電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

戦後平和主義の枠内のヘタレ愛国者

毎度毎度いちいち旬からズレた話題を遅れて書くが、しばし前に話題になった田母神俊雄・前航空幕僚長の「日本がやったのは侵略戦争ではない」(←要約)の論文の話。
田母神論文は、早い話「日本はハメられた被害者だ史観」であるらしい。
なるほど日華事変の背後にアメリカのオレンジ計画の一環とかがあったのは事実だろうが、関東軍張作霖爆殺から何から何まで全部をそれで押し切るというのは、むしろ、当時は真剣にこれが日本のためだと思ってことを行なった日本軍人への冒涜ではないか? 靖国神社の英霊は「アンタら外国に操られてただけなんだよ」と言われていい気がするかね?
田母神論文の「日本がやったのは侵略戦争ではない」(←要約)という主張は「侵略戦争は悪い」という考え方を前提にしている。
しかし「侵略戦争は悪い」という発想自体が、そもそも戦後の平和主義・民主主義の価値観に洗脳されきった人間の考え方だと言うこともできないかね?
そこで、右や左の旦那様から袋叩きにされるのを覚悟で、今回とっておきの暴論を吐くぞ。
侵略戦争は正しい」、少なくとも「20世紀前半のある時期まで侵略戦争は正しかった」と胸を張って言えないのが、現在の日本の自称保守愛国者のダメなところだ。

侵略戦争は正しかった時代

少し迂遠な話をするが、20世紀初頭に行なわれた白瀬矗の南極探検は侵略なのだろうか? 当時、南極大陸には、列強各国が進出し、地球最後の領土分割対象として争われた(のち、1959年に南極条約が結ばれてどこの国の土地でもないことがやっと正式に決まった)。
19世紀の帝国主義時代、列強諸国にとって、アジアやアフリカの植民地分割は、そもそもは南極探検と同じよーな感覚だったのではないかという気がする。
日本の関東軍満洲事変を起こした当時、中華民国は地方軍閥の内戦中で、満洲には膨大な土地と資源が、ほとんど手つかずで放置されていた。それで関東軍はことを起こした。
当時は、人がいない土地なら先着順で占領、が世界の常識だったようである。
19世紀の帝国主義時代から第一次世界大戦まで、欧米列強は本ッ気で「植民地侵略戦争は正しい」と考えていた。
列強が植民地侵略の正当化に使ったのは、白人が有色人種を征服するのは自然淘汰であるという社会ダーウィニズム(生物学のダーウィニズムを悪用した俗説)、人口が増えたらその分の食料資源確保のため領土を広げなければならないというマルサス人口論(第二次大戦後、欧米が植民地を失っても食糧難になってないのを見れば、この誤りは明白)だ。
そして、キリスト教カルヴァン派の予定説も侵略戦争正当化に悪用された。予定説とは、「結果的に誰が勝っても、そいつが勝つよう神が予定していた」というものである。西欧では中世まで、何が正しいかを決めるのはローマ法王庁だった。そうではなく、結果的に勝ったものが正しいと神が決めているとするのがカルヴァン派プロテスタントの予定説だ。
この考え方は、そのうちにカルヴァン派以外のプロテスタント国やカソリック国にまで広がり、牛や羊は人間に食されるよう神が定めていたのと同様、有色人種の土人キリスト教徒に征服されるよう神が定めていたという侵略の正当化が普及した。

国際社会の空気が読めなかった日本

そんな帝国主義戦争の最盛期、1870年の普仏戦争が終わると、しばらく間、ヨーロッパ自体が帝国主義戦争の舞台になることははなくなった。
戦場となるのは、本国を遠く離れたアジア・アフリカ・中東・オセアニア、巻き込まれるのは現地の土民ばかりだ……となれば戦争で自分の生活が破壊されるとは思わない。戦争が悪だと考えなくなるワケである。
ところが、(補足→)そうした19世紀までの感覚の延長で(←補足)1914年に第一次世界大戦が起きると、ヨーロッパ自体が舞台となり、戦争の長期化と、塹壕線に戦車に毒ガスに飛行に潜水艦という新兵器の投入もあり、それまでアジアやアフリカでは調子こいて戦争しまくっていたイギリスでもフランスでもドイツでもロシアでも、とにかく欧州各国では莫大な数の犠牲が出た。
そこで列強国どもはいきなり手の平を返したように勝手に戦争に反省して、自分らだけで勝手に大戦後の平和主義を取り決め、国際連盟を作って非戦だ民族自決だと言い出した。
が、極東の島国だった日本はそんな第一次世界大戦の欧州の主戦場から遠く離れていた。だから(補足→)日本の一部の国際派政治家を除く国民と軍人の多数は(←補足)、大戦後の平和主義もわかってなかった。
そこで、日本は日本の軍人は昭和に入ってからも相変わらず、第一次世界大戦までの欧米では常識だった「侵略戦争は正しい」を実践したら袋叩きに遭った、ということではないか?
つまり、当時の日本は日本の軍人は第一次世界大戦を契機に変わってしまった国際社会の空気が読めてなかったとも言えるし、そもそも、侵略戦争はけしからん論なんて、先に欧米諸国がさんざん先に侵略戦争やっておいて、あとから勝手に決めた話じゃないか、とも言える。
前回ワイマール共和国の話を書いたが、西洋では、第一次世界大戦と、その戦後処理、というのは、歴史の節目として結構重要な意味がある。日本ではそこがあまり理解されていないようだ(俺も専門の研究家じゃないから深くはわかっていない)。
――とまあ、『世界史が簡単にわかる戦争の地図帳』三笠書房isbn:4837977502)をめくっていると、なんだかそんな気がしてくる(この本ではそこまでは述べていないが…)。

戦争の結果の現象は動機に関わりない

確かに、かつての日本の開戦動機はただ侵略だけとは言えなかったかも知れない。
が、結果的に日本の軍隊にぶちのめされたという人間には腹の立つ話だろう。
中国共産党の発表している日華事変の戦死者には誇張が含まれているが、だからといって、戦時中の日本の軍人は敵地の人間をいっさい一人も殺さなかった、などという話はない。
フィリピンのバターンでもビルマの泰麺鉄道でも、日本軍の進駐のため多くの人間が死んだ。古山高麗雄が書き残しているところによれば、南方でも「匪賊狩り」と称して、抗日ゲリラがいると見なされた現地の土民の村を焼き払った話が残っている。
本当に抗日ゲリラがいたかどうかはわからない。だが、日本軍の側としては、潜んでいる敵は怖い、村を焼き払わずにはいられなかっただろう。アメリカもベトナムで同じことをやった、今のイラクもそうだ。どこの戦場でも入り組んだ戦いになると結局こうなる。
この手の戦場の残虐行為は、べつに日本だけでもない。どこの国でもある話だ。
大戦中ドイツに攻め込まれた旧ソ連将兵は、そもそも自衛のために戦ったわけだが、それで苦戦の末に逆にドイツに攻め込むと、ベルリンでは相当の略奪や婦女子の強姦をやったという。ヒドい話だ。だが、人間の心理として、そんぐらいやるだろう、とも思う。
当時のソ連兵といえば、自軍の将兵すら消耗品のように使う独裁者スターリンのデタラメな命令で、ウクライナやカザフの田舎から右も左もわからないまま徴兵され、豪雪の中を何千キロも行軍させられ、仲間は何万人も戦死した。それでやっと憎き敵の都ベルリンについたとなれば、そりゃ、憂さ晴らしの蛮行ぐらいやるだろうさ。
しかし、やられた側のベルリン住民は戦後も腹を立てた。それも当然の人間心理だ。
アメリカはハールハーバーを攻撃されたので自衛のための戦争と称して広島と長崎の民衆に大虐殺を行なった。日本人にとっては腹の立つ話だ。
航空自衛隊の人間だった田母神(前)幕僚長の文章には、そういう等身大の人間の感情――過酷な戦場でせっぱ詰まれば人間はヒドいことだってするだろうし、また、そうしてヒドい目に遭わされた人間は、戦争のそもそもの動機が何だろうが関係なく腹を立てるものだ(だからいまだに中国も韓国もしつこくうるさい)とかいうこと――が感じられない。
それは田母神(前)空軍大将殿は、空軍の軍人なので、陸上で自分が敵兵を刺し殺すという想像力がなかったからではないのか? と感じているのはわたしだけだろうか。
飛行機やミサイルが戦争するんじゃないよ、人間が戦争するんだよ。