2015/03/25 tweets

日録3/24(火)●買本三昧

丸善ジュンク堂へ、『相談は踊る』の単行本を探しに行ったんだけども見つからず。
代わりに4冊。


●『日本戦後史論』内田樹×白井聡
日本戦後史論
 最近、刊行された内田センセの関連本は、他にも『日本の反知性主義』(編)『聖地巡礼』の熊野篇平尾剛との対談が文庫化されたやつ鈴木邦男との対談本などなど、大量にあるけど、まずはこれを。
白井聡『永続敗戦論』も未読なので読まないと。


●『64(上)』横山秀夫
64(ロクヨン) 上 (文春文庫)
ドラマ化記念で、帯がピエール瀧さん。


●『64(下)』横山秀夫
64(ロクヨン) 下 (文春文庫)
文庫初版限定で著者インタビューのリーフレット付き。


●『絶叫委員会』穂村弘
絶叫委員会 (ちくま文庫)
短歌は何首か拝読したことがあったけど、著書を買うのは初めて。
優れた言語感覚の持ち主の耳に飛び込んできた言葉の数々を蒐集したエッセイ。
書棚でたまたま目について、パラパラと頁をめくると、手放せなくなってレジへ。

日録3/25(水)●“川喜田半泥子”という男

♦夕方からあべのハルカス美術館へ。
先週から始まった《川喜田半泥子物語 ――その芸術的生涯》に。

江戸時代からつづく伊勢の木綿問屋である旧家に生まれ、百五銀行の頭取を務め、
実業家として腕をふるう一方、諸芸に秀でた才を発揮。
「東の魯山人、西の半泥子」と称された人物。
中でも40代から始め、50歳を過ぎて本格的に打ち込んだ陶芸の世界においては
道楽の域を超えた作品を制作。近代の作陶を主導する役割を果たした。

……と、プロフィールにあるとおり、アマチュアに徹し、一般には一度も売られることのなかった彼の陶芸作品の数々と生涯に触れる展覧会。
先月、〈日曜美術館〉で特集されていたのを観て気になっていたのだが、これが想像以上によかった。


なによりその焼き物が素晴らしいし、公私ふたつの人生を生ききったということも興味深い。
目を惹く雅号「半泥子(はんでいし)」は、師事していた禅僧・勝峯大徹禅師から授かったもので、「半ば泥(なず)みて、半ば泥まず」という言葉から取られたもの。
「泥む」とは、没頭する・こだわる・執着するという意味で、没頭するのはよいけれど、半分は冷静であれとの教えだという。
この命名のセンスからも窺えるように、非常に「できた人」である。
芸術が好きで、のめりこんで莫迦もやるが、そういう自分をクールに眺めている自分もいる。
それが可能な人。
名家の生まれとはいえ、銀行頭取を務めていた大正末期から昭和初期というのは、戦争とその狭間の時期である。
世界恐慌が起こり、相次ぐ取り付け騒ぎにも正面からの対応を迫られた人である。
ただの坊ちゃん経営者などではないのだ。


半泥子は幼名を善太郎といい、生後まもなく祖父と父を亡くし、1歳で家督を継ぎ、十六代当主・川喜田久太夫を襲名。
実母は、まだ若かったので、別の人生もあるだろうということで、実家へかえされた。
文字どおり、ひとり歩きもできないうちに孤独の身となった半泥子を育てたのは、祖母・政。
寛永年間からつづく川喜田家の危難ともいえるこのとき、半泥子が豪商の跡取り息子としてわがままに育つことを危惧した政は、愛情をもって厳しく育て上げたようである。
半泥子が21歳の誕生日に祖母から授かり、生涯肌身離さず持っていたという遺訓にはこうある。

われをほむるものハあくまとおもうべし、
我をそしる者ハ善知識と思べし、
只何事にも我れをわすれたるが第一也

云うは易し、行うは……などと凡人は思ってしまう内容だが、実にこれを実行したのが、半泥子の一生だともいえる。
それほどに、この川喜田半泥子という人物、魅力がある。
二回りほど年は違うが、白洲次郎にも似た向日性、楽天性を感じるのだ。


恵まれた境遇に生まれたおかげというだけでは説明できないと思う。
天賦の環境を活かすのも、逆にスポイルされるのも、その後の生が決めることだろうから。


作品では、〈日曜美術館〉でも触れられていた
《伊賀水差 銘「慾袋」》
《粉引茶碗 銘「雪の曙」》
《志野茶碗 銘「赤不動」》
《刷毛目茶碗 銘「これはこれは」》
をはじめ、
織部黒茶碗 銘「富貴」》
《大侘び茶碗 銘「残月」》など、名品続々。


「ほめられることを好まなかった男」の天衣無縫な創造欲に、大いに刺激される展示だった。


ちなみに今日(3/26)から、ハルカス11階の美術画廊にも、半泥子の作品が並んでいるそうだ。
《川喜田半泥子とゆかりの作家陶芸展》
生涯売られることのなかった半泥子の作品を、手に入れることができるかもしれない。
何百万円必要か、わからんけど。



あべのハルカス美術館は、天井も高く、応対も丁寧で好きな美術館だけど、今回、ひとつだけ残念な点がある。

すべての陶芸作品が、透明な糸で四方固めの要領で固定されているのは惜しかった。
いかにも見た目が無粋だし、高台を見ることもかなわない。
これも、高層ビルの16階にある美術館ゆえの横揺れ対策だろうか。
津市の石水博物館に行くしかないか−。