2007-03-16 抗う男
新宿の駅前には、例によって路上キャッチセールス男がいっぱい。
どいつもこいつもモテそうなイケメンで、通りすがりの女に馴れ馴れしく声を掛けてるが、高額な化粧品を買わせたり、高額なエステクラブに加入させて搾ろうってのが魂胆だ。
腹が立ったんで階段から突き落としてやったら、頭を打って転げやがった、ザマーミロ。と、思ったら、そのお仲間に腕をつかまれて、ヤクザ風の連中を呼び出しやがった、ヤバいと思ったが、これは夢だから眼を開ければ逃げられるな、と思って寝返りを打って枕から顔を上げたら、もう時刻は昼過ぎだった。
目覚し時計を見ながら、随分と卑劣な逃げ方だと思ったが、夢の中で腕をつかんだ悪徳商法キャッチ男の悔しそうな顔を想像したら、思わず皮肉な笑みが浮かんだ。
■労働者あがりM
PHP文庫『文蔵』3月号の松本清張特集(isbn:4569665160)をちょこっと手伝いました。
本当は、松本清張に関してはもっとやりたいネタ(清張自身の年譜と人脈交遊録、特に、宮本顕治と逝けダサイ臭い…じゃなかった池田大作を対談させたという驚異のエピソードとか)は多数あったんですが、紙数とスケジュールの都合で今回は見送り。
昨今、ネット世論の一部では、戦後日本の文化人の過去の仕事をほじくり返して「ブサヨク」レッテル貼りが流行のようだが(まあしかし実際、大江健三郎なんか、今振り返ると、重信房子をモデルにした戯曲とか、本当に妙なものも書いてるけど)、清張は、昨今の再ブームの中、不思議と「ブサヨ」呼ばわりされない作家である。
率直に言って、清張ノンフィクションの代表作『日本の黒い霧』は、現在の視点で見れば変な部分もある。当時、消息不明になっていた共産党の伊藤律に関する記述など、推測で書かれた部分もあるので、後年に発覚した事実とはぜんぜん違うし、朝鮮戦争に関する記述など、少々北朝鮮軍を買いかぶりすぎでないか、という表現も少なくない(ただしこれも、執筆時は圧倒的に情報が不足していたためでもある)。
だが、わたしはこうした細部のデティールミスを突いて清張を貶める気は毛頭ない。
清張作品には、細部の瑣末なデティールミスを補って余りあるだけの、恐らくは作者自身の人生経験に裏打ちされた全体の粘着的な精密さとリアリティと面白さがあるからだ。
清張は印刷屋の労働者あがりで大学も出ていないが、戦前からの共産党員で、生涯を通じて反権力社会派作家と呼ばれた。清張は「サヨク」ではなく「左翼」なのである。
昭和初期当時、親の金でヌケヌケと帝國大學に通いながら当世流行だからとマルクス主義にカブれ(ま、90年代に宮台真司が愛読されたのと似たようなものだ)特高の手が回れば実家に泣きついて転向……とかいった手合いとはぜんぜん違うのである。
(労働者階級出身の文化人、という類型で、わたしが清張と通じるものを感じるのが、ジョージ・オールェルと青木雄二だったりする)
そのおかげでか、清張は大衆の心理というものがよくわかっている。生き延びるためには権力に尻尾を振ったり、自分の都合悪い過去は隠蔽しようとするような人間の心理も精緻に描かれているおかげで、清張作品の多くは、単純な「権力=悪」の勧善懲悪図式にも堕してもいない。
■グッとこない左翼
某所でも書いたが、今の日本の左翼がダメなのは、左翼陣営にキャラの立った「男」がいないという問題である。例えばかつてなら、松本清張のほか、浅沼稲次郎や竹中労みたいなパワフルな左翼男オッサンというのがいたのだが、今の日本左翼は完全にヒロイズムをみずから否定しているよーにしか見えない。
今の社民党は、男はいらんと言わんばかりの土井おたかと清美タンと瑞穂タンの三枚看板だし、左側の挙げる論議がセクハラ規制DV規制ストーカー規制にジェンダーフリーと男ばかりが悪者扱いのものばかりでは、いったい男の左翼はどーしろというのだ?
今月『正論』には座談会記事に千葉真一が登場して武士道を語り、『諸君!』の座談会記事には松本零士が登場して宇宙開発を語っている。これを安易な保守オヤヂ雑誌の人気取りパフォーマンスと貶めるのはたやすい、その一方『論座』では「グッとくる左翼」と称して、雨宮処凛が登場である。悪いけど俺は雨宮処凛ではグッとこねーよ。
『諸君!』の座談会記事で松本零士は人工衛星スプートニクの思い出を熱く語っている。以前も書いたが、スプートニクが打ち上げられた当時、素朴に「ソ連は未来の国」と思った少年は多数いた。
思えば、かつて「未来」を提示すんのは、むしろ左翼の側の専売特許ではなかったか? 小松左京は元共産党員だったし、中村真一郎による怪獣映画『モスラ』の原作は反核小説だ。手塚治虫もある時期共産党と相性が良かったのは、根底に「科学主義」があったからではないかと思われる。日本の初期SFと左翼がけっこう親和的だった理由には、ある時期まで自民党に代表される日本保守は農村中心だったのに対し、左翼側は進歩史観を掲げ、また、戦後日本の文学者にも、戦中の皇国史観の反動で科学主義に傾倒した者が多かったということが考えられる(そういや実際、大江健三郎と筒井康隆は仲が良かった)。
とにかく日本左翼は今、「面白いもの」「カッコよいもの」「夢」を保守陣営に取られてる事実を率直に考え直して頂きたいものである。
■自殺するのが流行なら、長生きするのもまた流行♪
フランスでは反マクドナルドの暴動なんてものがあるそうで、先ごろでは、アメリカ資本主義の城ディズニーまでマクドナルドを追放、また、英国の皇太子が外遊先でマクドナルド批判を口にした。
が、日本では、反マック暴動なんぞが起きても到底タダのキチガイ扱いであろうし、どんな伝統文化保守主義者でさえマクドナルド追放など口にしそうにない。
しかし、反マックとか反グローバリズム運動というのは、考えてもみれば、なんのことぁない、エゴイズムの産物である。「地元の商店街が潰れろうが大手資本の安い物の方が食いたい」がエゴイズムなら「地元の商店を守れアメリカ資本出てけ」もエゴイズムだ。
今の日本では、前提としての高度資本主義、消費社会は完成して久しく、つまり幾ら景気低迷といっても、基本として、よもや敗戦直後や、ルワンダのように飢えることはない。
そんな中「豊かな資本主義消費文化」にわざわざ反対する運動が出てくるとすれば、それはもはや、私的個人的好みのエゴイズムを動機とするものしかない。
先月、秋葉原でバレンタインデー粉砕デモなんてのがあって、そこそこ人も集まって盛り上がったらしい。といっても「日本のバレンタインデーなど製菓業者の作った空疎な消費資本主義イベントではないか、そんなくだらんことにチョコレート買う金があればルワンダの難民に食い物を与えろ!」というようなことを主張しているのではなく、チョコレートを貰えぬようなモテない男が集まって不満爆発のデモを行なったのだという。
要するに、衣食足りても女にモテへんという個人のエゴが動機でデモをする人間が一定集まるというわけだ。……一見アホらしいようだが、実際、今や飽食日本において社会変革要求にまで不満層を糾合する突破口のひとつは、そんなところしかないのだろう。
■人を個別に見るより属性で見ることが好きな人たち
しかし、わたし個人としては、いわゆる「非モテ論壇」と言われるものには今のところ一切共感はモテないでいる。
というのは、まず、多くの「非モテ」論者は、女性一般というものをひとくくりにしがちな点が、ズサンとしか思えないからである。
なるほど今の世には、権利ばかり主張する女、ルックスや年収の立派な男でなきゃ人間扱いもしてくれない女も多いようだ。でもよ、別に、世の女の一人残らず全部が全部そーじゃないだろ? 個別具体に自分と付き合える女を探したり、自分なりの魅力を磨く努力をせずに「女一般」を悪者にしようとする態度には、どーにも、イソップ童話の「酸っぱい葡萄」めいた負け惜しみを感じざるを得ない。
嫌韓厨と非モテ厨の共通点は、敵を個別具体の人間として見ようとせず、「韓国人・在日」一般、「女」一般とか、属性でひとくくりに見ようとすることである。
これはまさに、韓国の単純反日論者や、単純フェミニストが、相手を「日本人」一般、「男」一般とひとくくりにして悪者扱いしているのとまったく同じレベルに、自ら堕しているのではないか?
「非モテ」論者は、反フェミニストも多いらしい。で、たとえば林道義のように、昨今の少子晩婚化はフェミ左翼の陰謀だ、と言いたがる人もいるようだが、オイオイ、試しに、渋谷や六本木の路上で「結婚相手は最低でも年収1000万円以上希望」とかホザいてるような女子1000人に「上野千鶴子や福島瑞穂の本を読んだことありますか?」とアンケート取ってみろよ、絶対にYesと答える奴は10人といねえぞ! 断言できる。
今の若い女に、自己本位で快楽中心主義で、ゆえになかなか結婚して子供も作ろうとせず、結婚相手のゼータクをほざく者が多いとされる(当然、全員がそうとも限らない)のは、それこそ、オシャレと遊びこそ人生の幸せと謳ってきたニッポン消費資本主義の産物である。まかり間違っても、京都精華大学の干からびた教壇から一歩も出たこともなく、身内にしか通じない話しかできないよーなフェミ左翼女学者センセイがたの業績ではない。
また、多くの「非モテ」論者が仮想敵とするモテ男像もズサンに見える。
このブログへのアクセス履歴を見返したら、「文系鬼畜」について言及した05年07月25日の日記が一部で妙な注目をされてるらしい。
「非モテ」を自称している男子は、とかく、仮想敵となるモテ男子を指す言葉として「体育会系」とか「野獣系」とかいう言葉を使いたがるが、そのほかにも「腕力体力はないが口がうまくてずるがしこいヤサ男」というタイプ類型を考えたことのある人は不思議といないらしい。俺はそっちの方がむしろムカつくんだけどな(笑)。
エゴイズムが動機のデモが悪いとは言わない。しかし、モテへん男が集まって世のオシャレ男女交際万歳消費資本主義を糾弾する、というなら、なぜ秋葉原なんかでデモをやる? 身内しかいないではないか。渋谷、原宿、青山、六本木へ進軍せよ! そして着飾ったナンパ男女たちにこそにシュプレヒコールを浴びせよ、と言いたい。大日本愛国党の赤尾敏総裁なら、毎日、日本の政財界のエリートの集まる銀座で街頭演説してたぞ。
(秋葉原でやってたのは以前のクリスマスデモで、反バレンタイン、反ホワイトデーデモは渋谷、池袋でやってたという)
――いずれにせよ、負け組が同情やお情けを欲しての悲憤慷慨のデモというのは燃えない。ひとつ、女にモテる人間であることをカサに着て女を食い物にしてる連中をとっちめる運動とかなら俄然断固支持する!! んだけどねえ……
実際、世のサイレント・マジョリティとしての「非モテ男子一般」と、ネット上で目立つ「非モテ論客」の主張がすべて一致するとは限らないだろう。世に現れてない声だってあるはずだから。
で、まぁ、私は女性に対して恨みはありませんし、彼女らにも選ぶ権利があります。ルックスや金で相手を選ぶのは男女ともに一つの傾向としてありますが、もちろんそれが全てではありません。
ま、色々と考えはありますゆえ、ミソジニーな者ばかりではないですよ。
本田透みたいな言説が目立ちますが、願わくば単純な女性嫌悪でない人が増えて欲しいです。
でも申し訳ないですが、非モテ運動ってやっぱ共感がないです(善悪でなく、あくまで一個人的好み)。
俺のアタマが古いのかもしれないけど。
80年代末に昭和天皇の死去前後、TV娯楽番組自粛に反対して「『おれたちひょうきん族』を見せろ!」ってデモがあった時、「そんなもんは世界の飢えた人民のための運動ではなく、自分個人の快楽のための甘えた運動だから不純だ」と思った時と似たような印象。
「恋愛資本主義」粉砕というからには、自分が恋愛以外の部分で既に享受している資本主義の恩恵部分も全部自ら捨てる、とまで言うなら尊敬しますが。
つまり「既に衣食足りといて、女が欲しいだと? 途上国には飢えた人民がおるのに何を甘えたゼータクを?」とw
わたしもモテてませんが、それは自分個人のせいとしか思いません。
労働者の賃上げ要求なら労働と報酬の適正さが数値化できても、人の好悪ってのは個々人の感情によるんだから理不尽こそが自然で仕方なく、個々人が彼女や嫁さんをゲットできるかというのは個別具体な女性との一対一の関係の問題で、社会構造のせいにするのはすりかえに感じてしまう。
本当に一切女性や恋愛文化に関心がないなら、他人を糾弾せず、女は無視してストイックに生きればよいのに。そーいうのが古来の男らしい「女嫌い」だったと思うんですがね。
ま、以上、正しいか間違ってるかでなく、あくまでわたしの一個人的好みですが。
非モテは二次元に活路を見いだしているので、女性に持てたいという思いは強くありません。二次元と三次元、萌え(恋愛)と(現実)恋愛という対比を念頭に置いた主張なので資本主義自体を攻撃するものでもありません。「体育会系」とか「野獣系」男子だけが叩かれるのは単に「やさしくない」っぽいからです。
そして所謂反フェミは、伝統家族的な関係を求めるので当為としては「可モテ」です。彼らが非モテに共感的なのはフェミ叩きのいい材料だからですね。gaikichiの非モテ感は彼らの影響を強く受けているのではないですか?
本田透みたいな言説の人であればフェミは敵視しないし(資本主義の結果のしかたなさが基盤ですから)、女性を責任ある主体として考えてる点ではフェミ的です。
バレンタイン云々は要は「お祭り」だからやってるだけですよ。モテ語りに対する自虐語り、女性が自分のためにチョコレートを買ってバレンタインを楽しむのと一緒。クリスマスの為に恋人を作る、みたいな、お祭りをエンジョイすることと恋愛をエンジョイすることの優先度が逆転してる現象などと併せて考えると理解しやすいかと。
そういう人も多いんでしょうが、件のデモの主催の人は「恋愛資本主義打倒」であって恋愛自体は否定してないみたいですね。つまり高級車高級ブランド一流レストランホテルetc…オシャレ文化と結託しない恋愛ならしたい、と、それなら同感できなくはない。
また逆に、二次元に活路を見いだしてると自称する本田透氏は、だったらそこで幸福に自閉してれば良いのに『電波男』で、わざわざ現実の女性をこれでもかとこき下ろしてるわけで。
これが実際、本当に「女に興味ない」って人なら、清廉で、いやな感じはしないわけです。
ただ、これは非モテを自称する人に限らないんですが、「本当は現状を打開する気なんかなく、ただ自分の被害者意識を言うのが自己目的化」としか思えない人がたまーにいるので、それは醜悪に見えますねえ。
「女に興味ない」とは「(現実の)女に興味ない」という意味なのだから、趣味的には「女性的なもの(女性幻想)」に興味がある方でしょう。そういう男が現実の女性に批判的なのは当然と言えば当然で、好きなものを好き嫌いなものを嫌いといっているので一貫性はあります。現状打開というより自己正当化。
そういう男が「自閉」してれば良いという発想の差別性が問題なわけです。二次元に活路を見いだす男が開かれてても良いでしょう、何故それではいけないのですか。
gaikichiさんのいう清廉とは別名「硬派」であって、男らしさの原理主義的追求(それ故、女性の所有力を男らしさの基準にすることに批判的)、男は女を欲望するものなのにそうではない(自身を強く律している)、という種の代物でそれこそモテナイ男が女性無しで男らしさを獲得する為にすり寄りがちな醜悪な思想です。だから彼らは依存的な女性ではなく、モテて女性をコントロールする力をもつ軟派男の方を攻撃する。所詮ルサンチマンの構造であって、本質的な対立性を持ちません。
男のフェミニストが男らしさ故に女性の被差別に乗ることで、現状打開どころか差別の温存に貢献してしまうような現象と同じですね。それと比較すれば非モテはかなりの革命的ポテンシャルを持っているといえます、その事の意味を状況が変わっても覚えておくために自己記述は重要でしょう。
わたしの頭が弱くて読解力が足りないためそうしか読めないのかもしれませんが、それは自分の理想的な脳内架空の女性像が好きだからそうでない現実の女性を非難する、という意味ですか? 凄まじい本末転倒に思えるのですが。これでは自分の理想的男性像に合致しない男をこきおろす女側と同レベルにしかならないような。
>二次元に活路を見いだす男が開かれてても良いでしょう
開かれてても良いです。ただし、外部世間に接しようというなら、文句を言うばかりでなく、最低限は、相手にしてもらえるよう、自分の身だしなみと言葉づかいも整えましょう。
>清廉とは別名「硬派」であって
べつにわたしは昔から、硬派を気取る気は毛頭ないんですけどね。
単に「現状俺がモテへんのは自業自得だからまあいいや。さりとて躍起におしゃれとかモテる努力する気もないし」と思ってるだけなわけで。
>醜悪な思想
これはむかつく言い方だなあ。
わたしは男とか女とかカンケーなく、とにかく「他人を悪く言う」「何が何でも自分が被害者サマだということにする」ほうが「醜悪な思想」と思うのだが、まあ平行線のようだな。
>非モテはかなりの革命的ポテンシャルを持っている
何が「革命的」なのか? 従来の「男らしさ」「カッコいい男にあらずんば価値なし」という抑圧的価値観を打破解体する、という意味か?
だが、何の努力もなく、ただ「女欲しい」と言ってつっ立ってるだけの人間が、それだけでモテる世になって欲しいというなら、ただの自己中心的願望にしか聞こえない。
それがどう世界の人民に寄与するのか? いや世界とまでいわずとも、女性や普通の男性一般にも何かその革命の恩恵はあるのか?
「革命的」という言葉を使うからには、よもやまさか自己救済だけを指す意味で言ってるわけではあるまい。
モテない男である自分たちだけが全面的に正しい被害者であるかのように自己憐憫陶酔しているようだが、自分たち以外の人間の気持ちも考えて言っているか?
自分たち以外の人間はすべてただ打倒されるべき権力悪だというのか?
便宜としてであれ、革命とか、弱者の強者に対する闘争とかいう概念を根底に置くなら、ブルンジやルワンダには、これだけの文明国に生まれ育ってたかがモテないぐらいで泣いてるどころで済まない不幸に見舞われている人々が数万人もおることを忘れないで欲しい。
――と、いう発想自体が抑圧くさいかね、やっぱり?
確かに、非モテムーブメントというのは、従来、女性が弱者を優遇していたら、いつしかオシャレな消費文化の蔓延によって、女性の声とやらこそが無力な男どもを抑圧する側になっているという状況へのレジススタンスとして起きた運動なのだろう。
しかし、皆が皆「自分こそ抑圧された弱者・被害者様なんだ!」と言い出してはキリがない。お互い様で譲り合いでどうにかならないものなんですかねえ。