「迷惑をかける」他人や自分に容赦できなかったのです。でも、人は他人に迷惑をかけてもやはり生きていかなければならないものであり、また人に迷惑をかけてもなされなければならない正義というのもまたあるのです。そもそも「迷惑をかける」というのは字面を見れば単に他人に感覚的に不快な体験を与えたという程度のことで、それで一切合財が割り切れるほど人間は単純なものではないはずです。ただ、感覚を超えた超越者というものを持たない私たち日本人一般は「みんなに迷惑をかけない」を超える生きる意味倫理的基準を見出すことはも大変困難で、それはオウム事件以降より一層難しくなったと思います。

おうよ。なんで皆「みんなに迷惑」「人様に迷惑」って言うかな?

イラク人質三人だろうと、靖国参拝ナンクセつける外国だろうと、ストーカーだろうと、スパム迷惑メール送信行為だろうと、会社を潰れる手前まで放っといた大手金融証券会社経営陣だろうと、大事故起こして死者多数出す鉄道会社だろうと、天皇戦争責任だろうと、

「俺が迷惑」

と言えぬのか?

多分、そこが日本人限界だ。

付記

「『みんなに迷惑をかけない』で結構じゃないか、何が悪いの?」という方のための、この話の続き。

http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20061201#p4

gaikichigaikichi 2005/06/21 22:58 ノーコメントでURLだけ書くのと、全部他人の発言の引用だけで済ますの禁止。
面倒くさがらずに、何が言いたいのか、それをなぜこの場に紹介したいのか、ちゃんと説明する習慣をつけよ。

morimori_68morimori_68 2005/06/22 16:51 「俺が迷惑」と言って通るのはそれなりの力関係が成り立っているときだけ。
そうでない場合は「皆様が迷惑しておりますから…」と言うほうが通る確率がはるかに高い。
そういうことなんだろうと思うな。
「日本人の限界」とくくる前に、そのあたりをもっと綿密に見ていくほうがいいと思うな。そうでない場合も結構あるわけだから。

reds_akakireds_akaki 2005/06/23 01:34 だから、URL先にわたしが書いた文章の、引用元の酒井隆史の文章をフォローしなさい。つっか高井さんへのレスだったのですよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050621%23umeda
http://d.hatena.ne.jp/strange/20050621#p3

urasimatarouurasimatarou 2005/06/24 16:47 「俺が迷惑」と言えないのは、世間、同調圧力、ですね。個々人は無い、という阿部謹也氏の仰る通りで、これは余程のことが無いと変わらないでしょう。欧州でも個人が誕生するまで数百年かかったわけですし。ともかく、日記これからも楽しみにしてます。更新頻度がアップして嬉しく思っております。横レスですが、永久保存版の高井さんへのレスはここに書かなくてもいいのでは?

reds_akakireds_akaki 2005/07/05 02:01 本当は高井さんの各記事にTrackBackをかけられる仕様にしてほしいのですが、大変なのでしょうね。
http://www.dan21.com/backnumber/no71/index.html
>「迷惑」の論理の充満は、日本社会が同時にはらみもっていた多様な襞--「対抗世間」となり得た--を解体させる動きと軌を一にしています。決して日本社会の衰退を食い止めるものではない、 日本社会がはらみもっていた驚くほど多様な襞を最終的に解体させるものであり、 その動きに伴って現れたものでしかなく、むしろ衰退の証なのだと考えます。 僕は問いを転換すべきだと思います。いかに「迷惑」をかけないかではなく、 むしろ「迷惑」をどのようにかけ合うのかをお互いで問い続け考え続けることが重要だと思っているわけです。
>酒井氏は、そうした不寛容さが露骨に攻撃性を帯びた現代に対して一つのユニークな提案をします。「迷惑」の奨めです。「〈迷惑〉をかけない社会というのは、見方を変えれば他者のいない社会です。〈迷惑〉がきわめて恐ろしいすべてを規制する言葉になるのは、この言葉がはらみもつそうした〈存在論的〉次元のためです。〈迷惑〉はつきつめれば、人間の存在そのものに否が応でもつきまとうものです」。だからこそ、「〈迷惑〉をかけないかではなく、むしろ〈迷惑〉をどのようにかけ合うのかをお互いで問い続け考え続けることが重要だと思っているわけです」。