がるの健忘録

エンジニアでゲーマーで講師で占い師なおいちゃんのブログです。

興味深い「報酬」の話

元ネタはこの2つ。


首都圏有名中華料理チェーンがバイト不足で倒産危機「役員クラスが現場ヘルプに……」
http://www.cyzo.com/2014/05/post_17161.html
[original] 給料や業績の公開によって生産性は高まるのか?
http://boundedlyrational.wordpress.com/2014/05/18/open-salary/


で…下のURIからリーチした、以下の2つ。
給与を公開して企業運営の透明性を高める「オープン・サラリー」という考え方【ピックアップ】
http://thebridge.jp/2014/04/make-salaries-public-pickupnews
Bufferの「超透明経営」がやばい
http://www.ideaxidea.com/archives/2014/04/buffer_super_transparency.html


発端から全然違う方向に議論が進んでいくので、ちょいと切り分けつつ。

「品質の担保」は急ごしらえでは無理だよねぇ、ってお話

http://www.cyzo.com/2014/05/post_17161.html

人手不足で、店舗運営のクオリティが低くなったことが原因です。ヘルプで人が入っても、しょせんはヘルプ。接客や作業の連携が遅くなって、客からは不満の声が増えるようになりました。さらに、料理のメニューも手間のかかるものを削除していったので、明らかに客の評判が落ちました。

そらそうだろうよ的負のらせん。
それに加えて

近々いくつかの店を閉めますが、全体の利益が減ることを見越した社員たちのモチベーションが低下して、優秀な人材は早々に逃げている状況。

逃げれる人は逃げるよねぇ、ってのは、以前「エンジニアリングにおける生態濃縮問題( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110509/p1 )」でも考察したような「自然な流れ」なので。


もう一つ、「認識[できる|できない]、[数字|質]( http://d.hatena.ne.jp/gallu/20101115/p1 )」が出てくるので、経営者としては

昨年、人件費を抑えるためにバイト2人体制から1人体制に変えられ

って感じで「費用たる人件費を抑えることで利益を増大させよう」って考えたんだろうなぁ、と。
短慮…というか無慮なんじゃなかろうか? くらいに愚かな行為だとは思うのですが。
それが「愚かである」事を理解できないんだろうなぁ、とかいうあたりに、色々と。


給料とか報酬の類いって「上げたからモチベーションや忠誠心が上がるわけではない」ってのはtrueなんだけど、一方で「下げたら確実にモチベーションと忠誠心を下げる」ってのもまたtrueなので。
もうちょっと、その辺理解できないもんかなぁ? とか思うわけです。

「給料の公開」について、或いはお金のお話

で…別件でみたここをみて………あれ? っと。


[original] 給料や業績の公開によって生産性は高まるのか?
http://boundedlyrational.wordpress.com/2014/05/18/open-salary/


ん…先に本音をぶっちゃけますと。
行動経済学者・社会起業家
・現職:世界銀行コンサルタント合同会社エッジ代表。
・前職:アリゾナ州立大学助教授、慶応義塾大学特任准教授、内閣府訪問研究員、東京大学訪問研究員、カリフォルニア工科大学ポスドク世界銀行インターンコンサルタント
ってあたりで、割と「うわ天和」とか思ったわけなのですが(苦笑
んと…「経済学者、コンサルタント、研究員、起業家」の重ねがけは、正直、ドン引く(苦笑


で…内容がまぁなんていうか「予想通りに酷いなぁ」とか正直思った。


まず
http://boundedlyrational.wordpress.com/2014/05/18/open-salary/

給料公開サイトのリンクをメールで受け受け取った職員のうち平均より給料が低い職員は、仕事への不満を報告し、近いうちに転職活動を始める可能性が高いと答えた。その一方、給料が平均より高い職員については、仕事への満足度が高まった訳ではなく、転職希望を低減させるという効果もなかった。

平均ってのはなんだろう? と思うんだけど、多分見ている限りだと「この会社っつか役所の全社員(公務員?)給与の算術平均なのかねぇ」という感じ。
なんていうか「それほど無意味な比較は世の中に他にあるんだろうか?」ってくらい無意味な実験やってるなぁ、としか思わない。


まぁ「金額が低いって思ったら移る」ってのは、そりゃそうだろう、と。
http://www.cyzo.com/2014/05/post_17161.html

飲食店でのアルバイトの平均時給はここ2年ほど右肩上がりで、20円以上も増えています。ほかでも時給が上がっているのですから、ひとつのバイト先にとどまる理由がなくなり、ちょっと過酷だとほかへ移るという現象が起きているんです


勿論「金額だけを見てころころ職業や職場を移る」事が、必ずしも是、だとは思わない。
ただ見方を変えると「金額以外に魅力が無い職場なんだよね?」って話につながりゃせんかね?
その時点で「お仕事」としては、何か致命的に失敗してない?


一方で、透明経営と書いてあるサイトの話は、割と色々と腑に落ちる所がある。
まぁ
http://thebridge.jp/2014/04/make-salaries-public-pickupnews

記事ではさらにいくつか事例も挙げながら、オープンサラリーは生産性を上げる方法だとか、やはり公平性を促進するという側面を解説しています。ただ、当然マイナス面もあって、そりゃ気持ち悪いというのが最も大きいでしょう。全ての仕事は均一ではありませんから、それを絶対的な数値で評価されると、どうしても駆け引きみたいなことが発生するとも指摘しています。
自分の動きがなぜ数字になるのか、自分は何を貢献できて、何をすれば決定権を得られるのか、そういう透明性を高めることがクソみたいな職場環境になりがちなスタートアップの場合、特にメンバーの「モチベーション維持」には大切と考えられます。
そういう意味で、給与のみならず、さまざまな情報を積極的に開示して、メンバーとコミュニケーションをはかることがこの考え方の本質であり、経営者にとって大切な取組みになるのではないでしょうか。

という感じで、肯定面も否定面もすでに書かれてしまっているので、ここに何か書き足せるような話があるわけでもないのだけど。
強いて言えば
・短期的に給与を上げたのなら、会社の利益に直結するような事をやってよ
・でも「短期的に」の動きだけだと先々困ることもあるから、一方で「中長期に向けた布石とか学びとか種まきとか学習とか」もやろうね
ってところくらい。
その辺を踏まえた上で「全員が、一定比率、経営に対してなにがしか意見なり実働なりをコミットする」ってのは、とてもよいと思うし。それが「完全透明で給与に反映される」のであれば、それはとてもフェアになる可能性、があると思う。
「計算式が公開されてる」ってのもいいよね。


…考えてみると。
うちも請負の開発の時は、 http://www.grid-works-guild.net/money.html にあるように「明確に」してたわ。
そりゃ透明経営に納得いく訳だ似たような事考えてるんだもん(笑


さて…改めて「否定的な意見」について、考察をしてみたい。
http://boundedlyrational.wordpress.com/2014/05/18/open-salary/

以上のカリフォルニア州のケースでは、同僚の給料を知ることにより平均以下の給料をもらっている職員の仕事への不満が高まり転職希望が増えたため、給料公開は好ましい結果を生まなかったことが示された。

うん多分ここだろうなぁ。
カリフォルニア州は、2008年3月に全ての州職員」なので、多分、公務員さん、だと思われる…ってあたりもまた、調査対象(或いは考察対象)としては大分と不適切だと思えて、ってのが「公務員」「大企業的感覚の社員」「中小企業的感覚の社員」「ベンチャー気質の社員」「フリーランス(が間違えて社員になっちゃった人)」あたりで、この辺はまた大分と変わると思うんだけど。
いずれにしても給与は「その人がこなしているこなせる仕事に対して」金額が妥当かどうか、なので。
「全体の平均」を基準にしてどうするのさ? ってな話。


…うん多分「仕事」に対する見方が違っていて。
このBlog書いている女史は、経歴的にどうみても「現場にはいない」ので。典型的に「認識できる数字、認識できない質」の脳みそをお持ちなんだろうなぁ、って思ってみた。


まぁここから考えるに。
「質を求めたい」おいちゃんとしては、やはり「超透明経営」は、とても興味深いなぁ、と思ってみた。


うん。
この辺の「会社の制度」から「その会社の本音が透けて見える」ってのは、結構あちこちで、もしかするとあるのかもしれない。
その辺を少しだけ念頭に置きながら色々な会社を見たり聞いたり感じたりしてみるのもいいのかもねぇ。

専門外の事を書くなら専門家に確認をしてから

元ネタ
isbn:9784121504890:detail


プログラミングの方の内容は、現在まだ読み途中で「…ふぅん」くらい、なのですが。
一方で、P68から「占い」について言及しているんだけど…正直「ひどすぎる」。

私はプログラムで占いを再現するために、実は占い師からタロットを習ったことがあるのです。

とあるので、手加減抜きで。

どこで誰が行おうと、出た結果を信頼させる文脈を作れるか。そのために何世代にもわたって洗練され、構築された手順が占いなのであり

違う。間違っている。絶望的なまでにおかしい。
これは占いではなく「詐欺師の手法」。
なんだろうこの見識の時点で「占いとか語るなカス」って感じである。


次。
血液型占い(っつか正確には血液型性格診断)を扱ってるんだけど…これも何とも言えずに阿呆である。
アレが、真っ当な占い師の間で「どういう扱いされているか」分かってるんだろうか?

例えば血液型占いなら、占った日付や年度、お客さんの誕生日などの特徴も加えることで、結果に細分化を施せば、お客さんにとっては「自分だけの占いの結果」のように受け取れ、強い説得力が得られるでしょう。

ド阿呆。
そうだねぇとりあえず「特徴を加えるってのは、具体的にどうやるの?」「その加える根拠は?」の二つからstartかな。
なんていうか、この辺も「詐欺師」の匂いしかしないよ正直。


お次。

タロットカードは、22枚の大アルカナと、4種のスート(マーク)ごとに1〜13までの数が振られた、合計52枚の小アルカナで構成されています。

とりあえず0から学び直せ。っつか本当に学んだの? 誰から? 先生の名前を言ってごらん?


面倒なんでwikiから。

タロット(Tarot)、あるいはタロットカードは遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳は1から10までの数札、4枚の人物札をスートとした4スート56枚の小アルカナと、寓意画が描かれた22枚の大アルカナである。

小アルカナは「1〜10の数札と、コートカードと呼ばれる4枚の札」*4種類。56枚ってのが、定番中の定番。
勿論デッキによっての違いってのもあるけど、スタンダードなデッキは全て、小アルカナは56枚だし11〜13なんて数字はどこにも振られていないの。
ちなみにコートカード(人物札)は、ポピュラーなところだとPage、Knight、Queen、King。おいちゃんがお好みなトートの場合だと、Princess、Prince、Queen、Knight。
これらの「4種類のコートカード」は、地水火風の4エレメントを意味しているので。
例えば「Page of Wands」の場合、「火の中の地」を意味する。Wandsは火で、Pageは地を意味するから。これはつまり「火のエレメントの中にある地的要素」という意味合い。


…なんていう風に諸々の象徴ががっつりと絡んでるの。
そこで脳天気に「1〜13の数札」とか言っている時点で、基礎の基礎の基本の最低限、すら、学べていないことがまるわかり。

タロットは、向きによって、正位置と逆位置があり、逆位置では同じカードでも意味が反転します。

これもダウト。まず逆位置は「意味が反転するかまたは弱まる」だし、そも「逆位置を取らないデッキ」ってのもある。
まぁ「逆位置を取らないデッキもある」ってのは、素人に毛が生えた程度、では知らないだろうけど。「逆位置」について、この程度の理解だと、やはり、出来ていないすぎる。

たとえば、死神の正位置は「停止、損失」で、その逆位置は「死からの再生、やり直し」など。

流儀流派にもよるんだけど、これも基本ダウト。
本来、オカルティズム的には「死」ってのはデフォで「再生」を含む象徴なので。正位置に「再生」の意味が出てくるし、「損失」は、正位置にも逆位置にも、その意味を内包しないざんす。

タロット占いにもいろいろなやり方がありますが、22枚の大アルカナだけを使った占いが簡単。

ご冗談を。もしこれが「先生について学んだせいか」だとしたら、よっぽど「下手に習うと下手がうつる」の典型だなぁ、としか思えないレベル。

手順だけ見るととてもシンプルで、これでは誰も信じてくれないのでは、と感じるかもしれません。しかしこれこそ何百年にもわたって洗練されたことで完成した手法。実際に目の前で占うと「まさに私のことだ!」などと、たいていの人なら結果が自分の運勢であることに疑問を持たず、大騒ぎしてくれるはず。
では、いったいどこにその秘密があるのか。それは、手順の中に「自分のことと認識してしまう」心理的なテクニックが隠されていることにあるます。
例えば、最初に相手の年齢分だけカードを反時計回りに混ぜてもらうという手順。
普通の人は、年齢や誕生月は「自分に関係ある特別な数」であると常日頃から考えています。そのうえで、占い師と相手の年齢差を使う事で「占い師と自分との間にある特別な数だけ交ぜた」という感覚を生み出す事に成功しています。
そして極めつきは最後のカードだけ相手に直接引いてもらう手順。
これで相手は「自分も占いに参加した」という意識を否応なくもたされます。また、この手順で「占い師vs相手」という構図から「カードvs相手(&占い師)」という構造に変えることに成功し、「占い師でなく、神聖な何かが導き出した結果」と意識させているのです。

あぁうんなんていうか少なくとも「占いについては口にするな」。
あ、ちなみに念のため、占い師としての同業者に向けて一瞬。彼が言っている「手順」は、スリーカードスプレッドがベースで、最後に「もう一枚、そこだけ、相談者にカードを引かせる」という、僅かなアレンジなんだか変形なんだか、程度のものです。


んで。
「例えば、最初に相手の年齢分だけカードを反時計回りに混ぜてもらうという手順」いやンなシャッフル手順山ほどあるし。そも「お客にはシャッフルさせない」って占い師も山といるし(おいちゃんもやらせない)。
なんていうか、こじつけが酷い上に偏見が酷くてつなぎ方が滅茶苦茶なので、全体的に破滅的に劣悪。


で、最後。

錯覚を与え、心理誘導する「手順(プログラム)」が人々をコントロールすることは、タロット占いにもよく表れています。他人を納得させるため、もしくは人を思惑通りにコントロールするため、数千年もの昔から今まで手順が更新され続けている占いは、まさにプログラミング。占った相手を思ったままに誘導すべく、加えたり、省いたりしながら、占いというプログラムは今日も磨かれています。

なんだろもはや「狂ってる」としか。
「人を思惑通りにコントロールするために」占いをやってる人って、どれくらいいるんだ?(苦笑


ふむ…「一般の、ガチエンジニアさんでは無い人に向けて、多少なりプログラミングを教えるってのがもしかすると大切な時代がくるかも」と思って買った書籍ではあるんだけど。
いやまぁ他の部分も「…ちょいと強引っつか無理のある理論展開?」とは思ったけど、関係ないこととはいえ「ここまで滅茶苦茶に愚かな文章」を書いているんだとすると…この本、赤ペンキ本かなぁ?


とりあえず「本道」のほうは、もうちょっと読み進めて悩んでみますが。
この本の「占い」で書いてあることについては、びっくりするくらい愚かで間違っていてアウトです。


せめて。ちゃんと「習った占い師の先生のところにチェックしてもらって」から出せばよかったのに。
…それをやってこれなんだとしたら、その先生含めて救われないって話ではありますが B-p

占いは「信じる」ものじゃないし

よもや「占い師」の面での文章を連打で書く日が来ようとは(笑
…本格的に「そっちも動かせ」っていう、どなたか様、のせっつきなんだろうか?
とか思いつつ。


元ネタ
占いなんて信じる人はどうかしている
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140519/1400479509


ん…まず「信じる」って単語の定義をしてから。…国語の辞書だと「信ずる」なのね(笑
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/114702/m0u/%E4%BF%A1%E3%81%9A%E3%82%8B/

1 そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む。「神の存在を―・ずる」「成功するものと―・じている」
2 信用する。信頼する。「だれも―・じられない」「―・ずべき筋によれば」

ただまぁ、おいちゃんは先日引用した、こちらがお好み。より「辛辣に事実」だと思うし。
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20140506/p1

「信じる」とは「分からない物」をこうであると勝手に決めつける事。
人の本心は「分からない」が「一定以上良心的である」と信じなければ社会が成り立たない。
故に「信じる」という行為は社会そのもののために重要であり信用と信頼はそれ故に重い。
逆に「信じて欺された」では済まない公の事に関しては何事をも「信じて」はいけない。
最大限把握し理解しその上で「判断」せねばならない。

つまり「よくわかんないけどとりあえず本当だと"思ってみた"」ってのが「信じる」ってもんだと思われます。


ここを前提に。
んと…「個々には合っている文章も多い」んだけど、根本的な部分が残念、という、とてもすがすがしい状況でございます、ってのを見つつ。
合わせて「占いとどうやってつきあい、向き合っていけば良いか」の、おいちゃん的見解について、簡単にまとめてみようかと思います*1

世の中には占いを信じる人と信じない人がいます。

うんまぁその軸で考えるんならそうだろうねぇ。
ちなみにおいちゃんは「信じません」し、占いに来て下さったお客様にも一様に「信じるな」と言います。
長々引っ張るの面倒なので先に書いておくと。占いは「判断用の1材料にしてください。それ以上でもそれ以下でもありません」ってのがおいちゃんのスタンス。


まぁ、とりあえず続けて。

占いを信じない側の人達から見ると、教育を受けていない原始人が迷信を信じていたのはしかたがないにしても、まともな教育を受けた現代人がなぜ占いなんていう非科学的でバカバカしいものを信じるのか不思議でしかたがありません。

あぁ出た「非科学的」w
まぁ、占いを「信じていない」ようなので。つまり「よく分からないけどそうではないと思い込んでいる」人にとっては、そんなもんでしょう。

では占いを信じない人と占いを信じてしまう人とを分かつものは何なのかといいますと、それはおそらく「考える人」か「考えない人」かというところではないでしょうか。

ん…占いを「信じていない」人も、同じくらいに「考えてない」し、「知ろうともしていない」んだよねぇ?
その軸で考えるんなら、占いを「肯定するか否定するか」で。否定するのであれば「否定出来るだけの材料を持ってなきゃ」ならないし、つまりは「ある程度以上深く、占いを知らなきゃいけない」から。

たとえばこれまでの常識が急に通用しなくなったとして、じゃあどうすればよいのかと考える人は占いを信じません。

あぁ確かに彼らは「信じない」。ただ、同じくらい、その中の何割かは、占いを「利用しよう」としてくるかなぁ。
経営者さんとかを占うとその傾向が割と顕著に出てきて、ぶっちゃけ占ってて「すげぇ面白い」(笑

同じ場面でじゃあどうすればいいの?と答えを教えてもらおうとする人は占いを信じます。

あぁこれもいる。で、そういう人に対しておいちゃんは、正面切って「信じないでね。貴方の人生を俺が決めるつもりもないし。貴方の人生は、貴方が自分で決めていかなきゃならないものなんだから」って、冷や水かける。


なので

いろいろな人の意見を聞きつつ自分で答えを探そうとする人は占いを信じず、だれかに答えを出してもらおうとする人は占いを信じます。

これはダウト。
「いろいろな人の意見を聞きつつ」の、1つの意見として「占い師に、占いという見地からの参考意見を聞く」っていうルートが存在しているから。

つまり、自分の人生で最も頼りにするべきは自分自身だということに気づいている人は占いなんていうものを信じようとはまったく思いません。逆に、自分の人生で最も頼りにすべきは自分しかいないという現実から逃げたい人は占いを信じたり、新興宗教に入信したり、とにかく自分ではない何者かに人生の舵取りを任せようとします。

これも論調は全部一緒。
ん…なんていうか、視点が凝り固まっているというか思考が一方向というか。

自分の生活に問題があるのを政治のせいにする人も占いを信じる人たちに似た存在です。彼等は政府や政治家が自分を心配してくれるもの、自分を心配してくれねばならないものだと思いこんでいます。自分自身が赤の他人の生活を心の底から自分のことのように心配したことなど一度もないにもかかわらず、政府は自分を心の底から自分のことのように心配しなくてはいけないと思っています。

…はて。急に論調っつか内容がゴロっと変わったな。…うん、ここが「言いたいこと」なんじゃなかろうか?
つまり「政治の話をしたい → 信じるとかその辺で占いとこじつけてみた → 書いてみた」って感じ。


まぁその辺はどうでもよいのだが(笑


話を占いにもどして。
うんまぁ確かに占いを「信じちゃう」人はいるんだけど。アレは信じる物ではなくて「参考にする物」なので、気をつけましょう。
特に、経験上、女性よりも男性のほうが「信じちゃう」深度は深いような気がするので。…そう考えるとBlog主も、無意識に「自分が占いにドはまりする」ことに気づいて、恐怖心とかを喚起して「近づかないように」本能が色々となにかやってるのかもしれない。


ちなみに占いは、統計学、ではなくて(統計的に優位なデータとか存在しないし、そもどうやって「統計を取るか」ってのからして突っ込みどころ満載なので)。
占法にもよるのですが、一般的に習う科学とかとは「違う考え方」による、単なる考察とか分類とか類推の方法です。
まぁとりあえず、その「占い」ってのが「命術なのか卜術なのか相術なのか」ってあたりでも随分色々変わるので、「占い」って一言で括るのはちょっと荒っぽいすぎる。


ちなみに中国のほうだと、中国五術または仙道五術といって、命卜相医山(または山医命卜相)って感じで、上述の3つの占いに、医術と山道(概ね仙道と一緒)になって、これはこれで面白い体系になってます。
つまり…


命術によって自分と周囲の流れである宿命を知り、相術によって現在の本人に出ている表れを知り、卜術によって天命や運命の流れ向きを知り、医術によって問題があるところを修正修復し、山道によって大地自然の気を得て自らを鍛錬す。


的な。
ちなみに「観相」に近いことは、実際、中医学の人ってやってますねぇ。まぁ西洋医学でもやるか普通に。
なので、別に「そんなに遠い世界のお話」って訳でもなかったり。


閑話休題


占いは「参考資料」です。それ以上でもないし、それ以下でもないし。
そのくらいのスタンスを外さなければ、よい指針にはなり得るので。


…日本人に固有なのかなぁ? 世界的に普遍的なのかなぁ? なんか「絶対」を、みんな、探したい感じだよねぇ、と。…あぁこれもまた一つの「銀の弾丸」なのかも。
そんな便利な弾丸はないので。
自分の人生のレールは、自分で引いていきましょう。


ただ。「普段自分ではあんまり見ない視点」からの意見が必要であれば。
「参考程度」のものとしては、占いって、とっても便利なものだと思いますよ?

*1:後日そっち方面のPageを別途作る予定なのですが、そのための考察ネタの布石、とも言えるw