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2012-02-06 巌窟王その一(復)

蕎麦に目覚めたり、うどんに目覚めたり、やっぱり蕎麦が目覚めなかったりと、忙しないのです。

[]巌窟王、2004

今回から2004年、GONZOさん作品の『巌窟王』をレビューしてみようかと。全部で十二回の予定になっております。


第一幕『旅の終わりに僕らは出会う』:月面から、物語は始まる。

 時代は未来、場所はルナ。若さに溢れながら、同時に豪奢な生活に飽きを覚えていた貴族アルベールは、親友の貴族フランツと共に、月面に設置された都市、ルナで遊んでいるうちに、モンテ・クリスト伯爵という人物に出会う。

 ジンと染み入るような一話目でした。光と華と奢が乱れ飛ぶイルミネーション。突飛な服装。突飛な雰囲気。何もかもが観る人間を置き去りにしていくと同時に、いつしかその渦中に巻き込まれ、気付いたら背景の一つとして、置物の一つとして、彼らの一挙手一投足を観察してしまうような。心を捕まえ、するすると、音もなく引きずり込んでしまうような快楽の園。特に『異』を衒ったような人々の服装は何かしらを抜かれるようでした。尻子玉とか。

 同時にドギツくも、濃厚な味わいを体の中に残してくれるキャラクター群。今回はアルベール、フランツ、それから伯爵と女のコ(ほぼラストでの登場ですが)が主となっていますが、伯爵の挙動が非常に素敵すぎて虜になっちゃいそうです。なんというアダルトさ、そして内に秘めていそうなダーティさ。

 幾つかの山と谷を超え、訪れるクライマックス。アルベールの運命はどっちだ!


第二幕『月に朝日が昇るまで』:疾走、迷走、狂奔。

 前回ラスト、誑かされて盗賊に囚われてしまったアルベール。事実を知ったフランツはルナ中を駆け巡るが、事態は既に彼の手に負える代物でなくなっていた。とうとうフランツは観念し、伯爵に助けを求める。

 捕らわれたアルベールの思慮と、必死にルナを駆けずり回るフランツの話。

 如何にしてフランツがアルベールを想うようになったのか、そしてどれほど彼がアルベールを考えているのか。そうした何らかの慕情を含んだ友情は物語に起伏を生じさせ、より遠くより強く跳ねるのを助けてくれます。ちなみにここでも伯爵オーラは全開で、彼が乗ってる黒馬が非常に格好いいんですが、きっとあれは馬の皮を被った異性物。この世界、生物の改造は禁じられてるんでしょうか。馬プラス機械とか、伝説種の創造とか。

 伯爵が盗賊の首領の前で見せた【眼】と、馬車内での彼の行動から、何かしらの種を読み取れる話。彼らが次に出会うのはおそらくパリ、そして再会はきっと鮮烈なものであることでしょう。

 最後に一言。

 ペッポ男かよ!!

巌窟王 Blu-ray BOX

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2012-02-01 神林長平『戦闘妖精・雪風』(復)

今年に入って、五回ぐらい滑りました。

[]神林長平『戦闘妖精・雪風』ハヤカワ文庫、1984

:恐ろしく緻密で頑なな、機械と人が織り成す作品。

 ある日地球に出現した異性体ジャムとの戦いにより、人類はフェアリィ星を発見、そこでジャムに対抗するための前哨基地をフェアリィ星に設営し、電子頭脳を取り入れた戦闘機シルフィードが配備される。主人公である深井零少尉が搭乗する機体名は『雪風』。度重なる出撃により知性すら備え始める雪風とそれに翻弄される深井零、二つの存在を取り巻く人々、環境、そして敵対者たち。

 第一章の初めから見えるのが硬質で、固く引き締まった、機械をぶつ切りにしたとも思える文章群です。それ自体にたじろぎつつも、捲る度に引きこまれ引きこまれ、あっという間に虜でした。絞りきった体言止めと戦闘機術語を駆使した戦闘シーンに踊らされ、主人公らの会話に、形容詞を省き修飾語を無くした会話に突き放され、深井零少尉が雪風を操縦し、雪風が主人公に働きかけ、そこにまろびでる心の機微に感覚が滑りだす感覚。ただひたすら簡潔で、固く速く在る姿はまるで鋼鉄。

 この作品に発生する主題は『機械と人間』。そのテーマは徐々に、異星人との闘争記録である序盤から中盤への脱皮、人と機械の重なりあいから、緩やかに湧き出てきます。作品の中盤から後半にかけてオーケストラのように、最初は小さく小石のようでありながら、だんだんと底を歩く音が跳ね始め、飛翔し、やがて貫き圧倒し轟音を立てて疾駆します。短編が鈴なりに続く形式ではあれど、その展開は一貫して継続し、見事な限り。そして本を終えても確かに続く物語は期待をさせつつも胸を脅かします。深井零と雪風はどこに至るのか、果たしてジャムとは何者なのか(作品の終了間際にも、正体は殆ど明らかにされていません)、主人公たちはどうなるのか。進みつつも或る方向では戻るようであり、けれども確かに、着実に進歩しているのでしょう。。

 また次作では、そこに出てくる人々は完全にテーマに沿って存在しているようでもありますが、今作ではより自由に、言いたいことを言っているような印象が。未だ進化途中の生物が寄り道をするように、いろいろな発言をしているようです。キャラクターという点から俯瞰してみると、やはり今作と次作では年月が経っているせいでもあるのか、差異があって面白いのです。製鉄前でありつつも鋭利な原石とも言うべきでしょうか。

 こうした作品が二十年以上前に存在したということに驚愕。次いで、今読めて良かったなあ、としみじみと思ってしまうのです。

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

2012-01-24 舞城王太郎『NECK』その四(復)

一月は半ば過ぎましたが、道路が汚いのです。あとカレーっておいしいですよね。

[]舞城王太郎『NECK』講談社文庫、2010

今回で終了でした。全四作ですね。

『the third』:同名の映画原作! ということもあってか、良くも悪くも映画を意識してるなあ、という感想でした。または甘酸っぱいあまあま青春ドラマを作ろうとして、なんか熟してない渋柿が混じりこんでいて苦ッ!! 

 収録されている文章が映画の脚本であるため、文章の形式も人物名とセリフ、それから最低限の描写(【66 山荘の裏山】など)と削られまくっており、徹底的に勢いをつけるために加工された作品です。勢いが強すぎてちょっと飛ばし読みしちゃった文章もあるので、二週くらいした方が良いかもしれません。なんという読み技量不足!

 物語は、恐怖そのものがお化けを形作るのだという理論を追い求める真山杉奈が、彼女を好きになっちゃった主人公である首藤友和、そして首藤が助力を求めることになる彼の友人兼ホラー作家の越前魔太郎と霊能力者である赤坂英子を巻き込んで繰り広げる代物。素材の調理法によってはどこまでも暗みへと落ちていくこともできる話ですが、ここで展開されるのは明るく陽が射すコメディタッチ。トンデモ騒動と、若干洒落にならなそうなエピソードの中で育まれる、杉奈の純真さとしぶとさ。首藤の誠実さ。越前の若干おちゃらけた、けれども心の底にある密かな思いの数々。ストーリーと同時に人物たちの仄かににじみ出る内面を考えるのも一興でしょうか。

 次いで役名の表示についてですが、首藤と越前など主要人物は苗字ですが、杉奈だけ名前で表示されています。杉奈がなんか親しく感じられるのか、もしくは野郎どもに興味なんざねえよ! といったところでしょうか。

 若干映画すぎるというか、あれこういう反応おかしくない? 又はえーここ勢い殺しちゃってるだろー、と思う場面もありましたが、キャラクターたちは好感の持てる人々が多く、楽しいつくりだったと思えます。でも主人公の首藤よりも、ちょっと振り回され気味のある越前の方に感情移入しちゃったり。トラウマのせいで布団大嫌いベッド大嫌いになり、ダッフルコートを着て寝たり床の上で熟睡している姿とかかーわーいーいー!

 また、舞城王太郎さんは越前魔太郎という覆面作家名義で、冥王星Oシリーズも刊行されているようです。多筆。

 ややの苦味が混ざった恋愛と恐怖と化物ドラマ、楽しくも怖みを魅せてくれる作品でした。

 映画は未視聴なので比較できてはいませんが、果たしてどんな出来なのでしょうかうーん。

 というところで舞城王太郎『NECK』終了です。次は何にするべきか。戦闘妖精とかどうでしょう。

NECK (講談社文庫)

NECK (講談社文庫)

2012-01-10 舞城王太郎『NECK』その三(復)

辰年の龍年のドラゴンという今年ですが、相変わらず雪が降っています。

[]舞城王太郎『NECK』講談社文庫、2010

再び続き。今回は『the second』です。次で終わる予定。

【the second】:山中にキャンプしに来た六人の男女に襲いかかる、不条理と悪意の出来事。

 舞城王太郎さんの作品は、キャラクターらが基本的にスターシステムのようですので(奈津川関係や水星Cなどのメインキャラもしくは飛び出た個性の人間は除いて)、エンタメ性が強い作品ではキャラクターよりもストーリーと文章の突っ走り力、それからマジックとトリックを付け替えながら勝負しているように思えます。それを踏まえると今作は傑作というより佳作という感じでした。展開や文章などの、部品の付け替えにおいて一定以上の水準は超えていますが、突き抜けたというよりはむしろ落ち着いてしまった感じでした。文章と一緒に絵本式の絵が用意されているので、暗黒童話として読んでみるのも楽しいと思います。

 使用された殆どのネタはしっくりきましたが、作中に出てきた『馬』は具体的に意味を突き詰めていくとどうなるのか、やや気になりました。主に作用の仕方や存在理由など。『馬』でもいいなら『亀』や『鶴』でもいいんじゃないんでしょうかうーん。トランプの表裏のようなものでしょうか。くるくる、くるくる。あとキャラクターに明確に識別できるほどの個性がないせいか、判別に苦労したり。

 見所というわけではないですが、ラストに待ち構えていたのが真っ暗ハッピーエンドというか、落とし穴にハマったと思ったらそこには生き別れのおじいちゃんが! あっよく見たら死んでる! 的な気分に陥り、思わず清々しさと笑いがやってきました。ただし夜中に一人でこっそり読むのではなく、休日の朝にでも、コーヒーを飲みながら捲ってみたい作品。夜だと変なの出る。

 あ、ページの色が展開によって暗くなったり淡くなったり、暗黒になったりする演出は好きです。でもこれ雑誌でやると製本苦労しそう。

2011-12-26 舞城王太郎『NECK』その二(復)

今年、終わっちゃうんだ…………

あ、来年も宜しくお願い致します。ぺこり。

[]舞城王太郎『NECK』講談社文庫、2010

 続きです。今回は『the original』を。


【the original】:山中、首まで埋められた三人を飲み込む、焼け付くような夏の一日。

 ねじり込まれるような中編でした。

 舞台の原案として書かれた脚本&絵コンテを用いた作品。

 アクションと会話主体なので、序盤はさらっと読んでいましたが、中盤から物語に引きずらるようになり、吹き飛ばされながらクライマックスを迎えて結末にたどり着きました。ごぢーんと、躍動シーンの度に頭と腹を一緒に蹴り飛ばされているようでした。一言で表すなら、人為的にどんどん難度が上がるジェットコースターの如き小説。活路を見出そうとする度に梯子が手から離れ、武器が壊れ、鉄パイプが足の甲に突き刺さり、縛る紐がきつくなり、床が滑り始めます。文章の脇に表示された絵コンテはコミカルな図柄ですが、状況が全然コミカルでないので、お化け屋敷に出現した通り魔のように現実味がありません。

 前作の『a story』は「ええー……なにこれ……主人公かわいいけど……」という結論でしたが、今作は目的やシチュエーションががっちり固定されているためか、文章の疾走感があり、かなり快適に読める文章でした。原案扱いなので、キャラクター名とセリフ、それから抑え気味の背景描写と絵コンテで世界が展開されていますが、絵コンテの巧さもあり、文章付き漫画のような塩梅で読み込めました。これを映画化しても十分通じる気がするのですが、そこらへんどうなのでしょうかううむ。

 首まで埋められた状態での闘争もアツイ(具体的になるとネタバレですが、戦い自体は相手にもハンディキャップがあるから成立するのかもしれません)。特に対ナタ戦とか車戦など、ちょっと想像してみたら首の血管がヒュンとなるようなネタが満載です。首から上しか動かない状況で、これくらいのアクションを演出できるのは本当に馬鹿馬鹿しく面白い。酷暑の中で三人が浴びる決死を思い浮かべると楽しくて仕方がないのですが、もし見物する際は二百メートルくらい離れて望遠鏡で覗いていたいところです。烏龍茶つきで。

 終盤での最大トリックはあれ? とやや疑問も出てきますが、ノリで十分に納得できたので置いておくこととして。

 真夏の半埋葬による設定を十二分に活かしており、破天荒ともカッ飛んだ展開と小道具は時間そして空間を忘れさせてくれるものでした。

 これからももっと犠牲者には増えてもらいたいところです。

NECK (講談社文庫)

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2011-12-19 舞城王太郎『NECK』その一(復)

ゆ、ゆきがふってきて、積もる…………

[]舞城王太郎『NECK』講談社文庫、2010

 『ディスコ探偵水曜日』や『九十九十九』、『スクールアタック・シンドローム』などで常にこちらの度肝を抜いてくれる舞城王太郎ですが(チョイスには露骨な意図が含まれています)、今回は『首』を素材として、それを用いた短篇集を出してくれました。でもこの厚さだと中篇集って言ったほうが良いかもしれません。

 全部で四話あるので、一話ずつ順繰りにレビュー。今回は『a story』を。

【a story】

:人より首の骨が多い女の子に襲いかかる異常、怪漢、冒険、そして殺人事件。旧と現の事件が混じり合い、首に潜む秘密が迫る。

 登場する人物たちは馬鹿馬鹿しくも現実性、またはリアルさを兼ねていて楽しくありましたが、物語がちょっと歪すぎるように見えたので、中和されて落ち着いた感じになりました。しょぼーん。拍子抜けというよりも、物凄い花火が打ち上がると思ってワクワクしてたらひぽーんと簡単な火花が出ただけでした、という例えです。作中で用いられるトリック(現代版)、首の中に隠された秘密、怪漢たちの警告の意味がややズレたようなところもありますし、作者が主張したいだろうなあという部分が強すぎて、つなぎとしての他シーンも薄く見えました。きっと骨に比べて肉が厚すぎるせいでしょう。

 一番頷けたところは主人公が成長する際に味わう柔らかな幻滅、またお母さんとの言い争いのシーンや、リア充(?)になろうと飲み会に出ようとし、知人に思い切り笑われるシーンなど。な、なんか本気できつそうだぞ…………

 主人公の百花を助ける(というか実質彼女の代わりに謎を解いてくれる)ノジャジャはあまりに強すぎてこの人主人公じゃないの? と思うぐらい。謎を解き、邪魔な人らをどつき、警察にコネを持ち、障害をなんなく跳ね返す姿は見ていて無敵スター永続状態のマリオを彷彿とさせますが、嫌にもならずするする受け入れられるのは筆力の賜物でしょうか。ううむ。どっちにしろこういう人いるとスラスラ進んでくれますし。

 いろいろと書きましたが、始まりの雀躍な感じや怪漢たちの謎を追うシーンはやっぱり面白かったです。がくり。

 

NECK (講談社文庫)

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2011-12-10 カポーティ『冷血』(復)

PCが壊れたと思ってたり、壊れてなかったり、直したと思ったらややこしくなったりと、平穏でないPCライフ。

[]トルーマン・カポーティ『冷血』新潮文庫、2006

:一九五九年、アメリカのカンザス州で起きた一家惨殺事件、それを取材し、まとめた本。

 ばっさりと書いてしまうとこれくらいの文章しか残りませんが、カポーティは『徹底的』な取材の上で、この惨殺事件を描いています。殺された一家がどんな人たちだったのか、住んでいたところ、近所の人たち、親戚、犯人たち、犯人らの家族や友人、捜査機関や裁判所で勤める人々に至るまで。そして犯人らが犯行を思い立ち、実行し、後に逮捕され、絞首刑に処せられるまで(隠語で絞首台は”コーナー”と呼ばれ、具体的な描写も挟まれます)。事件によって何が変わり、何が捨てられ、何が新しくやってきたのか、彼らの心理に何が去来するようになったのか、ノンフィクションでありながら、そこに到来するものはフィクション並みであり、まさに情緒の描写を行えるまでに掘り尽くされた小説に近いものとなっています。

 本書の前半までは主に生存していたクラッター一家に筆があてられ、後半からは犯人であるペリー、ディックに筆が近づき、紙面が割かれます(書かれたページの比率が違うのは、殺人被害者と加害者では、だいたいにおいて加害者の方が長生きすることも関係しているかもしれません)。特に犯人の一人であるペリーが悪辣な家庭に生まれ育ち、壊滅的な青春を送り、その精神がどう変化していったのか、彼の思想がどう変化していったかを、手紙や彼自身の供述から用い、精神分析の結果に至るまで書き記しています。裏表に近い存在として、ペリーとカポーティ自身を位置づけることもできるでしょう。ただ、のめり込み過ぎることを控えるため、あくまでも描写は客観的になるよう慎重になってはいますが。

 その世界観はあまりに完璧すぎて、私にはやや冗長といえる部分がありました。きっと多分、日常に纏わる些細でどうでもいい出来事(トイレ掃除とか、車のタイヤを替えるとか、キーボードについた埃をちまちま掃除するとか、そういうった必要だけど煩わしい事)をも感じさせるために、事件から生じる『世界』をカポーティが配置したのでしょう。そう考えれば本書はまさに一つの分野の完成形、隙間なく埋め尽くした領域と言えるかもしれません。

 精緻で、完璧に、創り上げられた灰色の世界。表紙の荒涼とした空を含め、本書は冷たくそこに在ります。

冷血 (新潮文庫)

冷血 (新潮文庫)

2011-12-01 アーヴィング・ストーン『炎の生涯 ファン・ゴッホ物語』

気温が、一桁、か…………

[]アーヴィング・ストーン『炎の生涯 ファン・ゴッホ物語』フジ出版社、1975

:オランダ、ある牧師の息子で当初は画商であったけれど、次に牧師になろうとし、失敗し、画家になり、絵を描きはじめて貧困と苦悩の境目で常に呻吟し続けた男の話。名前はフィンセント・ファン・ゴッホ(この名前はドイツ語読みで、オランダ語読みではヴィンセント・ヴァン・ホッホになるそうです)。この本に綴られているのは、画商であった彼がいかにして牧師を通って画家になったのか、如何にして死んでいったのか。二十一歳の、恋愛を知った彼の目から物語は始まり、三十七歳、横腹にピストルの弾を撃ち込んで自殺するところで終わります。


 イギリス、オランダ、フランス、ベルギー、ヨーロッパの各地を経ながらフィンセントは旅をし、人と出会い、打ち震え、挫折し、弟に手紙を書き、別れ、次の地へと向かいます。その情緒と描写は豊かで色鮮やかで、時に煮詰め切ったシチューのように飽和しきった色彩がページを埋め、時にほのぼのした馬鹿馬鹿しさを持って迫ります(例えば、生涯フィンセントを助け金を送り続け、ずっと彼を見捨てなかった弟テオとの会話など)。大量の、フィンセントとテオの間の書簡を基にして編まれた物語は、ひたすらに厚く叩きつけるように彼の人生を伝えてきます。その速度はのびやかだったり、急加速したり、ふわふわと頼りなかったり、そして上に下に裏に表に終始動き続け、たくさんの速度が詰まっているかのよう。


 同時にこの評伝の中で展開されているのは、挫折し続けた男の落伍者としての人生、画家としての人生、人に恋し、人から愛された男の人生、いずれも人の精神を貫く重要な要素です。だからこそフィンセントはさまざまな見方で読み解くことが可能であり、一つを拡大して分析しても遜色無く活き活きとしているのでしょう。私が気に入った図柄は、画家として、情熱の塊となって描きなぐるフィンセントの姿でした。絵描きとしての姿勢に憑かれ絵筆を取り、自分の耳を切断して収容された精神病院でも描きをやめず、最終的には強靭だった意欲の減退と生活苦によって自害に走るフィンセントの姿は、華々しいほど鮮やかに脳裏を過ぎります。


 自身の生活に苦悩し、進むべき道に悩み、画家としての才能の無さに嘆き、絵の下手さに悲しみ、友人らとの摩擦に葛藤し、己の意欲の消滅を存在価値の消滅と絶望した姿。こうして抜き出せば、フィンセントの物語は苦悩の物語であったとも表現できるのではと思います。


 評伝でありながら、がっちりとした重厚な構成と、どこまでも丹念に組み上げた描写によって、読後にやってくるものは長時間の大作映画を見終えたような、洪水が流れ去ったような感じでした。人の生が流れ去り、それが生まれた時からずっと見ていたような、壮大で雄大な終末を見た気分です。大きい本でした。


 あと他のキャラクターですが、フィンセント以外にもウェイセンブルフとかゴーギャンも好きです。特にゴーギャンは、金がなくて食事できなかったのに、仲間には『子牛のあばら肉にグリーンピース』は最高だったぜ、とか吹聴している場面がのほほんとするような笑えるような。芸術家というのはそういうものでしょうか、いやはや。ウェイセンブルフはツンデレ。

2011-11-20 仁木英之『僕僕先生』

風と雨のせいで、死にそうな日々です。温かいものが食べたい……

[]仁木英之『僕僕先生』新潮文庫、2009


:僕僕先生かわいい! 王弁ダサーい! から始まる(別に始まりません)中国唐代を舞台にしたファンタジーノベル第一弾。ちなみに第五弾まで既に刊行されているので、一気読みにも最適。文庫本だと第三弾まで発売されています。


 この本の概要を文章で表すとするならば、仁木英之先生の筆による、笑いありこそばゆいラブあり、異世界突入あり、なんかシリアスな対決ありと、幅広くかつなんかだんだん狭くなってない? お? あれっ仙人様が無理やり狭めてらっしゃる!という、仙人とその弟子が織り成すお気楽道中記、となっています。楽しくも小洒落た仙人たちと、悶え苦しみながらも突き進む人間らが入り乱れ、時に争い時にじゃれ合う古風ドラマ。丹念に推敲された文章と、無駄を削ぎ落した単語群から形成される独特の空気感は一読してみてこそ。


 またこの点は小説の解説にも含まれていますが、見ていて感じるのが、主人公である王弁が師匠である美少女仙人(重要)僕僕先生と旅に出て、七転八倒し、修羅場のようなものを潜りぬけ、美少女(重要)仙人との恋愛や自身について悩んだり、果ては死または発狂という窮地に追い込まれていきますが、そうした山あり谷ありの文章の根底にあるのは『楽』ということです。時折混ざる楽しいシーンや、シリアスなシーン、また文章の中からまろびでる雲とも水飴ともつかない雰囲気は、読者を楽な世界へと誘ってくれることでしょう。


 ついで、作中での僕僕先生は黒髪を腰まで垂らした少女なのですが、読みながら頭に浮かぶのがどうこねくりまわしてもちっちゃなツインテールにしかならないのは、多分『鬼哭街』のせいです。おのれルイリー!

僕僕先生

僕僕先生

2011-11-14 フランツ・カフカ『変身』

 なんか最近頓に寒くなってきたので、風邪とか引かないか心配な日常です。しかし一ヶ月ぐらい前の風邪が未だ治っていないことにさりげない危機感。こじらせないと良いのですけれど。

[]フランツ・カフカ『変身』新潮文庫、1952

:ある朝、気がかりな夢から覚めたグレーゴル・ザムザは自分が巨大な一匹の虫になっていることを発見した。そうした文章からはじまる、変身したグレーゴルの虫としての日々。

 カフカ自身によって『不完全』と言われたこの小説は、僅か百ページ前後のものでありながら、そこに込められた感情が、生活自体が這い出てきます。虫への変身から始まるグレーゴルの灰のような日常は、変身直後の爆発的な衝撃の後で、さながら後日談の如く、泥のように流れていきます。次第にグレーゴルの知覚は虫のそれに閉じ込められるようになっていき、縮こまり、人間としての思考を忘れ去っていきます――あたかも、虫に閉じ込められた人間ではなく、それはたまたま人間の中に閉じ込められていた虫であり、今やっと元に戻ったとでもいうように。彼の家族に降りかかる不条理な生活と共に、それらが発酵する雰囲気とは、無意味で無力であるいは無為。

 ただ、彼の家族は変わりゆくグレーゴルと同様に、その生活に何かしらの意味を求めようと、自分たちの生をどうにかして確立させようと、彼ら自身のごく小さな戦いを、葛藤を、擦り減りを経ていきます。グレーゴル、家族らの、それぞれにとっての決死の行動はしかしどうしても緩やかで、底に流れるものはひどく小さく、だからこそより引き立つ部分があるのかもしれません。

 ところでグレーゴルは最後に死にますが、遺骸はどうなったのでしょうか?

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)