がるの健忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-07-14

[][]「挨拶」と「放てば手にみてり」

挨拶は…詳細はあっち*1に譲るとして。

とりあえず「いいからやっとけ」という感じですかねぇぶっちゃけ。厳禁なのは「無関係な部署だから挨拶しなくてもいいや」とかいうよくわからない線引き。

目と目が合ったらSANチェック*2…ぢゃなくて、ご挨拶。

それが職場で「とりあえず無関係な部署」だったとしても。っつか駅の売店のおばちゃんとかにもちゃんと挨拶しましょうね、と。

結構元気もらえますから。


放てば手にみてり、のほうは…うん言い方を変えると「井の中の蛙するな」って感じかなぁ、と。

デバッグで、散々耳にしますからねぇ「ここはちゃんと動いている"はず"です!」って。そんな無駄な思い込み、手に持っててもしょうがないのに。

とりあえず。15分小休止して、頭すっきりさせて(おいちゃん的には…シャワー、カフェオレ、甘ものがお薦め。お散歩とか、体を軽く動かすのもグッドですねぇ)。

そうすると、ぎゅ〜っと握りしめていたむだなものがポロリンコと落ちるので。

結果放つことができるので、ちゃんと「欲しいものが」手に入ると思うですよ。

*1:どっちよ?

*2:マルCは…誰なんだろう?

2009-04-21

[][]諸行無常とか無常観とか

こっそりとカテゴリが追加になってる今後の布石は気にせずにw


んと…諸行無常とか無常観とかって単語があるのをみなさんはご存じでしょうか?

coreになるのは「無常」。つまり「常なるもの無し」です。「万物は流転する」と書くと別の人の言葉*1になりますね。意味は一緒ですが。

変化をしないものはない、というのがこの考え方なのですが。


システムにおいても「全く同様」の事が言えるのではないか、と、思っています。

というか、どこかで「これは絶対に変わらない」なんて無意識を持っていませんか?

あらゆるものは変化します流転します無常です。

…という言葉における「あらゆるもの」に含まれないものは、何一つないのですが。きっとそれでもなお人は、つい。

「あらゆるもの」の中から、自分にとって都合の良い、或いは都合の悪いものを意図的に、無意識に、排除してかかります。


今一度。定期的に。

自分の持つ全てを、問い直してみては如何でしょうか?

もしかするとそこには「実はすでに変化した、流転しつつある」新しい流れが、見えてくるかもしれません。


それとも。

「水から茹でられたカエル」のように、ゆっくりと、致命的なところまでゆだってみますか?

「水であるはず」という思い込みにしがみついて。

*1ヘラクレイトスの言葉だと言われてますが、実際の所、よくわからないみたいですね

2007-07-04

[][][]四つのいましめ

んと。「尽くすべからず」、つまり「やりすぎんなよ」っていう方向性の4つの言葉があるです。

いずれも大変に重要にして深い内容なので、ここに記しておきます。


勢い使い尽くすべからず

福受け尽くすべからず

規矩行い尽くすべからず

好語語り尽くすべからず


以下、個々に説明を。


勢い使い尽くすべからず

自分の知力財力体力その他。勢いに任せて使いすぎやり尽くしてしまうことへの戒めです。

常に余力を残し、周囲を自分を観ることを忘れずにしておきましょう


福受け尽くすべからず

幸せを恵みを。自分一人で独り占めして何が楽しいのでしょう?

お裾分けお福分け。そんな言葉を思い出しましょう。


規矩行い尽くすべからず

「規矩」ってのは規則規範の類です。ルールに無駄に縛られて「なぜそのルールが出来たのか」を失念してしまえば、それはただの暴走列車です。


好語語り尽くすべからず

言葉だけがすべてではありません。行動が背中が人生が語る言葉のどれほどに雄弁なことでしょうか。


以上しっかと心に留め置きましょう。…俺もな。

2007-06-26

[][][]直心是道場

最近、禅の言葉に面白いモノをたくさん見つけるのですが。

今日はこの「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」と、「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」の言葉を持ち出してみようかなぁと。


意味は「まっつぐな心持ちでいれば、日々の一歩一歩がすべて修行の場となりうる」ってな感じです(まとめちゃった)。


よく耳にするのですが「勉強をする暇がないほど忙しい」。

ふぅん通勤時間は何をやってるんでしょう?

ってか、日々の打ち合わせだの教育だの実作業だのその準備だのその下調べだのは「もはやひとかけらたりとも学ぶモノがない」ほどに理解し熟知し考察しつくされ結論が出まくってるモノなんでしょうか?


時々、モノの本に「普通にやっていたんでは成功しない」とか書いてますが。

むしろ「まず普通にやろうよ」って思います。だって「普通にですらやってない」人が、どれだけか多くありませんか?


よしに学び、あしに学ぶ。そんなもんじゃないかなぁと思う今日この頃です。

2007-01-05

[][]初心忘るべからず

誰でも知っていそうな文章ですが。…実は、多分「全然違う切り口」があります。

どっちが正しい、とかいった正否をどうこうするつもりもありませんので。「目新しい発想だなぁ」程度にご覧くださいませ。


忘れちゃいけないとされる「初心」。では。初心ってのははたしてどんなものなのでしょうか?

学びたて習いたて。何かをはじめた頃の、一番初めの頃に持っていた心。


いえいえ。実は。まったく違う切り口で。こんな意味もあるのです。


人の心は器のようなものです。

始めは空っぽでも、そこに経験という水が学びという水が知識という水が注ぎ込まれ、器を満たしていきます。

それはそれで素晴らしいことです。

しかし。何かを学び取るときに。もしあなたという器の中に、すでに満杯の水が入っていたとしたら。あなたはどうやって、経験という新しく注がれた水を受け取れるというのでしょうか?

器を空にすることこそが。或いは、学ぶためにもっとも大切なことなのではないでしょうか?


卓越しているということは素晴らしいことであると同時に最低でもあるのです。

未熟であればこそ、不出来であればこそ、不得手であればこそ、初めて学べるものが、そこには存在しうるのではないでしょうか?*1


初心とは「自らという器を空にすること」です。

それは「初志貫徹せよ」という硬直した教えではなく。

初心とは「時として自らを虚ろな器と為しうる」やわらかい心を意味するのです。


そんな。禅の心による「初心」を考えると。

初心忘るべからず。

それは、自らを未熟な空っぽの状態にし、その状態をも大切にしなさい。未熟な自分に立ち返りなさい。

そんな意味もまた、あるのかもしれません。

*1:「恵まれているという不幸」と同じ発想だなぁ。