グッドキャリア・グッドジョブ・グッドライフ

2016-04-23 やりがい、いきがいをイメージしてみよう。

再就職の時に、まず多くの人が考えるのは、確かに同じ業界・同じ職種だと思います。

でできれば同じような給料を確保できることが希望条件。

でもこれでうまくいく人は少ない。

となると、給料が安いものでもいいか、となるがそれは若手が多くてそれもダメ。

そこまで来て焦りはじめると、会社が胡散臭くても、また仕事の内容が曖昧でも、

とにかく就職したい、ということになりがち。

となると、就職決定もギャンブルのようになる。

もちろん入社して仕事をしてみないとわからないことが多いから、ギャンブル性は確実に残るのだけれども、

この確率は絶対に高めておかないと、時間とか信頼とか、自信とか、とにかく失うものが多すぎる。

ここでこだわりたいのが、やりがいということになるのだけれども、

意外にこの、自分やりがい、というのを整理して理解している人は少ない。

現在、われわれがやっているのは再就職実現を目的にやっているので、

就職しやすくするために、有利になるために、それを行う。

これは再就職という共通目標があるので、そのやり方でいいのだと思う。

しかし、それが希望通りの就職がスムーズに実現しない時に、

また壁にぶつかり、検討を余儀なくされる。

希望通りの条件が満たされないときに、何を基準にするか?

そもそも中高年の再就職は多くの場合、以前に比べ給料は格段に下がる。

もちろん、下がる、というのは前職と比較した場合であって、

生活をする、少なくとも自分生活レベルを維持するために必要な収入基準にして再設定しているだろうか?

これは気持ちの上で、なかなか難しいが、生活すべてを変える再就職だから、生活基盤から再構築する気構えで当たらないといけないと思う。

よくクルマは手放しなさい、保険見直しなさい、ローンを見直しなさいというアドバイスはその意味で正しいような気がする。

酒を飲む場所を変えなさい、量を変えなさい。Yシャツはクリーニングではなく、自分でアイロンがけをしなさい。コーヒーは店でなく自分で淹れなさい。ただし豆にはこだわって。といった工夫や見直しも必要だと思う。

村上春樹小説にはよく自分サンドイッチをつくったり、Yシャツのアイロンがけをするシーンが登場するけれども、僕は結構ああいう生活に憧れを持っている。面倒だし、時間がないので(いいわけにすぎないが)、やることはないのだけれども、これも時間に余裕ができると、結構やりだすのかもしれない。

以前、インターネット帝国ホテルかどこかのアイロンがけの名人テクニックを見たことがある。なるほど、こうすればいいのか!とちょっと感動したのを覚えている。自分でやるようになると、生活コスト削減のために、ノーアイロン、形状安定の薄っぺらでなんとも味気ない生地のYシャツを選択し、毎日それを着て生活をしなくてもよくなる。コットン100%のシャツに勝るものはないと僕は確信しているので、これはハッピーかもしれない。アイロンがげの名人になれば、質素で(すばらしい)自分らしい生活の達人になるかもしれない。

休みの朝、宵っ張りの家人が遅寝をしている間に家をでて、駅前スタバでぼんやりしていると、強くそう感じる。

さて、一方でこうした思いがあるが就職に関して、特に収入ダウンに対して強いプレッシャーを感じているのは、多分に家人、特に妻の要求が影響しているように思う。特に就業経験がない、あるいは苦労をしたことがないといった条件が揃うと、現在の生活手法、レベル、楽しいムダづかい、リッチな気分を味わうための様々なトライアル(買い物とか、音楽とか、食事とか・・・)を失う生活想像できないのかもしれない。いまを維持できないという不安は、変化の先にあるマイナスのイメージ想像できても、プラスのよりハッピーな広がりのある生活を描く想像力は、単に楽観的な性格とかポジティブシンキングとかといったトレーニングでえられるものとは異なる次元のものなのかもしれない。じゃあ、“いま”を満足しているのか、というとそうでもない。いまを失う不安は、いまの延長線上にある、“もっと”にあるんじゃないか?それはもっと素晴らしい食事をあじわいたいというより、新しくできた話題レストラン食事をしたい、というニーズではなくウォンツかもしれない。ともに選択肢は無数にある。新しい店は次々に出てくるし、飽きられないようにさまざまな新しいメニューを開発する。そして飽きられたり、人気を呼べずに早々に退場していく。だとしたら同じように料理の可能性は大きい。もっとある。日々の工夫や、季節の移り変わり、そしてその時々の気分で、様々な工夫やチャレンジが可能だ。

そう考えると、一律的な生活イメージ基準が、選択肢を狭くし、想像力とか、自分のささやかでも自分だけの自分らしい可能性を見失わさせているのかもしれない。

もっと自分らしい生活を具体的に描き、そのためにどういう工夫をし、そのために必要な条件はなにかを整理する。そのために失うものを考えるより、得られるものを想像したりそれを広げたりするのは、かなり楽しいことなんじゃないか?

質素シンプル生活

こうした本は、ちょっと地味であることが多い。

多分それは本当に地味なんだと思う。だからワクワク感がしない。

清潔で洗練され、必要なテクノロジーを取り入れ、生活を送る。素晴らしいデザインや芸術に触れる(ホンモノを所有することはムリだが)生活

これを実現する、あるいはより近い生活をするのに必要なコストはどのくらいなんだろう。

そしてそのために、やらなくてはならないことはなんだろう。

そのトレードオフのここちよいバランスを、もう少し考えてみたい。

2016-02-27 標準化と個性・経験・ポリシーのバランス

企業効率化を目指し、マニュアル標準化を推進する 11:35

企業は、多数の従業員組織化して事業を推進する。

生産とその製品品質を維持・向上させるために、必要な手順、問題判断基準業務に必要なスキルやそれを取得するために必要な教育・訓練手順をマニュアル化し、効率を目指す。

そして、トヨタのように、その手順を詳細に観察し、ボトルネックをさがし、解決策を模索し、実施することを繰り返す。これらの標準化によって新人や季節労働者がラインに入っても、一定生産性品質を確保するだけでなく、そこからさらに品質向上や効率化を実現するための課題を発見し、効率を向上させていく。優れた活動は、そうしたサイクルを生む他ためのシステム風土を持っているわけだ。

前段階はある程度、他の企業でも真似ができるのが、実際にはトヨタ方針を学んでも、現実的には同じレベルの成果が上がらない。この理由が、後段の風土従業員マインドだ。

規則指標いくらふやしても、能動的に動かない組織は、規則指標を遵守し、達成するだけにとどまっているからだ。

それだけで、体力を費やし神経をすり減らしている職場には、指標以上のレベルを目指す余力がない。裏返せば、指標従業員の発想、工夫を生む余裕のバランスが悪いのだ。

マネジメントは数字だけではない。それはわかりきっていることだが、未熟なマネジャー指標をふやし、添えを達成すれば生産性が上がる、というところで立ちどまってしまう。だから競争には勝てないし、新たな製品サービスを生み出すことができない。いまやっているやり方、いま作っている製品サービスを、効率よく作るという時点で限界を作っているからだ。

企業が、生産性を上げ続け、良い製品を生み続け、そこで働く従業員の成長を促進し続ける、ということを目指すのであれば、この継続性をまず第一に考えなければならないといわれる、という所以である。

マネジメントシミュレーションではなく、イノベーションである 11:35

従って、マネジャーは、現場の発想力や実行力を発揮できるような仕組みを作らなければならない。それは時間だったり、会議だったり、プロジェクトだったり、様々な方法が考えれらる。一つでなく組み合わせも考えなくてはならない。よく、収益が思うように上がらないと、簡単に予算制度を削る会社がある。それはしょうがないのだが、その企業にとって不可欠なもの。すなわち風土文化を軽視営している金のタマゴとも言えるものまで、削ってしまうことがある。そしてそれはその企業制度まで揺るがすことがある。

企業は多くの人があつまり、相乗効果を上げ、成長し続けるシステム文化従業員の意欲で成長することを考えると、全体で向上していく仕組みのエンジン部品を削除するようなことになる。

とくに個人の成果の集合のような組織。例えば営業部隊だと、課の目標は個人に振り分けられているが、全員が満遍なく目標を達成することは少ない。目標達成が難しいメンバーがいれば、それをバックアップし、カバーするのがマネジャー役割だ。しかしそれでも不十分だ。マネジャーのサポーtがいくら強力なものであっても、目標達成が難しい都わかった時点。それは、突然予定されていたと力がなくなった。顧客倒産した、顧客の需要が急降下した、といった場合には、時間的にも案パワー的にも難しいことが多い。

その時にもう一つの頼みの綱は、メンバー間のカバーである。

個人目標は達成できていても、他のメンバーのマイナスをカバーするために、目標数字をオンする。このガンバリは個人のプラス評価の考え方で大きく推進力が異なる。さらに課の目標を達成するというモチベーションがなければ、なかなか期待できるものではない。

こうした状況で力を発揮されるのが、マネジメント思想であり、それを効果的に形にした諸制度だ。

2016-02-21 E教授との対話:個人の持つ価値観

エピソード・1

かつて鋳物工業で隆盛をほこった埼玉県川口市

吉永小百合が主演したキューポラのある町という映画で、一時代若者が働く町として知名度はかなり上がったが、中心産業だった鋳物工業時代の変遷の中で、海外に活路を求め、衰退の一途をたどっていた。

ある老舗の鋳物専門会社事業を縮小せざるを得なくなった。

そこには腕のいい、仕事一途な專門工が数名、まだ仕事に勤しんでいた。

この仕事は鉄を溶かし、鋳型に流し込むという作業だから危険性も高い。

何より高熱の中での作業という3Kの代表的職場である。もちろん当時のことだからクーラーなどはついていないし、扇風機さえ、なかっただろう。

天井から釣り下げた専用のバケツを傾けて、真っ赤にとけた鉄を鋳型に流しこむ作業だから、夏場などはヤカンから水を飲み、塩を舐め舐め、という作業になる。

その作業の熟練工といえば、注意深く、忍耐強く、体力を駆使して、数十年仕事に勤しんで来た職人たちである。

必要なことは目でわかる。経験にものを言わせた段取りのよさで、文字どおり阿吽の呼吸仕事をしてきただけに、余計な口は利かない。

そして、仕事については鋳物以上に頑固だ。危険と失敗との背中合わせの作業だから、当然そうなる。いい加減に進めることなどできないし、やり直しもきかない。できたとしても仕事のしくじりとともに、なんらかの怪我や心の傷として残ってしまう。

そうした熟練工の働き場がなくなるのだ。

会社としても、今までの働きに感謝して、できるだけの補償をつけ、それぞれに新しい生き方道筋を探してくれるよう、心を込めて説明した。この仕事に一途に取り組んできた熟練工が相手だけに、それは苦渋の選択であり、おそらく彼らの反発や失望の大きさも、経営側の想像以上のものだろうことは推察できた。熟練工を年数をかけて育てそれで成り立っている仕事の仲間は、家族同然なのだ。

こうした気持ちのこもった説得に、最初はなかなか首を縦に振らなかった職人たちも、いつしか家族や同僚にもなぐさめられ、なだめられ、説得されて、しぶしぶその条件を受けいれていった。もちろんそれは納得ではなく、諦めに近い境地であっただろう。

しかしその中に、一人だけ頑としてその提案を受け入れない職人がいた。

素直でおとなしい人だっただけに、それは意外でもあった。どんなに無理をたのんでも、嫌な顔一つせず黙々と確実に仕事をこなしてきた人で、経営者も静かだが頑なな抵抗をうけて、真面目さの下に潜んでいた芯の強さを改めて見せつけられたかのようだった。

それだけに、さらに時間をかけ丁寧に、ゆっくり説得を続けた。

しばらくして、会社の誠意がこもった話を聞くにつて、その職人も心は動かされていた。周囲の同僚もポツンポツンと職場を離れてきた。人気が少なくなった職場になり、事情も理解してくれたのは確かだった。それでも、はい、という答えはどうしても得られなかった。

本人も、一人だけになり、そのことを苦しんでいるようだった。わかるのだが、はいと言えない事情がどこかにある・・・。

なにが、この人の判断を思いとどまらせているのだろう。

経営者も古い同僚にも聞き、事情を探った。しかし、もう同期の仲間はとうに辞めていたし、独身でもあったので家族はいない。だが、故郷青森には、母親が健在ということだけが分かったので、『申し訳ないが、会社としては、もう時間があまりない。ふるさとのお母さんとも話をしてもらえないだろうか』とお願いした。

その際に、会社としても今までの働きに感謝をしていることを述べ、今回の事業の縮小のお詫びと、精一杯の条件を認めた手紙を、母親に送ることも了解を取った。もしかしたら、母親生活心配しているのかもしれないと思ったからだ。

しばらくして、本人から条件を受け入れるという申し入れがあった。

ほぼ同時に、ふるさと母親からの感謝手紙も届いた。

そこには、不器用で真面目だけが取り柄の息子を、長い間お世話いただきありがとうございました、という内容とともに、こうあった。

「30数年前に、集団就職東京に送り出す時に、辛いことがあっても絶対に逃げずに、歯を食いしばって頑張るんだよ。友達が辞めても、お前は頑張らなくっちゃいけないよ、と送り出したんです。それがこんなに長い間、頑張ってこられた。会社から頂いたお手紙には、本当に力を貸していただいて、助かったこと。感謝していること。そして会社の事情も丁寧に詳しく説明していただいた上に、十分な補償まで用意いただいた。ありがたいことです。息子には電話で、ここまで頑張ったのだし、会社も心を尽くしていただいている。おまえも、これからは、体に負担が少ない、もう少し楽な仕事を選んで、新しい生活を考えなさいと伝えました」。

話は続いた。

「そうしたら、息子が、じゃあもう辞めてもいいんだね』と、ひとこと言ったんです。

私との約束を、ちゃんと守ってくれていたんですね。それ聞いて、よく頑張ったね。もういいんだよ。これからはおまえが好きなように決めなさい、と伝えました」

そして最後に、息子をここまでお預かりいただいてありがとうございます、

と、また感謝言葉手紙は締めくくられていた。


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これが、今晩の話のはじまりだった。

「ずいぶん、重い話だね」ちょっと目をしばたかせてエイジ教授が、ため息交じりにつぶやいた。

トラウマというのとも違って、これはその人の生き方アンカーになっていたのが、30数年雨の母親言葉だったんだね」

「そうなんだ。母親言葉って、身近にいて何度も耳にしているわけだから、意識的にも無意識的にも残っているんだね。この人の場合は、辛いことがあると必ずこの言葉を思い出して耐えてきたんだろう。それが熟練工となっても、この人の生き方アンカーになっていた・・・。」

ちょと感動していたぼくは、自分子供のころのことを思い出していた。母親って偉大な影響力を持っている。海や太陽冠詞女性であるのももっともだな、と思った。


「最近、母親が小さな子供の世話や教育放棄しているような出来事が多いけど、様変わりだ。どうしてこうなっちゃったか?事件というだけで片付けたり、聞き流しちゃいけないんだな」

教授がつぶやく、ちょと憂鬱そうだ。

母親がもっとも子供に大きな影響を及ぼしていることは間違いない。その多くは、こどもの頃、おそらく中学くらい頃まではそうだと思う。そのあと、反抗期など自我の目覚めの時期を経て、また母親とは違った影響者が登場してくる。学校先生クラブなど先輩とかだ。これは社会人になってもそうだな。最初の上司や、先輩の影響はとても強いらしい。身近で経験技術ももち、かつ権力も持っている。そう考えると、自分に影響を与えた人や、その人の言葉、行動っていうのも無視できないね。」教授らしく、客観的に“影響力の可能性”を推測していく。

「たしかに。それに母親の影響力が大きいのだから、母親の育った環境。両親、例えば祖父母や、その時代の空気といったものもかんが得る必要があるんじゃないか」こどもの頃のことを思い出していたぼくは、ベクトルを逆に走らせていた。いまという時代は、こどもの頃とは大きく変わっている。1980年代というバブル期は、モノを溢れさせ、初任給を倍以上に押し上げ、かつ90年代に入って、高々に慢心していた日本経済の鼻をへし折った。90年代半ばに生まれたこどもが、いまは社会人になっている計算だ。

「そうだな。こどもの頃の教育価値観がその後のその人の生き方を方向づけるに重要な時期だとしたら、なおさら母親だけじゃなく、父親や、その両親や叔父叔母。もしかしたら、その更にもう一つ上の世代まで遡っていく必要があるかもしれない。90年代半ばにこどもを作った世代の親といえば、だいたい60年代から70年代にかけて生まれただろうし、その親となると戦争中か戦前あたりか」教授がまた時間軸を伸ばしていった。大正デモクラシー以降の昭和は、歴史上は大激動の時代と言われている。

2016-02-16 三代前までの家系をたどり、自分の歴史と背景を探る

昨日、クライエントから、いいお話を頂戴した。

一つは、自分の三代前までの家系を探るということ。

その根幹にあるのは、今の自分はそうした血脈や先達の考えや行動からつくられているということ。

その要因はどのようなものなのかを知ることで、自分を知り、今後の自分の行動を考えるということ。

確かにいまここにいる自分は、自分の素質や経験でつくりあげられているのだが、その経験から自分は影響を受け、考え方の基準を築きあげてきた。それは進行中だ。

特に、その中でも両親から受けた影響は大きい。両親同士の会話、近所の噂話(それは評価を含んでいることが多い)。それと子供だった自分に対するしつけや叱りの言葉

自分はといえば、もちろん接点が多かっただけに、母親の影響が大きい。

『みっともないことはやめて』、『それは、みっともない』

『好きなことをやれ。好きなことがあってうらやましい』

『だれだれはこうした賢いことをやっている。倣ってやってみたら』

などなどだ。

意気地なしで、すぐにいやなことから逃げ出してしまうような気の弱い子供だったから、親の言うことは絶大だった。それでもわがままに育てられたから、大胆なこともあった。

そう考え起こしてみると、その親を育てた親はどのようにその子を育てたのかは大いに気になるし、その影響が自分にも影響をしていることは間違いない。母方の祖母は早逝したので知らないが、祖父は覚えている。頑固で酒の好きな祖父だったが、孫である時分には優しかった。不器用だったが。

父方の祖母も同じく早逝しており、こちらは話を聞いたこともないので、父にも思い出がほとんどなかったのではないか?祖父漁師で口が重く、やはり頑固だった。成績の良い父が高等小学校で進学をしないことを聞いた教師が、父親に進学を進めに行ったところ、『漁師子供教育などいらない。余計なことをするな』といった、よくある昔話のような話を、実際に聞いたことがある。確かに、計算が得意な父親だった。

社会に出てからは、先輩や上司の影響は大きかった。もちろん同僚や後輩の影響も大きい。学生時代から決して読書が少ない方ではなかったが、開高 健を知ったのは営業の先輩だし、スキー登山の面白さを教えてくれて、一緒に行動したのは先輩だった。富士山を除く2.3番目の山に登ったのは、少なからず自分の体力や考え方に大きな影響を及ぼしている。新田次郎を知ったのもそのころだ。

そして今は、キャリアカウンセラーとして様々な人に出会い、体験を聞き、その背景を聞き、考え方を知り、行動をみていると、これも、まさしく大きな影響を及ぼしている。

話を戻すが、自分の三代まえまで家系を追ってみるというのは、その時代背景とともに考えると、小さいが歴史を学ぶことに通じるかもしれない。社会ではない、世間歴史かもしれないが。それがたとえ、子供のころに感じた広く小さな世界だったにしても、確実に大きな影響を受けている。

そしてそれを探ることは、不可能ではないようだ。

もう一つのいいお話は、人に接する態度だ。

クリントン竹下登の話を思い出したのだが、人たらし、というのは、実は人に対する影響力の発揮といったテクニックだけでなく、人に対する心構え、心根の表れではないか?と気づいた。

正面から対峙する、あなたの意見を聞かせてほしいといった姿勢がにじみ出る人には、思わず自分の心の中のことまで話をしてしまうことが多い。

自分はどちらかといえばおしゃべりで、後先を考えずに口に出してしまうことが多いが、そこに本当の心があるか?会話は心を通わせるための手段でもあることを考えると、それはかなりというか根本的に重要なことだ。それらを実践的に教えるセミナーに出た時に、その迫力はすごかったという話を聞かせていただいた。コミュニケーションというとちょっと合理的科学的な印象があるが、それは心を通わせるということであり、アナログでぬくもりがあり、不合理もあるが理解できる、といった、いわばその人らしさというようなものだということだ。だから好き嫌いもあり信頼もあるのだ。

これらは自分理解するという上で、極めて重要な要素だと思う。

キャリアカウンセリングにも、うまく取り入れてみようと思う。

2016-02-14 雨のち晴れのバレンタインデー

雨で開けた日曜日のバレンタインデー

といってもロマンチックな話ではなく

先日の人間ドックで高血圧の診断を受けたので、今日ウォーキングをしようと思っていたところ、この雨で断念。とはいえ、ランチ後に気が向けば、歩こうと思ってはいるが。

しかしこの雨で、9時前から駅前スタバで、メモを取り、本を少し読み、ぼんやりし、ネットサーフィンをする余裕が生まれた。

時々青空がのぞいては、激しい雨が落ちてきたり、薄暗くなったり、膝位が出たり、あるいはその両方の、女の子のようにというか、心変わりが早い、自分のように移り気な空模様。

3階の窓から外の様子を見ていると面白く、本、PCノート風景と、散漫というよりは、あちこち視線気持ちステップを踏むような時間が過ごせた。

こういう集中しない無駄のような時間は久しぶりで、楽しむことができた。

今日の教訓は、

テーマを決める、できればキャッチフレーズのようなインパクトのあるものがいい。

そうするとイメージと切り口の両方が膨らんでくる。

それをどこにプレするかを考える。

そしてアピールできそうなネタを作りながらまとめる。

そうだこの調子でまとめていけば、プレ資料がまとまってくる。

あっという間に時間が過ぎ、肩が凝って目がヒリヒリしてくるが、

面白いプレーを味わえる。

さて本屋でも行って

ネタを探してこよう。

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