新ガラマニ日誌

ガラリアさん好き好き病のサイトぬし、ガラマニです。

ベトナム・カンボジア旅行記(5)強いぞ、植物!タ・プローム寺院

信仰に厚く、民に情け深く、アンコール・トムの四面観音像のモデルになったことで、俺内評価うなぎのぼりな、アンコール王朝最盛期の国王、ジャヤバルマン7世。彼が建立した、数多くの建造物のなかで、植物の根っこに覆われていることで、特に有名なのが、タ・プローム寺院である。

ジャヤバルマン7世は、1186年に、仏教寺院、タ・プロームを建立した。

それから、時を経ること、800年。カンボジアの遺跡は、すっげー貴重なんだから、発掘し、調査し、保護しなければならない。よしよし。フランス、インド、日本、現地カンボジア等々の、そのスジの皆さんが、考えに考えた。

なあ、おい、この根っこ、どうしようか。どうしようか、じゃねえだろ。邪魔な植物は、除去しようよ。だって、植物の伸びるまんまに放置しておいたら、大切な遺跡が、壊れてしまうよ。いやいやチミたち、ここはあえて、ガジュマルの根がはる様子を、観光客に見せるザンスよ。ごらんなさいザンス。大木の成長にともなって、石壁が壊れてゆくと聞くと、植物は、下から上へと伸びると思うザンス。

ちがうザンス。ガジュマルの根は、上から下へと、降りてくるザンス。

ミーたちが、どんな苦労をして、遺跡を発掘し、調査し、保護してきたのか。倒壊している礎石は、1つずつ、持ち上げたザンス。組み立てて、創建当時の形に、作り上げたザンス。写真にあるような重機を、搬入するためには、森林を伐採して、道路を作る必要もあったザンス。

カンボジアが平和になったおかげで、遺跡の調査もすすんだザンス。でも、こんにちに至るまでは、並大抵の苦労じゃなかったザンス。たたかう相手は、植物だけじゃなかった…。艱難辛苦があったザンスよ。

タ・プロームと、ベンメリア(旅行記(7)参照)は、敢えて、植物に侵食され、崩壊寸前である状態で、保持するザンス。これを見てもらうことで、遺跡の発掘、調査、保護が、いかにしてなされたか、経過を知ってほしいザンスよ。アンコール遺跡群を守るため、未来への道標となるように。

強すぎる根っこを、これ以上、石壁のなかへ入らせないように、ボルトでとめてある。

この小さな建物は、タ・プローム寺院の入り口手前にある。ジャヤバルマン7世が、旅人の宿舎として建造した。素泊まり無料。

目を見張る美しさ。踊る美女像、アプサラさんたち in タ・プローム。しかし、一方で、悲しいものを見ることになる。

中央、どう見ても、そこにあったはずの像が、なくなっている。盗掘されたのである。それも、大昔の話しではない。今から、たったの20年前である。近隣の村に住む、子供たちは、「おう、遺跡、行こうぜ!」と誘い合い、アンコール遺跡群へと走った。

そして、仏像の頭部や、小さめの像なら全体を、持ち帰り、金持ちに売ったのだ。仏頭は、特に高価で取り引きされた。

ぜったいに、盗掘した彼らを、責めてはいけない。思い出してほしい。ポル・ポトは、文字が読めるというだけで、民間人を拉致し、殺したのだ。こんなひどい内戦が、終結を見たのは、ようやく、1990年代になってからなのである。内戦中、何の罪もない人民たちは、貧困にあえいでいた。トンレサップ湖で、魚を捕ることも禁止。野鳥を食べることさえ、禁止されていた。その上、父を母を、殺されていた。貧しさの中、子供たちは、近所にある、大昔の石のお寺に行った。転がっている仏像を、ただ、きれいだなと思って、持ってきたら、高く買ってくれる大人がいて…

2016年現在、シェムリアップは、おだやかな、住みやすい街だ。今やカンボジアは、観光立国をめざし、各国の空港から、直通便を出している。外国語ガイドは、ベージュ色の制服を着て、ジャヤバルマン7世によく似た青年たちは、俺たちに微笑みかける。ただときどき、過去の出来事を話すと、涙ぐむ。

僕の祖父は、教師だった。1970年代のある日、祖父と、祖母が、僕のお父さんと、幸せな食卓を囲んでいた。そこへ、政府の役人がやって来た。祖父は、連れていかれた。祖父は、二度と帰ってこなかった。皆、知っていた。殺されたと、知っていたが、発言すれば、また殺される。だから、連れて行かれた祖父の、正式なお葬式も出来なかったし、お墓も作れなかった。

重たい口を開き、語ってくれたガイドさん。仏像を盗んだ子供とは、彼自身だったのだ。

バスに乗って移動した。3時のおやつだ。

光都市、シェムリアップ観光大通りにめんする、小さなお店、カフェ・プカプカ。俺は、甘い、あんま〜い、ココナッツミルクがタップリかかった、かき氷をチョイスしました。

おう、カンボジア、行こうぜ!すっごく、いいところだから!