電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

巨人の「転向」

PHP文庫『文蔵 11月号』刊行。
今回は江戸川乱歩特集ということで、当方は、大した仕事ではありませんが『怪人二十面相』や『黒蜥蝪』や『黄金仮面』などの各作品の舞台となった東京都各地の図解マップ、現在入手可能な全作品文庫リスト、そして、乱歩をめぐるさまざまな数字データのコーナーを担当。フフフ、明智君、きみは2007年現在『屋根裏の散歩者』を読める文庫が何種類あるかご存知かね?
同じ特集中に高橋葉介先生が寄稿というのも嬉しい。思えば、わたしが昭和初期とか1930年代とかのレトロ世界が好きな人間になったキッカケのひとつが、高橋葉介の諸作品だった。それも代表作『夢幻紳士』以前、今はなき朝日ソノラマサンコミックスで「ヨウスケの奇妙な世界」シリーズとして単行本化された初期短編の頃からの愛読だ。
――さて、ミステリ界の巨人乱歩は、30代になって作家として食えるようになるまで、現代のフリーターや派遣社員のごとくあらゆる下層職業を遍歴した、元祖プレカリアートであり、なにより大正の元祖オタク引きこもり作家であった。わたしは日本では現代のオタクも、ほぼ乱歩の末裔と言ってよいだろうと思っている(『押絵と旅する男』『人でなしの恋』は、元祖、非現実の美少女にしか萌えられない男の話だぞ!!)。
が、そんな乱歩も、戦争の時代に入ると、猟奇幻想文学や探偵小説(当時は「推理小説」ではなくこう呼ばれた)など自由に書けないご時世となって一時仕事を失い、かと思ったら、疎開やら隣組活動への参加やらで、いやおうなく市井の人々と交わり社会性を身につけ人間として成長……という皮肉な逆説をたどった。
さらに、戦後の乱歩は、かつての元祖オタク引きこもり作家からは一転し、日本のミステリ界全体の発展と向上のため、自費をはたいて自ら雑誌を編集し、ミステリ以外の純文学作家とも交流して寄稿してもらい、一方で後進のミステリ作家の育成に努め、作家の会合を主催し、積極的に世間に出て働くようになった。
そんな戦後の乱歩は、社交的になった代わりに、すっかり小説はダメになった、とも言われる。だが、この乱歩の引きこもりから社交家への「転向」は、かつての彼と同好の、世の暗い文学オタクを裏切るものではない、むしろ、もとは暗い文学オタクだったからこその強い責任感のなせるものだった。ここが重要だ。
乱歩がデビューした大正末〜昭和初期には、まだまだ彼のような猟奇退廃趣味やら探偵小説の愛好家はごくごく一部にしかおらず、乱歩自身も一人部屋にこもって自分の趣味を探究していれば良かった。が、乱歩の作品が人気を博し、同好の人間が増えると、世間には猟奇退廃趣味やら探偵小説が風紀を紊乱させ現実の犯罪を助長する、とのバッシングが起こってきた。いわば、現在の有害コミック論議や、エロゲーなどのメディア規制と似たような話だ。
乱歩はそうした世間の無理解から、自分自身だけでなく多くの同好の士たちをも守るために、いかがわしい引きこもりではなく、まっとうな社交性を持つ作家となり、日本のミステリ業界全体というものを、いかがわしい趣味ではなく、市民権を持った文化ジャンルに向上させようと考えたのだ。
そのため、とくに戦後の乱歩は、上記のように、自費をはたいて自ら雑誌を編集し、すでに市民権を得ている純文学作家とも交流して寄稿してもらったり、作家の会合を主催して、積極的に世間に出て働くようになったわけである。
さて、翻って、現在の、非モテとかオタク差別反対とか主張する人たちも、デモをやったり世の中の多数派に文句をつけるばかりでなく、乱歩のように、自分の好きなジャンル全体のイメージ向上、市民権獲得のため、自費をはたいて自分自身がメディアを主催するとか、すでに市民権を得ている先行他ジャンルの人間と積極的に交流するとか、後進の育成とかに励むほうが、よほど有意義ではないのか? とか思うんだけどね(現にそうしてる人も多いだろうけど)。

若(馬鹿)気の至り

わたしがネット上で初めて書いたSS(ナチスの親衛隊ではなく、ショートストーリー)は、『マリみて』でもなければ『月姫』でもなく『カラマーゾフの兄弟』の二次創作だったw
先日、ドストエフスキーについて書いてから、色々あさってたら、もう何年も前に『カッラマーゾフの兄弟』を初めて読んで間もない時期、ドストエフスキー愛読者の集まる掲示板に投稿した恥ずい小話が出てきたんで再掲する(つーか、「骸吉 + ドストエフスキー」で検索すると、いまだに引っかかる)。

 イワン・カラマーゾフは、朝からずっと考え込んでいた。
「果たしてこの世に神は在るのか? あるならばなぜ、この世にはあんなに多くもの、児童虐待や、かつての時代の残酷な異端糾問や、その他あんなに多くの残酷で理不尽なことが許されているのか?」
 彼はさんざん、心の中で神の存在の有無を問う道を行きつ戻りつし、ついに「兎に角神はいない、ってゆうか、そんな残酷で理不尽な神は俺は認めない!」と腹の中できっぱり断言した。
 するとその時、路上のイワンの袖を一人の初老の男がつかんで言った。
「それはきみ、いけないよ!」
 その男は、歳の頃は五十歳ばかりであろうか、小柄で、貧相な印象ではあったが、黒々とした風格ある髭を蓄え、広い額と、強い意志を感じさせる鋭い瞳には並々ならぬ知性が感じられた。一見したところ気性は狷介そうにも見えるが、その眼の奥には、暖かなものが感じられる。よく見ればその顔には、苦渋の跡と思わせる深い皺が数多く刻まれている。まるで十年もシベリアに流刑にされていたような印象の男だ。
 初老の男はイワンに顔を近づけ、興奮して叫んだ。
「きみ、神は存在するよ、存在するとも!」
 ちょうどこの瞬間、教会の鐘が鳴って、聖なる復活祭の始まりを告げた。空気ぜんたいが鳴り響き、揺れ始めた。
 と、そのままイワンの目の前で、その初老の紳士は泡を吹いてぶっ倒れてしまった。どうやらてんかんの発作らしい。
 イワンが途方に暮れていると、数人の農夫たちが駆け寄ってきて、口々に言った。
「あーらま、フョードルの旦那、また倒れちまっただべか、困ったおっさんだべな。年々てんかんの発作がひどくなっとるのお」
「どうすっべ」
「しゃあないわな、お家まで運んでやるしかなかんべ」
「おう、じゃ、おら、ひとっ走り先に行って奥様に伝えておくだ」
 貧しい身なりの農夫達は、寄ってたかって初老の男を抱え、よろよろと歩き出す。
 イワンは農夫の一人に聞いた。
「あの……彼は、どなたですか?」
 農夫の一人が苦笑して言った。
「あー、こちらのじっさまはな、フョードル・ミハイロヴィッチドストエフスキー様ちゅうてだな、首都じゃ有名な作家様なんだど。もっともわしら字が読めんからよくは知らんがの」
 隣にいた別の農夫が言った。
「いっつも、朝の祈りや昼の祈りの時には、一番早くに教会に来て、一番遅くに帰りなさる、こう、隅の方の右の柱の陰に立ちなさってな。勤業の間、ずっとひざまづいたまま立ち上がらずにおったこともあったの」
「んだ、んだ、偉い作家様じゃというのに、全然偉そうぶらんで、いつも目立たんように、地味に真剣に祈ってなさる」
「はははは、わしらみたいな不信心もんにはまねができんわな」
「だけんど、このじっさま、金遣いは荒いし、女癖も悪いし、ドイツに行って博打でとんでもない借金を作ったとか、しょっちゅう喧嘩ばっかりしとるとか、ろくでもない話がいっぱいあるんじゃけんどな、でも、わしらはこのおっさんが好きじゃで」
「真面目なだけの空っぽなやつより、よっぽど面白い人じゃあけえの」
「んだ、んだ」
 農夫達はにこやかに笑って口々に言うと、そのまま、フョードル氏を担いで運んでいった。
 イワンはふと思った。
「なんなんだ? あのおっさんは。『神は存在するとも!』だってぇ、わざとらいいじじいだぜ。本当に信心がある人間は、あんな大袈裟な身振りはしないさ。それに、博打に女にとさんざん悪行を積んでおいて祈るなんて、ていのいいマッチポンプじゃないか、欺瞞的なやつだ……」
 イワンはその冷静な知性で、老人を贋物と決めつけ矮小化しようとしたが、そこでふと思った。
「――しかし、あのおっさんの、『神を信じたいと思う心』は紛れもない本物かも知れない……いや、俺と同じか……?」
 イワンは考えに行き詰まって立ち止まり、それからまったく無関係な別の考えに移った。
「……それにしても、フョードルって言ったな、親父と同じ名前じゃないか……」
 イワンはふと、父のことを、そして兄と弟の事を思い返し、久々に故郷に帰ってみようかと思いながら、また思索の道を歩きだした。

読み返すとやっぱいまいちカタいな……
ちなみにこれ、冒頭部分は内田百間(←ココ「門」に「月」)の『白子』という短編のパスティーシュなのだが、って、そんなもんわかる人ほとんどいないよな。
なお、文中のドストエフスキーの「きみ、神は存在するよ、存在するとも!」と絶叫→鐘が鳴り響く→てんかんの発作でぶっ倒れコンボは、一部で有名な実話エピソード。井桁貞義『人と思想 ドストエフスキイ』(清水書院)の99〜100ページなどに出てくる。