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2003-06-30 魔夜峰央スペシャルインタビュー!

[][]魔夜峰央スペシャルインタビュー!

http://www.realguide.ne.jp/realonehome/from_editors.html

実際、パタリロ以外のキャラクターが主役の話は、全部失敗しているんです。なぜかっていうと、キャラクターが動かないから。押しても引いても、動かない。パタリロは、ポンって背中を叩くと、ダ−−! っと走っていく。それはキャラクターが持つ力なんですよ。

 それをみているタマネギ部隊の隊員が、読者の視点になるのかな?

 まだ脳が疲れていると思うので、更新は軽めにしよう。

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2003-06-29 知性の欠落

 昨夜は友人とプエルトリコをやった。

…という話を書くつもりだった。

 昨夜のゲームを分析していると、信じられないミスを何度も犯しているのに気がついた。

 ゲーム中に、戦略的思考が全然できなかった。そしてそのことに、昨夜は全く気がつかなかったのだ。

 ゲーム前に、工場を狙う作戦を立てていた。

 そしてその作戦がうまくいきそうにないときは、造船所か港を建てる代替案を考えていた。

 しかしその代替案を思い出すことができなかった。

 工場を建てては追いつけないと思いつつ、他のアイデアが思いつかなかったので、やはり工場を建ててしまったのだ。

 プレイ中、「あれれ、なんかおかしいぞ」と思いつつ、修正ができなかった。

 目は冴えていて、眠けは全くない。心は平穏無事であった。しかし知性はすっぽりと抜け落ちていた。こんな経験は初めてだった。

 慢性的な睡眠不足と脳の疲労。これが原因だ。

 思いついたことを忘れたくないからこの日記を書いているのだが、ちょっと長いものを書くと睡眠時間が減ってしまう。

 最近は長文が多くて、睡眠時間が一時間半から二時間半だった。

 文を書くときは、自分のペースで思考をまとめることができる。

 しかしゲームとなると、他人の行動を見据えて思考をまとめなくてはいけない。

 ゲームは、結構頭を使うのだ。

 今までは目が覚めていれば、(個人の限界に近い範囲で)知性的な判断ができると思っていた。

 それが昨夜、覆されたのだ。

 はっきりいって、ショックだった。

 まぁこれからゲームをやるときは、前日にちゃんと睡眠をとることにしよう。

 それから長文を書くときは、日にちをおくことにする。

 睡眠や休息について考え直すいい機会になった。

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2003-06-28 ゲームを遊び続ける原動力

id:mutronixさんが、紹介してくれました。

http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20030628

 エラリー・クイーンの文章、面白いですね。

 私も笑ってしまいました。

 あと、テレビゲームの面白さについて、私は自分の考えを書かずに別の方向にいってしまったことに、今さら気づきました。(汗)

id:mutronixさんの、時間に注目したコメントには納得がいきますね。

 ひとつ思い出したことがあります。

 ブラジルの人とネットゲームを遊ぶとします。

 通信格闘ゲームを遊ぼうとすると、どうしても十五分の一秒ずれてしまう。

 これは無視できないタイムラグであり、これをどうにかしない限り、通信格闘ゲームを快適に遊ぶことができないらしいです。

 光の速度さえ、人間は満足できないようで、時間というものがいかに人間の快楽につながっているかという、非常に極端な例だと思います。

 ちなみにテレビゲームの面白さについて、もっとも多くの情報が載っているだろうと思われるサイトを紹介しておきます。

ざるの会(http://www008.upp.so-net.ne.jp/zaruo/zaru/index.html

ゲームデザイン入門(http://www008.upp.so-net.ne.jp/zaruo/zaru/backnumber/nyuumon/index.html

 さて、今日書こうと思っていた本題に入ることにしよう。

 注意

 これから続く文章は、はっきりいって長すぎます。

 推敲するべきだと思いますが、眠たいのでパスします。

 そのかわり結論を先に書いておきます。

 一応結論に至る長文・駄文はそのあとに続きますが、無視して頂いてもかまいません。

ゲームを遊び続ける原動力は何か。

いくつかある理由の中で、信頼は非常に強い原動力であるといえる。

[]ゲームを遊び続ける原動力は何か

 なぜゲームを遊び続けているのか、卒業しないのかと尋ねられたら、なんと答えようか。

 面白くて飽きないとか、暇つぶしにもってこいとか、いろいろと思いつく。

 しかしここは、自分の意思で遊んでいるのか、自分の意思とは関係なく遊んでいるのかということに注目したい。

 どうやってこの違いを見極めるかというと、プレイヤーが自分の意思でゲームを止めることができるか、ということである。

 自分の意思でやめることのできるゲームは、わりと健全なゲームだと認識されやすい。

 良いかどうかは別として、商品としてゲームを作るときは、面白くて、ちゃんと一区切りがつくゲームを心がけるべきであろう。(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030529#p3

 MMORPGが非難を受けやすいところは、プレイヤーの意思でゲームを止めるきっかけが少ないところにある。

 理由の一つは、区切りがつきにくいところだろう。

 そしてその他にも、理由がありそうだ。

 それについて詳しいサイトがあるので、紹介することにする。(http://lovelove.rabi-en-rose.net/usada4.php

20030415

MMORPG の最も画期的だった点は、それが自己満足システムではなく、自己顕示システムだった、という点にある。

フラインのゲームは、スコアアタックのような要素を持っている場合を除けば、基本的に全ての結果が自己満足に過ぎない。キャラクタがどれほど強くなろうと、あるいはレアアイテムを手に入れようと、それは他人にとっては全くどうでもいい話であって、それを自己顕示の手段とするのは、不可能ではないが、非常に難しかった。

しかし MMORPG は違う。MMORPG における強いキャラクタやレアアイテムの所持は、例えそれが膨大な時間の投入によって得られただけの無意味な数値だったとしても、「社会的成功」であり、他人を出し抜いた結果であり、他人の羨望や嫉妬を集める手段、つまり自己顕示手段そのものとなる。これは意識するか無意識であるかに関わらず自動的にそうなる。ここに「人間に快楽を与えるシステム」としての、MMORPG とその他のゲームの決定的な差が存在する。つまり、通常のゲームでは何をやってもせいぜい自己満足パターンでしか麻薬が得られないが、MMORPG ではそれに加え、自己顕示パターンで強烈な麻薬が得られる、ということだ。この差は計り知れない。

自己顕示はそもそも、MMORPG においてだけではなく、人間の人生にとって非常に重要なキーワードだ。全ての人間は、寝たい、食べたい、と考えるのと同じように、常に自己顕示したいと考えている。しかし、多くの人間にはそれを為すだけの力や資産がなく、一部の才能のある人間を除き、ほとんど誰もこの欲求を達成することができなかった。MMORPGはそこに救世主の如く現れ、何の才能もない人間でも、時間さえ消費すれば自己顕示が可能なシステムを与えた。結果、MMORPG はそういった層の人間を心を強く掴み、支配し、依存させ、「麻薬漬け」にした。

つまりそういうことではないか?

 辛口の意見である。

 時間をかければ強くなるMMORPGは、現実の社会から独立していて、プレイヤーの努力が実る世界なのでハマりやすい、という意見は今までにもあった。

 それを一歩推し進めて、自己顕示欲求につなげているところに、独創性が見受けられる。

[]郵便を使ったネットゲーム

 私は10年前ぐらいに、郵便を使ったネットゲームを遊んだことがある。

 ネットワークが限られた時代に、一ヶ月一行動という制限でゲームをやっていた。

 プレイヤーはキャラクターの行動を書く。

 ゲームマスターは、行動結果を書いて送ってくる。

 それこそ誰かを出し抜くことや、多くの人の目に触れる文章の中に自分のキャラクターがでてくることは、とても楽しかった。

 だからMMORPGをやったことがなくても、思った以上の成果をあげて自己顕示欲求が刺激されたことの快感については、私も理解できる。

 普段の生活の空き時間にも、他のプレイヤーと情報交換し、キャラクターの行動についてずっと考えていた。

 ゲームが進むにつれて、他のプレイヤーを出し抜くだけでなく、ゲームマスターを驚喜させるような行動を考えるようになっていった。

 そしてそれは、何度も報われた。

 だんだんと、ゲームマスターたち(のセンス)を信用するようになっていった。

 しかし、風向きは変わってきた。

 自分のキャラクターの行動がゲームマスターの一人に理解されなかったのか、まるで違う行動結果が何度も返ってきたからである。

 身近に思っていた人たちが、型にはまった態度をとってきたら、距離感を感じるようになる。

 結局三年ぐらいで、郵便ネットゲームを止めた。

[]人間関係

 ゲームを続ける原動力は何かといえば、人間関係が結構大きいような気がする。

 ゲーム仲間の存在は、見えやすい人間関係といえる。

 それに対して、ゲームの作者に対する信頼は、見えない人間関係といえる。

 ゲームの多くは、作品として残る。

 その作品こそが、ゲームの作者に対する信頼となる。

 しかしMMORPGは常に変化し、ひとつの作品として完結していない。

 だから状況によって、信頼が簡単に崩れてしまう。

 ここがMMORPGの弱点かもしれない。

[]自己顕示欲と信頼

 実際にMMORPGをプレイしている人の日記を読んでみると、寛容な人やユーモアに溢れた人が存在する。

 こういう人たちは善意によって自己顕示欲を満たしているといっていいだろう。

 また、日記という形で自己顕示欲を満たすことのできる人であるとも言える。

 私が郵便ネットゲームをはじめた時は、出し抜くことが確かに面白かった。

 しかしゲームに慣れると、ゲームマスターがどう反応するかとか、一人できないことを他のプレイヤーと共同で行動したほうが、面白いと感じるようになっていった。

 これは交流が歓迎されているMMORPGでも、当てはまると思う。

 自己顕示欲を満たすことはたしかにありうる。

 ただそれ以上に、他の誰かを信頼したり、交流することがもっと大きな快感になって、ついついゲームを続けてしまうのではないだろうか、と私は思っている。

 人が人を信頼するメカニズムというものに、目を向けるべきかもしれない。

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2003-06-27 ゲームのどこがおもしろいのですか

[]ゲームのどこがおもしろいのですか

http://www.thirdagestyle.com/column_free/column.ihtml?author=12&volume=002

 これはスラッシュドットコメントの中で紹介されていた

http://slashdot.jp/articles/03/06/12/0549235.shtml?topic=31

 なかなか難解な質問だと思う。

 世の中にはゲームが好きになれない(ならない)人もいる。

 そういう人を納得させることはなかなか難しい。

  • ゲームに対する不安
    • 苦しい状況を乗り越えると、プレイヤーは快感をもよおす。しかし苦しい状況自体、全く受け付けない人もいる。(例えば緊張すると、冷静になれない等)
    • 情報がよくわからないので、判断も決定もできない。自分がどのような状況になっているかもわからない。
    • コンピュータゲームの)操作ができない。
    • ルールなどの決まりごとを覚えることがしんどい。ただしゲームの雰囲気などに惹かれていれば、何とかして覚えようとする場合もある。
    • 勝ち負けのために、他人とのコミュニケーションが不安定になっていないか心配である。
    • ゲームを遊んでいる姿が不気味に見える。
  • なぜゲームをするのか
    • ギャンブルと違って、ゲームには現実に見返りがないので興味がない。
    • 面倒くさい。
    • ゲームを一緒に楽しむ友人がいない。話題にならない。

 今私が思いついた、ゲームを好きにならない理由をあげてみた。

 それは二種類に分けられるのではないかと思っている。

 ゲームに関心のない人を巻き込むのが難しいのは、「ゲームに対する不安」と「なぜゲームをするのか」という動機を、同時に解決する要素がなかなか見当たらないからである。

 こうなると、映像・音楽コンポーネントで人をひきつけたり、人間の好みや心理を研究する、ということになる。

 これについてはまた機会があれば、書くことにする。

 この次は、なぜゲームを遊び続けているのかについて書くつもりだ。

2003-06-26 プエルトリコ はじめました

[]

 いやーもう、プエルトリコ大興奮!

 失礼。あまりにプエルトリコが面白かったので、文章が支離滅裂になってしまった。

 数日前にプエルトリコを初プレイした時は、ルールの難解さやインストの不手際により、雰囲気が悪くなった。

 しかし今回、正しいルールを全員が把握したことによって、やっとまともなプレイをすることが出来た。

プエルトリコとは何か

 プエルトリコは、土地を開拓し経営するゲームである。

 プランテーションを開拓し、建物を作り、入植者を募り、生産し、出荷する。

 建物には勝利ポイントが設定されている。

 また、出荷すると勝利ポイントが手に入る。

 ゲームの終了時に、勝利ポイントを合計し、最も高い人が勝利することが出来る。

このゲームの特徴

  • 足し算の面白さ
    • 箱庭ゲームなので、発展していく様子が楽しい。
    • 建物の能力にコンボがある。(相性のよい能力を組み合わせて、さらに多くのメリットが生じる)
  • ジレンマ
    • 誰かの執った行動が別のプレイヤーに大きく影響をおよぼす。
    • ゲームの勝利条件と終了条件が異なっているので、よりジレンマが生じる。

 ジレンマを楽しむ人に向いたゲームである。(私は好きだ)

 ゲーム初心者には辛いかもしれない。

成績

 三人でプレイした。

 三戦一勝の成績であった。

第一戦

 第一戦は、採石場を一個もとらず、コーンの出荷ばかりを行った。

 下家が同じく生産型(出荷で勝利ポイントを稼ぐ方法)。

 最終的には、造船所を建ててコーンを支配した私の勝利。

第二戦

 第二戦は、採石場とコーン・タバコを取った。

 コーンは出荷・タバコは商人に売ってダブロン(貨幣)を稼ぐ。

 生産型と建築型(建物で勝利ポイントを稼ぐ方法)の中間型。

 おいしいところにあいのりをして、経営自体にさまざまな手があって楽に勝つことが出来ると思われた。

 しかし最後に出荷すべきところに別の手を打ってしまい、逆転負けを喫した。

第三戦

 前回のタバコの売却益が注目を浴びたことにより、タバコに人気が生じる。

 上家・下家ともに生産型を目指す模様。

 途中まで私も生産型だったが、裏をかこうと建築型に移行して、結果的に失敗、敗北する。

 三人プレイで、生産型に囲まれると辛い。

 まず序盤に、小さな倉庫を立てなかったことが敗因であると思う。

感想戦

 何せ初心者なので、まだわからないところが多い。

 でも一応、考えたことを書こうと思う。

  • 生産物を分散しておくと、柔軟に出荷できる。
  • 宿屋(病院)が二つ建つと入植者の減りが早い。他のプレイヤーが宿屋を建てたら、追っかけるより農場を建てたほうが良いような気がする。これは次の課題とする。
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2003-06-25 コピーの販売

「さくら出版」原稿流出事件・関連リンク集

http://www10.ocn.ne.jp/~comic/sakura.htm

 これを読むと、漫画家の立場の弱さなどがわかる。

http://homepage2.nifty.com/mineco/sakura-untitled.html

原稿とは何?

 生原稿はひとつの動産であって、著作権とは別物であるわけだ。

 こういう事件が起きるまでは、考えつかなかったことだ。

 そもそも漫画は印刷によって、つまるところコピーの販売によって作家にも利益が分配されるわけで、こういう地雷は漫画業界以外にもありえる。

 以前荒木飛呂彦は、仙台からファックスで原稿を送っていたことを何かに書いていたので、そういうことが日常茶飯事に行われていると今まで思っていた。

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2003-06-24 日本のボードゲーム

「70年代ゲームが新しい――人生ゲームオセロ…新商品続々」(http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/media/index.cfm?i=e_ss139)

家族や友人などで楽しむゲームの売り上げが伸びている。タカラの「人生ゲーム」やバンダイグループのパルボックス(旧ツクダオリジナル)の「オセロ」、トミーの「モノポリー」などはいずれも販売好調。各社ともこの夏にかけて新製品を相次いで投入する。ばく大な費用をかけて開発される昨今のゲームソフトとは対極にあるアナログ商品だが、懐かしさと価格の手軽さが人気の背景にあるようだ。

 こんな記事もありましたよ、ということで。

まんだらけの社長のコメントが更新されていた。

 古物商の世界というものは、素人から仕入れする時に、古物商が値段をつけるのが当たり前になっている。

 そしてその商品に自由に価格を設定し、売るわけだ。

 よって古物商は、強気に出たほうが商売人として優秀であるといえる。

 しかし社会の全てがそういう約束で成り立っていない。

 むしろデフレ経済といわれている昨今では、仕入先にもお客にも、頭を下げている人が多いと思う。

 だからまんだらけの社長の強気な態度に、世間・一般社会とのギャップを感じて感情的になる人が出てくるのだ。

 このへんを彼が理解しないと、多くの人から理解を得られるのは難しい。

 きっと彼は、まんだらけに対する妬みだと判断しているだろう。

 なお、彼の最新の記述によると、文章を公開するときは全文でお願いしたい、ということなので、その意思に沿ったやり方をとろうと思う。

 6月22日(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030622)に彼の文章をもとにコメントをつけたので、ここで全文掲載することにした。

 ただちょっと気になるのは、彼の文章は以前のものに手を加えられているところだ。

 修正文に対して私はコメントをつけたわけではないので、修正前の文章をここに載せることにする。

 あくまでけじめだ。

修正前の文章

No.117  From 社長(古川)

「○○さんからの返信への返信です」


昨日ある漫画家の方の弁護士さんがお話しがあるとの事でまんだらけに来られました。

何日か前にその漫画家の方からお電話を直接頂き、

「そちらで私の漫画原稿が売られている様なので、とりあえず差し止めて欲しい」

と要望を受け、それを受け入れました。

その後またすぐにその方の弁護士さんから同じ事を申し入れられ、

「もうすでに差し止めてあります」

とお答えしました。

翌日その弁護士さんから再びお電話があり、

「ホームページを拝見しました、確かに掲載されていませんね。お店の方では売っていないんでしょうね?」

というお問い合わせがあり、

「お店の方でも差し止めてあります」

と申し上げたのです。

それから2,3日たっての御来社でした。

その弁護士さんのお話は開口一番、

「あの原稿は○○先生のものです、返して頂きたい」

と言うものでした。

原稿の所有権はこちらにあるからすみやかに返しなさい。

あなた方には所有権はない・・・という事なのでしょう。

もちろん私はお返しする気でいたのですが、その後

「それでどうすればいいのですか」

とお聞きになるのです。

でもそれは私が逆にお聞きしたい事でした。

お話があるというので時間をとってお待ちしていたのに、

どうすればいいのかはないと思うのです。

とにかくそれ以上のことはおっしゃらず、

「どうしたらよいのか」

の一点張りでした。

そこで私は、

「それでは一度キチンと漫画家さんとお話をさせて下さい」

と申し上げたのです。

弁護士さんは、

「先生はお忙しいので・・・」

とおっしゃいましたので、確かにその通りなので、

「お電話でも結構です」

とお答えしました。

1時間も喋ろうとは思っていないのです。

5分か10分あればよいと思っています。

一度キチンと御本人とお話をしておかないといけない問題だと感じたのです。

さて前置きが長くなってしまいました。

納得の行かない私の応対にお怒りかもしれませんが、もう少しお付き合い下さい。

まんだらけには毎日様々な品が持ち込まれます。

おそらく5万から10万点位でしょうか。

もちろんその中には漫画家さんの原稿もあるのです。

それも皆さんが想像しておられるよりも多くの量が取引されているのです。

昨日も原稿まるまる二作品分が入って来ました。

この丸々一作品という制限を取れば、ほとんど毎日のように原画、原稿の入荷はあるのです。

今回問題になっているのは、まんだらけが盗品を売ったかどうか・・・あるいは盗品とわかっていて売ったかどうかが焦点になっているのでしょうか?

どうもその辺りもハッキリしませんが、もしそうならキチンとお答えしておきますが、その様な事はありません。

私達はこれまでも現在もそういうことで、訴えられた事も現在係争中の事件もありません。

毎日大量に扱っているから、神経が麻痺しているのではないかという考え方があるかも知れませんが、私達は商法にのっとりキチンとした買い取り方をしております。

この事に関して何ら問題はないと思っております。

いや問題はない訳ではないのですが、複雑なのです。

私がこのビジネスを始めてずっと考えて来たのは、

「どうしたらこの立派な日本文化たるマンガアニメの世界を本当にそう呼べるようになるのか」

という事でした。

今回はやっと世間的に少しは問題化してきていますが、何故今までもこうした事が頻繁にあったにもかかわらず放っておかれたかという事があります。

これまでまんだらけは多くの出版社の方達と原稿返却のお話し合いを致してまいりました。

そのほとんどがスムースに行われたかと申しますと、私はそうは思っておりません。

漫画家の方と出版社の方達はダイレクトにお話しが出来るのに、私達はどうしても出版社の方を通すか、弁護士さんを通して漫画家の方達とお話しする機会がないのです。

「まんだらけはお金が欲しいのだろう。原稿の代金を払うから返しなさい」

それですべてが終わるのでしょうか?

それでこれまでは終わっていたのです。

しかしこれからもそれでいいのでしょうか?

私はずっと腑に落ちない思いでおりました。

そしていつか機会があればキチンとした話し合いを漫画家の方達としてみたいと思っていたのです。

まず何故そんなに大切な漫画家の原稿がホイホイ世の中に流通するのでしょうか?

出版社の管理がずさんなのでしょうか?

編集者に悪い方がいるのでしょうか?

原稿専門の盗人がいるのでしょうか?

そういうシンジケーションが存在するのでしょうか?

まんだらけが売るからなのでしょうか?

まあ色々出しましたが、私が最大の原因と考えているのは、

漫画家の怠慢・・これが一番の原因と考えています。

この辺りは相当漫画家の方達から反論が来るかも知れませんが、あえて今言わせていただきたいと思います。

実は単純に「漫画家の怠慢」でもないのです。

そこには非常に巧妙に操作されたカラクリがあるのですが、まあそこまで申し上げなくても、もう少し現代の漫画家さん達には独立心の自覚と、本当に原稿が大切な物ならば、そういう風に原稿を扱う意識が必要だと思うのです。

今の日本マンガアニメは多くの優秀な漫画家編集者、読者によって築き上げられて来ました。

そこには編集者漫画家の絶妙なコンビネーションがあったことも事実です。

しかし今日に至って、出版社(編集とはまた別)は大切なコンテンツ製造者である漫画家さん達を独占するために様々な手管を用意しています。

私はそれは企業がやることですから別にどうこう言うつもりはないのですが、ただそこから派生する多くの矛盾に皆さんが気づいていなくて、しかもそれがこれから世界に発展して行こうというマンガアニメ文化を阻害している事がどうにもがまんならないのです。

このまま話し続けると、版権問題や新刊が売れない問題(新人漫画家が食えない問題)に話題が移行してしまいますので、少しお話を戻しましょう。

出版社漫画家さんの原稿をお預かりしたならば、預かり書を発行すべきですし、漫画家の方達もキチンとした契約を結ぶべきです。

「いやもう長い付き合いだし出版社に全部任せてあるから」

そうおっしゃるなら出版社が原稿をどうしようと文句は言えないはずです。

一般社会人なら当然そうあるべきではないでしょうか。

どこかの出版社の新人賞を取ったばかりの漫画家さんなら、いやいや新人賞をとれば立派なものですから、そうではなく編集者さんのお情けで、たまたま穴があいた所の埋め原稿でデビューしたという新人さんならいざ知らず大家、大御所といわれるような方達なら堂々と出版社とそうした契約は交わせるはずですし、そうすべき社会的な義務(漫画家のステイタスの向上という意味からも)があると思うのです。

ところが実際はそうしたずさんな原稿管理をしておいて、返却されなくても、なくなってさえも騒がないでおいてですね、

「まんだらけが売っていたんだと、とんでもない奴だ!盗っ人め!」

では私達はうかばれません。

ここからまた別の問題が始まります。

それでは何故まんだらけでこうした原稿が売られていたのでしょうか?

いまこうして書いている途中でも現実にすでに私は何十万かの原稿を買っているのです(今日は土曜日ですので少し多いのですが)。

今回のように問題になる原画原稿はおそらくまんだらけが取り扱う量のおそらく1パーセントもないと思います。

じゃあ1パーセント以下なら盗品(今回のものも盗品とは決まっていないのですが)を扱ってもいいのか、と言われるとそれは(NO)でしょう。

しかしここが問題です。

まずは盗難品であるかどうかの選定ですが、これはかなり難しいものです。

単純に、

漫画家の原稿が市場に出るはずがないのだから、持ち込まれる物はすべて盗品だろう」

とまあそんな風に考える方は少ないと思いますが、いらっしゃらない事もない訳です。

世界は自分達だけで回っている状態の人達ではお話にならないのですが、盗品でない漫画家の原稿なるものも皆さんが思っていらっしゃる以上に沢山世間には埋もれているのです。

そうしたものの多くはまんだらけの流通網が出来はじめて、初めて少しずつ世間に流通し出したのです。

これまでの原画・セル画等の流通はいわゆる(ヤミ)で行われ、その多くが逆に盗品だったろうと想像されます。

それでどれだけ多くの漫画家の原稿・原画がヤミに消えていった事でしょう。

それは(ヤミ)であるが故にまったく問題にならなかったのです・・・出版社漫画家が問題にしない限り。

しかしまんだらけは買い取った原画・原稿はほとんど公開します(ほとんどと申し上げたのは売る方の事情から公開して欲しくない・・・もちろん盗品ではありません・・・という事もありますが)。

そういうシステムから問題がある原画・原稿が発見される場合があります。

今回の件はそういうものでしょう。

しかし今回に限って申し上げますなら、あの多くの原稿は、まんだらけが仕入れなければどこかでヤミで取引されたか、あるいはわけの分からない所で眠り続けていたか、最悪廃棄されていただろうと思います。

盗品と分かっていて公開するバカがいるでしょうか?

私達は買い取りに最善を尽くしますが、その上であえて(公開)という光を当てる事によって、出来る限り問題を無くして行こうと考えているのです。

その上で問題があるのなら私達はもちろん修正いたします。

しかしその問題の多くは他にあるのではないでしょうか?

今回私はその事を言いたいのです。

私達はこのまんだらけ流通システムに誇りを持っています。

まだまだ至らない所は沢山ありますが、ポスシステムも順調に稼動し始めております。

買い取りも近代化して、ダイレクトなコンピューター入力システムも導入しております。

こうした事によりこれまで一点一点の商品情報が曖昧だった物がすべて明確に確認出来るようになって参りました。

今回この様な問題が浮かび上がって来ましたが、しかし作家さん達の対応はこれまでと変わっていないのです。

ですが冒頭で述べましたように、今お話しようとしている漫画家さんは社会派マンガの大御所です。

私もよく読ませて頂いている方ですので、お話すれば必ず分かって頂けると確信しているのです。

何故冒頭で弁護士に対して私があのような応対をしたのか書きます。

まずあの弁護士さんは出版社御用達の弁護士さんだと思われました。

あるいは出版社に紹介(漫画家さんが)された弁護士さんかも知れません。

初めから横柄な態度で、まるでこちらが犯罪者であるかのような扱いでした。

とてもその漫画家さんの代理人ではなかったのです。

もしそうなら私はもうお会いしたくないですね。

そこで

「どんな条件なら返してもらえるのか?」

と訪ねられましたので、

「直接漫画家さんとお話させて下さい」

とお願いしたのです。

私は今回の問題をいつものように出版社任せにして、「悪者はまんだらけ」にしておいて、お金で解決・・・はいおしまい・・にはして欲しくなかったのです。

「ひょっとしてこの漫画家さんなら分かってくれるのでは」

そういう思いがありました。

漫画家さん自身にこの問題に取り組んで欲しかったのです。

もちろんお忙しい身でしょうから、せめて5分10分でもお電話したかったのです。

果たして出版社御用達の弁護士さんは、漫画家さんにちゃんと伝えてくれるでしょうか?

でもあまり甘い事も言っていられないのです。

本当に真剣に漫画家さんが自分達の問題として受け止めない限りは、この後再びこういうことは繰り返されるでしょう。

誤魔化していてはダメです。

本当の問題が何処にあるのか、今真剣に考えて欲しいのです。

それは作家さん達だけではありません。

読者も同じです。

編集者も販売者もです。

私達は全員で、これまでの日本マンガ文化を築き上げて来たのです。

その市場に未だヤミが存在します。

まんだらけに限って言えば、

「版権問題」

「新刊売れない問題」

万引き問題」

ですが本来こうした問題は新刊屋さんが何とかすべき問題なのですが・・・

今回はこの事には触れませんが、こうした問題もすべて悪いのは自分達ではないという被害者意識を装い、(問題意識を真剣に考えない漫画家さん達)を巻き込んだ出版社の問題だと私は思っています。

ここで私はちょっと漫画家さんを甘やかしていますが、やはり漫画家(特に大御所)さんにも責任が大きいと思います。

先生、先生と呼ばれ続け感覚がどうかなってしまっているのでしょうか?

貸本劇画の時代、原稿はすべて買い切りという感覚で取り扱われていました。

ですから読者プレゼントなどには、水木しげるの原稿の断片が送られて来たりしたのです。

白土三平氏が「原稿はすべて返しなさい」とした時、劇画界に衝撃が走ったといいます。

今はそれから何十年も経つのです。

どうして今これだけ強い立場にいる漫画家さん達が、出版社の言いなりなのでしょうか?

本当にこれまで何度となく原稿返却という行為を繰り返して来ました。

しかしその時、

「やっとこれでこの大切な原稿が戻って来た、ありがとう」

と言って下さったのは、この世でたった一人松本零士さんだけでした。

他は皆様うわべはあからさまではないにしても決して好意的な応対ではなかったのです。

私は法律的に所有権がどうのこうのと言っている訳ではないのです。

そういう問題は裁判所ででもやればいい事でしょう。

私はそこまで持ち込むまでもなく、作家さんが作家さんの原稿を返して欲しいとおっしゃればお返しいたします。

しかし迷惑をこうむったのはどちらでしょうか?

そして何が原因でそうなったのでしょうか?

よく考えて頂きたい問題です。

ああまだまだお話したい事は山ほどあるのですが、もう時間がありません。

また疑問点ございましたら、ご連絡下さい。

有難うございました。

Ps:この文章を目安箱に掲載しようと思っているのですが、よろしければ○○さんのメールものっけてよろしいでしょうか?

ご連絡お待ちしております。

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2003-06-23 『ゼルダの伝説〜風のタクト〜放談』後編 より

 前編はこちら(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030614

 ササキバラ・ゴウの主張が、熱い。

[]想像力について

ササキ でも、あれもいっそ無声映画みたいにシンプルにやった方がいいと思うんだよね。妹がさらわれて、お婆ちゃんのところへ行っても何も会話がなくて、ただお婆ちゃんの目尻に涙が………それだったら、僕は一気にはまっていたと思う。全部無音声で行けるなら、そっちの方が想像力が働くから。

ササキ 言葉がグラフィックスに負けてるから、言葉が情報になっちゃうんですよ。貧弱なグラフィックスだと、言葉の持つ想像力で神話になるんですけど、あの3Dだと言葉は単なる情報になっちゃうんです。

 足りないところをわざわざ作って、プレイヤーに補ってもらったほうが、楽しんでもらえるというわけだ。(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030529

 ちなみに糸井重里は「声の吹き替え」についても違和感を抱いているようだ。(http://www.1101.com/MOTHER_bakusho/05.html

 確かに声の吹き替えがあると、演出に広がりがあるかもしれないが、プレイヤーの想像力を奪うだろう。

 ただ、すべての人が想像力豊かではないと思うが。

[]出発するきっかけについて

米光  例えば、あれをそのままアニメにしたりすると面白くないんですかね?

ササキ 面白くなさそうですねぇ。ドラマにする際にキャラクターの配置と意味を考えると、どうしてもあの配置じゃ弱いと思うんですよ。主人公に目的意識を与えるキャラクターがいなくて、「妹がさらわれた」という事件しかないんですよ。

ササキ それで話を引っ張っているシステムなんで、その部分が非常つかみが弱いんですよ。

米光  『未来少年コナン』もラナがさらわれるだけじゃないですか。

ササキ 『コナン』は、おじいがいて「お前は島を出るのだ」と言われるでしょう。

米光  なるほど。上手いなぁ(笑)

ササキ ラナというのは「のこされ島」とは違う、向こうの世界の象徴でしょう。そこに女の子をダブらせているから。妹というのは元々居たキャラクターだし、もっと主人公にモチベーションを与えるキャラクターが必要なんです。だから、お婆さんには期待していたんだけど。年寄りって子供にそういうこと言ってやる役目はありますよね。

あさり もしくは、妹がさらわれたっていうので力技で助けに行こうとして、結局失敗して帰ってきたら、最初の島の住民が皆殺しになってる。そこまでやれば、島を捨てて出て行かざるを得ない(笑)

 あさりよしとおの島民皆殺しの話は、ハリウッド流の演出といえる。

 退路を断って、無理やり主人公を出発させる手法だ。(スターウォーズなど)

 あとササキバラ・ゴウの言う通り、誰かに行き先を示してもらうというやり方は、ゲーム向きの手法といえる。

(まぁ皆殺しについてはシャレなので、下手な解説をしても下衆なだけだが)

[]責任について

 これは長いので飛ばすことにする。

 行為の重みについてもっと気を配ってくれというメッセージであると私は受け取った。

  • プレイヤーがゲーム中にとった行動を反映させてくれ
  • 体感ゲームならではの、暴力に対する心理的抵抗感

[]結論

 元が放談だけに結論はないのだが、ゲームにおいてもっと想像力を大切にするべきではないか、という意見には賛同できる。

 体感ゲームでプレイヤーの想像力を引き出すとなると、文中に書いてあるように足りないところをわざわざ作るか、ガンダムドラゴンボールなど原作モノを取り入れるといった方法が必要になってくるだろう。

[]余談

 ところで現在の日本ゲームは、初めてゲームを遊ぶ人に理解しやすいシステムになっているのだろうか。

 3Dのゲームは、たしかに視覚的に馴染みやすい利点がある。

 しかし理解しやすいかどうかは、また別の問題だ。(http://plaza18.mbn.or.jp/~noyasu/game/first/gameetc7.htm

 ゲームはもっと、わかりやすくあるべきだ。

 わかりやすいゲームが売れたのだ。

 これはコンピュータゲームだけに限った話ではないだろう。

 わかりやすいものを常に提供して、新規購入者を増やすことが発展につながるといえよう。

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2003-06-22 社長のコメント

まんだらけの社長からコメントが出ている。(http://www.mandarake.co.jp/boss/bbs/kmsg.cgi

 この問題に乗じて、まんだらけが叩かれる、と認識しているようだ。

 コメントの中で、社会派漫画家と書いてあるのは、弘兼憲史のことである。

 彼の弁護士に、まんだらけの社長はこう申し入れた。

そこで私は、

「それでは一度キチンと漫画家さんとお話をさせて下さい」

と申し上げたのです。

 しかし、渡辺やよいが交渉したときに、相手にしなかったことを書いてない。(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030617#p1

 彼女の日記が現在つながらないので、別の漫画家日記を紹介する。(http://www2.tky.3web.ne.jp/~love36/diary/diary_f.html

 まんだらけの社長と読み比べてみるといいだろう。

 まんだらけ側も、もっと情報公開するべきである。

 問題提起は、その後だ。

 まぁ一番悪いのはさくら出版であることはいうまでもない。

……あれ、渡辺やよいの日記が見れるようになっている。

 メンテナンスだったのかな?

ゲーム、人気復活 テレビゲームに逆襲――知的好奇心を満たせる(http://www.mainichi.co.jp/life/hobby/game/news/news/2003/06/20-2.html

ボードゲームの記事である。

全く買ったことのない人にゲームを薦めるとしたら、私は6ニムトを推す。

ルールはシンプルで、値段も1000円ぐらい。

まぁボードゲームではなくて、カードゲームなんだけどね。

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2003-06-20 ハウダニットとTRPG

[]続き?

カイジ」や「ジョジョの奇妙な冒険」をハウダニット(どうやって解決するのか)と仮定する。

 ハウダニットの特徴は、主人公が何かに気付くということである。

http://hw001.gate01.com/karzu/column/fukumoto.html のQ70 最も重要なことは「気付くこと」(は先生御自身のお考えですか?) 福本「そうでしょうね。現実的にも、何かに気づいた人のほうが商売当てたりするじゃないですか。」)

http://www.edit.ne.jp/~condor/arakitv1.html のQ13 荒木「あらゆることを疑う、っていうのが何て言うか………そういう風にしているのが座右の銘ですね。」)

 フーダニット(誰が犯人か)もハウダニットも、パズルに似ている。

 ミステリでは登場人物が謎を解いていく。

 これを言っては身も蓋もないが、解決方法に読者が納得しなくても、物語を終わらせることが出来る。

 しかしゲームになると、プレイヤーがパズルの答えを見つけ出せないこともある。

 また解答が合理的でないと不満は出るし、情報やヒントを出すのも難しい。

 ただしプレイヤーの力できちんと解答を導き出し、事態を好転させることが出来たら、プレイヤーは大きな達成感を感じるだろう。

 ほとんど無自覚だと思うのだが、TRPGシナリオに、ハウダニットの手法を使っているケースは多いと思う。

 正面からでは勝てない強大な敵にどうやって立ち向かうか、といったシナリオ等がそれにあたる。

 ゲームマスターが、プレイヤーにパズルを渡す心境に似ている。

 そして時には、ゲームマスターはプレイヤーに向かって、心の中で叫ぶことがある。

「気づけよ」と。

 しかしTRPGは、ミステリとは違って、登場人物が自動的に「気づく」事はないのだ。

 ハウダニットをゲームシナリオに組み入れるとしたら、ゲームマスターの引き出しに、多すぎるくらいのヒントや情報をしまっておくのがいいだろう。

 あるいは逆に、選択肢を絞った方がいい。

 情報操作を行ったり、キャラクターの出来ることを制限すればいい。(例えば時間や移動・能力の制限)

 また、キャラクターの演出を極端に重視するプレイヤーが混じっていると、そもそもこうした謎解きに関心を寄せられないこともある。

 そのときはプレイヤー全員が納得することを条件に、キャラクターが「気づいて」もいいと思う。

 この手のプレイヤーは、プレイヤーが「気づく」と嬉しいわけではない。キャラクターが「気づく」と嬉しいのだ。

 ただこの方法は、あくまでもイレギュラーな解決方法である。

 ハウダニットに向いてないプレイヤーと卓を囲んだ時の、緊急回避的なシナリオ進行手段である。

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2003-06-18 ミステリの相性

[]

 ミステリに関してあまり詳しくないのだが、面白さのひとつに「犯人あて」と呼ばれる要素があるらしい。

 その名のとおり、登場人物の中で誰が犯人かあてることが出来るものである。

 探偵の視点から、犯人を特定するヒントが明らかになっていて、合理的に犯人を特定できるようになっていることを、(ミステリにおける)フェアプレイと呼ぶらしい。

 誰が犯人か合理的に推理できるという点で、どんなゲームにも負けない考えどころがあるのだが、「判断しても、行動できない」ので、やはりゲームとはいえない。

 しかし探偵モノというものは(依頼など)動機が薄いものが多い。

 そのあたりがまた、従来の物語と比べて、ゲームに近いものを私は感じるのだ。

 ミステリ小説だけでなく、ゲームとも相性がいいのだろう。

余談

 ちなみに犯人が誰かというものをフーダニット、どうやって解決するのかというものをハウダニット、動機は何かというものをホワイダニットというらしい。

 ハウダニットはスパイ小説に多いというが、漫画の「カイジ」や「ジョジョの奇妙な冒険」の三部以降もハウダニットだと思う。

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2003-06-17 窃盗

日々是無事(http://www2.diary.ne.jp/user/117288/

 漫画家日記である。

 漫画家の原稿が盗まれて、オークションに売られていた。

 出品者は、まんだらけで購入していた。

 まんだらけの態度はのらりくらり。

 警察もなかなか動けない。

 盗まれたことはショックだったろうと思われる。

 しかしそのあと受けたハラスメントは、どうにかならないものか。

 お気の毒だとしか言いようがない。

 古書店であれ、オークションであれ、盗品と知りつつ取り扱うことに嫌悪感を感じる。

 こんな記事もある。

万引被害店廃業 対処わからない 悩みの末15日で廃業(http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20030616k0000m040079001c.html

 万引きし、逃亡した少年が事故で死亡した事件があった。

 万引き警察に通報した店長が非難され、寄せられた激励によって店を再開したものの、万引きはなくならず、悩んだ店長は店を閉めることにしたという。

「(古書店を)続けることに戸惑いがある。万引きした子を捕まえて(亡くなった男子生徒のように)連絡先を言わなかった場合、どうしていいのか分からない」

 こういういきさつがあったことを知りつつ、万引きする輩がまだいるとは…。

 店長さんには、ゆっくり休んでいただきたい。

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2003-06-16 選択の実感

 久々にScoopsRPGを覗いてみたら、こんなコラムがあった。

[]ゲームの不思議 一本道かどうか、それは問題ではない(http://www.scoopsrpg.com/contents/mistery/mistery_may03.html

 ゲームブックの手法を用いたマスタリングについて書いてある。

 TRPGでは、多彩な展開があっても、プレイヤーにはわからない、ということを述べている。

 双方向性を否定している点に特徴がみられる。

 機能を絞り込んで、選択の実感を高める方法といえるだろう。

 まぁそもそも、TRPGに多彩な展開が求められているものなのか、再考するきっかけになるかもしれない。

 参考

http://www.geocities.co.jp/Bookend/2685/gb020314b.htm

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2003-06-15 シャムタンティの丘を越えて

 シャムタンティの丘を越えて 7月30日発売(http://www.soudosha.com/kentu-.html

 スティーブ・ジャクソンのソーサリーが、新訳で登場する。

 第一巻は「シャムタンティの丘を越えて」である。(旧名「魔法使いの丘」)

 カーレがカレーになるのは別にかまわない。

 下水道にいるスライム・イーター(通称ニコチャン大王)は、肥え喰らいになるのだろうか……。

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2003-06-14 『ゼルダの伝説〜風のタクト〜放談』前編 より

[]

 対談『ゼルダの伝説〜風のタクト〜放談』前編(http://www.cg-online.jp/review_column/column/zelda01.html

 これは「風のタクト」を題材にあげてはいるが、それだけでは終わっていない。

 コンピュータゲームの本質論が書かれている。

 本当は重要な発言をピックアップしてコメントを書こうと思っていたのだが、面白い発言が多すぎる。

 この三人放談は、実際に目を通した方がいいと思う。

 とくにササキバラ・ゴウhttp://member.nifty.ne.jp/gos/index.htm)が熱い。

 彼は次のような主張をしている。

  • 想像力と、体感することは正反対
    • 情報量の少ないゲームは、想像力を楽しむゲームである。
    • 3Dのグラフィックスは(目の前にあるから)体感するゲームになってしまう。
  • マリオやソニックには、箱庭世界の中で、無目的に遊ぶ楽しさがあった。

参考

「入力」は手段ではなく、目的である(http://plaza18.mbn.or.jp/~noyasu/game/first/gameetc7.htm

シミュレーションと任天堂http://www.geocities.co.jp/Bookend/2685/gb020401a.htm

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2003-06-13 ドラゴンファンタジーに新作?

 わたしたちの外務省探検! ドラゴンファンタジー (外務省(小・中学生用)パンフレット)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/pamph/g_tanken.html

 ドラゴンファンタジーといっても、ピップやマーリンは出てこない。

 外務省の出したパンフレットの漫画である。

 最初はツッコミを入れながら読んでいたのだが、最後に出てきた停戦にいたる経過については、思いっきりはずしているような気がした…。まぁ子ども向けだからしかたないか。

 ちなみにグーグルでドラゴンファンタジーと検索すると、ここがランク一位になっている。

 マーリンの呼び声(http://www.geocities.co.jp/Playtown-Domino/4314/top.htm)は五位である。意外だなぁ。

 ちなみに四位には「マンガで学ぶ仏教 トリュフの初恋 ドラゴンファンタジークエスト」(http://www.shinran.ne.jp/comic/comic4.html)なる漫画がある。

 親鸞の教行信証を探す旅にでるという物語らしいが、どこがドラゴンファンタジーなのかわからない。

 このあたり「グレイルクエスト」と妙に事情が似ているかもしれない???

 この漫画は面白いなぁ。

……次書くときはマジメに書こう。

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2003-06-08 小池一夫塾

 田舎に住んでいて、それなりに満足して生活しているのだが、どうしても東京にうらやましさを感じる部分がある。

 東京には、美術館劇場教育機関がそろっている。(あと古本屋もね)

 私にとって日常利用するような場所ではないが、あるとないとでは大違いである。

[][]漫画家発掘「小池一夫塾」開校(http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2003/06/07/04.html

 HPはこちら(http://www.vta.tfc.co.jp/koike/index.html

 かつての教え子が講師になっているというところに好感を持った。

 ちなみに講師のさくまあきら氏の娘が受講するらしい。(http://sakumania.com/diary/nikki/030607.html

 ちょっと笑ってしまった。

 参考

http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030601#p1

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2003-06-06 逃げられない状況

 14Tシャツ、欲しいがあきらめた。

 ぎりぎりまで、財布と相談したんだがなぁ。

 今日は気分を切り替えて、友人と遊ぶつもりだ。

[]

 ゲームである以上、一本道の筋書きは避けたいところである。

 しかし、そういうことができないときもある。

 そういう時はいっそ、ドラマを見たときに起きる視聴者の心理を研究して、気持ちを昂ぶらせた方がよい。

 例えば「こうなって欲しい」「これは避けたい」「謎を知りたい」などである。

 ただこれでは押しが弱い。

 これに「普通の感覚の人ならベクトルの向きが同じになる、究極の設定を作る」*1か、「逃げられない」*2という状況に持っていけばよい。

このごろ私は物語の研究をしている。

 面白い物語に共通することは「逃げられないこと」と「感情移入」ではないだろうかと睨んでいる。(もちろんまだ他にもある)

「感情移入」を引き起こすには、先ほど書いた「こうなって欲しい」「これは避けたい」「謎を知りたい」と読者が思うことを、主人公に行動させればよいのではないかと思っている。(感情移入の要素は他にもあるだろう)

 創土社から出版された「展覧会の絵」や「送り雛は瑠璃色の」を考えてみよう。

 これらのゲームブックは、選択肢は思ったより少ない。

 しかし「逃げられない」状況の中で、主人公の行動によって「謎が解き明かされる」という仕組みがあるために、物語としての評判が高い作品なのだ。

 なお、作品のクライマックスが読者の予想を超えるものであれば、ますます感動を引き起こす。

 このニ作品にはそれが備わっている。

 書店で見かけたら、ぜひ手にとって欲しい。

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2003-06-05 他人にゲームを薦めるときは……

[]

 ゲームブックを知る人の中で、きっかけが友人の薦めであった人は多いようだ。

 私の場合は、友人から「運命の森」を借りたことがきっかけであった。

 読んでみて面白かったので、私はゲームブックを購入した。

 当たり前だが、きっと購入しなかったものもいただろう。

 そしてその人は、ゲームブックを忘れてしまっているだろう。

 モノを購入するということは、その人の財布からお金が消えるということである。

 ヒトの財布の感覚は、シビアなものである。

 いくら他人に薦めてみて、その人が面白がっても、財布の口を開けない人がいる。

 これは個人の考え方もあるのだが、実は薦め方に問題があった、という場合もあると思うのだ。

 こちら(http://www.nihonkeiei-lab.com/melmag/mag00060.html)をぜひ読んでいただきたい。

 この中の「買わせてもらえない」という記事にヒントがある。

こう値切った時(こう言った時)に「うー、考えさせて下さい。」

となると、購買は買いますとは言えない訳です。

ここで「無理です、これで何とか買って下さい。」との答えがあると、

そこで初めて上司に「これこれの機械を、この条件で導入したいので

すが、よろしいですね。」といえる訳です。

つまり買う決断をするには、理由付け(言い訳)が必要なのです。

 友人の所有しているゲームブックは少なかった。

 しかし私はもっとゲームブックをやりたかったから、書店ゲームブックを購入した。

 ゲームブックでもドイツゲームでもそうだが、他人の買うきっかけを潰しているところがないだろうか、考えてみた方がいいと思う。

ちなみに私はこのごろドイツゲームを買うようになったが、友人がドイツゲームを買うことはない。

 それはなぜかというと、私が次々とドイツゲームを買ってくるからだ。

 それに加えて、友人はドイツゲームをよく知らないので、取り付くしまがない。

 私は、友人がドイツゲームを買うきっかけを潰しているのだ。

 ではもしも友人にゲームを買うようにうながしたい時はどうするか。

 それは他のサークルのゲーム会に参加し、私の持っていないゲームで遊んでもらうという方法をとるのが一番いいだろう。

 とりあえず私は現状に不満はない。

 ゲームブックのほうは、少し頭を働かせる必要があるだろう。

 そうだな……、ソーサリーが出版される時に、知り合いに一巻だけ強引に買わせるのがいいだろう。

 二巻以降を持っていても、なんだかんだ言い訳をして絶対に貸さない。(創土社版は、東京創元社版と同じじゃないんだよ〜翻訳がね

 あるいはゲームブックを読ませても、持ち帰らせない。

 ゲームブック未来のために、少しだけ意地悪になるのだ。(冗談ですよ〜)

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2003-06-04 流行にしたくない

[]ハリー・ポッター第1巻の希少な初版本、オークション

http://movie.goo.ne.jp/contents/news/NFRJAPAN-116071/

 ニュース朝いち430によると、9000ポンド(180万円)で落札されたそうだ。

 ハリー・ポッターの初版は300部。

 そのうち学校図書館に200部が寄贈された。

 もともと古書店に4000円で売られたものが、オークションにかけられたということだ。

[]5月22日の日記に、「ウォーリーをさがせ」のことを書いた。(http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030522

 気になったので、復刊ドットコムで検索してみた。

 引っかかってこなかった。

 やはり、気にしている人は少ないのだろう。

 ゲームブックに関しては、「ウォーリーをさがせ」ではなく、「指輪物語」のようにしぶとくあって欲しいものだ。

 「ウォーリーをさがせ」と「指輪物語」の違いは何だろう。

(ひょっとしたら、世界観が関係しているかもしれない。まだわからない)

[]「ウォーリーをさがせ」は結構知名度があると思われる。

 しかし流行の波をまともに被ってしまったものは、それが流行遅れになってしまうと、知名度が売り上げに反映されなくなってしまう。

  • 見えているのにあえて無視する。
  • アンテナに引っかからなくなる。
  • 見えないところに追いやられる。

 流行遅れって、無自覚のいじめに近いものがある。

 愛着のあるものを、絶対に流行にしたくないと、私は思った。

 流行に関しては、まだまだよくわからない。

 以下は、答えのない雑想である。

 ゲームブックに、全然関係ない。

[]ARTIFACT(http://artifact-jp.com/)で紹介された記事(http://artifact-jp.com/mt/archives/000534.html)を見ていると、町山広美のインタビュー記事(http://www.hotwired.co.jp/culture/interview/991116/)があった。

  • 大勢の人の意見を気にしすぎる
  • 多ジャンルの人気商品の選択購入を個性と勘違いしている

 といった過激な意見を彼女は述べている。

 きっと帰属意識と防衛本能が、人間にそうさせているのだろう。

 このインタビューは99年のものなので、少し古い。

 その3年後はどうなっているか、この記事を読めばわかるかもしれない。

 ファッションビジネスを変える新女類 http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/media/index.cfm?i=e_pulse049

 これがホンネの流行の仕組み http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/eigyo/media/index.cfm?i=e_pulse039

 誰かのセンスを選択するという視点に立てば、そんなに変わっていないように感じる。

 一つだけ弁護するとしたら、昔から一日は24時間と決まっているので、誰かの意見を参考にすることは時間短縮に有効であると思われる。(これじゃ「時間の奴隷」か?)

[]ちなみにモノを作ることについて、他人のセンスを視野に入れることは重要である。

押井守の発言(http://www.sa.sakura.ne.jp/~straydog/oshii/comingsoon2003u.html#20030307

他人と仕事をするということは、自分の限界を超えたものを得ること、他人のものを盗むんで自分の物にするということです。一人でやったら絶対に自分の限界を超えられませんから。

他人が自分の思い通りにならないというのは、実は映画そのもの、原動力なんだよね。

 あと、宮部みゆきと坂本賀勇の対談(http://www.1101.com/miyabe_miyuki/2003-05-02.html)でも、他者の意見を聞くことが書かれている。

 アニメもまだまだ一人で作るのは難しいようだ。(http://kodansha.cplaza.ne.jp/frames/interview/2003_06_04/

 眠い。

 書いてることの整理がつかなくなってきた。

 現在推敲不能状態だ。

 寝ます。

 ここまで読んでくれてありがとう。

 お疲れ様でした。

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2003-06-02 楽しさと苦しさの狭間

「カウンターストライク ネオ」  ナムコの提唱する新しい遊びの文化 より

[]ナムコの考える"ネットゲーム構想"を聞く

http://www.4gamer.net/specials/cs-neo/csneo2.html

ええ,そこで私達は,日本でネットゲームがはやらない理由,逆にネットゲームが流行るために必要な要素とは何か? を考え,一つの"仮定"を導き出しました。(略)

つまり,ネットゲームが盛んなところには"みんなで集まって騒げる"環境があると思うんですよ。(略)

ネットカフェは,お客さん一人一人が勝手に遊ぶ形式ですよね。ゲームをするとしても,ヘッドフォンなどを使って"静か"に遊ばなければならない。レッドゾーンでは,みんなで話せる/騒げる,というコンセプトを軸に考えていて,例えば,ヘッドフォンなどは使用できないようになっています。(略)

また対戦の仲介や,対戦時のチーム分けなども,スタッフが積極的にサポートしていきます。

 昔横浜でバトルテック(だったかな?)をやったことがあるが、ああいうものをまた作ろうとしているのだろうか。

 結構高い金払って(ドイツゲーム一個分くらい)、5分か10分くらいロボットに乗って闘った覚えがある。

 必勝法は物陰に隠れて全弾発射らしいが、そんなのあほらしいのでがしがし動き回って標的になっていた。

 このゲームのユニークなところは、ゲームの終わりにスコアシートが渡されることである。

 戦場の内容が逐一記載され、いつ誰が破壊されたかわかるようになっている。

 さすがにもうそのスコアシートは残っていない。

 バブル崩壊直後の、まだ金が余っていた時期だった。

[][]週刊少年『福本伸行』テキスト起こし

http://hw001.gate01.com/karzu/column/fukumoto.html

Q36:ギャンブルとは?

福本「勝つって言うんじゃなくて、自分の決めたルールを守るなら、楽しい物。」

 ギャンブルは、ハマり具合が強いものだと思う。http://d.hatena.ne.jp/gamebook/20030529#p3

 これの回答といえるだろう。

 自分でルールを決めないと、楽しくないということだ。

 ギャンブルに狂っている人は、苦しそうに見える。

 あとはピックアップ

船越「好きな作品の中で、先生の作品にインスパイアされたものってありますか?」

福本「なんか影響された部分ってあると思うんですよ。でも、ないかなぁ。ただ黒澤(明)さんのリアリティって、どういうことなのかわかったんです。人間の感情に沿ったリアリティなんですよ。それプラス視覚的なネタ。僕のマンガでも、勝負の心理のリアリティだったりする。あとどうして勝つかっていうネタ。気合で最後の流れ牌を引きましたってのじゃダメでしょってのがもう前提としてある。そういう作りを黒澤さんはしてなかったですよね。それは面白い。」

船越「エスポワールという船に、どうにもならない借金抱えた人達が集められて、って発想はどこから来たのでしょう?」

福本「そういうアイディアは特別な事だと思ってなくて、どうしたら面白くなるのかってことを考えていくと、結局は『逃げられない』って事とか。(略)」

Q99:マンガ家として大切なことは?

福本「アーティスティックな処があるとすると、何か新しい事を提示していくことはあるなってことを思いますね。」

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2003-06-01 漫画のキャラクター

[][]大阪芸術大学 河南文藝 漫画篇 を読む。

 2003年新年号 春号が出ている。

 この本は大阪芸術大学が発行している漫画雑誌である。

 漫画原作者で有名な、小池一夫が責任編集している。

 プロの漫画家と、大学生(アマチュア作家)の作品が同じ雑誌に掲載されているのが珍しい。

 この本の中に、小池一夫が直々にキャラクターの作り方を指導している文がある。

 ピックアップ

  • 多くのヒット作品で、まず思い浮かぶのはストーリーより先にキャラクターの顔や名前である。読者はキャラクターと喜怒哀楽を共にし、ストーリーを疑似体験する。
  • 人々を魅了する偉業がオーラを形成する。キャラクターにオーラが加わると、世界に影響を与えるようなスーパーキャラクターが生まれる。
  • 一人でキャラクターは起ちにくい。まったく違った性質を持ったキャラクターを対立させる、という方法がある。(ここまで2003年新年号
  • オーラと並んで、キャラクタースーパーキャラクターに持ち上げる、もう一つの要素は「カリスマ」である。
  • 先の見えない不安な時代に、われわれが無意識に待望して登場する指導者がカリスマである。
  • カリスマ性は支配的な「負」のイメージが強いため、長く愛されにくく、スーパーキャラクターとして短命になりがちである。
  • オーラを「陽」とするならば、カリスマは「陰」となる。オーラを持つキャラクターと、カリスマを持つキャラクターを描くことによって、ドラマはいっそう魅力的になる。(ここまで2003年春号)

 週刊少年ジャンプで連載されている「シャーマンキング」の主人公・麻倉葉は、カリスマ型のキャラクターのような気がする。

 主人公はあまり活躍しないが、それはユルさゆえに強烈な欲求も見られず、高みに立ったところが読者の視点と合わないからではないだろうか。

ところで、もしも同じような性格の二人のキャラクターが、立場などの違いで対峙した時、読者はどんな気持ちになるのだろう。

 おそらく、やりきれない気持ちになると思われる。

 しかし最後に救いがあれば、そのやりきれない気持ちが解放されるだろう。

 放置という手もあるかもしれないが、これは娯楽作品の終わり方ではない。

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